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第31話 酔った君は、ずるい人
《すみません……急に飲み会になっちゃって。こだまに行けなさそうです》
夕方、仕込みの最中に届いた雫からのメッセージ。
画面を見た瞬間、胸の奥がふっと空いた。
(……そうか。来れねぇのか)
無理して来てほしいわけじゃない。
でも今日は、無性に顔が見たかった。
最近は、もう毎日がそんな気分だ。
《終わったら連絡くれ。夜遅くてもいいから》
送ったメッセージは、まだ未読のまま。
気づけば営業終了間際、時計は二十一時を回っていた。
落ち着かねぇ。
まな板の上のネギを無心で刻みながら、厨房の中をうろうろする。
水は出しっぱなし、火加減も忘れて焦がしかけ。
「おい、朔。ネギの代わりに指でも切りそうな顔してるぞ」
「……してねぇ」
「してるっての。そんなに落ち着きねぇのは、雫ちゃんから連絡が来てねぇからか?」
図星すぎて何も返せない。
大将は朔の心中を見透かしたように笑い、湯飲みを差し出す。
「ほら、茶でも飲んで落ち着け。あと三十分経っても連絡なかったら、電話でもしてみろ」
「……うっせ」
カウンター越しの常連客も、こっちをちらちら見ている。頼むから、放っておいてくれ。
*
閉店後。
片付けを終えてスマホを手に店の隅に腰を下ろすと、二十三時を過ぎていた。
(大丈夫か……?)
発信ボタンを押す指が、かすかに震える。
コールが二度鳴ったところで、ようやく繋がった。
『……あ、さく……さん?』
妙に甘くて、とろんと蕩けた声。
耳に絡みつくような熱を帯びた響きに、胸がざわつく。
「雫さん? 今どこだ。無事か?」
『えき……着いて、あるいてるよ……ふふ』
息が少し乱れている。足音もたどたどしい。
間違いなく、酔ってる。
「待ってろ、今すぐ迎えに——」
立ち上がろうとした、そのとき。
ガラガラ、とこだまの引き戸が開く音。
「……ただいま、です……」
顔を上げると、ほろ酔いどころじゃない雫が、そこに立っていた。
頬は真っ赤、瞳は潤み、髪も少し乱れている。
「朔さん……いたぁ……よかったぁ……」
可愛すぎて、頭が真っ白になる。
「お、おい……っ」
情けないくらい声が裏返った。
こんな雫、見たことがない。
「ほら、座れ。大将、水——」
「はいはい。お前の方が取り乱してどうする」
後ろで大将が笑っているが、朔の耳には入らない。
水を飲み終えた雫が、ふわっと笑う。
「朔さん……今日ね、すっごく会いたかったの」
ふにゃんと崩れる笑顔。
その甘ったるい声が、理性に直撃する。
「でもね、がまんしたの。飲み会だったから……えらいでしょ?」
じっと潤んだ瞳で見つめられる。
「……ああ、偉いな。すごく、偉い」
言葉にすると、雫はさらに嬉しそうに目を細めた。
「えへ……朔さん、だいすき……」
その破壊力抜群の一言に、場の空気が一瞬で変わる。
「……送ってく。歩けるか?」
素直に頷いた雫は、そのまま朔に身を預ける。
アルコールに混じって、ふわりと甘い匂いが香ると、朔の呼吸が乱れる。
「朔さん……?」
「ん」
「……さっきから、耳が赤い」
「雫さんのせいだろ」
「ふふ……じゃあ、責任とらなきゃね?」
そう言って、朔の腕に頬をすり寄せてきた。
(……これのどこが“責任”だ)
心臓が煩くて、頭が沸騰しそうになる。
でも、その温もりに、抗う気持ちもなかった。
なんとか自宅まで送り届け、玄関先まで来た時。
「じゃ、俺は帰るから。鍵はちゃんとかけて。何かあったら連絡しろよ」
背を向けた瞬間、袖をきゅっと引かれる感触。
振り返ると、潤んだ瞳が真っ直ぐ見上げてくる。
「……やだ……行かないで。そばにいて……?」
その一言で、頭の奥で何かがぷつりと切れる。
「酔ってるくせに、そういうこと言うな。……わかってんのか?」
無邪気に笑う顔が、悪魔よりもずっと危険だ。
「うん、わかってるよ。……だって、朔さん優しいから……」
——うるせぇ。かわいすぎんだよ。
額を押さえながら、なんとか呼吸を整える。
「……寝るまでは側にいてやるから。その代わり、責任取れよな」
「……うん、取る。いっぱい、取る」
そんな返事、あるか。
言ったそばから、雫はぴとっと朔の腕にくっつく。
部屋の中に入り、並んでベッドに横になると、すぐに雫がぎゅっと抱きついてきた。
「ねぇ……朔さん。ちゅー、してもいい?」
とろんとした声。熱のある吐息が首にかかる。
「バカ。ダメに決まってんだろ。酔っ払い相手に……そんなの、できるかよ」
「……けち。意気地なし……」
ふくれっ面のまま、さらに腕の中に潜り込んでくる。
(……ああ、もう、限界だ)
「じゃあ……おでこに、して?」
その仕草と声に、胸がひどく掻き乱される。
「……それくらいなら」
そっと額に口づけると、雫はとろけたように微笑んだ。
「……あったかい。……もっと、してほしいな」
「寝ろ。そうしたら、明日してやる」
「ん……じゃあ、寝たふりでもいい?」
「……おい」
くすくす笑いながら、彼女は腕に顔を埋める。
(……やっぱり、こいつには敵わねぇ)
眠りについた寝顔を見つめながら、指先でそっと髪を梳く。
こんなふうに、誰かを守りたいと思ったのは、人生で初めてだった。
*
翌朝。
「ん……うぅ……」
雫がゆっくり目を覚まし、こめかみを押さえて呻く。
「……頭、がんがんする……」
もぞもぞと布団の中から顔を出した雫が、目をこすりながら固まった。
「さ、朔さん!? えっ、私、なにか……変なこと……っ」
「……言ってたな」
「う、うそっ!? な、なにを……?」
「それは……ちゃんと覚えててほしかったな」
わざと焦らすように言うと、雫は耳まで真っ赤になり、布団に顔をうずめた。
「うぅぅ……っ、私、ほんとに何言ったの……っ」
その震え声が、たまらなく愛しい。
ベッドの縁に腰をかけ、雫の髪をそっと撫でる。
「……一晩、我慢した俺の気持ち。今度、ちゃんとわからせてやる」
低く甘い声で囁くと、雫がびくりと肩をすくめた。
「ひゃっ……な、なんか今、背中ゾクって……っ」
「そりゃよかった」
小さく笑いながら、彼女の耳元に唇を寄せる。
「……楽しみにしとけよ、雫さん」
ふるりと身をすくめたその耳に、そっと口づけを落とす。
「っっ……~~~~~~!!」
今度は言葉も出ないほど、雫の全身が赤く染まる。
その反応が、たまらなく嬉しい。
(……本当、可愛すぎてヤバい)
一晩じゃ足りない。
朝が来ても、まだまだ“好き”があふれて止まらない。
朔はその小さな体を優しく抱きしめなおした。
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