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番外編
ホワイト・ライ・クリスマス
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十二月の夜。
ラクシュは自室兼工房の床に座り込み、淡い紫の光を放つ鉱石を彫っていた。
発光鉱石は、色と文字の組み合わせで無数の魔法効果を発揮できる。そして色に向いた属性と言うものがあり、例えば赤なら炎、青なら水、緑は能力向上……というように、使い分けられるのだ。
一本の鉱石木からは、さまざまな色の発光鉱石が取れるが、紫の鉱石はあまり見つからない為、これを使う魔道具は自然と高級品になった。
しかも、ラクシュが今手にしている石は、とても深く美しい色をしている。特別品を造る時のために確保しておいた、とっておきの鉱石だ。
人間の細工師は、鉱石の加工に工具を使用するが、ラクシュは自分の指先を変形させて石を彫る。
刻む文字の数に合わせて鉱石をカットし、次に全体の形をきめ細かく整えていく。
形が出来たら魔法文字を刻み、仕上げに穴をあけて紐や鋼線を通せるようにすれば、鉱石ビーズの完成だ。
彫りあげた紫のビーズの左右に、緑色の小さなビーズを配置して革紐を通すと、色合いも良い簡素な首飾りとなった。
「ん」
出来上がった魔道具の首飾りを眺め、ラクシュは頷く。
柔らかな生成りのフェルトで丁寧に包み、赤いリボンで結ぶと、それは立派なプレゼントに昇格した。
窓の外を見ると、昼からずっと降っていた雪はいつのまにか止んでいた。
夜空には無数の星が煌き、月光が一面の雪景色を青白く照らしている。
外は凍てつくような寒さで、この部屋の気温もかなり低い。しかし吸血鬼のラクシュに、寒さや暑さはあまり苦にならなかった。
家の中で着ているものは、基本的に一年中同じだ。
肌着の上に黒い貫頭衣のローブと、室内スリッパ。
ラクシュは座り込んだまま、素足に履いた柔らかな深緑色の室内スリッパに視線を向ける。
履き心地の良いこのスリッパが、とても気に入っている。
そして、これをくれた相手も……。
「ラクシュさん、ご飯できましたよ!」
扉をノックする音と共に、アーウェンの弾んだ声が、静かな部屋に飛び込んできた。
ラクシュはプレゼントを作業台の上に置き、部屋を出る。
そして廊下に出た途端、眩しさを和らげるために、両目の上を手で覆う羽目になった。
満面の笑みを浮かべたアーウェンが、全身からすごくキラキラを散らしている。
「お待たせしました!」
今日はクリスマスだからご馳走を作ると、彼はとても張り切っていた。
キラキラ度合いと、パタパタと嬉しそうに揺れている尻尾から察するに、とても満足のいくものが出来たのだろう。
ゴーグルを持ってきた方が良いかなぁ……と、ラクシュが考えているうちに、待ちきれないといった様子のアーウェンに手をひかれ、食堂へと連れていかれた。
そして食卓を見たとたん、ラクシュの赤い胡乱な目は、精一杯見開かれる。
「……アーウェン、凄い」
綺麗なテーブルクロスの上には、全て野菜だけで作られたご馳走が並んでいた。
スープにサラダにソテー。美しく盛り付けられた料理たちは、見ているだけでも嬉しくなってくる。豆乳クリームと冬苺で飾った、小さなケーキまである。
ラクシュはマッシュポテトで作られた雪ダルマの顔を、感心して覗き込んだ。
「冷めないうちに食べましょう」
アーウェンが照れたように笑う。
オリーブ色の狼耳がピクピク動いて、キラキラが目を逸らしても眩しいくらいに増えたから、彼がラクシュの拙い褒め言葉にも喜んでくれているのがちゃんと解った。
ラクシュも席につき、ほんわりと湯気を立てているトマトスープからとりかかる。星型に飾り切りされたニンジンを、匙ですくい取った。
――『クリスマス』というのは、随分と昔からあるお祭りらしい。
どういう由来なのか、もはや誰も知らないが、この日が特別ということだけは、未だにあちこちの国で根付いている。
