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たまの事  4

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 そして今、玉生たまおは緑が多く広場と呼ぶべき開けた土地で、公共の施設に使用する規模の屋敷を遠目に見ている。


 慣れるまでは住人ですら屋敷内で迷いそうな広さなどとは思いもよらなかった彼は、頭が真っ白になり途方に暮れていた。
今日は軽く覗いて、できれば手を入れなくてはならない場所の見当を付けておきたいなどと何となく計画していただけで、実際は未だ遺産の譲渡についてもふわふわとした夢の中の出来事のように感じていたのがこれでは……
柵の内側から藁色の天然石でできたアプローチが、芝生を突っ切り家へと招くかの様に敷かれているのだが、招かれている玉生の方はその一歩が踏み出せないでいた。

「で、どうする? 用事ができた蔵持くらもちがうちの事務所に来るのがいつものパターンだったから、俺も正直ここの案内ができる程には詳しくないんだが」
 
 とりあえず想像もしていなかった規模の建物を自分が相続する家だと言われ、どう考えても予定していた時間内ではロクに中を見られないと悟った玉生は、「造りはしっかりしているし、最近一通り見て回った奴が問題ないと言ってたぜ?」との言葉を傍野はたのから聞いて、内見はあえて先延ばしにすることで心の準備をしようとの結論に至った。
 しかし、引っ越す際は家の周囲の環境を確認するのがポイントだという傍野の勧めもあり、せっかく現地まで来たので手前側に広がるシロツメ草の上を家の方に向かっておっかなびっくり歩いてみるのだった。

「ほら、あの辺の木は多分ナッツ系の木で、あっちの方にはでっかい桜がある。春には花見ができるぞ」

 その言葉に目を丸くした玉生は、傍野が指を指した先を見て「わぁ……」と頬を上気させた。

「ちょっとは楽しみになってきたろ? まあ、ここが広くて困ってるなら友人でも誘ってみるのもいいだろうしな」

 当然ながら傍野は直接に後見人として指名されたからには、玉生が誘いそうな仲のいい友人についてはある程度調べて依頼人に報告した上で、問題ないと許可が下りているからこそお気楽に共同生活などを勧めているのは言うまでもない。
見ようによっては思考誘導をしているとも取れるが、このままでは脳内でパニック状態の玉生がいつまでたっても落ち着かない可能性がある。
 あの家の事も、万が一"恐怖”の方で玉生のイメージが固定してしまっては、存在を拒否してしまうかもしれない。
先に特異性を教えられたらいいのだが、口にしようとした時点で家の事は傍野の記憶から消去されてしまうのだ。
 しかも今あの家は、持ち主になった玉生の信用している人間以外は出入りを"許さない”と思われるので、直に案内して仲介をしようにも会ったばかりの傍野ではおそらく信頼度が足りない。
挑戦してみて家に叩き出される姿を見せては玉生のトラウマになる恐れがあるので、今は宝の時のよしみで柵の内側までは出入りを許されている傍野としては、直接は関わってやれないのだ。
『もしも家の持ち主が代わる事でもあったら、その相手とも友誼を結んで信を得てもらわなければ、あなたに便宜は図れないと思われる。情報を埋め込めば融通は効くが脳に干渉をするので、たからに禁止されているのだ』と、まだ出入りが許されている頃に注意も受けている。
 ちなみに外面がよくてこの家の前まで侵入を果たした男は、玄関で見えない圧力に押し戻され悪態をついたせいで緩い力ではあっても断固として柵の外まで押し出され、その日は不本意な顔で帰って行った。
さすがにそんな眉唾ものの出来事を周囲に言って胡散臭い目で見られるのは避けたらしいが、後日その事で宝本人を詰問しようとする場に居合わせた傍野の前で口を開いた途端に、「……なんだっけ?」といつもの温和そうな顔で首をかしげたのだった。


 そんなわけで滞りなく家の引き継ぎを済ませたい傍野としては、できれば活気に溢れる玉生の友人たちと共に家と対面してほしいのだ。
正直、今日ここへ来たのもこの位置を玉生に覚えさせるのが目的で、もっと近道はあったがあえて近くの電車やバスの停車場を通って、利用に必要そうな情報を話題にして聞かせたりもしたのだから。
本人も今後の利便性を考えたのか――もしかしたら万が一自分で帰る必要になったらなどと心配したのかもしれないが、熱心に聞き入ろうとする意気込みはあったものの、その不安からかどうしても注意力が散漫になる様で残念ながらどれだけ頭に入ったかは怪しく見えた。
 とにかく傍野としてはあえて重要な事を黙っているとも取れる自分が一緒では、玉生の友人たちになんらかの作為を疑われそうな気がするので、しばらくは必要以上に関わらないつもりでいる。
 実際、過去に宝が自宅に招待した友人の中にはもとより頭が固くて冗談が通じない性格の者がいて、案の定と言うべきか自分をからかうための仕掛けを疑い腹を立てた。
 そしてその後日、訪問の感想について首を挟んできた第三者との会話中に「家に仕掛けをして驚かすのは悪趣味」程度の事を口に出しかけたのを、次の瞬間には以前に押し掛けて来た人物の様にすっかりと忘れていたのだ。
「何か怒っていたでしょ?」と聞かれても「怒ってないが?」となんの疑問もなく不審そうにしていたぐらいだ。
今も宝についてある程度の事は把握しているが、家の事に関してはまったく記憶にはない様だ。
 なので傍野としては痛くもない腹を探られる危険を冒すよりは、不思議は専門外ととぼけるべきだろうと判断したのである。
それよりはむしろ、進学などで住所が必要になるだろうと玉生に土地家屋を相続する手続きをしたところに、どこからか聞きつけて今さら宝の遺産に色気を出す薄情なその親族の排除に専念すべきだろう。
僅かながらも親の残した遺産と、引き取った子供の分の補助金を受け取ってもロクに姉弟に使わなかったのだから、受けた恩など差し引いても搾取が過ぎて多少の意趣返をしてもバチはあたるまいと遠慮はしないつもりだ。
 件の頭の固い友人に頼めば、正義感が強くお堅い方面には顔が利くので上手く協力してもらえるだろう。
その件が片付く頃には、この家の事も落ち着いているといいと思っているのだが。
『そのためには、玉生が友人との会話で持ち出しやすい情報を多く話題にするべきか?』と傍野は気を揉む。
なんとなく玉生は、貰った物の話題を言い出すのを躊躇するタイプの様な気がするのだ。

 
 そんなある意味絶妙のタイミングで、その微かな鳴き声は耳に届いた。


    
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