成金令嬢の幸せな結婚~金の亡者と罵られた令嬢は父親に売られて辺境の豚公爵と幸せになる~

山夜みい

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第一話 婚約破棄

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「──もううんざりだ。貴様との婚約を破棄する!」

 貴族院の舞踏会で放たれた言葉に、会場中がシンと静まり返った。
 男が指差したわたしに、周囲の視線が集中する。

「婚約破棄、ですか」

 正直、驚きはなかった。
 此処の所二人で会う約束をすっぽかして他の女と会ってるのは知ってたから。
 わたしは一張羅である朱色のドレスを揺らし、声の主に向き直る。

「突然何を言いだすかと思えば……ジェレミー殿下。正気ですか?」

 それが癪に障ったのか、ジェレミー殿下はまくしたてるように告げた。

「あぁ本気だとも。貴様がここに居るレノア・ヒルトン子爵令嬢を虐めたことは調べがついている」

 曰く、下級貴族がここにいるべきではないと罵った。
 曰く、生意気な目つきが気に入らないからと扇子で頬を叩いた。
 曰く、下級兵士に金を払い、子爵令嬢を襲うように指示した。

「で、殿下。わ、私、本当に怖くて……」
「あぁ。可哀そうなレノア。待っていろ、今、この女を断罪する」

 ジェレミーの腕を掴んで小動物のように震えているのは桃髪の少女だ。
 無邪気に瞼をうるませ、男が守ってやりたくなる庇護欲をそそる見た目をしている。それでいて、女らしい部分はしっかりと強調されている。

(なるほど、この子が例の……情報通りね)

 とはいえ、実際に会ったのは今日が初めてだ。
 つまり、殿下が言っているのはすべて事実無根の冤罪である。

「……その人、誰ですか?」
「あくまでしらばっくれるか! どこまでも癪に障る女だ……!」

 殿下はこう言っているけれど、さすがに無理がないかしら。
 そもそもわたしとレノアとやらに接点はほとんどなく、恐らく貴族院の学び舎ですれ違っている程度の間柄だろう。虐めなんて一銭の得にもならないことを、このわたしがするはずがない。

「殿下。いいのです。すべて本当のこととはいえ、わたしにも至らないところはありましたから……」
「あぁレノア。お前は優しすぎる。自分を虐めた女にそのような慈悲を……」
「……はぁ」
(婚約破棄した女の前でいちゃいちゃする……? どういう神経してるのかしら)

 わたしは三年前から王太子妃教育を受けてきて、ジェレミー殿下を支えられるように努力してきた。それまでお父様の領地運営を手伝っていたせいもあって、ほとんど社交界に出なかったわたしは寝る暇も惜しんで教育を受け続けてきた。それこそ、周りの貴族に嫌なことを言われたことだってたくさんある。

 ──全部、この人を支えるためだった。

(もう、いいかな……)

 なんだか色々と馬鹿らしくなってきた。
 周囲はレノアの庇護欲をそそるオーラに当てられたのか、わたしに非難めいた視線を送ってくる。まんまと騙されている馬鹿共の顔を覚えつつ、わたしは言葉を絞り出した。

「……殿下。この婚姻は両家の契約に基づくものです。互いの家に話は通しているのですか?」
「そんなもの、通すまでもない。俺とレノアこそ真実の絆で結ばれた夫婦なのだから」
「ジェレミー殿下……」

 この男はここまで愚かだっただろうかと、わたしは記憶を振り返る。
 貴族院の生徒会長としての成績は中の上。良くはないが、まぁ悪くはない。
 曲がりなりにも王太子としての教育を受けてきたのだから、わたしとの婚約が彼にとってどういう意味を持つのか理解はしているはずだ。

 確かにわたしたちは男女のような甘酸っぱい関係ではなかったし、親同士が決めた恋人として距離を保って付き合いをしていた。手を繋いだこともないし、贈り物に自分の趣味とまったく逆な派手すぎるドレスを送られたこともある。わたし自身、王子にときめいたことは一度もなかった。それでも、政略結婚とはそのようなものではないか。

「そもそも俺は貴様を女として見たことは一度もない」
「……」
「貴様ときたらデートの際も金を使いたがらず、質素と倹約を好み、貴族にあるまじき所業を繰り返す。この俺が何度辟易してきたか──貴様に分かるか? 金にがめつすぎるんだよ。婚約破棄させてくれ、頼むから」

 プツン、わたしの堪忍袋の緒が切れた。

 ──もういい。大人しくしているのはもうやめよう。

 元より望まない婚約である。そんなに望むなら素直に受け入れようではないか。

「お話は分かりました。その申し出婚約破棄、受けさせていただきます」

 ジェレミー殿下はあからさまにホッとしたような顔をして、

「そうか、ならばこの書類にサインを──」



いくらですか?・・・・・・・




 長年被り続けてきた猫をかなぐり捨てて、わたしは髪を耳にかき上げた。

「──……は?」
「だから、慰謝料ですよ、慰謝料。お分かりでしょう?」

 パンパン、と扇を手のひらに打ち付ける。

「わたくしが王太子妃になるために受けた時間、他の殿方とご縁を頂けるだけの若さへの対価、殿下が婚約破棄をすることで今後結婚が困難になるであろうわたくしへの損害賠償。殿下から婚約破棄するのですから、損害賠償があるのは当たり前の話ですよね?」
「馬鹿なッ! なぜ俺が貴様などに金を払わなければならない!?」
「それが契約だからですよ。何のために婚約書類があると思ってるんですか?」

