40 / 44
第三十九話 父の危篤
しおりを挟む「お父様が、危篤……?」
わたしはフィオナの言葉を繰り返した。
危篤、危篤、危篤……反響する言葉の意味を噛みしめる。
「どうして……」
「理由なんて後でいいですから! 今は行きましょう? ね?」
フィオナが焦った様子でわたしを引っ張ってくる。
本当ならわたしもこの子と同じ気持ちになっているはずだけれど。
(……そう、危篤なの)
正直なところ、わたしの心はあまり動かなかった。
「……わたしは、行かないわ」
妹の手を振り払うと、フィオナもアルも目を見開いた。
そんなに驚くことだろうか?
冷たく当たられたことは数知れず……
わたしの名前すら呼ばない父の危篤にわざわざ出向く必要があると?
「フィオナ。あなただけで行って。そのほうが『あの人』も喜ぶでしょう」
「お姉様……!?」
「わたしは行かない……行きたくないわ」
フィオナの泣きそうな目から肘を抱いて目を逸らす。
そんな顔をされても、困る。
だってわたしはあなたと違って愛されなかった。
あの時、確かにわたしは聞いたのだ。
『幸い、我が家にはフィオナがいる。お前よりもよっぽど愛想が良くて、可愛らしい子だ。あの子の婿を探して侯爵家の跡継ぎにすればいい』
わたしは要らない子であると。
フィオナが居るから、わたしなんて借金のカタに売ってもいいと。
「ベティ」
「アルが何を言っても、わたしは行きません」
わたしはアルの裾を掴んだ。
「あの人はわたしを売り飛ばした。相手がアルだったから良かったけれど……もしも変な趣味を持っている人だったらどうしますか? 冤罪で嵌められたわたしに、あの人は見向きもしなかった! ただ道具みたいに扱って、要らなくなったらポイって……そんなの、あんまりじゃありませんか!」
「……そうだね。君の言う通りだと思う」
アルはわたしの両肩に手を置いた。
「でもね、ベティ。それでも君は行った方がいい。後悔するよ」
わたしは弾かれるように顔を上げた。
「アルまで……わたしの味方を、してくれないのですか?」
思わず振り払おうとしたわたしをアルは力強く掴む。
彼の瞳は、プロポーズしてくれた時のように真剣だった。
「ベティ。聞いて」
「いやです。わたしは……」
「ベティ!」
突然の大声にわたしはびくりと肩が震えてしまった。
ゆっくりとアルのほうに目を向けると、彼は優しい瞳で言った。
「大きな声を出してごめん。でもね、聞いてほしいんだ」
「何をですか……あの人は、わたしを借金のカタに……」
「ベティ。よく聞いて」
アルは一拍の間を置いて言った。
「うちの領地に、君を買うようなお金があると思うかい?」
わたしは思わず硬直する。
そして、ずっと目を逸らしていた事実を突きつけられた。
「断言する。我が家に五百万ゼリルなんて大金はない」
ずっと違和感があった。
公爵城の荒廃具合とわたしの支度金を用意する公爵のギャップに。
だけど、『公爵だから』そういうものだろうと思い込んでいた。
「そんな……」
愕然と息を呑んだわたしは震える唇を動かした。
「で、でも、アルは、公爵で」
「そう。見栄のために花嫁を貰う必要があったと言ったね。でも、僕にそんなお金があったら間違いなく領地のために使ってるよ? そのほうが領民も潤うだろうし」
「……それは、そうですけど」
大前提がひっくり返されたような気分だった。
──わたしは、売られていない?
──じゃあ、アルはどうしてわたしと婚約を?
