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12 これは事故
しおりを挟む焦げ茶色の毛皮に覆われた腕が川の水を薙ぎ、銀色の水飛沫と共に形の良い魚が大きく跳ね上げられた。
川原でビチビチ跳ねている魚を、ベルノルトは素早く掴んでバケツに放り込むと、また川の中に戻って次の魚を獲る。
それを、シェンリュは少し離れた川面から、目を輝かせて魅入っていた。
(あんなに動きの速い魚を一撃で捕らえるなんて! ベルノルト様、素敵!)
竜宮では当然ながら、大量の魚が消費される。
網を使って小魚の群れを一気に掴まえたり、魔力のある歌でおびき寄せたり、銛で大物を狙ったりと、漁の方法はさまざまである。
良い魚を獲れるのは、海人の男にとって何よりの勲章だ。
捕まえるのが難しい希少な魚や、大きくて凶暴な鮫を一人で仕留めたりすれば称賛を得られた。
そしてまた海人は、獣人など糸の先につけた針を水に垂らして魚が食いつくのを何時間もぼんやり待っているだけだと、たいそう馬鹿にする。
シェンリュは、獣人がそうした魚釣りをするのを知ってはいたが、馬鹿にする気にはなれなかった。
浜辺の交易所では弓矢という陸でしか使えぬ武器を背負った獣人が、大きな獣を何匹も荷車に乗せて運んでくるといった光景も、よく見ていたからだ。
海人が鮫を果敢に仕留めるように、獣人も陸では上手に獲物を狩っているのだろうと、容易に想像がついた。
とはいえ、魚が針に食いつくのをのんびり待つというのも、ゆったりした休日の過ごし方だとすれば、それはそれで癒される気がする。
だから、ベルノルトから休日は魚を獲る事もあると聞いて、なるほど魚釣りとは娯楽だったのかと大いに納得した。そして今日、釣り竿とかいう品を持っていないのを少々不思議に思っていたのだ。
ベルノルトは大柄な体躯だが、意外なほど俊敏に動けることを、ここしばらく彼の傍に暮らしていたシェンリュはとうに知っている。
しかし、非常に泳ぎの速い川魚を水の上から狙って的確に捕らえるなど、あんな芸当は初めて見た。
(お姉様達も、今のベルノルト様のお姿を見たらきっと、獣人への評価を一気に変えるんじゃないかしら)
ほぅっとため息をつき、シェンリュは故郷の姉達を思い出す。
五人の姉はそれぞれ種の違う加護をうけたものの、いずれも甲乙つけがたい美しさで、若い海人の男達から毎日のように貢物が届けられた。
大粒の真珠や磨き上げた貝殻、自分で仕留めた見事な鮫の歯など、高貴な女性に贈り物を気に入って貰えれば、身分が低い男でも婿になれる可能性があるからだ。
もちろん、シェンリュに贈り物をする酔狂な海人の男はいなかったから、貢物を自慢し合う姉達を、憧れと若干の羨ましさを込めて遠目に眺めたものだ。
そんな姉達は目が肥えているせいか、市井で人気のある海人の男性を時に褒めそやしたりはするが、決して特定の恋人にまではしなかった。
『――お父様が、陸へ嫁に出すのにシェンリュを選んだわけね。竜宮でさえわたし達につり合う男などいないのに、獣人などもっての他だもの。でも、シェンリュがどうしてもと泣いてわたしに縋るなら、お父様に輿入れを中止するよう一緒に頼んであげてもいいわよ』
すぐ上の姉の瑞麗は、特に獣人を嫌っていた為に、輿入れが決まった翌日にこっそりとそう言ってきた。
ルェイリー姉様はとりわけシェンリュに冷たかったし、決して優しい言い方ではなかったけれど、もしかしたら真剣に心配してくれたのではないかと思う。
だって、興味の無い事にはまるでよりつかない人なのに、シェンリュが輿入れをするまで連日、獣人は残酷だと言い続け、自分に助けを請えと熱心に薦めてきたから。
そして、自分が役に立てるなら喜んで陸に輿入れすると答えて海を出てしまったシェンリュを、ルェイリーは激怒して完全に見放したようだ。
