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Episode1

【Prologue(2)】

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 入り組んだ路地の奥の、どう考えても人が通らなさそうな場所に構えられているボロボロの店。そこで、律はガラケーを片手に依頼終了のメールを打っていた。
 今はもう殆ど使われていない、発見するのも難しいその旧式の携帯は、律が所属している組織から支給される携帯で、簡単には買い替えられない。
 そろそろ不便になってきたなと思いつつも、随分持ち続けているこの携帯を、律はなんだかんだでそこそこ気に入っていた。

 新着メールのアナウンスが流れる。

 差出人:
 件名:――

 またこのメールか。

 この携帯には時々、差出人不明のメールが届く。

 それはいつものメールだったが。
 それは届く筈のないメールだった。

 律が持っている携帯は、律が購入した物ではない。律が所属している暗殺者の組織から支給された物だ。元は誰が持っていたのかすらも、もう分からない経歴不明の携帯は、暗殺者の組織のセキュリティ専門の構成員に管理されている。

 本来ならば、外部の人間からメールが届くことなどありえない。

 しかしこの差出人不明のメールは、もう随分前から律の携帯にしばしば届く。

 内容は、いつも決まって意味不明な物だ。


 今日の天気。晴れ時々足元からの光に注意。
 ――――END――――


「かなり意味不明だ」

 その日の天気だったり、アスキーアートと呼ばれる記号を用いた絵だったり、予言めいた物だったりすることもあるが、概ね意味のないこれらのメールは、はっきり言ってとても不気味だ。
 律はすっと携帯の画面を閉じる。
 どうやって探しても、アドレスすら出てこないこれらのメールは、律にとって最早お馴染みの物であり、一種の楽しみだった。

「今度はカンボジアの秘境だって?」

 ボロボロの飲食店のテーブルの向かい。
 律の目の前で盛大にスパゲッティを零しながら食べている白髪のおっさんが、律に話し掛ける。
 長い白髪に、ボロボロなコートを羽織った店の雰囲気と微妙にマッチしているこのおっさんは、律の二人目の師匠だ。

「あぁ。相手が手練れだから、数日かかるかもしれない」
「にしてもなんでわざわざ組織の金なんか盗んで、カンボジアの秘境に潜伏するのかねぇ」

 にひひと笑ったそのおっさんが、頭に掛かったレンズを降ろす。彼は技術屋だ。昔は暗殺者をやっていたが、性に合わず、足を一本失た際に引退した。
 彼が律と出会ったのは引退する少し前で、彼が暗殺者を引退してからは律の稼ぎで暮らしている。
 彼が律に技術を教え、律が彼の代わりに依頼をこなす。
 彼は律とウィンウィンな関係だと主張している。
 ウィンウィンと言うにはいささか仕事量の偏りが大きいのだが、律は気にしていない。
 両親を失い、一人目の師匠に先立たれ、真っ赤な血の海の上で途方に暮れていた律を、何の因果か拾った二人目の師匠。その彼に代償を要求するつもりは律にはない。

「そのキャリーケース持っていくのか?」
「あぁ」
「また重たそうな物を……。何丁か置いていけばいいだろうに」

 「無理だ」と律は思う。
 一時たりとも手放したくはない。
 大事にしているものは、大体ここに詰められている。
 律はふと思い起こす。

 暗殺者は、身軽でなくちゃいけない。

 それは一人目の師匠が律に残した言葉だが、律は全くその通りにできる気がしない。寧ろ、彼のコレクションたる銃火器は、年々その数を増やす一方だった。

「入金を確認した。パスポートと偽の身分証、船の手配もできている。長旅なら観光でもしてくるといい」
「カンボジアで?」
「あぁ、いいところだよ。世界遺産も沢山ある。ただ、すりには気を付けろよ」

