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第14話

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「レッド、一つ聞くが、『タイガーマスク』という名のプロレスラーを知ってるかい?」
「はい? 何をこんな時に? 知ってるわけないじゃないですか。プロレスなんて興味がないし。それがどうしたんですか?」
「いや、その覆面……」
「ああ。これ、かわいいでしょ。なぜかトラの覆面だけ種類が豊富だったんですよ。今回、私たちはトラでいきます。ガオー」
「ワオー」
「イエロー、『ワオー』じゃなくて『ガオー』だよ」
 昭和の赤ちゃんから老人まですべての国民が大声援を送ったスーパー人気覆面レスラーのタイガーマスクを知らない若者一人と若犬一頭が、ただオシャレして目立ちたいだけでトラの覆面を被っているのに、なぜ思い入れのある私だけが被れないんだ。疎外感に絶望感が足されても、リーダーである私は前を向いてこの脳天気な二人を導かないといけない。
 と、ふと、やっと思い出した。何の作戦も立ててないじゃないか。これは嫌な予感しかないぞ。前回の酷い作戦が繰り返されるのか?
 阿部君の手をじっくり確認すると、ひも風ロープが……ない。一安心だな。
 ただ、よく見ると、前回はなかった明智君が入るくらいのバックパックを背負っているじゃないか。あの中に今回の作戦に使う七つ道具が入っているのか。どうなんだ?
 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とかいう我が家に延々と続く家訓があるが、若干の違和感は無視して臨機応変に都合よく使うのがストレスを溜めないいい方法なのだ。
「レッド、今日はどういう作戦なんだ?」
「説明しますね」
 なぜリーダーである私が普通に聞いて、下っ端の阿部君が普通に答えるんだ、という疑問を抱いた人はいないと思うけど、一応説明しておこう。
 リーダーたるもの部下の意見を聞いて採用してあげることによって、部下のやる気と自信を向上させるのだ。ただ、やはり私と違って阿部君は全くのド素人怪盗なので、私がこれでもかというくらいにフォローをしてあげないといけないけれど。まあ、出来の悪い部下の成長は、リーダーの腕の見せどころでもあり最上の喜びでもあるのだ。
「白シカ組組長の家の塀は幸いなことに上部に鉄条網が付けられてないじゃないですか。そして、私の身長では無理ですけど、ブルーなら背伸びして腕をめーいっぱい伸ばせば、残りほんの50センチくらいですよね? なので、ジャンプすれば指がかかって、あとは根性でなんとかなるでしょ?」
「なんか回りくどい言い方をしてるけど、ここから私が入ると?」
「簡単に言えばそうですね。ブルーなら楽勝でしょ?」
「ま、まあな。だけど、なぜ、そんなに目を潤ませて私を見つめているんだ?」
「ちょっと、ささいな、大したことはないんですけど、この超軽量バックパックを背負っていってください。お願いします」
「分かった分かった、泣くな。それくらい、私の超人的な跳躍があれば背負ってないのも……まあまあ重いな。何が入ってるんだ?」
「空ですよ。まだ」
「まだ? ということは、これに組長宅にあるたくさんの金銀財宝及び現金を入れるのだな?」
「まさかまさか。金銀財宝なんて、いくらなんでもこんな田舎ヤクザが持ってるわけないでしょ。仮にあったとしても根こそぎ持っていったらかわいそうじゃないですか。必要以上に恨みを買いたくないし」
「そうだな。万が一の時のために敵は少ない方がいいからな。ということは、いるかどうかは不明だけど猫がいたら、これに入れて持っていくのだね? 大きすぎる気がしなくもないけど」
「ふざけないでください。猫なんて首根っこでも持てば簡単に運べるじゃないですか。いるかどうかも、分からないし。これに入るのは、イエローに決まってるでしょ」
「ワ? ワン? ワーン!」
「ええー、まさかとは思うけど、イエローを入れたバックパックを背負って、私はこの高い塀を跳び越えると?」
「はい。だってイエローが自力でこの塀の向こう側に行くのは不可能でしょ?」
「そうだけど。もう少し詳しく作戦内容を聞いてもいいかな?」
「ええー。ここまで説明しても、まだ分からないんですか? イエローはとっくに理解してますよ」
「ワン」
 このバカ犬が理解しているわけないじゃないか。明智君、見栄を張るもんじゃないぞ。恐怖と不安で震えているじゃないか。
 よし、今回はこのバカ犬を道連れにしてやる。不安しかないが、バカ犬にも私が味わった恐怖を味わせられるのだから素直にミッションに臨んでやるか。
「私とイエローがおとりになって白シカ組の組員の気を引いている間に、レッドが猫を奪うのかい?」
「はあーあ。猫、猫って、まだ言ってるんですか。もし猫がいるにしても二の次ですよ。しょういがないなー。一回しか説明しないから、よく聞いておいてくださいね。
 まず、ブルーはイエローの入ったバックパックを背負ってこの塀を跳び越えるでしょ。そしたら私がこっちから爆竹を投げ入れるので、何事かと白シカ組の組員が現れますよね? ここまでは分かりますね」
「分かるけど……」
 前回と似ているし、組員の注意を引きたいのなら他にも方法があるような。どうしても爆竹を使いたいとしても、私が火を着ければいいんじゃないのか?
