恋するこだま食堂 〜一膳に詰めた想い〜

Sena

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第24話 ふたりの台所


市場から戻ったふたりは、「こだま」の扉をくぐる。
今日は定休日。人気のない店内は、昼の光が静かに差し込んでいた。

「昼から出かける」

それだけ言い残して、大将は早々に出ていった。
残されたのは、朔と雫だけ。閉まる引き戸の音が、やけに静かに響いた。

厨房に入った朔の背中を、雫は少しだけ緊張しながら追いかける。

「まずは魚の下処理だ。アジ、捌いたことあるか?」

「えっと……動画で見たことはありますけど、実際には……」

「なら、見て覚えろ。魚は理屈より手の感覚だ」

口調は相変わらず淡々としているのに、手つきは驚くほど丁寧。
骨に沿って動く包丁の音が、妙に静かな店内に心地よく響く。

「……まるで本物の料理人さんですね」

「いや、本職だけど?」

ぶっきらぼうな返事のくせに、口元がかすかに緩んだのを、雫はしっかり見ていた。

「料理をしてる朔さん、やっぱりかっこいいですね」

「は?」

唐突な雫の言葉に、朔の手が止まる。

でもすぐに何事もなかったように手際よく三枚におろすと、朔は包丁を置き、雫の方へまな板を滑らせる。

「やってみてください。失敗しても構わないんで」

「……はい」

雫は包丁を持った。が、緊張で手がこわばる。
思うように刃が進まない。骨に引っかかって、ぎこちなく止まったその瞬間──

「力を抜いて」

ふいに、後ろから大きな手が重なった。

「──っ……」

その手が、自分の指に優しく添えられる。
背後から感じる体温と、耳元に落ちる低く静かな声。

「焦らず。刃は、骨をなぞるように……そう。ゆっくり」

胸がどくんと跳ねる。
彼は真剣なのに、それすら意識してしまう自分が、なんだか恥ずかしい。

「……できた、かも……です」

小さくそう言うと、朔は思わず、ふっと息を抜いて笑った。

「初めてにしちゃ、上出来。センス、あるかも」

その笑みに、思わず視線を奪われる。
ほんの一瞬、目が合った。けれど朔は照れたように視線を逸らす。

(──こんなふうに笑う人だったんだ)

「ありがとうございます。……もうちょっと、近かったらパニックでしたけど」

「もうちょっと?」

「背中とか、くっついてたら……無理でした。心臓、もたないです」

そう言って顔を手で仰ぐ雫に、朔は思わず目を張る。

「……次から気をつけます」

「ちょっと残念そうに言わないでください」

そんなやりとりに、思わず二人ともくすっと笑った。

そこから先は、不思議と自然に動けた。

衣をつける手、野菜を刻む手。二人のリズムはぴたりと重なる。

視線が交わるたび、胸がふわりと跳ねるけれど、どちらもそれを口にすることはない。ただ静かに料理を進めていく。

やがて、昼食の準備が整った。

アジフライ、彩り野菜の酢の物、炊きたての白ご飯に味噌汁。

湯気が立つその光景に、雫は思わず笑みをこぼした。

「……なんだか、夢みたいです」

「夢?」

「はい。誰かと並んで料理して、同じ食卓を囲むなんて……私には縁がないと思ってたので」

ぽつりとこぼれた雫の言葉に、朔の手がぴたりと止まる。

「……これからも、たまにはこういう日があってもいいと思うけどな」

「いいんですか?」

「雫さんがよければ。俺は……歓迎します」

照れたように目をそらした朔の声が、妙に優しくて。雫は胸の奥がきゅっとなるのを感じながら、小さくうなずいた。

「……じゃあ、また。今度は……お節料理とか、一緒に作ってみたいです」

「お節?」

箸を止めて、朔が目を細める。

「いきなり年越しクラスですか。なかなか攻めますね」

「攻めてますか?」

雫は笑いながら、お茶碗を軽く両手で包む。

「ほら、いろんな料理あるし、味見するところもいっぱいで、きっと楽しいかなって……」

「……それ、つまり“味見係”は俺ってことですよね」

「うふふ。そうとも言います」

「じゃあ……手取り足取り教えてあげますよ。朝から晩まで、みっちり」

「えっ、それじゃあ一日コースじゃないですか……!」

思わず声をあげた雫に、朔はにやりと笑う。

「覚悟、できてるんですよね?」

「そ、そっちこそ!」

雫は照れたように笑いながら、お箸を置いて両手をぱたぱた仰いだ。

「じゃあ、手間賃上がりますけど、いいですか?」

「……出世払いでお願いします」

「支払い方法は?」

「時価ってことで、どうですか?」

「……ずるいな、それ」

二人して目が合い、同時にふっと吹き出す。
湯気の立つアジフライの向こうで、笑い合う空気がほんのりあたたかくて、心地よかった。

(……ていうか、本当に料理教室?)

心の中で突っ込みながらも、その空気が妙にくすぐったくて。

午後の光が差し込む静かな店内に、二人だけの世界が、少しずつ深く息づいていく。

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