国や地方によって多少違うが、基本的にはどこも木やツル草にピカピカ光る飾りをつけ、家族とご馳走を食べるのだ。
ラクシュがキルラクルシュとして黒い森に住み、壮絶な戦いに身を投じていた頃、ラドベルジュ王国の人間たちも、このクリスマス前後にだけは襲ってこなかった。
城の高い位置にある自室からは、白い雪を被った黒い森を見渡せた。そのはるか遠くの夜闇の中に、人間たちの暮らす街の灯まで、小さく見えたものだ。
黒い森の吸血鬼たちは、クリスマスを特に祝わなかったけれど、キルラクルシュはこの日が好きだった。
人間達と戦わなくて済むクリスマスシーズンは、一年で唯一の、心休まる期間だったから。
「……アーウェン。私、ごはんの後……屋根、行く」
遠い思い出を、野菜スティックと一緒に咀嚼して飲み込んでから、ラクシュが告げると、アーウェンはキョトンとした顔になった。
「屋根裏部屋に、何か取りに行くんですか?」
「違う。外……屋根に、登る」
ラクシュは首を振って訂正した。テーブルの下でスリッパを履いた足先を軽く動かし、付け加える。
「私……サンタクロース、に……プレゼント、渡す」
ここに住み始めてから知ったのだが、この周辺国では、クリスマスにはサンタクロースなる不思議な老人がプレゼントをくれるのだ。
彼は何百年も前から存在し、毎年空を飛ぶソリに乗ってやってくるというから、どこかの泉から生まれた特別な魔物なのかもしれないと、ラクシュは想像する。
それはともかくとして、重要なのはラクシュがこの数年、サンタクロースから毎年プレゼントを貰っているという事だ。
―― あれは血飢えが深刻となり、家の外にも出られなくなった頃。
クリスマスの数日前に街へ行ったアーウェンが、サンタクロースの存在を小耳に挟んできたのだ。
『サンタクロースを知っている人のところだけに来るそうですから、ここにも今年からはプレゼントが届くかもしれませんね』
とても嬉しそうにアーウェンは言い、そしてそれは本当になった。
その年のクリスマスには、ラクシュの元に柔らかくて履き心地のいい室内スリッパが届いたのだ。
翌年にはソファーで昼寝するのに具合の良いクッション。次は可愛らしいネグリジェ……。
添えられているカードには毎年、左手で書いたとしか思えないグニャグニャな字で、『貴女が元気になれるように祈っています』と書かれていた。
ただし、ラクシュは未だに、サンタクロース自身の姿を見た事がない。
プレゼントはいつも、ラクシュの部屋の外に積もる雪の上に、とさんと上から落ちてくる。
窓から手を伸ばして包みを拾い、頭上に目をこらすのだが、夜空を駆けて行くソリは見えないし、鈴の音も聞こえない。
プレゼントはアーウェンの所にも届くが、やはりサンタクロースは見ていないそうだ。
素敵なプレゼントをくれるサンタクロースにお礼を言いたいと思っていても、今までの弱っていたラクシュには、素早い彼を待ち構えて見つけるだけの元気がなかった。
だが、血飢えの解消された今なら、どれほど気配を消して素早く忍び寄られても見つけられるだろう。
そして今年こそは、ラクシュがお礼の言葉とともに、彼にプレゼントを渡すのだ。
先ほど作り上げた魔道具のプレゼントを脳裏に思い浮かべつつ、ラクシュは今夜の計画をポツポツと話す。
「……ん?」
話し終えて顔をあげたラクシュは、そのまま首を傾げた。
食卓の向かいで、アーウェンがとても奇妙な表情をしていたからだ。
落ちつかなさげにキョロキョロと視線を彷徨わせ、キラキラもすっかり薄れてしまっていた。
アーウェンはなかなか賢い子だけれど、自分で思っているほど隠し事は上手くない。
……特に、何かバツが悪い気分でいる時は。
「そ、そうですか……」
いつもと変わらぬ口調を保とうとしているが、彼の正直な狼耳と尻尾は、ヘニョンとうな垂れてしまっている。
ラクシュは彼のおかしな反応を眺めつつ、この数年のクリスマスをゆっくりと頭の中で振り返り……ほどなくその理由を推測できた。
……あぁ、そっか。もっと早く、気づきそうなものだったのに。
***
(うあああああっっ!! 何言い出すんですかっ、ラクシュさあああんっ!!!)
