恋するこだま食堂 〜一膳に詰めた想い〜

Sena

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️第7話 アジフライと60秒の距離


その日も、雫はいつものように「こだま」の暖簾をくぐった。

店内に足を踏み入れると、だしの香りがふわりと鼻をくすぐり、馴染みのカウンター席が目に入る。

「いらっしゃいませ……って、アジフライでいいですか?」

厨房から顔をのぞかせた朔が、ほんの少し照れたように言った。

「……お願いします」

ふっと笑いながらうなずくと、奥でカツン、と包丁の音が響く。

まもなくして運ばれてきた皿から、香ばしい匂いが立ちのぼる。

「熱いんで、気をつけてください」

「ありがとう……いただきます」

箸を手に取った瞬間、朔の視線がじっと向けられているのに気づいた。

(……え、なに?)

思わず顔を上げると、朔はばっと目を逸らし、棚の奥をごそごそ探り始める。

明らかに動揺していた。

「……ん? 私、なんか変でした?」

「いや、違くて……」

視線を泳がせながら、言いづらそうに言葉を探す。

「……前より、よく食べるようになったなって思って。……顔色も、よくなったし」

「……え?」

箸が止まる。胸が、ドクンと鳴った。

(もしかして……気にしてくれてた……?)

「……ありがとうございます。朔さんのご飯が、美味しいから、です」

わずかに熱のこもった声でそう返すと、朔は気まずそうに頭をかく。

「……そっすか」

たどたどしい返事が、なぜかくすぐったい。

(なんだろ……今日の朔さん、いつもより……優しい)

ちょっと戸惑う。でも、嬉しい。
なぜか、胸の奥がぽかぽかする。

食べ終わって伝票を持ち、立ちかけたその時。
朔の声が、ふいに背中にかかる。

「……雫さん、ちょっといいっすか」

その声音に、思わず動きを止めた。
 
「え……はい?」
 
ふり返ると、朔は緊張した面持ちでカウンターを回り、雫の前に立つ。

「……この前言ってましたよね。引っ越すって」
 
「あ、うん。まだ部屋探してる途中だけど……なかなか、これっていうのがなくて」

雫がそう答えると、朔はポケットから何かを取り出す。

一枚の、少しくしゃりと折れた紙。
広げられたそれを見て──雫は、目を瞬いた。

「……これ、うちのアパートの間取り図、です」

淡々とした声。でも、彼の手は少し震えていた。

「俺の隣、今、空いてて……」
 
「……え?」

何が起きてるのか、すぐには理解できなかった。

でも、朔の耳が真っ赤なのを見て──雫の心臓が、跳ねた。

「防音も完璧じゃないし、建物も古いけど……駅近。治安も悪くない。なにより、ここから徒歩一分」
 
「徒歩……一分?」
 
「……つまり、今まで通り、アジフライを食べに来れるってことです」
 
真面目すぎる説明に、雫の口元が思わずほころぶ。
一生懸命すぎて、なんだか可笑しくて、でもその不器用さが、じんわりと胸に沁みる。
 
「変な意味じゃ、ないです。ただ……」

ぐっと眉を寄せ、彼はまっすぐに言った。

「前に言ってたでしょ。引っ越したら、あんまり来れなくなるかもって。……それが、なんか、嫌だったんです」

ズキン。

胸の真ん中が、音を立てて鳴った。

(……ずるい)

そんなふうに言われたら、もう。

「……じゃあ、その、住んだら、アジフライを毎日、食べに来てもいいですか?」

ふっと笑いながら返すと、朔は一瞬固まり──

「……毎日は、塩分ヤバいっす」

「もう、そういうとこだけ真面目!」

雫が吹き出すと、朔は少しだけ、照れくさそうに笑った。

その笑顔が初めて見るくらい、やわらかくて。

手渡された間取り図に「こだままで60秒」と手書きされた文字が、妙に愛おしかった。
 
「家賃も、今と同じくらいにできるように親父に頼んでます」
 
「朔さんが、そこまで?」

「……俺が住んでるってだけで、気まずかったら断ってもらっても構わないんで」
 
言いながらも、言葉の端に滲む“期待”は隠しきれていない。

そんな朔を前に、雫の胸がふわっとあたたかくなる。

(……なんか、こんな言い方──)

嬉しい。
いつものカウンター席で、何気ない話をして、アジフライをつついて──
そんな日々が、これからも続いてほしいって、自然に思っていた。
 
「……どうして、ここまでしてくれるんですか?」
 
ふいにこぼれた問いかけに、朔が一瞬目を伏せる。
そして、静かに答えた。

「……来なくなるの、寂しいっすよ。それだけじゃ、ダメですか」
 
まっすぐで、飾らない言葉。
嘘のないその声が、すっと心に入り込んでくる。

(……ダメなわけ、ない)

それは、ずっと抱えていた寂しさに、そっと触れてくれるような優しさだった。

答えの代わりに、雫はそっと微笑んだ。

「……考えてみます。真剣に」

その瞬間──

「雫ちゃん。隣の部屋にしたら、こいつがボディーガード代わりだからな!」

厨房から大将の声が飛ぶ。

「ちょっ……親父、そういうのマジやめろ!」
 
朔が慌てて振り返った時には、耳の先まで真っ赤になっていた。

雫は思わず笑いながら、そっと間取り図をバッグにしまう。

(……こんなの、断れるわけない)

不器用で、まっすぐで、誠実すぎるその人が差し出してくれた小さな紙。

その重みが、ほんの少しだけ──“未来”の手触りをしていた。


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