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第2話 無愛想な人の、優しいおせっかい
(この人、いつもアジフライ定食だな……)
厨房の奥から、朔はちらりとカウンターを盗み見る。
今日も、いつもの席。いつもの定食。
そして、変わらず黙々と箸を運ぶ彼女の姿。
それだけのはずなのに――なぜだろう。目が離せなかった。
最初は、ただの常連だと思っていた。
でも、いつの間にか──彼女が暖簾をくぐるたび、心がふっと騒がしくなるのを感じていた。
柔らかそうな髪。
メニューを見つめる真剣な横顔。
それから、自分が揚げたアジフライを美味しそうに頬張る、その笑顔。
……話しかけたい。ほんのひと言でいい。
けれど、喉まで出かかった言葉は、毎回そこでつっかえてしまう。
不自然なことを言って引かれたら、と思うと、どうしても踏み出せない。
(……なにか、話せ。せめて、ひとこと……)
ぐっと拳を握る。深呼吸をして──
「……アジフライで、いいですか」
絞り出すように発したその声は、自分でも驚くほど震えていた。
「はい。お願いします。ここのアジフライが、一番好きなんです」
雫が、ふと顔を上げて笑った。
思いがけない言葉に、朔は無言でうなずく。
そして、熱を帯びた頬が見られないように、少し早足で厨房の奥へと戻った。
それから、ほんの少しずつ。
ふたりの間に、言葉が増えていった。
「この味噌汁、ホッとしますね」
「……うちの出汁、大将が毎朝引いてるんで」
いつも通りのぶっきらぼうな返事。けれど、どこか誇らしげで。
その空気が、妙に心地よかった。
*
「……今日はどこから来たんですか?」
「仕事帰りです。いつもこの時間になっちゃって」
その返事に、朔の手が一瞬だけ止まった。
「……随分遅いんですね」と低く落とされた声。
けれど、その響きには妙に引っかかるものがあった。
「はい。最近、忙しくて。休日出勤も多いんです」
再び動き始めた朔の手が、また止まる。
やがて、静かに顔を上げ、雫の方をまっすぐ見つめた。
「……ちゃんと、食べてるんですか」
不意に投げかけられた問いに、雫は目を見張る。
「え……?」
「朝、昼、夜。まさか、コンビニとかで済ませてるわけじゃないですよね」
ギクリと肩が跳ねる。──図星だった。
「……まぁ、そういう日もあります」
目を逸らしながら言うと、朔は眉間にしわを寄せる。
「“も”って、ことはそれ“ほとんど”コンビニ飯ってことですよね?」
思いのほか鋭い指摘に、雫は苦笑いでごまかす。
「朝は食欲ないし、昼は忙しくて……夜は、疲れてるから、つい」
しどろもどろに言う雫に、朔は眉をひそめた。
「……はぁ? なんだそれ。信じらんねぇ」
思わず声が上がった瞬間、店内が一瞬静まる。周囲の視線がふたりに集まっているのが分かったが、朔はまるで気にする様子もなく、言葉を継いだ。
「そんな生活、続けてたら体壊しますよ。……ていうか、何のためにうち来てるんですか」
まっすぐ投げられた言葉に、雫は言葉を失った。
(……何のため、って)
言い淀んでいると、朔がふいに言った。
「……ちょっと、待っててください」
そう言い残し、厨房の奥へ消えていく。
何かを探すように、ガタガタと器のぶつかる音が響いている。
数分後、両腕にタッパーを抱えて戻ってきた彼は、当然のように言い放つ。
「これ。残り物だけど……明日からちゃんと食生活見直してください」
呆然とタッパーを見下ろす雫の目に、色とりどりのおかずが映る。
だし巻き卵、きんぴら、鶏と野菜の煮物――どれも、手間のかかるものばかり。
「……え、これ、私に?」
「他に誰がいるんですか。……黙って持って帰ってください。じゃなきゃ、次から定食出しませんから」
乱暴な口ぶり。けれどその目は、優しくて。
心配していることが、痛いほど伝わってくる。
こんなふうに、真正面から心配されるなんて――いつ以来だろう。
「……ありがとう。いただきます」
そっとタッパーを受け取ったとき、ふと朔の手元に目がいった。
がさがさとした手のひら。
爪の隙間に入り込んだ油汚れ。
薄く剥がれかけた絆創膏と、小さな傷の跡。
雫は思わず、ぽつりと呟いた。
「……結構、傷だらけなんですね」
その一言に、朔の動きが止まる。
「……まあ、料理人の手なんて、だいたいこんなもんです」
どこか自嘲めいた声だった。
「昔から、怒鳴られて育ったから。失敗するのが怖くて、つい無理して……気づいたら切ってて。バカみたいですよね」
不意にこぼれた本音に、雫の胸がぎゅっと締めつけられた。
「……バカなんかじゃないですよ。……真面目なんです。ちゃんと、伝わってます」
思わず口をついた言葉に、朔が目を見開く。
その瞳が、ほんの少し揺れた気がした。
そして。
「……なら、よかった」
ぽつりと落とされたその声は、これまでで一番、優しかった。
雫は、その言葉を胸の奥にそっとしまった。
(この人、見た目怖いし無愛想だけど……あたたかい人なのかも)
ほんの少しだけ、距離が近づいた気がして──
それはまだ言葉にならない、小さな始まりだった。
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