恋するこだま食堂 〜一膳に詰めた想い〜

Sena

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第29話 ただ、あたたかい場所で


がちゃり、と「こだま」の勝手口が開く。

朔はクーラーボックスを抱えて足早に中へ進み、そのあとを、雫が静かに続く。

「大将、出てる。今は誰もいない」

カウンターの奥は、落ち着いた灯りだけがともる静かな空間だった。

「こだま、静かですね。落ち着きます」

その声を聞いた瞬間、朔の胸のざわつきが、ふっと和らぐ。

「……さっき、怖くなかったか」

短く問いかけると、雫はそっと首を振り、そのまま胸元に顔を預けてきた。

「……少し、怖かったです。でも……朔さんが来てくれたから、大丈夫でした」

その姿があまりにいじらしくて、朔は自然と腕を回し、雫を包み込むように抱き寄せる。

「まだ、ちょっと震えてるな」

「少しだけ。でも……こうしてると、落ち着きます。不思議ですね」

その言葉に、朔の胸がきゅっと締まった。

「俺、あいつの顔、忘れねぇ。次見かけたら——」

「うん。でも、もう大丈夫です。……朔さんが守ってくれたから」

顔を上げてきた雫の瞳は、まっすぐで、揺るぎない。

「……怒ってる朔さんも……好き、かも」

くすっと笑って視線をそらす雫。

「ちょっと怖かったけど……すごく、かっこよかったです」

胸元に落ちるその声が、くすぐるように甘い。

朔は息を呑みかけ——
ふいに雫の顎に手を添え、顔をそっと引き寄せた。

唇が触れるか、触れないか——

「……ちょっと、待ってください」

雫は一瞬だけ目を伏せて、微かに息を吐く。

「ちゃんと伝えたいって言ったでしょ?」

その声音に、朔の手がぴたりと止まる。

「……ああ。そうだったな」

朔の瞳が、真剣に細められる。

「俺も、ちゃんと聞きたい。雫さんの言葉で。全部」

静まり返ったこだまの中で、
雫は、そっと唇を開いた。

「……こだまに通って、朔さんと話すたびに、少しずつ……心がほぐれていくのを感じたんです」

雫の視線は、まっすぐ朔へ向けられていた。

「料理のあたたかさも、優しさも……全部が、私を救ってくれて」

その言葉に、朔の表情がふと揺れた。
眉尻がわずかに下がり、なにかを堪えるような顔。
けれど、何も言わず、ただ静かに彼女の声に耳を傾けていた。

「不器用で、ぶっきらぼうだけど、本当はすごく優しくて……。そんな朔さんが、大好きです」

その言葉が落ちた瞬間、空気が張り詰める。

「……私、朔さんの隣にいたいです」

長く胸の奥で揺れていた想いが、ようやく言葉になって、彼のもとへ手渡された。

しん、と静まり返る店内。

朔は、真正面から雫を見つめ——
ゆっくりと息を吸った。

そして、そっと彼女の頬に両手を添え、包み込むように顔を近づける。

「……今の、もう一回言ってもらっていいですか」

その声が、かすかに震えている。
嬉しさを噛みしめる朔の目に、光がにじんで見えた。

「雫さんが、俺を選んでくれるなんて……」

小さく笑った朔の目元が、ふいに潤む。
そして、そのまま雫の額に、静かにキスを落とした。

それは、祈りのように静かで、けれど、まっすぐな想いの証。

「ありがとう、雫さん。……本当に、ありがとう」

胸の奥から零れるように、彼は何度も彼女の名前を呼んだ。

「……こんなに嬉しいこと、あるんですね」

朔の肩が、ほんの少しだけ震えていた。

雫は小さく笑って、そっと囁く。

「……朔さん、覚えてますか?」

「ん?」

「前に言ってくれましたよね。『俺の隣にいるのが“当たり前”になるまで、何度でも言う』って」

その言葉に、朔の目がわずかに見開かれた。
次の瞬間、ふっと照れたように目線を逸らす。

「……言ったな。そんなこと」

声が少しかすれている。
あれだけ落ち着いた人が、今は照れていて。
そのギャップが、たまらなく愛おしい。

「本当に……その通りになっちゃいましたね」

雫はくすっと笑いながら、ほっとしたような笑顔を見せた。

「もう一生、誰かを好きになることなんてないと思ってたのに……どうしてくれるんですか」

拗ねるように唇を尖らせてみせると、朔は笑いながら、そっと彼女の頬に触れる。

「まぁ、いいだろ」

「……え?」

「好きになるのは、俺で最後なんだから」

ふっと額を寄せてくる。
その距離の近さと、あたたかさに、雫は思わず笑った。

「それって……一生、恋してるってことになりますけど」

「それ、めちゃくちゃ良くないか?」

その声がくすぐるように響いたあと、朔は一拍おいて、ぽつりと囁く。

「……一生恋をしないって思ってた雫さんが、俺に一生恋をするなんて。……グッときます」

その言葉に、胸の奥が再びきゅっと熱くなる。

少ない言葉でも、まっすぐに響く。
この人の言葉は、いつだってそうだった。

だから——

「……うん。私も、グッときました」

雫はそう言って、そっと朔の胸に顔を預ける。

朔の心音が、すぐそばで穏やかに響いていた。
言葉がなくても、寄り添っているだけで、心が満ちていく。

それは、ようやく手に入れた「安心」のかたちだった。

しばらく沈黙が続いたあと、朔がぽつりと口を開く。

「俺なんかより、まともな奴がいるんじゃないかって……ずっと思ってた」

その声は低く、遠慮がちで——

「でも……それでも、雫さんが側にいてくれたら、って……思ってた」

遠ざけようとする気持ちと、それでも手放したくない想いが滲む言葉。

雫の胸が、じんと熱くなる。

「……そんなこと、ないのに」

思わず返した声は震えていて、朔の胸元に顔を預けながら、雫はシャツの裾をぎゅっと握りしめる。

「私、まだ……自分に自信があるわけじゃないです。
でも……朔さんの隣なら、ちゃんと未来を見てみたいって思えたんです」

一歩ずつでも前に進みたい。
そんな彼女の言葉に、朔はそっと目を細めて——

「……じゃあ、これからは、俺のことも頼ってください」

柔らかな声とともに、彼の腕が、もう一度雫の背中を包み込む。

あたたかくて、安心できる強さだった。
怖いことがあっても、きっと大丈夫。
この人がそばにいるなら、何度でも立ち上がれる。

雫はそっと目を閉じ、朔のぬくもりを深く吸い込んだ。

ほんの少しだけ、笑みを浮かべながら——

「……じゃあ、たくさん頼っちゃいますね」

その言葉に、朔の喉が静かに鳴る。

「それ、嬉しすぎて、やばいです」

思わず吹き出しそうになりながらも、雫は顔を上げない。

——もう、大丈夫。
そう思えたのは、きっと、今この腕の中だから。

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