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第三十一話 言葉にせずとも。
しおりを挟む「ねぇ。リヒム、無事かな」
蹄の音を轟かせながら、騎馬の群れが森を走っている。
アナトリアの辺境にあるフォルトゥナへは一本道の街道を進めばすぐに着く。
逆にそこが通れなければ険しすぎる崖と山が隔たる天然の要塞だ。
「ねぇってば。聞いてる?」
「黙ってなさい。舌噛むわよ」
サキーナによる応援部隊はすぐさま結成され、シェラは彼女の後ろに乗り込んだ。将軍補佐である彼女は渋ったが、死んでも文句は言わないという約束で納得させた。
「この馬遅くない? もっと早くならないの?」
「あぁもうっ! うざったいわねあんた! そんな奴だっけ!?」
不安げに呟くシェラにサキーナは叫び返す。
「だって、私のせいであそこに残ったんだし……」
「閣下は無事よ。今に分かるわ」
「でも……」
「だてに黄獣将軍なんて呼ばれちゃいないのよ」
「……」
「ほら、もう見えて来たわ。見なさい」
崖に挟まれた険しい山道を越えるとフォルトゥナが見えてくる。
一年前の火事の跡がいまだに残る、風に晒された廃墟。
そこでは百人を超えた手勢がリヒムを襲っていたはずで──
「え?」
シェラは素っ頓狂な声を上げた。
どこか、サキーナは誇らしげに微笑んでいる。
「分かった? これが黄獣将軍の力よ」
そもそも黄獣とは、イシュタリアに伝わる伝説の獣である。
その翼はあまねく空を羽ばたき、その鱗は鋼をも通さず。
その爪はあらゆる敵を蹂躙する、天変地異、森羅万象の化身。神の使い。
故にイシュタリアでは国難を救うほどの英雄にその名が授けられる。
万夫不当、一騎当千、あらゆる二つ名をかすませる異形の名。
人々は畏敬を込めてこう呼んだ。
「終わりだ。ラーク・オルトク」
すなわち、当代最強──!
「はは、まさ、か。ここまで、やる、なんて……」
血しぶきを上げたラークの前に立つ、リヒム・クルアーン。
男の背中には無数の矢が刺さっているが、彼は毅然と立っている。
その周りには──五百人以上の傭兵たちが転がっていた。
「閣下!」
「……あぁ、来たか」
リヒムが振り向き、剣を納めた。
「傭兵共はすべて斬った。ラークの身柄を拘束しろ」
「はっ!」
「それから──ん? 待て、なぜシェラがいる?」
「うっさい馬鹿!」
シェラは馬から飛び降りてリヒムの元に走っていた。
平気そうな顔をしているが、裂傷が激しい。鎧の隙間から血が流れている。
「こ、これ、大丈夫なの? てか、矢、矢刺さってるんだけど!」
「あぁ……これは鎧に刺さってるだけだ。別にどうということでは」
「そんなわけないでしょ!」
破傷風にでもなったらどうするのだ、とシェラは頭を抱えた。
そもそもここは森の中だし、傷口から菌が入りやすい環境でもある。
「じゃあ鎧脱いで、ほら! 今すぐ応急処置するから!」
「いや、でも」
「いいから脱ぐ!」
「まったくあんたは……」
シェラの剣幕に押されたリヒムがサキーナの助けを借りながら鎧を脱ぐ。
リヒムの言う通り矢はほとんど鎧に刺さっていて、背中はかすめている程度だ。
(鎧は斬ることに強くて刺されるのに弱いって聞いたけど……あ、マントか)
ぼろぼろのマントを見てシェラは得心がいった。
おそらく化け物じみた動体視力でマントを駆使し、矢傷を防いだのだろう。
それにしたって一歩間違えば死んでいてもおかしくないはずだ。
「……ほんと、馬鹿ね」
「悪かったな」
「ほんとよ」
「……」
水で傷をふき取りながら、薬草を混ぜた軟膏を塗り込む。
手際よく包帯を巻いていきながら、たくましい背中にシェラは問いかけた。
「ねぇ。あの時、何があったの」
「……」
