6 / 104
第5話 ふわふわ卵と、じんわり恋心
それからというものの、雫はますます「こだま」に足を運ぶようになった。
きっかけは、朔がくれた惣菜と――あの日の帰り道の、ちょっと特別な余韻のせい。
「これ、本当に美味しかったです。特に、だし巻き卵。ふわっふわで……プロの味ってこういうのなんですね」
そう言って箸を置くと、朔は目をぱちくりさせた。
「……あ、そうっすか。適当に巻いただけですけど」
そう言いながら、食器に手を伸ばす仕草がどこか落ち着かない。
手元に視線を落としたまま、耳がほんのり赤い。
「……褒められて、嬉しいんですね?」
「別に、そういうわけじゃ……」
「顔に出てますよ。目、逸らすの速すぎですもん」
「……そう言う雫さんだって、ツッコむの早すぎっす」
そのまま口元をゆるめた朔が、少しだけ笑った。
あれ? 笑った?
そのレアすぎる笑顔に、雫の胸がふわっと跳ねる。
「朔さんって、意外と丁寧ですよね。巻き方きれいだし、甘さも絶妙で……」
「“意外と”ってなんすか。失礼ですね」
「褒めてるんです。100点満点で、110点くらい」
「……ちょっと盛りすぎじゃないっすか」
「いいじゃないですか、盛るのは卵だけで十分とか言わないでくださいね?」
「言ってないし、思ってもないっす」
そんなくだらないやりとりが、なぜだか心地いい。
ぶっきらぼうで、不器用で。
でも、料理には信じられないくらい誠実で――
そのギャップに、雫はゆっくりと、確実に惹かれていた。
“居心地のいい店”が、いつの間にか“会いたい人がいる場所”になっていた。
食後のお茶を飲み干し、雫は席を立ちかけて、ふと思い出したように言う。
「……じゃあ、また来ますね。だし巻き卵、次も食べたいです」
さらっと言ったつもりだったけど。
カウンターの向こうで、朔が一瞬だけ瞬きをするのが見えた。
「……まあ、気が向いたら、また巻いときます」
そっけない返事。でも、声の端にわかりやすい“甘さ”がある。
「楽しみにしてますね」
雫はにこっと笑って、暖簾をくぐる。
背中に視線を感じた気がしたけれど、振り返らなかった。
(また来よう。次は、もっと朔さんの話を聞いてみたい)
そんなふうに思いながら、夜道を駅へと歩いていく。
*
静まり返った「こだま」の厨房。
朔は黙々と洗い物を片付けながら、雫の言葉を何度も思い返していた。
(だし巻き卵、また食べたい……か)
たったひと言なのに、思い出すと口元が緩む。
どうにか顔を引き締めようとしても、にやけそうになるのを止められない。
まいったな、と心の中で苦笑いする。
その時。
「おい、朔。……にやけてるぞ」
突然の声に、手が止まる。振り返れば、大将が腕を組んでにやりと笑っていた。
「にやけてねぇし」
「ま、いいこった。お前自身が、誰かを通して笑えるようになったなら――それは、いい変化だな」
「……茶化すなよ、親父」
ぶっきらぼうに言いながらも、言葉が刺さって、胸の奥が少し熱くなる。
(……また来る、って言ってたな)
思い出すだけで、不思議と心が軽くなる。
あの声も、笑顔も、胸の奥にじんわりと残っていた。
“好き”なんて、気持ちなのか分からないけれど。
もう一度会いたい、話したい、と願ってしまう。
手にしたボウルを見つめながら、次の仕込みを思い描く。
完璧な焼き色、ふわりと香るだしの香り。
その先にある、彼女の笑顔を思い浮かべながら、
朔の心には自然と“卵”の文字が浮かんでいた。
あなたにおすすめの小説
優しいマッチョ先輩とみたらし
羽月☆
恋愛
マッチョの松田先輩ときれいだけど実は腹黒毒舌の百合先輩。
同期のいない私 鴻島みどりはふたりに仲良くしてもらってます。
会社でも並びの席で、飲み会でもたいてい三人一緒にいて。
優しい松田先輩にはお酒を勧められます。
飲み足りない顔をしてると思います。だって私は飲めるんです!
