恋するこだま食堂 〜一膳に詰めた想い〜

Sena

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第9話 温かいって、こういうこと


引っ越し当日の朝。
空は驚くほどの快晴だった。

「……あれ、もう来てる?」

玄関を開けると、アパートの前に軽トラが停まっていた。
荷台には毛布やロープ。そして、その傍に立つ見慣れた姿。

「おはようございます」

「……おはようございますって。え、朔さん!? どうしてここに……?」

驚く雫に、朔はぶっきらぼうに答える。

「荷物、運ぶの手伝います」

無表情のままだが、その手にはしっかりと作業用の手袋。

「いや、でも……本当にいいんですか?」

「いいとか悪いとかじゃなくて。俺がやるって決めたんで」

目を合わせないまま呟く声は、少しだけ優しくて。

荷物運びは想像以上にスムーズに進んだ。

というか――朔が黙々と、一人で運んでくれるから、雫の出番がほぼない。


「……あの、本当に手伝わなくていいんですか?」

「いいです。さっきから雫さんが持ってる袋、“クッション”ですし」

「えっ、バレてました?」

「見てれば、わかります」

クールに言いつつも、口元はほんの少しだけ緩んでいた。

心配そうな様子を見せる雫に、朔はさらりと返す。

「ある程度、筋トレしてるんで。こういうときのために」

「“こういうとき”?」

思わず聞き返すと、朔はハッとしたように目を逸らし――

「……別に」

それだけ言って、また無言で動き始める。

(“こういうとき”には、手を差し伸べようとする人なんだ)

そう思いながら、雫は横顔を見つめた。

不器用なのに、優しい。
そんなところが、ずるい――

(この場所で、新しく始めるのも悪くないかもしれない)

胸の奥に、そんな予感がじんわり芽生えていた。

荷解きが終わる頃には、すっかり日が傾いていた。

段ボールも片づき、部屋にはほんのり生活の匂いが漂っている。

朔がキッチンの端に腰を下ろしながら、コンビニ袋から缶コーヒーを取り出す。

「……お疲れっす。甘いの、平気でしたっけ?」

「ありがとうございます。今は甘いのが沁みそうです」

雫は受け取りながら、ぽんと缶を手のひらに乗せる。

「助かりました。本当に。今日一日、頼りっきりで」

「……いえ、まぁ」

そう言いながら、朔は缶を見つめたまま、ぽつりと漏らす。

「雫さんがここに住んでくれるの、嬉しいです」

「……え?」

一瞬、鼓動が止まった気がした。

「あっ、いや、その……“助かる”って意味で! ゴミの曜日とか説明しやすいし、配線も相談できるし、そういう……」

「……私も嬉しいですけど」

「え……?」

「だって、朔さんが隣にいるって、すごく心強いですから」

視線が合う。
ただそれだけなのに、胸の奥が、じんわり熱を持つ。

(この距離が、これから“日常”になるんだ)

朔はなにも言わなかったけど、耳がほんのり赤く染まってるのが見えていた。

沈黙が降りた、そのとき――

「……夕飯、まだですよね?」

「え?」

「作ってきます。何か簡単なの。すぐ戻るんで、待っててください」

そう言って扉の向こうへと消える背中に、  
雫は思わず、胸に手を当てた。

「なにそれ……ずるいなぁ、もう……」

ぽかんと見送ったあと、雫はそっと笑った。

⸻数十分後。

「お待たせしました」

届けられたのは、あたたかい味噌汁とふっくらとしたおにぎり。
そして、彩りよく詰められた小さなおかずの入ったお弁当箱。

「……これ、全部……?」

「残りものです。ただ詰めただけ」

朔はそう言いながらも、手渡す仕草がどこかぎこちない。
弁当箱はほんのり温かく、包み紙からも、気持ちがじんわり伝わってきた。

「……でも、温かいですね」

「温かい方が……いいでしょ?」

ふいに目をそらしながら、ぽつりとつけ加える。

「隣なんで……そういうの、できたらいいなって」

照れを隠すような朔の横顔に、雫の胸が静かに高鳴る。

「……“そういうの”って?」

いたずらっぽく問いかけると、朔はわずかに黙り込んで――

「……なんでもないっす」

顔を背けたまま、ちょっと赤い。
その姿に、雫の口元が緩む。

「……あの」

沈黙を破ったのは、雫だった。

「すごく、嬉しいです。こういうの」

「……そうですか。なら、よかった」

それだけ言って、朔は小さく息を吐く。

「……無理して笑ってる顔、あんまり見たくないんで」

ぼそりとこぼされたその言葉に、胸の奥が静かに、でも確かに、揺れた。

(……ああ、まただ。ずるい)

思わず瞬きを繰り返してしまうのは、瞳の奥にこみ上げてくる熱を、どうにか隠したかったから。

ちょっと鈍感で、でも優しすぎる“隣の人”。

――“隣”って、案外、悪くない。

いいや。

(……たぶん、すごく、いい)

そしてその想いは、引っ越し前よりずっと強く、胸の中に根を張り始めていた。

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