「あなたはお姉ちゃんを……殺したんだよね」
「あぁ」
「それは、望んだことなの?」
「…………いや」
リヒムは天を仰いだ。
「……俺はあいつに、生きていて欲しかった」
「…………………………そっか」
心の中に溜まっていた澱が溶けていくようだった。
身体が軽くなり、瞼が熱くなったシェラは袖で拭う。
「そっか」
そのまま治療を続けていると、リヒムが恐る恐る振り返った。
「何も聞かないのか」
「聞いてほしいの」
「……いや」
「だったら、いい」
背中の治療を終えたシェラは息をつく。
「あなたが頑張ってくれたことは、なんとなく分かるから」
「……っ」
リヒムは衝撃を受けたように固まった。
続けて顔を歪ませ、慌てたように前を向き、俯く。
「…………ありがとう」
「別に…………それは、こっちの台詞だし」
今まで守ってくれたこと、火の宮から助けてくれたこと。
シェラのことを傷つけまいと自分から悪者になってくれたこと。
「私も……ありがと」
「──」
「え、ちょ!?」
リヒムが突然もたれかかってきた。
額を胸にくっつけてくる密着姿勢にシェラは慌てて、
「ちょ、みんな見てるし、てか、なに抱きしめてんの蹴り飛ばすわよ!?」
「……」
「リヒム?」
彼の息が荒いことに、ようやく気付いた。
恐る恐る額に触れると燃えるように熱くて思わず目を見開く。
「これ」
「──は、ははは。ようやく効いて来たか。化け物め」
その声は、シェラたちから離れた場所で聞こえた。
見れば、兵士に縛られたラークが嗤いながらこちらを見ている。
「なに、あなた、なんかしたの……!?」
「毒だよ。遅効性の猛毒。ははっ、こんなに遅くなるとは思わなかったけどさ」
ニヤァ、とラークは嗤う。
「効き目が遅い代わりに効果は抜群だ。お前はもう終わりなんだよ、リヒム・クルアーン! 彼女の胸に抱かれて死んでいく気分はどうだい? あはっ、あっはははははははは! ははははははははは!」
「ラーク、あんた……っ!」
サキーナがラークを殴りつけるが、彼の嗤いは止まらない。
シェラがリヒムの横たえると、症状がどんどん進行しているのが分かった。
手足の傷口が青紫色に晴れ上がり、今にも死んでしまいそうなほど顔色が悪い。
「閣下、閣下ぁ!」
「嘘だろ、おい、誰か、解毒薬を!!」
「ひひっ、無駄だよぉ。その毒の解毒薬は存在しない。なにせこの僕が調合したんだからねぇ」
ラークは狂人のように肩を揺らした。
通常、毒薬を作る場合は解毒薬も一緒に作ることがほとんどだが、リヒムを殺すためだけに調合した毒に解毒薬は必要ないと判断したのだろう。どこまでも悪辣なやり方にシェラははらわたが煮えくり返るような思いだった。
「私が吐かせる。あんたは閣下を」
「ん……!」
急ぎ帝都に戻りながらサキーナがラークを拷問する。
護送用の荷馬車でも拷問のやりようはいくらでもある。
その間に、シェラは別の荷馬車で衛生兵と共にリヒムの応急処置に当たった。
「……これは、もう手の施しようが……」
衛生兵の絶望じみた言葉に。
「………………いいえ。まだ、方法はあるわ」
シェラはつぶやいた。
「しかし、毒がここまで進行していては」
「帝都までもたせて。そしたら私が何とかしてみせる」
「なんとかって。一介の料理官に何が出来るって言うんです!?」
「出来るわよ。私を誰の妹だと思ってるの」
確かにシェラは一介の料理官で応急処置の心得があるだけだ。
衛生兵のように医療技術を学んできたわけではないし、毒に対しても詳しくはない。それでも、この世でシェラにしか使えない力がある。
「『ゴルディアスの秘宝』の力、見せてあげる」
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