上 下
7 / 48

第7話

しおりを挟む
 私は激しく怒りながらも不思議と冷静である自分に気づきゆっくりと立ち上がった。すると私が周囲を確認するが早いか、すでに5人の白イノシシ会の若い衆らしき人物が私を取り囲んでいる。何も知らないこいつらは、私を白シカ組から来た白イノシシ会の組長の命を狙っている鉄砲玉だと思っているはずだ。そう思ってくれた方が私には都合がいいので、私が世紀の大怪盗だと名乗るつもりはない。白シカ組に濡れ衣を着せるのは私のポリシーに反するので、白シカ組の者だと言うつもりはないが。ただ、こいつらがどう思うかは自由だろう。
 そんな事よりも、私には驚くべき事があった。人生で初めての1対5というどう考えても勝てそうにない状況なのに、なんと私は全く恐くないのだ。これはハッタリではないぞ。いや本当に。たまには信じておくれ。思うに明智君と阿部君に対する怒りが恐怖心を無くしているのだろう。
 そして恐くないだけではない。私の背後にいる奴も含めて5人の一挙手一投足が不思議と手に取るように分かるのだ。これは、いわゆる『ゾーン』というものじゃないのか。プロスポーツ選手とかが相手の動きがスローモーションに見える時があるとか言ってる感じに似ているのだ。
 怪我の功名と言うのは若干悔しいのだけれど、もしかしたら阿部君はこうなるのを知っていたのだろうか。私の潜在能力を目覚めさせるためにこのような裏切り行為を……考えすぎだ。
 今は目の前の敵に集中しよう。勝てる自信はあるが、まだ何も始まっていない。
「てめえー、なんとか言いやがれ。さっきからうんともすんとも言わないで。死んだように這いつくばてたと思ったら、立ち上がって何かするでもなくただじっとしてるだけじゃないか。頭がおかしいのか? どうせ白シカ組の奴なんだろ? 教えてやるが、銃声に見せかけて爆竹を使っても誰も倒せないぞ。ハハハハハー」
 そうか、私がいろいろ黙考している間、こいつらは私に話しかけていたのだな。でも私の登場の仕方があまりにもセオリーから逸脱しているうえに、何よりこの格好だ。逆に恐いというやつだな。
 うん? もしかしたらもしかしたら、これも阿部君の先見の明なのか。いや違う違う違う。そんなわけない。しかしまあ、阿部君への復讐はほどほどにしておいてやるか。とりあえず、こいつらを片付けないとな。
「頭がおかしいかって? ハハハッハハハッハハッー。それは……」
「やっぱりこいつはイカれてるみたいだな。かわいそうに。がっちり縛って燃えないゴミの日に出すとするか。まったく、面倒な仕事を増やしやがって」
「お、おい! まだ私が話してる最中だろ。話は最後まで聞かないと出世できないぞ。と言っても、お前たちは今日限りで首になるだろうな。そんな事より、さっきの話の続きだ。私は……」
「おーい、何か縛るものあったか?」
「おーい! とりあえず聞け! いや、聞いてください。私は頭が良すぎるので、人並みの知能しか持ち合わせてない奴からはおかしく見えるのかもしれない。だけど人を見かけで判断しては痛い目に合うぞ。一つ忠告しておいてやる。本気でかかってこないと、悔いの残ることになるぞ。私は頭が良いうえに優しいのだ。さあ、かかってきなさい」
「はいはい。さっさと片付けて、もう一眠りしようぜ」
 こいつらは私の忠告を無視して気を抜いただけでなく、せっかくの手に持っていた銃をポケットにしまい込んだ。それを見て私は喜んでいるが、顔に出ていないだろうか。
 はっ! 私はお面を付けている。ま、ま、ま、まさか、これも、阿部君のおかげ……。いやいやいや違う違う違う。それでも阿部君への復讐は保留にしておいてやろう。
 私が物思いに耽っていると、宣戦布告もなしに5人同時に攻撃をしてきた。白イノシシ会の壊滅なんて警察官を辞めた今となっては全く興味はない。しかしこいつらを倒さないと、本来の目的を果たせないのは目に見えている。私をかわいそうだと思って見逃してくれる事を期待した以上に、私のゾーン状態が続いている事を期待するのみだ。いや、是が非でもゾーン状態であることを、心から必死で恥も外聞も捨てて死にものぐるいで懇願してやるぞ。
 