アーウェンは盛大に冷や汗をかきながら、心の中で絶叫していた。
(そ、そんな事したら、プレゼントを渡してたのは俺だったって、バレちゃうじゃないですかーーっっ!!!)
その昔、サンタクロースという空想上の存在を聞き、その名を語ってラクシュにクリスマスプレゼントを渡そうと思いついたのだ。
あの頃、アーウェンはすでに一人前の人狼へと成長し、危険な遺跡探索も容易に出来るようになっていた。
それは弱りきっていたアーウェンを買い取り、きちんと養ってくれたラクシュのおかげだ。
だが彼女の方はなぜか、まるでアーウェンの成長と比例するようにやつれていく。
そんな彼女を見るのは、いつも心が痛んだ。ラクシュに少しでも、楽しい思いをして欲しかった。
もうアーウェンは鉱石を採りにいく時、ラクシュに頼まれた分より少し多めに採ったり、遺跡の発掘品を見つけたりして、自力でも稼げるようにはなっていた。
それはラクシュもちゃんと知るところだ。
……にもかかわらず、わざわざ回りくどい手段をとろうと思ったのは、アーウェンが直接にクリスマスプレゼントを贈ったら、ラクシュは喜ぶよりも、すまなさそうに受け取るような気がしたのだ。
当時はまだ、ラクシュが自分の血を欲しているなど知らなかったが、ラクシュからどこか、自分に対する引け目のようなものを感じ取っていたせいかもしれない。
だからアーウェンではなく、皆にプレゼントを配るのが役目の、サンタクロースという存在からだったら、ラクシュも気負い無く受け取れるだろうと考えたのだ。
ラクシュにだけプレゼントが届いたら不審がられるかもしれないから、自分用にも必要な台所用品などを適当にラッピングして、貰ったように見せかければいい。
それをクロッカスに打ち明けて相談すると、 『お前は墓穴を掘るタイプだな。止めても無駄だろうから、気の済むようにしろ』 と、呆れられた。
あの時は、わからずやのおっさん猫め、と腹を立てたが、遅まきながらあの言葉を痛感する。
理由はどうあれ、アーウェンはラクシュを騙していた。
そして今やその嘘は、すっかりサンタクロースの存在を信じ、きちんと礼を果たそうというラクシュの誠意を、台無しにする結果となりつつあるのだ。
「え、えーと……でも、ラクシュさん……それは止めたほうが……」
視線を彷徨わせながら、もごもごとアーウェンは呟いた。
『サンタクロースからのプレゼント』は、今年もちゃんと用意してある。
だが、アーウェンが今年もこっそり屋根に昇り、ラクシュの部屋の窓下へとプレゼントを投下したら、その瞬間に掴まるだろう。
非常に不本意だが、今のラクシュと追いかけっこをした場合、アーウェンの勝ち目などゼロだ。
「あー……なんていうか、俺が考えるに……サンタクロースは、あまり姿を見られたくないんじゃないかと……」
必死で言い訳を紡ぐと、ラクシュは小首をかしげた。
「ふぅん?」
抑揚のない声は、あまりアーウェンの言葉を信じていないように聞こえた。
ギクリ、とさらにアーウェンは冷や汗をかく。
―― もしかしたら……いや、確実に、もうバレてます!?
