林檎の花は甘く咲き乱れる

枳 雨那

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アヤカシとの対峙

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 梛がいなくなってからというもの、牢の中は随分と静かになった。どのくらい時間が経ったのかも、今が何時なのかも分からない。林檎は、することがなくて手持ち無沙汰だった。部屋の中をぐるぐると歩き回っては、結局ベッドに腰を下ろす。

(もし、本当に処刑されることになったらどうしよう……)

 つい、よくない方向に思考が動いてしまう。林檎は嘆息を漏らした。

「……ううん、そんなことにはならない。我慢して待つって、約束したんだから」

 梛たちが、きっと助け出してくれるだろう。林檎は、それを信じて待つしかない。いつかここを出られたら、彼らに何のお礼をしたらいいか、考えてみることにした。

 槙や藤のことはまだよく知らないから、好きなものや欲しいものを聞いてみればいい。梛だったら、「じゃあ、結婚してほしい!」なんて言い出しそうだ。あまりにも自然に映像できてしまうので、林檎はにやついてしまった。

「……はっ! だめだめ、好きになっちゃいけないんだってば!」

 林檎は我に返って頬を叩いた。独りで勝手に自惚うぬぼれて、何をやっているのだろうか。緊張感の欠片もない。問題は、ここでの時間をどう過ごすかだ。待っている間にも、自分にも何かできないかと思索にふけっていると、カチャリと扉の鍵が開く金属音がした。誰かが入ってくる。

 林檎が姿勢を正して待っていると、顔を出したのは槙だった。薄暗い中でもよく見える薄紅色のミディアムヘアが、さらりと揺れた。

「林檎さん、失礼していいですか?」
「どうぞ!」

 誰かが来てくれるのがこんなにも嬉しいとは。林檎が嬉々として返事をすると、槙は僅かに驚いた後、目を細めた。

「もっと落ち込んでいるかと思っていました。さては、梛少佐と何かありましたね?」
「えっ!」
「梛少佐も、俄然がぜんやる気になって戻ってきましたし……」
「あ、変なことは何もないですよ! ただ、梛と少し話をしたら、安心できたというか」
「なるほど、そうでしたか。梛少佐には、人を元気にさせる不思議な力がありますから」

 槙も林檎の様子に安心したのか、微笑みながら頷いた。その手にはおけが乗っていて、手拭いと浴衣らしきものが入っている。

(これは、もしかして……)

「林檎さんの血液検査の結果は、異常なしでした。今のところ危険な力を持っているようにも見えないので、二日に一回であれば湯浴みをしてもいいと、上の許可が出ています」
「ほんとですか! あ、ありがとうございます!」

 これで身を清められるようだ。林檎は槙に何度も頭を下げて、桶を受け取った。林檎がにこにこしていると、相反するように槙の表情が曇っていく。

「ただですね。非常に申し上げにくいんですが……」
「はい?」
かたわらで、少佐以上の軍師が監視すること。それが、湯浴みの条件です」
「……ん? えっ、監視?」
「今日は、僕が担当になりました。梛少佐は遠方に警邏に出ていて、まだこのことを知りません。ですので、彼には言わないでいただけないでしょうか?」

 槙は、「彼に知られた場合、間違いなく半殺しにされます」と言って、震えながら頭を下げた。

「あの、槙さん。顔を上げてください。梛には言いませんから」
「よかった……。助かります」
「それよりも、その……監視って、どうやるんですか?」
「やっぱり、嫌ですよね。申し訳ないんですが、これも指示なので、僕も風呂場に立ち入らせていただきます。あ、でも! 背を向けますし、極力見ないようにしますから!」
「え! どうしよう……」

 梛から詳しく話を聞くと、風呂場には格子のはめられた大きな換気口があって、そこから林檎が逃げ出さないよう、誰かが見張らねばならないということだった。監視は女性軍人に交替できないのか聞いてみたが、少佐以上の階級を持つ女性がいないらしい。

(困ったな……)

 いっそ、入らないという選択肢も林檎は考えた。けれど、身体が皮脂でベタついて気持ち悪いし、せっかく上に申請してくれた梛にも申し訳が立たない。迷った末、誠実な槙ならば約束を守ってくれそうだと、林檎は受け入れることにした。

「分かりました。槙さんを信じます」
「……はい。僕は頑張って目を逸らします」
「どういう宣言ですか、それ」

 お互い、気が抜けたように笑い合う。梛が帰ってくる前にと、林檎は槙に連れられて牢を出た。



 約一日振りに、地上へと向かう。浴場までの道すがら、気になっていたことを、槙に質問してみることにした。

「槙さん」
「はい、なんでしょう?」
「まだ出会って間もないのに、どうしてこんなに、私に親身になってくれるんですか?」
「え? あ、そんな……僕は全然ですよ。僕よりも、梛少佐の方がよっぽど林檎さんのことを考えてます。彼は、困っている人を放っておけない性格ですから」

 梛には最初に助けてもらった縁があり、本人も力になりたいと望んでくれている。だが、槙とはほとんど会話もできていない。親切心で助けてくれるのは、何か理由があるのではないだろうか。

「確かに、梛はすごい人だって分かるんです。そんなに長く一緒にいたわけじゃないのに、ずっと前から知っているような感じがして」
「そうですね。僕は彼と同郷で幼馴染みなんですが、昔から、男女問わず人を惹きつける不思議な魅力があります」
「そう、それです!」

 二人が幼馴染みだと聞いて、林檎は納得した。階級の差はあれど、街で逢った時から息がぴったりで、仲が良さそうだったのだ。そう伝えると、槙ははにかんだ。

「じゃあ、二人で一緒に軍人を目指したんですか?」
「そうです。同じ目標を共有しています。女性のために、この国の法律を変えたい、と」
「それ、梛から聞きました」
「そうでしたか。僕の場合は、家が貧しかったこともあって、歳の離れた姉が花街に連れて行かれてしまって。今は望んでもいないのに、妓楼ぎろうで働かされています。だから、助けたいんです」

 女性を軽視する風潮が、深刻な問題になっている。それをどうにかしたいから、槙も軍人になったらしい。でも、身体能力ではなかなか他に勝てず、座学が得意だったことから、現在は情報参謀として活躍しているそうだ。

(槙さんも、例に漏れずすごい人なんだな……)

「僕の方が先に中佐に昇格してしまったので、梛少佐には随分と悔しがられたんです」
「あはは、想像できます」

 こんなに楽しく会話をしていていいんだろうか。そう思うくらいに、処刑されるかもしれないという憂慮は、林檎の中で薄れてきている。

 希望を胸に感じながら笑っていると、すれ違う軍人たちに訝しげな視線を向けられたが、騒がれることはなかった。林檎が破滅の巫女かもしれないという情報については、箝口令かんこうれいがしかれているらしい。

「こっちに来た時は、どうしたらいいか全然分からなくて。捕縛されることになっても、二人に優しくしてもらえたから、こうして落ち着いていられるんだと思います。ありがとうございます」
「それはよかったです。僕もできる限りのことはしますので、何でも仰ってください」

 外の通路を渡ると、浴場が見えてくる。それとともに、林檎と槙の会話が終わった。二人の間に流れる空気が、一瞬で冷えていく。

「……」
「……」

 今から、ここに二人で入るのだ。林檎の肩に緊張がのしかかる。
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