 少しでも弱気になってしまった自分を懲らしめてやりたい気分だ。自分の強さに、私が一番驚いているかもしれない。5人のうち4人を今まで培った柔道と合気道の技であっさり片付け、1人はわざとやっつけない余裕まであったくらいだから。お金や貴重品の在処を聞くためにではない。調子に乗った私は柔道の大技である一本背負いで、この無益な戦いにピリオドを打つために。
 なのに、この最後に残された根性なしは、私の楽しみを奪いやがった。なんと私は指一本触れていないのに、いつの間にか他の4人と同じように横たわっていやがるのだ。いくら覚醒した私がむちゃくちゃ強いからって、暴力を売りにしている暴力団の組員がそんな事をするとは大誤算だ。だからといって、抵抗しない相手を痛めつけるなんて卑怯なまねはしないがな。
 怪盗とは、襲ってくる敵や標的を得るのに障害になる者以外に暴力を振るってはいけないと、私は考えている。なので怪盗にとっては標的も大事だけど、それを得る過程も大事なのだ。盗られた方も感嘆するほどの鮮やかさで盗る怪盗が、私の目標で理想とする怪盗像だ。
 やばい……かっこいい……明智君、阿部君、そんな憧れの眼差しはやめてくれ。君たちでも、猛特訓すれば私の足元くらいまでには上がって来れるんだぞ。
 ヒヒッ。私は怪盗ズハイになっているのか?
「か・い・と・う・サイコー。イエーイ!」
 取り乱したようだ。誰も見てないな。よしよし。
 ……、あー! あの死んだふりをしてる奴がいた。でも、恥ずかしくて確認できないぞ。どうしようか? 念の為に記憶が無くなるくらいにボコボコにしておこうか。
 いやだめだ。それは、私のポリシーに反するじゃないか。あいつが面白半分で誰にも言いふらさないように期待するしかないようだ。ただ、ちょっとひとり言を。
「今見た事を誰かに話したなら、夜中にお前の家にピンポンダッシュをするからな」
 これで大丈夫だけど、脅しすぎただろうか。ちびってなければいいが。この辺りがションベン臭くなる前にミッション再開といこう。
 敵前逃亡した阿部君が決めた今回の標的は現金という現実的で味気ないものとはいえ、残念ながら今の私たちには最も必要なものだ。なので気を取り直して、最低限の給料を役立たずの全従業員に払えるように私一人でもミッションを成功させようではないか。もちろん敵前逃亡は減給案件なので、泣いて懇願する一人と一頭が私の凄い所を各々10個言えたらなかったことにしてやろう。簡単すぎるだろうか。まあ、初めてのミッションだから大目に見てやろうじゃないか。百戦錬磨の私と比べてはかわいそうだろう。
 今からでも遅くはないので、怪盗の基本に立ち返らないといねないな。まずは偵察だ。組長宅を一周して、目立たないように入れる場所を探すとするか。爆竹や乱闘などの大騒ぎがあったのに、この5人以外に誰も顔を出さないということは、他にはいないのかもしれないが油断は禁物だ。まあ今の私なら、誰が何人出てきても問題ないがな。例え本物のイノシシが寄ってたかって襲ってきても勝てるような気がする。いやむしろ、強敵が現れるのを心のどこかで期待しているぞ。うぬぼれすぎだろうか。そもそも私は格闘家なんかではないのに。怪盗の基本に立ち返ると決心したばかりじゃないか。少し頭を冷やそう。
 すっかり冷静になって、自然とスキップで一歩踏み出すと、今まで味わったことのない痛みが臀部に走った。情けをかけてやった死んだふりをしている奴が、私の脅しで漏らしてしまったのを逆恨みして背後からピストルで撃ちやがったのか? しかし銃声なんて聞こえなかったし、もしサイレンサーを使ったとしてもこの静寂の中では聞こえないはずがない。
 警察官の豆知識として、サイレンサーを使ったとしても音が消えるわけではなく、じゃあ少しくらいはするのかと言えばそれも違って、大して静かにはならないと、当時の私の年下の上司である巡査部長が博識ぶりをひけらかすように私に話したのを思い出した。私はその巡査部長を喜ばせようと、必要以上に大げさには驚かずいかにも勉強になりますといった感じで感心してみせたものだ。決して媚びへつらってなんかないんだぞ。
 いやー懐かしいなー。あの万年巡査部長は元気にしてるかなー。
 ん? 何か忘れているような。えっとー……。うーん……。家に帰って落ち着いて考えた方が良さそうだな。でもどうしてお尻が痛いんだ? 
 あー! この痛みの原因を調べるのをすっかり忘れてたー。いや、嘘嘘。私が忘れるわけないじゃないか。こっちを見るなー。
 ほんの少し取り乱したようだ。さて、痛みの原因はと……。
 すると、さっきまで私の大活躍をガン見していたお月さんに嫌がらせするように雲がかかり、辺り一面が真っ黒になってしまった。はたしないとは思ったが、雲に向かって中指を立ててしまった。誰も見ていないから、やってないも同然だろう。雲が私を恐れて消え去るまでタイムラグがあるので、とりあえず手探りでお尻の痛い所を調べると、明らかな異物が臀部にひっついている。
 想像するに、これは小さな犬だ。しかし、大型犬の子犬か小型犬の成犬かまでは分からない。
 こういう時こそ、冷静に状況を判断しようじゃないか。まずは、不幸中の幸いを羅列してみるか。この一頭以外に、番犬らしき犬はいない。手加減している可能性がなくもないが、私のお尻の肉を噛みちぎるほどの噛む力がない。噛んでいて口がふさがっていて鳴けないので、まだいるかもしれない敵に私の存在を知られる心配がない。痛いのさえ我慢すれば、歩くのにさほど支障はない大きさの犬だ。
 というわけで、おそらく何も知らないで噛んだはいいけど動物的勘で私の強さを知ってしまい、逃げることも暴れることも出来ず、ぬいぐるみのように動かなければ私に気づかれないと思ったであろう、このかわいそうな番犬をアクセサリーのようにして、私は今度こそスキップを踏もうと地面を蹴り上げた瞬間、今度は人の声が静寂を切り裂くように私の耳に届いた。ついでに犬の声も。
「何者だー」「ワンワワンッ」「明智くーん」
 
しおりを挟む

処理中です...