だけど三杯まで、お外では三杯までって決めてます。
今日も部屋で一人二次会。
だって恋活中の私はあふれる期待を胸に参加した飲み会で・・・まったく意識もされず。
なかなかうまくいかない恋活中の私。
どうしてなんでしょうか?
そんなにダメですか?
長い間掲げていた恋活中の看板、やっと下ろすことが出来ます。
緑のちょっと変な恋愛事情の話です。
仮面夫婦のはずが、エリート専務に子どもごと溺愛されています
小田恒子
恋愛
旧題:私達、(仮面)夫婦です。
*この作品は、アルファポリスエタニティブックスさまより、書籍化されることとなりました。
2022/07/15に本編と雅人編が引き下げとなり、書籍版のレンタルと差し替えとなります。
今井文香(いまいあやか) 31歳。
一児の母でシングルマザー。
そんな私が結婚する事に。
お相手は高宮雅人(たかみやまさと)34歳。
高宮ホールディングスの次男で専務取締役。
「君は対外的には妻であり母である前に、僕とは今後も他人だから」
要は愛のない仮面夫婦を演じろ、と。
私は娘を守る為、彼と結婚する。
連載開始日 2019/05/22
本編完結日 2019/08/10
雅人編連載開始日 2019/08/24
雅人編完結日 2019/10/03
(本編書籍化にあたり、こちらは多大なネタバレがあるため取り下げしております)
史那編開始 2020/01/21
史那編完結日 2020/04/01
2019/08/20ー08/21
ベリーズカフェランキング総合1位、ありがとうございます。
(書籍化に伴い、ベリーズさんのサイトは引き下げた上で削除しております)
作品の無断転載はご遠慮ください。
普通のOLは猛獣使いにはなれない
ピロ子
恋愛
恋人と親友に裏切られ自棄酒中のOL有季子は、バーで偶然出会った猛獣(みたいな男)と意気投合して酔った勢いで彼と一夜を共にしてしまう。
あの日の事は“一夜の過ち”だと思えるようになった頃、自宅へ不法侵入してきた猛獣と再会し、過ちで終われない関係となっていく。
普通のOLとマフィアな男の、体から始まる関係。
メイウッド家の双子の姉妹
柴咲もも
恋愛
シャノンは双子の姉ヴァイオレットと共にこの春社交界にデビューした。美しい姉と違って地味で目立たないシャノンは結婚するつもりなどなかった。それなのに、ある夜、訪れた夜会で見知らぬ男にキスされてしまって…?
※19世紀英国風の世界が舞台のヒストリカル風ロマンス小説(のつもり)です。
不遇な令嬢は次期組長の秘めたる溺愛に絡め取られる。
翼 うみ
恋愛
父の会社を立て直す交換条件のため、ほぼ家族に身売りされた形で関東最大級の極道・桜花組の次期組長に嫁入りしたジェシカ。しかし母を亡くして以降、義母と義妹に虐げられていたジェシカは実家を出られるなら、と前向きだった。夫となる和仁には「君を愛することはない」と冷たく突き放される。それでもジェシカは傷つくことはなく、自分にできることを探して楽しんでいた。
和仁には辛い過去がありそれ故に誰のことも愛さないと決めていたが、純真で健気なジェシカに段々と惹かれてゆき――。
政略結婚から始まる溺愛シンデレラストーリー。
なし崩しの夜
春密まつり
恋愛
朝起きると栞は見知らぬベッドの上にいた。
さらに、隣には嫌いな男、悠介が眠っていた。
彼は昨晩、栞と抱き合ったと告げる。
信じられない、嘘だと責める栞に彼は不敵に微笑み、オフィスにも関わらず身体を求めてくる。
つい流されそうになるが、栞は覚悟を決めて彼を試すことにした。
Wavering Heart ~ 元同級生は別人級に甘すぎる ~
芙月みひろ
恋愛
ある日のランチで一緒になった男性。苦手だと思っていた彼が、ほとんど話したことのなかった中学の同級生だったことが分かり……