 師匠が陽気に手を振る。
 律と師匠は、そこで別れた。



 夜になり、見渡す限り真っ黒な海の少し外れた端を律が歩く。
 コンテナの隙間を通り抜け、船の見張りに声をかけようとした、丁度その時。

「えっ?」

 律の足元から銀色の光が広がる。
 複雑な形に広がり、幾何学文様を作り出したその光は、律の周囲を包み込む。
 律は光と共に姿を消した。



 光が収まり、律が目を開ける。
 律の目の前には、仕事机の上で眼鏡をかけて書類に囲まれている絶世の美女がいた。

「はじめまして。すみませんねぇ、ちょっと待っててください。貴方に関する書類が届いていなくて、先方のミスだと思うのですが……」
「はぁ」

 絶世の美女が、机の上のパソコンをカタカタいじっる。
「はぁー……」と、長い溜息を吐いて、書類をたたみ、唐突に頭を抱えて唸り始めたかと思うと、律に向かって話し始めた。

「えぇい! まぁ、いいか! 始めちゃいましょう! えぇっと、改めてはじめまして! 私転生の女神を務めさせていただいております! ミューズと申します!」

 律が、返事をする。

「律です。今回は、どのようなご用向きでしょう?」
「はっ! 律さん……反応が紳士で、冷静ですねぇ。さては何回か異世界転移したことがあるんじゃないですか?」

 女神が、このこのっと、肘で律をつつくジェスチャーをする。
 律が、首を傾げる。

「異世界転移?」
「おやっ! はじめてでしたか! では、ご説明しちゃいましょう! 異世界転移とは、読んで字のごとくぅ! ある世界の人が、別世界に移動しちゃうことなんですよぉー! 大体は、勇者召喚とか? 異世界の強い人助けてぇーとか? そんな感じなんですがぁ、そのぉ……」

 女神が思い切り目を逸らす。

「どうかしたんですか?」
「そのぉ……。なんというか、今回はですねぇ」

 女神が、机から飛び出す。
 滑り込む様な自然な動きで、律に向けて土下座した。
 もはや、一種の華麗な着地だ。

「申し訳ありません! 今回は、そのぉ、ある村の住人が、生贄を召喚しましてぇ……」
「生贄?」
「そう、魔王を復活させる為の生贄です!」

 女神が、バッと顔を上げた。

「全く、彼らは神聖な異世界転移を一体何だと思っているだんか! それで、そのぉ……律さんが、生贄に選ばれてしまったんですよぉ……」
「えぇっと……はい」
「はいじゃないですよ律さん!」

 女神が、律に掴みかかる。

「もっと危機感を、危機感を持ってください‼︎ 生贄に召喚されちゃったんですよ? 私だって、私だってこんな仕事をするために……魔王への生贄を転移させる仲介役をするためにここにいるわけじゃない! 私は、勇者を、人々を助けて、幸せな世界を築く為に、異世界の神々に頭を下げたのに、毎回毎回……こんな……」

 力なくうなだれる女神を、律が支える。
 律は、女神を抱きしめると、そっと頭を撫でた。

「よしよし……」

 目に大粒の涙が貯まる。
 女神が、せきを切った様に泣き出した。
 律は暫く、そのまま女神を支えていた。



 そのあと律は、泣き止んだ女神から異世界や転移者の話を聞いた。

 異世界にはレベルという制度があり、レベルの高い相手は総じて攻撃力や防御力などのステータスと呼ばれる能力値が高く、レベルの低い相手の攻撃を受けない。
 転移する者、特にこれが最初の転移である物は、Lv.1レベル1となる。
 女神が転移を止めることは出来ない。
 女神は三つのスキルを授けることが出来るが、一部のスキルを除き、授けるスキルのスキルレベルは1となる。
 授けることが出来るスキルは、人により異なる。
 あとは、魔王や勇者に関しての話。村が崇拝し、今は封印されている魔王の話。特に村人達に関する話を、律は念入りに聞いていた。