しかし、ラクシュは雪色の髪を揺らしてコクンと頷いた。
「そっか……君が、そうしたいなら……止める」
そう言うとラクシュは、何ごともなかったように、セロリのスティックをパリパリと齧り出した。
アーウェンはと言えば、身じろぎもできずにいた。
今のセリフは、ラクシュが『サンタクロースの』正体を見抜いた事を、十分に示すものだ。
その上で彼女は、アーウェンの気の済むようにと、不問にしようとしている……。
―― 罪悪感に、見事なとどめを刺された。
「すみません!! サンタクロースって、空想の存在なんです! 今まで贈ってたの、本当は全部俺でした!」
アーウェンは派手な音をたてて、テーブルに両手をつき、額を打ち付けた。とても顔をあげられず、そのまま小さく言葉を続ける。
「……からかうつもりとかじゃなかったんです。サンタクロースから貰ったほうが、ラクシュさんは喜ぶんじゃないかと思って……でも、騙してたのは事実です」
「ん、そっか……」
やっぱり、というようにラクシュは呟き、静かに席を立って、スルスルと食堂を出て行った。
(はぁ……さすがに呆れられちゃったか……)
一人残された食卓で、アーウェンはがっくりとうな垂れる。
思えば、黒い森の壊滅事件を隠そうとした時も、こんな風に嘘を重ねたあげくに失敗した。
まるで学習できない自分に涙が出そうだ。
まだ残っている料理を食べる気にもなれず、どうしようかと悩んでいると、不意にラクシュが音もなく戻ってきた。
「ん」
生成りのフェルトを赤いリボンで縛った小さな包みを、両手に乗せて差し出され、アーウェンは目を丸くする。どう見てもプレゼントのようだ。
「ラクシュさん……これは?」
「サンタクロース、アーウェンなら……これ、君のもの……」
ポツポツと告げられる言葉を、信じられない気分で茫然と聞いていると、そっと手を取られて柔らかな布包みを渡された。
「アーウェン、強いから……これ、必要ない、言ってたけど……今年は、我慢して?」
開けてみると、紫の鉱石を中央に配置した首飾りが出てきた。紫は、防護の魔法に優れた効果を発揮する石だ。
極上の材料を、これほど精巧なビーズへと加工してあれば、この首飾りは身に付けた者を、どんな衝撃からも守るだろう。
―― もう一つ、ラクシュに嘘をついていたことを思い出した。
ラクシュは、アーウェンを初めて一人で遺跡に行かせる時に、心配してこれと同じものを造ってくれたのだ。
けれどアーウェンは、自分は強くなったから必要ないと言い、断固として受け取らなかった。
そしてその首飾りは、鈴猫屋に卸す商品に加えて貰ったのだ。
……本当は、ラクシュの好意がとても嬉しかった。
彼女の優しさが篭ったプレゼントが、すごく欲しかった。
けれど、魔道具を造るのだって、当時のラクシュには、十分に負担となっていたから。
それでも彼女は決して『魔道具を造ってアーウェンを養う』のを、止めようとしなかったから。
ならばせめて自分が受け取らない事で、たった一つでも、彼女の造る量を減らしたかった。
「……すみません。本当は、これがすごく欲しかったんです」
深い溜め息と共に、アーウェンはその嘘も白状する。
「そっか」
ラクシュが頷いた。とても嬉しそうに。
ほっそりした指が、革紐を丁寧にアーウェンの首へかける。
「……今年も、プレゼントを用意してあるんです」
胸元で輝く紫の石を見つめながら、アーウェンはようやく切り出せた。
「俺からのプレゼントも、受け取ってくれますか?」
自分はなんて臆病な狼なのかと、我ながら呆れる。
全部の事情を知った今でも、ラクシュに関してはいちいち脅え、事あるごとに空回りしてしまう。
恐る恐る視線をあげると、ラクシュがコクンと頷いた。
「欲しい」
短く言った声は抑揚もなく、相変わらず無表情だったけれど、とても幸せそうな気配を漂わせていた。
だから、アーウェンの狼耳と尻尾は、とたんにピクピクパタパタと動いてしまう。
「ラクシュさあああん!! 大好きです!!!!」
もう何度、この言葉を叫んだだろうか。
ラクシュに飛びつき、青白いがもうやつれてはいない頬へ、グリグリとほお擦りした。
「ん」
満足そうに、ラクシュが頷く。
「君は、とても素敵な……私の、サンタクロース、だよ」
*「ホワイト・ライ」 - 意味 善意の嘘。 悪意のない嘘。
ラクシュは自室兼工房の床に座り込み、淡い紫の光を放つ鉱石を彫っていた。
発光鉱石は、色と文字の組み合わせで無数の魔法効果を発揮できる。そして色に向いた属性と言うものがあり、例えば赤なら炎、青なら水、緑は能力向上……というように、使い分けられるのだ。
一本の鉱石木からは、さまざまな色の発光鉱石が取れるが、紫の鉱石はあまり見つからない為、これを使う魔道具は自然と高級品になった。
しかも、ラクシュが今手にしている石は、とても深く美しい色をしている。特別品を造る時のために確保しておいた、とっておきの鉱石だ。
人間の細工師は、鉱石の加工に工具を使用するが、ラクシュは自分の指先を変形させて石を彫る。
刻む文字の数に合わせて鉱石をカットし、次に全体の形をきめ細かく整えていく。
形が出来たら魔法文字を刻み、仕上げに穴をあけて紐や鋼線を通せるようにすれば、鉱石ビーズの完成だ。
彫りあげた紫のビーズの左右に、緑色の小さなビーズを配置して革紐を通すと、色合いも良い簡素な首飾りとなった。
「ん」
出来上がった魔道具の首飾りを眺め、ラクシュは頷く。
柔らかな生成りのフェルトで丁寧に包み、赤いリボンで結ぶと、それは立派なプレゼントに昇格した。
窓の外を見ると、昼からずっと降っていた雪はいつのまにか止んでいた。
夜空には無数の星が煌き、月光が一面の雪景色を青白く照らしている。
外は凍てつくような寒さで、この部屋の気温もかなり低い。しかし吸血鬼のラクシュに、寒さや暑さはあまり苦にならなかった。
家の中で着ているものは、基本的に一年中同じだ。
肌着の上に黒い貫頭衣のローブと、室内スリッパ。
ラクシュは座り込んだまま、素足に履いた柔らかな深緑色の室内スリッパに視線を向ける。
履き心地の良いこのスリッパが、とても気に入っている。
そして、これをくれた相手も……。
「ラクシュさん、ご飯できましたよ!」
扉をノックする音と共に、アーウェンの弾んだ声が、静かな部屋に飛び込んできた。
ラクシュはプレゼントを作業台の上に置き、部屋を出る。
そして廊下に出た途端、眩しさを和らげるために、両目の上を手で覆う羽目になった。
満面の笑みを浮かべたアーウェンが、全身からすごくキラキラを散らしている。
「お待たせしました!」
今日はクリスマスだからご馳走を作ると、彼はとても張り切っていた。
キラキラ度合いと、パタパタと嬉しそうに揺れている尻尾から察するに、とても満足のいくものが出来たのだろう。
ゴーグルを持ってきた方が良いかなぁ……と、ラクシュが考えているうちに、待ちきれないといった様子のアーウェンに手をひかれ、食堂へと連れていかれた。
そして食卓を見たとたん、ラクシュの赤い胡乱な目は、精一杯見開かれる。
「……アーウェン、凄い」
綺麗なテーブルクロスの上には、全て野菜だけで作られたご馳走が並んでいた。
スープにサラダにソテー。美しく盛り付けられた料理たちは、見ているだけでも嬉しくなってくる。豆乳クリームと冬苺で飾った、小さなケーキまである。
ラクシュはマッシュポテトで作られた雪ダルマの顔を、感心して覗き込んだ。
「冷めないうちに食べましょう」
アーウェンが照れたように笑う。
オリーブ色の狼耳がピクピク動いて、キラキラが目を逸らしても眩しいくらいに増えたから、彼がラクシュの拙い褒め言葉にも喜んでくれているのがちゃんと解った。
ラクシュも席につき、ほんわりと湯気を立てているトマトスープからとりかかる。星型に飾り切りされたニンジンを、匙ですくい取った。
――『クリスマス』というのは、随分と昔からあるお祭りらしい。
どういう由来なのか、もはや誰も知らないが、この日が特別ということだけは、未だにあちこちの国で根付いている。
国や地方によって多少違うが、基本的にはどこも木やツル草にピカピカ光る飾りをつけ、家族とご馳走を食べるのだ。
ラクシュがキルラクルシュとして黒い森に住み、壮絶な戦いに身を投じていた頃、ラドベルジュ王国の人間たちも、このクリスマス前後にだけは襲ってこなかった。
城の高い位置にある自室からは、白い雪を被った黒い森を見渡せた。そのはるか遠くの夜闇の中に、人間たちの暮らす街の灯まで、小さく見えたものだ。
黒い森の吸血鬼たちは、クリスマスを特に祝わなかったけれど、キルラクルシュはこの日が好きだった。
人間達と戦わなくて済むクリスマスシーズンは、一年で唯一の、心休まる期間だったから。
「……アーウェン。私、ごはんの後……屋根、行く」
遠い思い出を、野菜スティックと一緒に咀嚼して飲み込んでから、ラクシュが告げると、アーウェンはキョトンとした顔になった。
「屋根裏部屋に、何か取りに行くんですか?」
「違う。外……屋根に、登る」
ラクシュは首を振って訂正した。テーブルの下でスリッパを履いた足先を軽く動かし、付け加える。
「私……サンタクロース、に……プレゼント、渡す」
ここに住み始めてから知ったのだが、この周辺国では、クリスマスにはサンタクロースなる不思議な老人がプレゼントをくれるのだ。
彼は何百年も前から存在し、毎年空を飛ぶソリに乗ってやってくるというから、どこかの泉から生まれた特別な魔物なのかもしれないと、ラクシュは想像する。
それはともかくとして、重要なのはラクシュがこの数年、サンタクロースから毎年プレゼントを貰っているという事だ。
―― あれは血飢えが深刻となり、家の外にも出られなくなった頃。
クリスマスの数日前に街へ行ったアーウェンが、サンタクロースの存在を小耳に挟んできたのだ。
『サンタクロースを知っている人のところだけに来るそうですから、ここにも今年からはプレゼントが届くかもしれませんね』
とても嬉しそうにアーウェンは言い、そしてそれは本当になった。
その年のクリスマスには、ラクシュの元に柔らかくて履き心地のいい室内スリッパが届いたのだ。
翌年にはソファーで昼寝するのに具合の良いクッション。次は可愛らしいネグリジェ……。
添えられているカードには毎年、左手で書いたとしか思えないグニャグニャな字で、『貴女が元気になれるように祈っています』と書かれていた。
ただし、ラクシュは未だに、サンタクロース自身の姿を見た事がない。
プレゼントはいつも、ラクシュの部屋の外に積もる雪の上に、とさんと上から落ちてくる。
窓から手を伸ばして包みを拾い、頭上に目をこらすのだが、夜空を駆けて行くソリは見えないし、鈴の音も聞こえない。
プレゼントはアーウェンの所にも届くが、やはりサンタクロースは見ていないそうだ。
素敵なプレゼントをくれるサンタクロースにお礼を言いたいと思っていても、今までの弱っていたラクシュには、素早い彼を待ち構えて見つけるだけの元気がなかった。
だが、血飢えの解消された今なら、どれほど気配を消して素早く忍び寄られても見つけられるだろう。
そして今年こそは、ラクシュがお礼の言葉とともに、彼にプレゼントを渡すのだ。
先ほど作り上げた魔道具のプレゼントを脳裏に思い浮かべつつ、ラクシュは今夜の計画をポツポツと話す。
「……ん?」
話し終えて顔をあげたラクシュは、そのまま首を傾げた。
食卓の向かいで、アーウェンがとても奇妙な表情をしていたからだ。
落ちつかなさげにキョロキョロと視線を彷徨わせ、キラキラもすっかり薄れてしまっていた。
アーウェンはなかなか賢い子だけれど、自分で思っているほど隠し事は上手くない。
……特に、何かバツが悪い気分でいる時は。
「そ、そうですか……」
いつもと変わらぬ口調を保とうとしているが、彼の正直な狼耳と尻尾は、ヘニョンとうな垂れてしまっている。
ラクシュは彼のおかしな反応を眺めつつ、この数年のクリスマスをゆっくりと頭の中で振り返り……ほどなくその理由を推測できた。
……あぁ、そっか。もっと早く、気づきそうなものだったのに。
***
(うあああああっっ!! 何言い出すんですかっ、ラクシュさあああんっ!!!)