疑問を込めて見上げると、アルはフィオナを見た。
「君のことはヘンリックに頼まれていたんだ。どうか守ってほしいって。実は娼館で会っていたのもヘンリックなんだよ」
「……そんな、あの人は、そんなこと」
「お姉様」
それまで黙っていたフィオナが進み出た。
泣きそうに瞳を潤ませた妹は胸の前で手を組んで言う。
「お姉様が居なくなってから……お父様との食事は、いつもお姉様のことばかりでした」
「え?」
「お姉様は元気にしているのか、お姉様は困っていないのか、アルフォンス様に無理強いされていないのか、それから……毎日毎日、郵便を待って……オルロー公爵領の復興を聞いて、喜んでいました」
「……うそ」
「嘘じゃありません」
嘘よ、だって、そんなの。
「『さすがは私の娘だ』、『アリアの血だな。誇らしい』、『フィオナはいい姉を持ったな』……いつもそう言って。私が恥ずかしくなるくらいの親バカで……だから、お願いですから」
フィオナはわたしの胸に抱き着いて来た。
「一緒に、来てください。お姉様……!」
「…………フィオナ」
──本当のことなんだろうか。
わたしは愛する妹の言葉に、いまいち確信を持てずにいた。
最後に話したお父様の冷たい言葉は、それほどわたしの心に傷跡を残していて……。
「ベティ。思い出して。君が知る、幼い頃の父を……それが、彼の本当の姿だよ」
「幼い頃の……」
わたしが小さい頃。まだお母様が生きていた頃。
『ベティ。お前は大きくなったらお母さんのようになるんだぞ』
『すごいな、ベティ! この年でもう計算が出来るのか! 私の娘は天才だ!』
『誕生日おめでとう、ベティ。お前は私の誇りだ……いつまでも、健やかに』
「……っ」
あぁ、そうだ。
あの人はとんでもない親バカで、いつもお母様に叱られて。
「わたし、は」
過去の記憶がわたしのトラウマを傷跡を塗りつぶす。
わたしが躊躇っている鎖を、それ以上の光が焼き尽くしていく。
「…………っ、お父様」
もう一度だけ、信じてみよう。
これが最後になるなら、本当のことを聞きたい。
──どうして、父が変わってしまったのかを。
5
あなたにおすすめの小説
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
『婚約破棄されましたが、孤児院を作ったら国が変わりました』
ふわふわ
恋愛
了解です。
では、アルファポリス掲載向け・最適化済みの内容紹介を書きます。
(本命タイトル①を前提にしていますが、他タイトルにも流用可能です)
---
内容紹介
婚約破棄を告げられたとき、
ノエリアは怒りもしなければ、悲しみもしなかった。
それは政略結婚。
家同士の都合で決まり、家同士の都合で終わる話。
貴族の娘として当然の義務が、一つ消えただけだった。
――だから、その後の人生は自由に生きることにした。
捨て猫を拾い、
行き倒れの孤児の少女を保護し、
「収容するだけではない」孤児院を作る。
教育を施し、働く力を与え、
やがて孤児たちは領地を支える人材へと育っていく。
しかしその制度は、
貴族社会の“当たり前”を静かに壊していった。
反発、批判、正論という名の圧力。
それでもノエリアは感情を振り回さず、
ただ淡々と線を引き、責任を果たし続ける。
ざまぁは叫ばれない。
断罪も復讐もない。
あるのは、
「選ばれなかった令嬢」が選び続けた生き方と、
彼女がいなくても回り続ける世界。
これは、
恋愛よりも生き方を選んだ一人の令嬢が、
静かに国を変えていく物語。
---
併せておすすめタグ(参考)
婚約破棄
女主人公
貴族令嬢
孤児院
内政
知的ヒロイン
スローざまぁ
日常系
猫
婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。
パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢カルルは、ある夜会で王太子ジェラールから婚約破棄を言い渡される。しかし、カルルは泣くどころか、これまで立て替えていた経費や労働対価の「莫大な請求書」をその場で叩きつけた。
地味令嬢を見下した元婚約者へ──あなたの国、今日滅びますわよ
タマ マコト
ファンタジー
王都の片隅にある古びた礼拝堂で、静かに祈りと針仕事を続ける地味な令嬢イザベラ・レーン。
灰色の瞳、色褪せたドレス、目立たない声――誰もが彼女を“無害な聖女気取り”と笑った。
だが彼女の指先は、ただ布を縫っていたのではない。祈りの糸に、前世の記憶と古代詠唱を縫い込んでいた。
ある夜、王都の大広間で開かれた舞踏会。
婚約者アルトゥールは、人々の前で冷たく告げる――「君には何の価値もない」。
嘲笑の中で、イザベラはただ微笑んでいた。
その瞳の奥で、何かが静かに目覚めたことを、誰も気づかないまま。
