魔女ハンナと従士クレイ

朝パン昼ごはん

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第69話 戦の夜

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 数日後。三人の姿は変わらず草原にあった。
 そして草原には他にも多くの姿があった。
 街の壁には多くの人がつめかけている。
 その騒がしさは、離れている三人も分かるほどであった。
 今日は鍛錬では無い。アヤカシを迎え撃つ、当日である。

 心なしかハンナたちも幾分緊張した様子であった。
 街の人々からは彼女の背姿しか見えない。
 人々にとっては毎年のことである。だがハンナとクレイはそうではないのだ。
 表情が強ばるのも無理はないことであろう。
 ただ一人、ノエルがいつも通りの強気な表情を浮かべていた。
 ハンナをはじめとする魔女と従士が杖と武器を構える中、ノエルは杖とカードを取り出していた。
 従士がいないのはノエル一人だけだ。
 そのため街からだけではなく方々からの視線を受けるのだが、ノエルは落ち着いた態度を崩さなかった。

 その余裕さにクレイは羨ましさ、好ましささえ覚えた。
 これほどの注目を浴びても己を保てる図太さ。これは見習うべきものがある。
 戦場にて臆することなく佇むそれは、武人として生まれればさぞかし武功をあげたであろう。
 だが彼女は武士ではない。魔女である。
 武器を取って戦うのは魔女の技にあらず。
 剣を取って敵に向かうは従士の役割である。
 だからこそ、衆目の視線を浴びながら泰然自若といったノエルには複雑な感情が渦巻いている。
 自分はまだ、こんなにも緊張しているというのに。

「そんなにガッチガチだと失敗するわよ」

 見透かされたかのような言葉。しかしそれは事実である。
 クレイの手には汗が滲んでいた。

「お前なんかに言われなくてもわかってるさ」

 内心を当てられたことを隠そうと、クレイは前へ出て構える。
 その背に、ハンナの声がかかった。

「これからって時に争わないで」

 ハンナも、握りしめている杖に力が入っている。
 何度かアヤカシと戦ったハンナであるが、やはり慣れないのであろう。
 やや緊張した面持ちであった。

「争う気はないよ。ただ言い返しただけ」
「それをいざこざって言うのよ」
「わかったよ、ごめん」

 大きく息を吐くクレイ。いつの間にか緊張はおさまっていた。
 ハンナと同じ。
 いや、ハンナも緊張していると知ったからこそ、自分が頑張らねばと気持ちを切り替えたのだった。
 深く、深呼吸を数度。
 その真面目な顔に対し、ノエルはもうちょっかいをかけることは無かった。

 草原に吹く風が強くなってきたと感じる。
 それは遙か向こう、自分たちの正面から。
 街の周囲に点在する魔女と従士の面構えが変わっていく。
 頬を撫でる涼やかな風だったものが、不快な感触へと変わっていく。
 晴れ晴れとした天気が、空に塗料を流しこんだように青から灰へと変わっていく。
 世界が変わっていく。

「お出ましね」

 軽口を叩くノエル。それに対する返事はない。
 みな変わりはじめていく景色を前に身構え、備えているからだ。
 アヤカシの出現に、警戒を露わにしているからだ。
 とてもノエルのように、余裕ある態度で臨む度胸はなかったからだ。

「おお! 見ろ!」
「始まったぞ!」

 前線の緊張とは裏腹に、街の城塞から眺める人々からは歓声があがる。
 その嬉しそうな声は、これから起こることに待ちきれないといった風であった。
 声が、前線まで届いてないことが魔女にとっては救いであろうか。

 風はいつの間にか、向かい風から追い風へと変わっていた。
 拒絶するような風から、吸い込まれるような風へと。
 街を上空から眺めれば不可思議なことに気づいたに違いない。
 風は一方からではなく、四方から。
 街から外へと、流れ込むように吹いていってるのだということに。

 気の弱い物であれば、背中を掴まれ前へと押し出されるような冷たい風。
 しかしここには、それに狼狽えるような者などいない。
 この奇っ怪な現象に立ち向かうのは魔女と従士。
 アヤカシと対峙せんと集まった、つわもの共なり。