アーウェンは盛大に冷や汗をかきながら、心の中で絶叫していた。
(そ、そんな事したら、プレゼントを渡してたのは俺だったって、バレちゃうじゃないですかーーっっ!!!)
その昔、サンタクロースという空想上の存在を聞き、その名を語ってラクシュにクリスマスプレゼントを渡そうと思いついたのだ。
あの頃、アーウェンはすでに一人前の人狼へと成長し、危険な遺跡探索も容易に出来るようになっていた。
それは弱りきっていたアーウェンを買い取り、きちんと養ってくれたラクシュのおかげだ。
だが彼女の方はなぜか、まるでアーウェンの成長と比例するようにやつれていく。
そんな彼女を見るのは、いつも心が痛んだ。ラクシュに少しでも、楽しい思いをして欲しかった。
もうアーウェンは鉱石を採りにいく時、ラクシュに頼まれた分より少し多めに採ったり、遺跡の発掘品を見つけたりして、自力でも稼げるようにはなっていた。
それはラクシュもちゃんと知るところだ。
……にもかかわらず、わざわざ回りくどい手段をとろうと思ったのは、アーウェンが直接にクリスマスプレゼントを贈ったら、ラクシュは喜ぶよりも、すまなさそうに受け取るような気がしたのだ。
当時はまだ、ラクシュが自分の血を欲しているなど知らなかったが、ラクシュからどこか、自分に対する引け目のようなものを感じ取っていたせいかもしれない。
だからアーウェンではなく、皆にプレゼントを配るのが役目の、サンタクロースという存在からだったら、ラクシュも気負い無く受け取れるだろうと考えたのだ。
ラクシュにだけプレゼントが届いたら不審がられるかもしれないから、自分用にも必要な台所用品などを適当にラッピングして、貰ったように見せかければいい。
それをクロッカスに打ち明けて相談すると、 『お前は墓穴を掘るタイプだな。止めても無駄だろうから、気の済むようにしろ』 と、呆れられた。
あの時は、わからずやのおっさん猫め、と腹を立てたが、遅まきながらあの言葉を痛感する。
理由はどうあれ、アーウェンはラクシュを騙していた。
そして今やその嘘は、すっかりサンタクロースの存在を信じ、きちんと礼を果たそうというラクシュの誠意を、台無しにする結果となりつつあるのだ。
「え、えーと……でも、ラクシュさん……それは止めたほうが……」
視線を彷徨わせながら、もごもごとアーウェンは呟いた。
『サンタクロースからのプレゼント』は、今年もちゃんと用意してある。
だが、アーウェンが今年もこっそり屋根に昇り、ラクシュの部屋の窓下へとプレゼントを投下したら、その瞬間に掴まるだろう。
非常に不本意だが、今のラクシュと追いかけっこをした場合、アーウェンの勝ち目などゼロだ。
「あー……なんていうか、俺が考えるに……サンタクロースは、あまり姿を見られたくないんじゃないかと……」
必死で言い訳を紡ぐと、ラクシュは小首をかしげた。
「ふぅん?」
抑揚のない声は、あまりアーウェンの言葉を信じていないように聞こえた。
ギクリ、とさらにアーウェンは冷や汗をかく。
―― もしかしたら……いや、確実に、もうバレてます!?