翌朝、追放の命が下る。
砂埃舞う道を進みながら、彼女は古びた巻物の一節を指でなぞる。
――“真実を映す者、偽りを滅ぼす”
彼女は祈る。けれど、その祈りはもう神へのものではなかった。
地味令嬢と呼ばれた女が、国そのものに裁きを下す最初の一歩を踏み出す。
『胸の大きさで婚約破棄する王太子を捨てたら、国の方が先に詰みました』
鷹 綾
恋愛
「女性の胸には愛と希望が詰まっている。大きい方がいいに決まっている」
――そう公言し、婚約者であるマルティナを堂々と切り捨てた王太子オスカー。
理由はただ一つ。「理想の女性像に合わない」から。
あまりにも愚かで、あまりにも軽薄。
マルティナは怒りも泣きもせず、静かに身を引くことを選ぶ。
「国内の人間を、これ以上巻き込むべきではありません」
それは諫言であり、同時に――予告だった。
彼女が去った王都では、次第に“判断できる人間”が消えていく。
調整役を失い、声の大きな者に振り回され、国政は静かに、しかし確実に崩壊へ向かっていった。
一方、王都を離れたマルティナは、名も肩書きも出さず、
「誰かに依存しない仕組み」を築き始める。
戻らない。
復縁しない。
選ばれなかった人生を、自分で選び直すために。
これは、
愚かな王太子が壊した国と、
“何も壊さずに離れた令嬢”の物語。
静かで冷静な、痛快ざまぁ×知性派ヒロイン譚。
婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです
藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。
家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。
その“褒賞”として押しつけられたのは――
魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。
けれど私は、絶望しなかった。
むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。
そして、予想外の出来事が起きる。
――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。
「君をひとりで行かせるわけがない」
そう言って微笑む勇者レオン。
村を守るため剣を抜く騎士。
魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。
物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。
彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。
気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き――
いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。
もう、誰にも振り回されない。
ここが私の新しい居場所。
そして、隣には――かつての仲間たちがいる。
捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。
これは、そんな私の第二の人生の物語。
[完]本好き元地味令嬢〜婚約破棄に浮かれていたら王太子妃になりました〜
桐生桜月姫
恋愛
シャーロット侯爵令嬢は地味で大人しいが、勉強・魔法がパーフェクトでいつも1番、それが婚約破棄されるまでの彼女の周りからの評価だった。
だが、婚約破棄されて現れた本来の彼女は輝かんばかりの銀髪にアメジストの瞳を持つ超絶美人な行動過激派だった⁉︎
本が大好きな彼女は婚約破棄後に国立図書館の司書になるがそこで待っていたのは幼馴染である王太子からの溺愛⁉︎
〜これはシャーロットの婚約破棄から始まる波瀾万丈の人生を綴った物語である〜
夕方6時に毎日予約更新です。
1話あたり超短いです。
毎日ちょこちょこ読みたい人向けです。
婚約破棄された令嬢、気づけば王族総出で奪い合われています
ゆっこ
恋愛
「――よって、リリアーナ・セレスト嬢との婚約は破棄する!」
王城の大広間に王太子アレクシスの声が響いた瞬間、私は静かにスカートをつまみ上げて一礼した。
「かしこまりました、殿下。どうか末永くお幸せに」
本心ではない。けれど、こう言うしかなかった。
王太子は私を見下ろし、勝ち誇ったように笑った。
「お前のような地味で役に立たない女より、フローラの方が相応しい。彼女は聖女として覚醒したのだ!」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる