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たまの事  3

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 もう長い間顔も見ていない母親の訃報が玉生たまおの元に知らされたのはそんな時だった。
それと共に彼女の語った思い出の中でしか知らない叔父から、彼女の産んだ子供へ限っての遺産譲渡を託されて来たのだという人物からの知らせも届いた。
 行方知らずだったという叔父がその後どうしていたのか、母親はそれを知っていたのかと玉生には疑問ばかりだが「自分もそう詳しくはないが……」と親族との確執とそれに連なる理由から叔父は表に出たがらなかったと、彼の使いの口からは聞いた。
 その使いは傍野捜はたの そうと名乗り、叔父である蔵持宝くらもち たからとは学生の頃から付き合いがある現在の生業は“何でも屋”で、叔父はその得意先だったのだそうだ。
初対面で「行方不明になる前、顔だけは知っていた少年時代の奴の姿に君はよく似ている」と言ってしばらくマジマジと玉生を見て、「たしかに似てるのに、表情のせいで妙にカワイイのがオカシイ」と評されたのが、むしろ普段「淡々としたかわいくない子供」と言われがちな身には解せなかった。


 そして遺産譲渡の書類にサインをしたその日から数日後、改めて傍野から孤児院に連絡があった。
 引き継ぐ家屋の場所を教えるために直接現地へ案内するという話しで、できるだけ早いうちに孤児院の場所を次の子に譲りたいという玉生の希望を聞いていたので、全ての手続きが済んで早々に声をかけてきたのだという。
 詳しい場所を聞くと相続する家があるのは、現在の利用駅である都内の内側を廻る小江都線ではなく外周の大江都線側ではあるが、バスでの乗り換えの手間に慣れれば今の生活圏からも近いのだそうだ。
 それで玉生が、これからバイトまでの半日は時間が空いていると言うと、傍野はすぐに孤児院の近所まで商用車のキャラバンに乗って迎えに来た。
出先で公衆の自働電話からの連絡だったのでそのままこちらへと来たらしく、助手席にも置かれた荷物を移動させる傍野の横から見えた車内は、物置をそのまま移動させているかの様な状態だった。
傍野曰く探偵はフットワークが大事だと、後部にはカメラやあちこちの地図・テープレコーダー・懐中電灯・傘・変装用の衣装など様々な道具が積まれている。
なんでも咄嗟の事に対応するために必要な物を持ち歩いているのだとかで、よく見るとカバーの掛かった二輪車らしい物まである。
 人によっては「いいから整理しろ」と一蹴されそうだが、素直な玉生は単純に『大変だなあ』と納得して、空いた座席に収まった。
遠出の時や帰宅が遅い時間になるとちょっと過保護な友人が家の車を出してくれるので、車自体には乗り慣れている玉生なのだが、傍野の愛車は車高が高く助手席に座るにもステップを上るのが目新しい。
ちょこんと収まった座席からの高い視界は、目に映る近所も普段とは違って見える。
そんな車窓に流れるいつもなら見入ってしまう景色にも上の空なのは、これから行く先への期待と不安が大き過ぎるせいだろう。
 そんな無口になった玉生に、傍野は「いい機会だし、やっぱり玉生君も知りたいだろうから」と彼の知っている事情を少し語ってくれた。



「奴は君のお姉さんとどうしても相容れない所があってさ」
 
「君のお母さんは奴が援助しても計画的に使うって事ができなくて、あればよけいに悪い相手が寄って来るというか」
 
 そういう相手は不思議とすぐに消えたが、玉生にも何人か心当たりはある。

「まあ、とにかく知れば色々と言いたくなるしで言い合いになるのも嫌になっている時に、しばらく抜けられない用事で遠出をして戻ったら玉生君が産まれていたらしくて、対応を悩んでいるうちに孤児院で落ち着いていたんだよね」

「奴は君を引き取るには問題のある場所を飛び回って定住もしてなかったし――あ、いや、家はあったけど必要な保護者の方がね、留守じゃ意味ないからさ。孤児院に寄付をして環境をある程度整える事で自分を納得させてたってわけなんだよ」

 どうやら玉生の高等科進学の際に寄付があったのはそれらしい。
 
「それに君が幼いうちは、何か価値のある物を相続したと聞きつけた途端に飛んで来る、血縁の義務も義理も果たさないのに権利だけは主張する輩が、名ばかりの保護を買って出る可能性が高かったからね。奴はその理不尽な存在を君には関わらせたくなかったから、自己判断が認められる年までは譲渡を待っていたんだ」



 実のところおそらくは伝えるタイミングを図っていた傍野から、そんな風にポツポツと会わず終いの叔父とその姉である母についての話が聞けた。
 もうとっくに諦めていた母親でもやはり訃報はショックだったが、叔父の事では知らない所で自分を気にかける人がいてくれたという事実に、孤児として育った身の上ゆえに常に凍える部分を持つ玉生の心はほんのりと暖められた。
ついでにあの話たがりの母親が、叔父の行方不明後の近況についてほとんど口にしなかったのは、どうしても小言を言われる自分の姿を省いて語れなかったせいなんだろうな、と内心では苦笑してしまったのだが。

「……一度くらいは、会ってみたかったです……」

 しょんぼりとした小さな呟きが耳に届いた傍野は、”ここにはいない”相手に向かって『いつか会ってやれよ』と密かに苦言を念じてやった。

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