 吸い込まれる風の先の空気が濃くなったように見えた。
 それは点であった。
 点は膨らみ、ばらけて、黒点は更に膨らみ弾けて、点はドンドンと増えてくる。
 点は兵士であった。

 兜に剣や槍、具足をつけていれば、人はそれを兵士と呼ぶであろう。
 手で武器を持ち、足で向かってくればそれを兵士と呼ぶであろう。
 だが、向かってきているのは、果たしてそれは人であろうか。

 兵士たちは、どこか欠けていた。
 それは腕だったり脚だったり頭だったり。五体満足の輩はどこにもいなかった。
 その集団、いや軍勢が鬨の声をあげて迫って来る。

 大丈夫だ。練習してきた。

 自分に言い聞かせながら、クレイは構えた。
 左右に広がるは魔女と従士。
 眼前に広がるはアヤカシの群れ。
 背後に控えしは、ハンナとノエルの二人。
 クレイが動いたことによって、二人も動く気配がした。
 クレイは振り返ることなく、真っ直ぐ前を見据えていた。
 すでにここは戦場だ。
 目の前に敵が迫っているのに、後ろを気にする者などどこにいよう。

 無様な姿を晒したくはなかった。
 それはハンナに対してであり、観客に対してであり、他の魔女従士に対してであった。
 自分が笑われるのは仕方がない。
 師と違ってまだまだ未熟、劣っているのは自覚している。
 だがそれだからと言って、ハンナが笑われるは我慢が出来ない。
 従士が劣っているから魔女の力も足りない。そんなはずは無い。
 ハンナは魔女だ。いずれ素晴らしい魔女になるのだ。
 自分はそんな彼女の従士になれて誇りに思っている。
 だから、彼女の失点になることは避けたいのだ。

「緊張してるの? 相変わらずねえ」

 ノエルの嘲り。彼女はこういう奴なのだ。
 最初はむかつきもしたが、しばらく一緒になって訓練していると人となりが分かってくる。
 彼女は口が悪い。少なくともハンナと比べるとずっと悪い。
 しかし彼女には悪意が無い。
 好き嫌いがはっきりしてるだけで、人を陥れようとする悪意など全く無い。
 からかいはすれど、見下したりはないのだ。
 美辞麗句を並べおべっかを使う連中よりは、よっぽどマシだ。

 素敵ね。

 三人で練習中、ノエルにそう言われたことがある。
 武技の所作が綺麗と、褒められたのだ。
 彼女はひねくれているように思えるが、優れたものは認める度量がある。
 好き嫌いが人よりはっきりしているだけなのだ。
 先ほどの発言も、別に裏があるわけではない。
 彼女は素直過ぎるのだ。

 深呼吸を数度。
 胸の中の波が静まり澄んでくる。
 そう、争う気は無い。
 彼女はハンナではないし、同じことを望む方が無理なのだ。

「緊張もするさ。あんなにたくさんいるんだぞ」

 心情を素直に吐露したクレイ。
 それにノエルが相槌を打ってくる。

「あら、あんなのがいくら束になったってあなたに勝てる訳がないわ」
「そりゃどうも」
「ええ、だってあなた強いもの」
「そう思うかい?」
「ええ、だってたくさん練習してきたでしょうに」

 軽口の応酬。それには嘲りは含まれていない。
 肩の力はいつの間にか抜けていた。
 二人の応酬をハラハラと見守っていたハンナであったが、その目には安心が生まれている。

「やりましょう、私たち」
「ああ、勿論」
「だから気負いすぎよ、貴方たち」

 臨戦態勢は万全だ。
 クレイが矢面に立つべく歩を進める。

「あ、ちょっと待って」

 だが、ノエルの言葉に足を止めた。

「何だよ」

 後ろを見ずに問いかけるクレイ。
 返ってきた言葉は思いがけないものだった。

「これ終わったら、何食べる?」
「はあ?」

 ブレックファーストの問いかけのような、軽い問いかけに思わず振り返ってしまう。

「クレイ! 前!」
「ああ、もう!」

 だがすぐに前に向き直り、クレイは構え直したのであった。
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