しかし、ラクシュは雪色の髪を揺らしてコクンと頷いた。
「そっか……君が、そうしたいなら……止める」
そう言うとラクシュは、何ごともなかったように、セロリのスティックをパリパリと齧り出した。
アーウェンはと言えば、身じろぎもできずにいた。
今のセリフは、ラクシュが『サンタクロースの』正体を見抜いた事を、十分に示すものだ。
その上で彼女は、アーウェンの気の済むようにと、不問にしようとしている……。
―― 罪悪感に、見事なとどめを刺された。
「すみません!! サンタクロースって、空想の存在なんです! 今まで贈ってたの、本当は全部俺でした!」
アーウェンは派手な音をたてて、テーブルに両手をつき、額を打ち付けた。とても顔をあげられず、そのまま小さく言葉を続ける。
「……からかうつもりとかじゃなかったんです。サンタクロースから貰ったほうが、ラクシュさんは喜ぶんじゃないかと思って……でも、騙してたのは事実です」
「ん、そっか……」
やっぱり、というようにラクシュは呟き、静かに席を立って、スルスルと食堂を出て行った。
(はぁ……さすがに呆れられちゃったか……)
一人残された食卓で、アーウェンはがっくりとうな垂れる。
思えば、黒い森の壊滅事件を隠そうとした時も、こんな風に嘘を重ねたあげくに失敗した。
まるで学習できない自分に涙が出そうだ。
まだ残っている料理を食べる気にもなれず、どうしようかと悩んでいると、不意にラクシュが音もなく戻ってきた。
「ん」
生成りのフェルトを赤いリボンで縛った小さな包みを、両手に乗せて差し出され、アーウェンは目を丸くする。どう見てもプレゼントのようだ。
「ラクシュさん……これは?」
「サンタクロース、アーウェンなら……これ、君のもの……」
ポツポツと告げられる言葉を、信じられない気分で茫然と聞いていると、そっと手を取られて柔らかな布包みを渡された。
「アーウェン、強いから……これ、必要ない、言ってたけど……今年は、我慢して?」
開けてみると、紫の鉱石を中央に配置した首飾りが出てきた。紫は、防護の魔法に優れた効果を発揮する石だ。
極上の材料を、これほど精巧なビーズへと加工してあれば、この首飾りは身に付けた者を、どんな衝撃からも守るだろう。
―― もう一つ、ラクシュに嘘をついていたことを思い出した。
ラクシュは、アーウェンを初めて一人で遺跡に行かせる時に、心配してこれと同じものを造ってくれたのだ。
けれどアーウェンは、自分は強くなったから必要ないと言い、断固として受け取らなかった。
そしてその首飾りは、鈴猫屋に卸す商品に加えて貰ったのだ。
……本当は、ラクシュの好意がとても嬉しかった。
彼女の優しさが篭ったプレゼントが、すごく欲しかった。
けれど、魔道具を造るのだって、当時のラクシュには、十分に負担となっていたから。
それでも彼女は決して『魔道具を造ってアーウェンを養う』のを、止めようとしなかったから。
ならばせめて自分が受け取らない事で、たった一つでも、彼女の造る量を減らしたかった。
「……すみません。本当は、これがすごく欲しかったんです」
深い溜め息と共に、アーウェンはその嘘も白状する。
「そっか」
ラクシュが頷いた。とても嬉しそうに。
ほっそりした指が、革紐を丁寧にアーウェンの首へかける。
「……今年も、プレゼントを用意してあるんです」
胸元で輝く紫の石を見つめながら、アーウェンはようやく切り出せた。
「俺からのプレゼントも、受け取ってくれますか?」
自分はなんて臆病な狼なのかと、我ながら呆れる。
全部の事情を知った今でも、ラクシュに関してはいちいち脅え、事あるごとに空回りしてしまう。
恐る恐る視線をあげると、ラクシュがコクンと頷いた。
「欲しい」
短く言った声は抑揚もなく、相変わらず無表情だったけれど、とても幸せそうな気配を漂わせていた。
だから、アーウェンの狼耳と尻尾は、とたんにピクピクパタパタと動いてしまう。
「ラクシュさあああん!! 大好きです!!!!」
もう何度、この言葉を叫んだだろうか。
ラクシュに飛びつき、青白いがもうやつれてはいない頬へ、グリグリとほお擦りした。
「ん」
満足そうに、ラクシュが頷く。
「君は、とても素敵な……私の、サンタクロース、だよ」
*「ホワイト・ライ」 - 意味 善意の嘘。 悪意のない嘘。
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