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第22話 お通しは、特別仕立て
数日後。
雫が「こだま」に顔を出すと、常連のひとりが、どこか意味深な笑みを浮かべて声をかけてきた。
「雫ちゃん。最近、朔がちょっと変じゃないか?」
「変……ですか?」
「いやだってよ、あんたが来た日だけ、やたら掃除が入念なんだよな。棚まで拭きだすし」
「えっ……そ、そうなんですか?」
「しかも厨房で妙にソワソワしてるし。あと……気づいてた?お通しがちょっと特別仕様だってこと」
「い、いえ……」
耳の奥がカーッと熱くなる。まさか、そんな。
……いや、でも。
思い返せば、朔さんの手作り惣菜、前より手が込んでいるような気も……。
ふと厨房を見ると、朔と目が合った。
その瞬間、彼は「やべ」とでも言いたげに目線を逸らす。
(……わかりやすい)
雫は、顔の火照りをごまかすようにお冷を口に運ぶ。けれど、胸の奥はなぜだか、心地よくざわついていた。
「……何、話してたんですか」
少しして、朔が不意にカウンター越しに声をかけてきた。表情は無味無臭。でも――耳が、ほんのり赤い。
「えっ、あ……べ、別に……たいした話じゃ……」
思わずごまかすと、朔は小さく鼻を鳴らした。
「……あんまり、余計なこと気にしなくていいですから」
そう呟いて、彼は厨房に戻っていく。
*
その夜。
料理教室が終わり、片づけをしていた時――
「……雫さん」
不意に朔が声をかけてくる。
珍しく、少しだけ言いにくそうな声だった。
「来週……よかったら、ちょっと遠出しませんか。魚の仕入れ、見せに行きたいと思ってて」
「仕入れ?」
「魚の目利きを教えたいんです。市場まで行けば、実物見せられるんで」
あくまで“教える”という体。でも……その言い方が、妙にぎこちない。
「……はい、行きたいです。朔さんと、二人で……」
ふと言葉にしてみて、雫は自分で自分に驚いた。
(あれ……? 二人きり、ってこと?)
少し間をおいて、もう一度、確かめるように口にする。
「……あの、本当に……二人で?」
朔は一瞬きょとんとしたが、すぐに淡々と答えた。
「他に誰がいるんですか。雫さん以外に、生徒なんていませんけど」
そしてふっと目を細める。
「……もしかして、二人じゃ嫌だったりします?」
「えっ、いえ!そんなわけないですっ」
雫は慌てて首を振り、両手を顔の前でぱたぱたと仰ぐ。
「ち、違うんです……!なんか……妙に意識しちゃって……ああ、もう……っ」
顔がみるみるうちに赤くなる。
それを見ていた朔の目が、一瞬泳いだ。
(もしかして、朔さんも……照れてる?)
雫がこっそり思った次の瞬間、朔は急にそっけなく言う。
「……今日は雨、降りそうですね。あまり遅くなると濡れるんで……はい、これ。帰り道、気をつけて」
どこかぎこちない手つきで、紙袋を雫の腕に押しつける。
「え、あ、あの……」
「来週、ちゃんと時間通りに。市場、朝早いんで」
そう言ってすぐに背を向ける後ろ姿に、雫は小さく吹き出してしまいそうになった。
(……可愛いすぎるんですけど)
頬を緩ませながら紙袋を抱え、店をあとにする。
丁寧に包まれた紙袋の中に、小さな紙切れが紛れていた。
『味噌汁の味、前より良くなってました。あと十点で合格』
──その下に、小さな文字で付け足されていた。
『俺の舌で確かめたから間違いない』
たったそれだけの短い言葉が心を満たし、雫はひとり、笑みをこぼす。
(……もう少しだけ、欲張ってもいいのかな)
彼の言葉が、心の奥に静かに染み込んでいくのを感じていた。
*
それから数日後、「こだま」の厨房では――
『……市場、行きませんか?』
たった一言、そう口にしてからというもの――朔の調子は、どうもおかしい。
昆布の火加減は見誤るし、鰹節は粉々。湯気の立つ鍋の前で、小さく唸る。
「……なんだこれ……」
手慣れたはずの出汁さえ、今日はどこかしっくりこない。
「朔、今日の出汁、主張がすげぇな。どうした?」
大将に軽く突っ込まれ、朔はふっと息を吐いて手を止めた。
「……気のせいだ」
口ではそう言っても、気のせいじゃないのは自分が一番わかってる。
(……何を話せばいい? 服はどうする? いやいや、これはデートじゃない。あくまで、料理の勉強ってことで……)
繰り返し自分に言い聞かせながらも――
頭の中には、雫の顔が浮かんでくる。
『……行きたいです。朔さんと、一緒に』
ほんの一瞬の笑顔。頬が少しだけ赤かった。
(あんな嬉しそうな顔……反則だろ)
想像よりずっと素直で、可愛くて――
胸の奥が、じわじわ熱くなっていく。
朔は厨房の隅、ふと視線を落としたまま、小さく息をつく。
(変わったのは……俺の方だな)
雫が来る日は、仕込みから気合いが入る。
惣菜をどうするか、何が好きか、どんな風に包むか――そんなことばかり考えている自分がいる。
(もう、クセになってるじゃねえか)
思わず自嘲気味に笑ったその時、店内から声が飛んだ。
「朔ちゃん、顔赤いぞ~? 風邪じゃないよな?」
「もしかして……雫ちゃんとデート?」
「……ちげぇよ」
咄嗟に声が上ずった。
振り向けば、常連たちが揃ってニヤついてる。
耳まで真っ赤になりながら、朔は無言で鍋をかき混ぜ続けた。
(……本当に、違うのか?)
答えが出せないまま、惣菜の準備に取りかかる。
一方で、雫もまた、似たような時間を過ごしていた。
朔の誘い――それが「料理の勉強」であっても、雫には十分すぎるほど、意味を持っていた。
仕事の合間。ふとした瞬間に、思い出してしまうのは朔の横顔ばかり。ぶっきらぼうだけど、優しくて、真っ直ぐで。
その人が差し出してくれる惣菜も、言葉も、どこまでもあたたかい。
(好き、なんだと思う)
でも、それと同じくらい、怖くもあった。
元婚約者との別れのあと、再び誰かを好きになるなんて想像もしなかった。けれど朔は、傷だらけの心をそっと撫でるように、少しずつ、日々の中で癒してくれた。
(私……いいのかな)
過去の記憶が、遠くから手を引くように囁く。でも、同じくらい強く――今の自分が、彼に触れたいと願っている。
ほんの少しだけ、夢を見ていたい。
そして、約束の日の朝は――もうすぐそこまで、来ていた。
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