「それと、あとは、ステータスプレートとアイテムボックスが使えます」
「ステータスプレート?」
「ステータスプレートでは、自分のレベル、攻撃力などのステータス、スキルやスキルレベルなんかを確認できます」
「スキルを確認? スキルを増やすことが出来るんですか?」
「できます。ですが上限があって、一人につき10個までです。スキルは、モンスターを倒すと得られることがあり、その都度取捨選択できます!」
「なるほど」
「あ! ステータスプレートは、ステータスオープンの合図で開くことが出来ます。転移者のステータスは、私でもよっぽどの事情がなければ、覗くことが出来ません! プライバシーの問題がありますから」
「へぇ」
「それと、アイテムボックスというものがあって、異空間に自分の持っているものをしまうことが出来ます。そしてなんと! アイテムボックスの容量はレベルが上がるごとに、自動で増えます」
「それはありがたい。例えば、今持っている荷物をしまいたい場合には、どうすればいいですか?」
「それはですね、ステータスプレートを開くと、右上隅に鞄のマークがありますので、そこを押して、しまいたい物の一覧からの中から選択! アイテムをしまうこともできますし、しまいたいものを頭に思い浮かべながら、アイテムボックスと唱えてしまうこともできます!」
「アイテムボックス」

 銀のキャリーケースが消える。
 律は、感嘆した。

「これは……ありがたい」
「でしょ? その逆も同じです! 簡単でしょ!」

 女神が、えっへんと胸を張る。
 律は何度かアイテムボックスを試し、アイテムボックス中にある物が、他人には取られない事などを女神に確認すると、ステータスプレートを開いた。

「ステータス、オープン」

 律は自分のステータスを確認する。そこには、女神に貰った三つのスキルと、もう一つ。

「そうそう! 偶に、異世界の神様が加護やスキルを付与してくれていることもあるんですよ! どうです? 何か良い加護はありましたか?」
「えぇ、よい加護が――」
「どんな加護が‼︎ 神々に愛されし者とか、精霊に愛されし者とか……せめて、物理攻撃無効いや、魔法攻撃無効とか……」
「いえ……ですがこれなら」
「わーん‼︎ 他にどんなチートスキルがあるっていうんですか‼︎」

 女神が、律に泣きつく。
 律は、ニコッと笑った。

「大丈夫ですよ」
「村の人達や、魔王を舐めてはいけません。さっきも言った通り――」
「大丈夫、気を付けなければいけない村人のスキルも、さっき一緒に確認したでしょう?」
「う”ぅ……ですが」
「大丈夫。それでは転移させて下さい。転移を一時的にでも留めるのには、労力がかかるのでしょう?」

 にこりと微笑んでいる律に、女神がしぶしぶ手をかざす。

「せめて、一杯の紅茶でも……」
「大丈夫です」
「本当に! ここにはもう戻ってこれないんですよ⁈」
「大丈夫」

 女神がギュッと律に抱き着く。かすれそうな声で女神が言った。

「無事で……生き延びてください」

 律が、眼を見開く。

「わかりました。師匠」
「え?」
「いえ、こっちの話です」

 律が女神から離れる、律の周りがゆっくりと光りだした。

「では、ご依頼の確認です」
「え?」
「ご依頼内容は、村人全員の殺傷と、生贄に使用されている転移用魔法陣の情報の抹消。報酬は、前払いで頂きましたね?」
「前払い? 私そんな事言ってな――」
「ご依頼を承りました。依頼主様のご健勝をお祈りしています。それでは、お元気で――」

 女神が呆気に取られる。
 急に意味の分からない事を話し始めた律になんと声を掛けていいか分からない女神を一人置き去りにし、律は魔法陣の彼方へと消えた。
 タイミングを見計らった様に、女神の元に資料が届く。


――――警告――――
 いつき りつ

凄腕暗殺者、転移先の世界に存在しない武器を所持。
【特殊スキル】
 死神:Lv.Max
 レベルや、防御力上昇の一切を無視し、攻撃対象に単純な物理法則を当てはめることが出来る。MPは消費しない。自身と触れたものの呪いの一切を無効化する。常時発動型スキル。
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