恋するこだま食堂 〜一膳に詰めた想い〜

Sena

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第22話 お通しは、特別仕立て


数日後。
雫が「こだま」に顔を出すと、常連のひとりが、どこか意味深な笑みを浮かべて声をかけてきた。
 
「雫ちゃん。最近、朔がちょっと変じゃないか?」
 
「変……ですか?」
 
「いやだってよ、あんたが来た日だけ、やたら掃除が入念なんだよな。棚まで拭きだすし」
 
「えっ……そ、そうなんですか?」
 
「しかも厨房で妙にソワソワしてるし。あと……気づいてた?お通しがちょっと特別仕様だってこと」
 
「い、いえ……」
 
耳の奥がカーッと熱くなる。まさか、そんな。
……いや、でも。
思い返せば、朔さんの手作り惣菜、前より手が込んでいるような気も……。
 
ふと厨房を見ると、朔と目が合った。
その瞬間、彼は「やべ」とでも言いたげに目線を逸らす。
 
(……わかりやすい)
 
雫は、顔の火照りをごまかすようにお冷を口に運ぶ。けれど、胸の奥はなぜだか、心地よくざわついていた。

「……何、話してたんですか」
 
少しして、朔が不意にカウンター越しに声をかけてきた。表情は無味無臭。でも――耳が、ほんのり赤い。
 
「えっ、あ……べ、別に……たいした話じゃ……」
 
思わずごまかすと、朔は小さく鼻を鳴らした。
 
「……あんまり、余計なこと気にしなくていいですから」
 
そう呟いて、彼は厨房に戻っていく。



その夜。
料理教室が終わり、片づけをしていた時――
 
「……雫さん」
 
不意に朔が声をかけてくる。
珍しく、少しだけ言いにくそうな声だった。
 
「来週……よかったら、ちょっと遠出しませんか。魚の仕入れ、見せに行きたいと思ってて」
 
「仕入れ?」
 
「魚の目利きを教えたいんです。市場まで行けば、実物見せられるんで」

あくまで“教える”という体。でも……その言い方が、妙にぎこちない。
 
「……はい、行きたいです。朔さんと、二人で……」

ふと言葉にしてみて、雫は自分で自分に驚いた。

(あれ……? 二人きり、ってこと?)

少し間をおいて、もう一度、確かめるように口にする。

「……あの、本当に……二人で?」

朔は一瞬きょとんとしたが、すぐに淡々と答えた。

「他に誰がいるんですか。雫さん以外に、生徒なんていませんけど」

そしてふっと目を細める。

「……もしかして、二人じゃ嫌だったりします?」

「えっ、いえ!そんなわけないですっ」

雫は慌てて首を振り、両手を顔の前でぱたぱたと仰ぐ。

「ち、違うんです……!なんか……妙に意識しちゃって……ああ、もう……っ」

顔がみるみるうちに赤くなる。
それを見ていた朔の目が、一瞬泳いだ。

(もしかして、朔さんも……照れてる?)

雫がこっそり思った次の瞬間、朔は急にそっけなく言う。

「……今日は雨、降りそうですね。あまり遅くなると濡れるんで……はい、これ。帰り道、気をつけて」

どこかぎこちない手つきで、紙袋を雫の腕に押しつける。

「え、あ、あの……」

「来週、ちゃんと時間通りに。市場、朝早いんで」

そう言ってすぐに背を向ける後ろ姿に、雫は小さく吹き出してしまいそうになった。

(……可愛いすぎるんですけど)

頬を緩ませながら紙袋を抱え、店をあとにする。

丁寧に包まれた紙袋の中に、小さな紙切れが紛れていた。
 
『味噌汁の味、前より良くなってました。あと十点で合格』

──その下に、小さな文字で付け足されていた。

『俺の舌で確かめたから間違いない』
 
たったそれだけの短い言葉が心を満たし、雫はひとり、笑みをこぼす。
 
(……もう少しだけ、欲張ってもいいのかな)
 
彼の言葉が、心の奥に静かに染み込んでいくのを感じていた。



それから数日後、「こだま」の厨房では――

『……市場、行きませんか?』

たった一言、そう口にしてからというもの――朔の調子は、どうもおかしい。

昆布の火加減は見誤るし、鰹節は粉々。湯気の立つ鍋の前で、小さく唸る。

「……なんだこれ……」

手慣れたはずの出汁さえ、今日はどこかしっくりこない。

「朔、今日の出汁、主張がすげぇな。どうした?」

大将に軽く突っ込まれ、朔はふっと息を吐いて手を止めた。

「……気のせいだ」

口ではそう言っても、気のせいじゃないのは自分が一番わかってる。

(……何を話せばいい? 服はどうする? いやいや、これはデートじゃない。あくまで、料理の勉強ってことで……)

繰り返し自分に言い聞かせながらも――
頭の中には、雫の顔が浮かんでくる。

『……行きたいです。朔さんと、一緒に』

ほんの一瞬の笑顔。頬が少しだけ赤かった。

(あんな嬉しそうな顔……反則だろ)

想像よりずっと素直で、可愛くて――
胸の奥が、じわじわ熱くなっていく。

朔は厨房の隅、ふと視線を落としたまま、小さく息をつく。

(変わったのは……俺の方だな)

雫が来る日は、仕込みから気合いが入る。
惣菜をどうするか、何が好きか、どんな風に包むか――そんなことばかり考えている自分がいる。

(もう、クセになってるじゃねえか)

思わず自嘲気味に笑ったその時、店内から声が飛んだ。

「朔ちゃん、顔赤いぞ~? 風邪じゃないよな?」

「もしかして……雫ちゃんとデート?」

「……ちげぇよ」

咄嗟に声が上ずった。
振り向けば、常連たちが揃ってニヤついてる。
耳まで真っ赤になりながら、朔は無言で鍋をかき混ぜ続けた。

(……本当に、違うのか?)

答えが出せないまま、惣菜の準備に取りかかる。

一方で、雫もまた、似たような時間を過ごしていた。

朔の誘い――それが「料理の勉強」であっても、雫には十分すぎるほど、意味を持っていた。

仕事の合間。ふとした瞬間に、思い出してしまうのは朔の横顔ばかり。ぶっきらぼうだけど、優しくて、真っ直ぐで。

その人が差し出してくれる惣菜も、言葉も、どこまでもあたたかい。

(好き、なんだと思う)

でも、それと同じくらい、怖くもあった。

元婚約者との別れのあと、再び誰かを好きになるなんて想像もしなかった。けれど朔は、傷だらけの心をそっと撫でるように、少しずつ、日々の中で癒してくれた。

(私……いいのかな)

過去の記憶が、遠くから手を引くように囁く。でも、同じくらい強く――今の自分が、彼に触れたいと願っている。

ほんの少しだけ、夢を見ていたい。

そして、約束の日の朝は――もうすぐそこまで、来ていた。


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