 わたしは王子に物怖じせず言った。
 婚約破棄を突きつけられた以上、この男は他人だ。気遣う必要もない。

「い、いくら望みなんだ」
「そうですね、大体これくらいでしょうか」

 軽く計算したベアトリーチェは指を三本立てる。

「ふ、ふん。三十万ゼリルくらいならくれてやる」
「いえ、桁が二つ抜けてます」
「は?」
「三千万ゼリルですよ。乙女の青春を奪ったのですから当然でしょう?」
「はぁぁあああああああああああああああ!?」

 お金さえ払ってくれるなら何も問題はない。
 むしろ喜んで婚約破棄を受けたいから、自然と笑顔が浮かんでくる。

(ふふふ! 三千万あれば色々出来るわ! 領地の街道を修繕するのもいいし、やりたかった事業を起こすのもいい。一割は孤児院に寄付しようかしら。平民の学校を支援するのもいいわね。あぁ、胸が躍るわ! わたしの三千万……! ありがとう、殿下、婚約破棄最高!)

 わたしは自然と笑みが浮かんで言った。

「さぁさぁ殿下。書類を貸してください。わたくし、サインいたしますから」
「い、いや待て! 俺は絶対に払わんぞ! そんな大金!」
「……はぁ。まったくしょうがないですね。じゃあ三百万でいいですよ」
「……っ」

 ジェレミーの頬が引き攣る。

(ふふ。まぁ三千万は無理よね。最初から分かってたわ)

 最初に無理な条件を吹っ掛けておいて次に可能な範囲を言うのは交渉術の基本だ。三百万ゼリルくらい、王家なら即金で支払える範囲だろう。

「──ふざけないでくださいっ!」

 王子の返事を待つわたしに、レノア子爵令嬢が食って掛かった。

「あなたは、私にあんなひどい真似をしておいて……さらに殿下にお金までせびるというの!? 貴族の風上にも置けない方ね! 私、一言謝ってくれれば許すつもりだったけど……殿下にそんな態度を取るなら考えがあります!」
「脳内ピンク女は黙っててくれませんか?」
「ピ……!?」

 なるほど、確かにこの女と会話していたなら彼女を咎めることの一度や二度はあったかもしれない。第一王子と侯爵令嬢の会話に割って入る子爵令嬢など、貴族の家格かかくを馬鹿にしている。

「レノア、ありがとう。でもいいんだ」
「殿下……」
「ベアトリーチェ。貴様の申し出は却下する」
「は?」
「契約書にはこうある。『どちらかに過失及び婚約者としての資格を疑う欠陥がある場合は無条件で婚約を破棄できるものとする』。貴様はレノア子爵令嬢を虐める暴挙を働いた。よって、私の婚約者たる資格はない!」

 わたしはため息をついた。

「わたくしはそんな女知りませんわ。何かの間違いではなくて?」
「──貴様の暴挙を見た者が何人もいるとしても?」
「……」

 王子に促されて進み出てきたのは貴族院でわたしの腰巾着だった者達だ。
 侯爵家のお金を狙って近づいて、破産寸前になったら離れていった者達……。

「私、確かに見ました。ベアトリーチェ様がレノア嬢に足を引っかけていたのを」
「ワタクシ、レノア嬢に暴力を振るう現場に居合わせましたわ」
「現場にベアトリーチェ様のハンカチが落ちていましたの。これはあなたのですわね」

 証拠として提示されたのは確かにわたしのハンカチだった。
 失くしたと思って気にしてなかったけど……まさか盗まれていたの?

「じゃあ本当にラプラス嬢が?」
「あの成金令嬢のことだ。貧乏な子爵令嬢が近くにいることに耐えきれなかったんだろう」
「性格が悪いことで有名だったからな。ありえる」
「レノア子爵令嬢、お可哀そうに……」

 周りの貴族たちの同調に、わたしは下唇を噛んだ。

「でたらめです。わたくしはそんなことしません!」
「言い訳はやめろ! 証拠は出揃っているんだ!」

 わたしを見る視線はいつの間にか刺すようなものに変わっていた。
 わたしの味方はおらず、誰も彼もが王子の味方をする。

「……あなたたち、いくらもらいましたの?」
「まぁ。失礼ですわね。私たちはあなたのようにお金で人を買ったりしませんのよ」
「そうそう。お金にうるさい侯爵令嬢とは違いますの」

(……なるほど。この場に来た時点でわたくしの負けだったわけね)

 既に根回しは終わっていたのだろう。
 よく見れば、この場にいるのはラプラス家をよく思っていない派閥の家ばかりだ。
 金で買われたわけじゃないのなら、自分が気に入らないからとか、そういった理由だろうか。

「さぁ、この書類にさっさとサインしろ! この金の亡者め!」

 わたしは血が出るほど唇を噛みしめて、その場から立ち去った。
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