グリュックヴァルド領で幸せに暮らしていると、父だけでなく姉達にそれぞれ手紙を書いたのだが、他の姉達からはそれぞれ卒のない返信があったのに、ルェイリーからの返信だけはなかった。
(……私がルェイリー姉様に見捨てられてしまったのは仕方ないけれど、いつか獣人だって素敵な人がいると、姉様に知って頂けたら嬉しいわ)
何匹目かの魚を水中から跳ね上げたベルノルトの背を見つめ、思いに耽っていると、不意に大きな影がシェンリュを覆った。
「きゃあっ!?」
突然、何者かに甲羅を掴んで宙にひきあげられ、シェンリュは悲鳴をあげる。
目ざとい大鷲が、川面をプカプカ漂っている小さな亀を見つけ、急降下して攫ったのだ。
鷲の翼がバサリとはためき、シェンリュをさらに上空高くへと持ち上げる。
ベルノルトが悲鳴に振り向いたのと、シェンリュが人間に戻ったのはほぼ同時だった。
不運な鷲は、小亀がいきなり何十倍も大きな人間の女になり、死ぬほど驚いたことだろう。
聞いたこともないような鳴き声を発してすぐにシェンリュを離すと、大慌てで飛び去っていった。
幸いにもそこは川の深い部分で、水面より一メートルほど上から落とされたシェンリュは大きな水音を立てて頭まで沈むと、怪我一つなくプカリと浮き上がる。
(ああ、久しぶりで驚いた……)
海の中ならば、亀の姿になってさえいれば、どんなに凶暴な鮫でもシェンリュを襲おうとはしなかった。
竜王に対するように恐れて退くではないが、ただ空気のように無視する。
それだけが、亀の加護を受けたものの能力なのだ。
しかし、この加護は陸に生きる生物にも大抵は有効で、浜辺をうろついていた猫や犬にも無視をされたものの、空を飛べる生物だけには効かないらしい。
海鳥に攫われかけた事なども何度かあったが、とにかくこうして人間になれば大丈夫である。
ほっと胸を撫でおろしかけたが……。
「シエンリュ殿!」
次の瞬間、血相を変えて駆け寄ってきたベルノルトに、有無を言わせぬ勢いで抱き寄せられた。
「っ!?」
シェンリュには人間姿でも足がつかない深さだが、背の高い彼は首元から上がなんとかでていた。
ベルノルトの顔が触れ合いそうなほど間近にあり、今度は悲鳴すら上げられず、腕の中でカチコチに身を硬直させる。
(ベルノルト様……今、私の名前を呼んでくださったような気が……)
とっさの事で動揺していたのか、『シェンリュ』ではなく『シエンリュ』だった気がするけれど……。
「お怪我はありませんか!?」
「はっ、はい」
切羽詰まった口調で尋ねられ、コクコク頷いて小さな声を絞り出す。
いつもなら、恥ずかしければすぐ亀の姿になってしまうのに、それすらも今のシェンリュは忘れていた。
あまりにも心臓がドキドキと激しく脈打ち、壊れてしまうのではと思う程だ。
「近くにいながら、誠に申し訳ない」
ふぅっと息を吐いて呟いたベルノルトに、慌ててシェンリュは首を横に振った。
「いえっ! 私がぼんやりと……」
ベルノルトに見惚れてしまっていたのだと、つい打ち明けそうになった時、ベルノルトが唐突に狼狽えた表情となった。
「……?」
首を捩ってベルノルトの視線の先をみれば、このうえなく気まずそうなエルケとカイが、先ほどまでいた川岸とは反対側の、すぐ近くにある草むらから顔をつきだしている。
「あ……悲鳴が聞こえた気がしたから、何かあったのかと……すみません、タイミングが悪かったようで……」
頭を掻いて視線を背けるカイの隣りで、エルケがホホホとわざとらしい笑い声をあげた。
「私たち、なーんにも見ませんでしたらからね。どうぞ、お気になさらずに続きを……」
そそくさと顔を引っ込めようとした二人に、ベルノルトとシェンリュは同時に叫んでいた。
「これは、事故だからな!」
「これは、事故ですから!」
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