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第4話 夜道に咲いた、ちいさな灯り
「……じゃあ、そろそろ片付けます」
朔が動き出すと、つられて雫も自然と席を離れた。
「手伝います。時間あるし、帰ってもテレビ観るだけだし」
「いや、頼んでないっすけど?」
「許可制だったんですか? 初耳」
いたずらっぽく笑いながらカウンターの食器を手に取ると、朔は無言でそれを受け取った。頬が少し緩んでるように見えたのは……気のせいじゃないと思いたい。
その仕草ひとつで、「いいよ」って言ってもらえた気がして、雫の胸にじんわりとあたたかいものが広がった。
「……雫さん、動きに無駄がないっすね。片付け、慣れてる感じ」
「実家で、食べ終わったら自動的に“片付け係”でしたから」
「自動的って……ブラック家庭っすか」
「わりとブラック寄りでしたね。でも、自然と慣れるというか」
水に浸けた皿を流しながら言うと、朔がちらっと横目でこちらを見た。
「……嫌じゃなかったんすか?」
「昔はね。なんで私ばっか、って思ってました」
少し笑いながらも、その頃の“引き下がる癖”を思い出して、胸の奥がちくっとする。
「……でも、今は?」
「少しずつ……自分の気持ちを、ちゃんと出す練習中、かな」
「ふーん」
朔はしばらく黙ってから、口の端を持ち上げた。
「じゃあ……この店で練習すね。ぶっきらぼうな店員に、遠慮なく文句言うとか」
「それ、レベル高すぎて初心者向けじゃないんですけど」
「……まずは『水、ぬるくないですか?』からどうですか」
「それは文句っていうか……ただのクレーマー」
ふたりの笑い声が、静かな厨房にぽん、と弾ける。
食器の音も、水の流れる音も、なんだか全部心地いい。
「……あ、もう二十二時か」
朔が時計をちらっと見て言う。
「送っていきますよ。どうせ駅までだし」
朔がそう言うと、雫は「それは助かります」と小さく笑った。
自然に並んで歩く帰り道。ふたりの肩の間にある、ほんの一歩ぶんの距離。
だけど、ふとした拍子にその距離がふいに縮まるんじゃないかって──そんな予感が、心臓のあたりをそわそわさせた。
「……前より、喋ってくれるようになりましたね」
ぽつりと、雫が口を開く。
「誰がっすか」
「朔さんが、ですよ」
「……別に。喋りたくて喋ってるわけじゃないっすけど」
いつものそっけなさ。だけど、声の端っこにちょっとだけ照れが混ざっているのが分かる。
「ふふ。わかってます。素直じゃないんだなーって」
「うるさいっす」
朔がちょっと眉をしかめるのが、かえっておかしくて、雫はくすっと笑った。
しばらく並んで歩いて、ふと足を止める。
「……でもね、嬉しいんです。こうして話せるの」
前を見たまま続けるその声は、春風みたいにやわらかい。
朔が驚いたように雫を見た。その一瞬で、雫の鼓動がふっと跳ねる。
「前はちょっと……怖かったから」
「……マジっすか」
「自覚ないんですか?無口だし無愛想だし……お箸置く音までツンとしてて」
「どんな偏見っすか」
「でも、今は違います」
柔らかな笑みとともに向けられた言葉に、朔はなぜか言葉が出なかった。
──胸の奥が、じわりと熱くなる。
そのまま歩を進め、駅前の横断歩道へ差しかかる。
「……じゃあ、今日はここまでで」
「はい。ごちそうさまでした」
信号が赤のまま、ふたり並んで立ち止まる。
別れ際の沈黙が、なんとも言えずもどかしい。
「……また、定食食べに来てください」
「はい。もちろん」
「あと……ちゃんと、喋る練習もしに来てください」
思わずぽろっと漏れた朔の言葉に、雫が笑いながら振り返った。
「……今、照れてますか?」
「ちがっ……いや、ちょっとだけ」
「じゃあ、"喋る練習"も楽しみにしてます」
信号が青になって、雫は手を軽く振って歩き出す。
春の夜風が、彼女の髪をふわりと揺らした。
朔はその背中を、しばらく黙って見送っていた。
笑い声の余韻が夜の街に溶けていくようで、耳の奥に心地よく残る。
──そして気づけば、胸の中には彼女の言葉が、ずっと残っていた。
*
朔はゆっくりと「こだま」へ戻る。
暖簾をくぐり、灯りを落とした店内に足を踏み入れる。
静まり返った空間の中、ふと視線が向かったのは──
雫がいつも座る席。
もちろん、そこには誰もいない。
けれど、不思議と、まだ彼女の空気が残っている気がした。
(……なんだ、これ)
胸の中がざわつく。
あったかいのに、ちょっとだけ苦しくて。
面倒なくらい、気になって、離れない。
「……めんどくせぇな」
ぽつりと吐き出したその声は、照れと認めたくないものの混合物。
それでも、厨房へ向かう背中には、迷いのない光が宿っていた。
何かが、確かに変わりはじめている──そんな春の夜だった。
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