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第八話 精霊と天使

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 ルガール様と話したあと、私は再び眠りについた。
 どうやら相当疲れがたまっていたらしい。
 そのおかげで、目覚めの朝はさわやかだった。

 ダカール家のベッドは侯爵家よりもはるかに上等なもので、快眠の魔法がかけられているらしい。おかげで日頃の疲れが吹き飛んで身体が軽くなった気がする

「ここ、ほんとにすごいですよ! 奥様のお湯を用意しようと水汲みに行ったんですけど、蛇口から出て来た水がお湯に変わったんです! 侍女たちもすごく親切で! 道具の場所とか案内してくれたりして、侯爵家の侍女たちに爪の垢を煎じて呑ませたいくらいですよ!」
「そうなのね」

 朝起きて、ちょうどいい温度のお湯で顔を洗ってから化粧台に座る。
 化粧台の前に座った私の髪を漉きながら、シェリーは楽しそうに話していた。
 この子がこんな風に楽しそうに話すのはいつぶりだろう。実家に居た頃はよくこうやって楽しく話していたけど、嫁入りしてからは「奥様はわたしが守ります」と思いつめたようで、見ている私も辛かった。

(やっぱり、早く夫との関係をなんとかしなきゃダメね)

 実情はどうあれ、アルマーニ家には一千万ギルもの借金を肩代わりしてもらった恩がある。
 本当なら私はその恩を返すためにずっと侯爵家に尽くすつもりだったけど……

『あなたを支援します』

 公爵様が支援をすると言ってくれた。
 それがどういう形なのか、私はもっと知る必要がある。

「奥様、終わりました!」
「ありがとう、シェリー」

 いつの間にか右の頭だけ三つ編みになっていた。
 相変わらず、シェリーは私より私の髪をいじるのがうまい。
 昨日まで着ていた地味な水色のドレスを着て、お化粧と支度を整える。
 すると、見計らったように部屋に異変が起きた。

「お、奥様、それ。何か浮いてます!」
「え?」

 慌ててシェリーが指差した方向を見る。
 私の頭の隣に、『それ』は浮いていた。

「これは……?」

 青い光の玉だ。
 たんぽぽの綿毛みたいにふわふわして明滅している。
『それ』は私の周りをぐるぐる回って、気に入ったように頭の上に落ち着いた。

(な、なにかしら。これ。落ち着かないわ……)

 光ってはいるけどまぶしくはない。
 頭の上がぽかぽかして、冬だと湯たんぽ代わりになりそう。
 そんな明後日の方向に考えている時、コンコン、とノックの音がした。

「どうぞ」
「失礼します」

 公爵様だった。
 私は慌てて立ち上がり、行儀よくカーテシー。

「公爵様、おはようございます」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「はい、おかげさまで。眠れはしたのですが……」

 私は額に汗をかきながら頭の上を指差した。

「これは、一体……?」
「あぁ、それは精霊ですね」
「精霊……これが?」
「はい。まだ生まれたてなので実体がありませんが」
「でもなんで急に……侯爵家にいた時はまったく来ませんでしたよ?」
「おや、まだ窓の外をご覧になってないのですか?」

 ……窓の外?
 顔を見合わせた私とシェリーは窓辺に近付いた。
 そこを見た瞬間、私は思わず感嘆の息を吐く。

「わぁ」

 淡い光に包まれた世界だった。
 大小さまざまな岩が浮いていて、巨大な鯨が空を泳いでいる。
 きらきらした泡が浮かんでは消えた。まるで夢の中の世界みたいに。

 窓の下を見ると、庭のようなものがあった。
 ここは大きな岩の上に建てられた屋敷みたいだった。
 庭の外はどこに続いているか分からない道がある。

「異界、と呼びます」

 ふわ、と花の香りがする。
 公爵様は私の後ろからのぞき込んでいた。

「魔法使いたちが隠れ家にしている場所ですね。ここには俺が許可した者以外は入れませんから、ご安心を」
「……公爵様はずっとこちらに?」

 少しだけ距離を取りながら聞いてみる。
 公爵様は首を振った。

「普段は公爵邸に居ますよ。ここは魔法使いとしての家、ですかね」
「……なるほど」

 ダカール公爵と魔法使い。
 二つの顔を持つ彼の、秘密の隠れ家。

「それにしてもさすがですね」

 ルガール様は私の頭の上にいる精霊に手を伸ばす。
 パ、と精霊が消えた。かと思うと、私の後ろに隠れていた。
 まるで嫌な人から隠れてるみたいで、ちょっと可愛い。

 公爵様は興味深そうに顎を撫でる。

「精霊がここまで人に懐くとは……きっとユフィリア様の優しくて穏やかな人柄に、精霊たちも気付いているのでしょう」

 ドキ、とした。
 思わず顔を上げて、呟く。

「いま、名前」
「いま、なまえ」
「いけませんか?」
「……いえ」

 別に嫌というわけではない。
 ただ、外では夫人と呼ばれていたから。
 それに、私の名前を呼ぶ人なんて久しぶりだったから。

(夫が最後に名前を呼んでくれたのはいつかしら……)

 結婚当初も恥ずかしがって名前を呼んでくれなかったし、関係が冷え切ってからは「おい」「お前」「なぁ」と呼ぶばかりで、私の名前を呼んでくれたことなんて一度もなかったように思う。お義母様は呼んでいたけど、それは道具の名前を呼ぶような、冷たくて残酷な声だった。けれども、ルガール様の声は心に染み入るように温かくて、名前を呼ばれたそれだけのことで、涙腺が緩んでしまう。ルガールさまは戸惑ったように、

「すみません。そんなに嫌でしたか」
「いえ、そういうわけじゃなくて」

 クールな人なのに、慌てる姿が少しだけ面白い。
 そこに少年の面影を残す十八歳のルガール様が見えるような気がして、口元がほんのり緩んだ私は涙を拭って頷いた。

「公爵様なら、構いません。大事な恩人ですもの」
「ルガール」

 公爵様は──ルガール様は微笑む。

「俺のことはどうぞ、ルガールと」
「では……ありがとうございます、ルガール様」
「はい」

 ルガール様は甘く微笑んだ。
 それは見る者を虜にする魔法使いの笑みだ。
 かと思えば──

あに様!! もう朝食が出来ていると何度言えば──あら?」

 その時、蒼髪の元気な少女が部屋に飛び込んできた。
 まあるいアメジスト色の瞳がきらきらと輝き、ふわりと髪が舞う。

 こぶりな耳は先が少しとがっていて、私は背中に翼が生えているのを幻視した。
 まるで彼女を中心に世界が輝いているような──まさに地上の天使。
 一度だけ見たことがある。彼女は──

 にこり、と天使が笑った。

「おはようございます、アルマーニ夫人」
「えっと、ミーシャ様……?」

 ルガール様の妹、ミーシャ様だった。
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