屍人と少女、それから化け猫

藤野 要

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三章 桐生家

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 重い瞼をゆっくりと上げ、瞬く。どこか見覚えのある古びた木目がぼんやりと目に映った。

 なんだか酷く沈鬱で億劫だ。
 目を覚まさなければ良かったと思うほどに。

(私、何してたんだっけ)

 身体を起こそうと力を入れるとあちこちが痛み、うめき声が口から漏れる。特に背中。身動ぎする度に鈍い痛みが璃子を襲った。
 涙が滲むような痛みが身体中を駆け抜けると共に思い出したくもない記憶が脳裏を過る。
 
 慣れ親しんだ壁や床が父親の血で赤黒く染まっていく凄惨な映像。人を継ぎ足した醜い妖。お手伝いのみんなの顔が、声がその肉塊から聴こえててくる悪夢のような現実。肉塊の口らしきものの中に取り込まれていた母のような人ーー

 夢だと思いたくても身体中の痛みがそれを許さない。今までの日常が一瞬で消え去った事実を受け入れられず、ただ呆然とするしかなかった。
 
(集さんは……どうなったの)

 妖の腕の塊に突き飛ばされて、壁に叩きつけられた。その後彼はどうなったのだろう。思い出そうとしてもうまく頭が動かない。

 遠くから誰かが言い争う声が聴こえる。聞き覚えのある低い声。適当で面倒くさげな声音が今は少しだけ安心することができた。

「集さん……誰?」

 ぽつりと呟いた声にピタリと低い声が止まった。
 暫くしてかたかたと戸を引く音が聴こえ、そちらに意識を向けると障子から遠慮気味に中を伺う千李さんと目が合った。

「璃子ちゃん、良かった……無理して起きなくてもいいからね」

 緩く首を振って身体を起こすと
息が詰まるような痛みに耐えきれず顔を顰める。それを心配そうに千李さんは背中をそっと支えてくれた。

「……ここ、灯野さんの家? 集さんは……? お父さん達は、私の家……皆、どうなったの?」

 思っている事を声に出すだけでどんどん現実味が増して寒くも無いのに身体が勝手に震える。

「落ち着いて、大丈夫だから」

 温もりのある掌が冷えた背中を擦る。それでも心の底から湧き上がってくる不安はそれだけでは到底拭えなかった。

「私を庇って、あの人は……集さん、何処に居るんですか」

「戸の後ろにいるよ。……返事くらいしたらどうだ」

 キツめな声が障子の向こうへと刺さると、「はいはい」とどこか疲れたような面倒臭そうな声が返ってくる。

「大丈夫、ですか」
「大丈夫ではねえな。まあ、何とかするだろ」

 他人事のように話す彼に違和感を憶えながらも重い身体を無理矢理持ち上げる。

「璃子ちゃん、無理して動いてたら、」

「うっ――」

 立ち上がろうとするも電流が流れるような激しい痛みに息が詰まり、堪らずそのまま倒れ込んだ。千李さんが慌てて支え、諌めるような声音で名前を呼んだ。

「突き飛ばした時に打ち所悪かったんだろ。最悪骨にヒビくらい入ってるかもしれねえな」

「……なんで、来てくれないんですか」

「千李がいるだろ」

「怪我は、大丈夫なんですか?」

 突き放すような声にもめげず、声を上げる。千李の制止の声を振り切って半ば這う様な変な格好で襖の向こう側へと向かった。

「……日常茶飯事だし、こんなもん。
後はババアがなんとかしてくれるだろうし。
お前はいいから寝てろ」

 這う璃子を止めようにも何処を掴んでいいか分からず狼狽える千李を他所に、身体中の痛みに相まってか勢い付いて襖に手をかける。
 そのまま外へ頭を出すと、濃い血の臭いと微かな腐臭に思わず顔をしかめた。

「璃子ちゃん、ちょっと、寝てないと」

 肩に添えられた手など気にせず、声の方向へとさらに進む。薄い戸を背に、座り込んでいる集真がいた。
 青白い顔は表情一つ崩さず、なのにその姿は異様だった。地味なグレーのパーカーは黒い染みがべっとりとこびりつき、何より目を見張ったのは左側。二の腕から下が何処にも見当たらず、代わりに白い布のようなものが巻き付かれていた。

「……腕、が」
「結局、這って来るし。寝てろっつってんだろが」
「……酷い、」
「別に腕一本千切れるくらい、もう慣れてんだよ」
「いつも……そんな?」

 妖だからといつも追われている彼。姿形はどう見たって人間だ。なのに術師たちは一切の躊躇もなく彼を殺そうとする。
 術師側にも諸々の事情がある。それでも璃子にはそれが受け入れられなかった。

「……璃子ちゃん、ほら戻ろう」

 掴んでいた肩にぐっと力が込められる。それを無造作に叩いて

「なんで、集さんの方が私なんかよりひどいじゃない!! どうして助けないの」

 一気に言葉を吐き出して、痛みで咳き込んだ。

 千李は困惑して璃子を見返す。
 千李たち術師側の人間は妖を憎悪している。そのように教えられて育ってきたし、身内を妖に食われた者も少なくはない。千李もその内の一人で恨むのは当然の事だった。集真は人の形をした卑怯な妖にしか見えない。

「キリ、いいから」

 面倒臭そうに手を降る集真に璃子は膝をついて立ち上がろうと壁に手をかけた。
 何を思ったのか、集真の残った腕を自らの首に回し、立ち上がろうとする。
 

「千李さん、手伝って」

 彼女が何をしようとしているのか、理解して身を引く。

「できない」
「千李さん!!」
「妖なんだよ!! それ・・は人間じゃないんだ。
わかるだろう? 普通、その怪我で生きていられるわけないんだよ」


「そんなの関係ない!! 誰であろうと怪我してたら心配するのは普通だし、助けたいって思うのは当たり前のことです」

 それでも動かない千李を尻目に「もういい」と言い捨てた璃子は震える足で立ち上がり、集真の腕を引っ張った。

「いいって、俺は」
「うるさい、怪我人は黙ってて」
「おい、無理に決まってんだろそんなふらふらな足でっ」

 案の定、がくっと力が抜け璃子の身体は冷たい床へと倒れる。支えようとした集真も腕一本では足りず共に床へと額を打ち付けた。

 鈍い音が廊下中に響いて、千李の顔が引き吊る。呻く璃子と悪態を付く集真を交互に見て段々と居たたまれなくなり、がしがしと頭をかきむしりながら息を吐いた。

「……代わるよ、見てられない」

 顔を上げた彼女は目をぱちくりさせている。きっと気を失わない限り諦めもしないだろう。
 同じく顔だけを上げた妖の方はかなり嫌そうに顔をしかめる。千李自身だって怖気が走るくらい嫌だ。でも少女の事を気遣うにはどうしてもこいつを床の間へと運ばなければならない。

「今日だけだよ。本当に…頑固なんだから」

 代わりに妖の腕を肩に回して持ち上げる。
 少女は安心したように息を吐いて微笑んだ。


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