「ここからが大事ですよ。イエローはバックパックから出たらだめだからね。中でじっとしててね。ブルーは白シカ組にやっつけられてください。言われなくれも弱っちいからできますよね。ハハハ」
 普段の私ならともかく、ゾーンに入った私なら相手が何人いようともどんなに強くても楽勝だけど、やられたふりをしてやろうじゃないか。泣く泣くだぞ。どうしたらゾーン状態になるのか分からないんじゃなくて、作戦を遂行するためだからな。
「やっつけられる演技をどこまで上手にできるか分からないが、努力はしてあげるよ。だけどそうなったら、イエローが捕まるじゃないか」
「ワーン……」
 やっぱり、このバカ犬は作戦を全く理解していないぞ。
「それでいいんです。だけど、ブルーはやっつけられる時に、イエローの入ったバックパックを宝物でも入っているかのように守ってくださいね。実際にイエローはかけがえのない宝物だから簡単ですよね?」
「ワオーン!」
 明智君、そんな簡単に喜んでいいのか? まだまだ作戦の概要を掴んでいないだろ。
「これでも警察官時代に防犯訓練のために幼稚園に行って悪者役のオオカミを演じた時は拍手喝采ものだったんだぞ。私の迫真の演技に対して泣き喚きながら訳のわからない罵詈雑言を浴びせてきたから、トラウマにならないか心配したよ。あとで保育士さんが私のところにやってきて『子供って正直なので申し訳ありません。おまわりさんの演技は下手でも心がこもっているような気はしましたよ。それでも、あんなに涙を流しながら大笑いした園児たちを初めて見ましたよ。また来て笑わせてくださいね』と言ってたが、それはおそらく私が大人気なく園児たちを怖がらせすぎた事を気にしているのを案じて、私の心配を取り除くために必死で後付で言い訳を考えてくれたんだろうな」
「ああ、そうですか。いや、やっぱり、ブルーは演技はしないでください。そのままで大丈夫です。下手に演技されると、イエローの身に危険が及ぶし作戦も失敗に終わります。ただ、ボロボロのグチャグチャのメッタメタにされればいいです。それでその時にイエローの入ったバックパックを守り抜いてくれれば、白シカ組はこのバックパックがよほど大事なものだと思って奪いますよね? だけど辺りは暗いから、明るい家の中へ持っていくでしょ。後はイエローの出番です。イエローは匂いで現金の在処をすぐに突き止め、どうせこれ見よがしに床の間に飾ってるだろうけど、このリュックサックに詰め込んで脱出すればいいだけだよ。途中で猫を見つけたら、表の門に向かっておもいっきり蹴飛ばしてくれれば、私がそこで待機してるから受け止めるよ」
 マントに隠れて気づかなかったが、明智君は薄っぺらいリュックサックを背負っているじゃないか。何も知らずに背負わされて、どうせオシャレのつもりでいたのだろう。
「ワン!」
「なんかどこかで聞いたことのあるような……『トロイの木馬』に似ているね」
「な、何を言ってるんですか。私が独自に考えた作戦ですよ。ハインリッヒ・シュリーマンなんて聞いたこともないのに。まったくもおー」
 正直者の阿部君が珍しく嘘をついたが、正直者ゆえ嘘のつき方がなっていないぞ。
 ただ、ごまかすのはそこではないだろ。どうして私が犠牲にならなければいけないんだ? それに瀕死の重傷を負いながら、私はどうやって脱出すればいいんだ?
 トロイの木馬を真似るなら、明智君の入ったバックパックに念の為に「重要」と張り紙をして、爆竹でアピールした後で私は全速力で逃げればいいじゃないか。
 よし、何から何まで阿部君の言う通りにしなくてもいい。阿部君だって勝手な事をたくさんやっているんだから。
「レッド、一つ提案があるんだけど、爆竹は私が鳴らしてはだめなのか?」
「ええー、そんなー。それだと、私の活躍するところが一つもないじゃないですか。すっごく楽しみにしてたし、爆竹の量も10倍にしたんですよ」
「大丈夫だよ、レッド。こんな独創的な作戦を考えついた事が大活躍であり、今回の最優秀怪盗賞に値するぞ」
「まあ、確かに。こんな作戦を思いつくのは、私くらいですよね。しょうがないなあー。ブルーがそこまで頭を下げて頼んで……あれ? ブルー? ブルーが頭を下げて……?」
「この通りです。今回はブルーの私に爆竹を譲ってください」
「おおー、やれば出来るじゃないですか。今回だけですよ。はい、どうぞ」
 バックパックに震える明智君を入れ、その上に大量の爆竹も入れて背負うと、その重さは私の想像を遥かに超えていた。しかしここで弱気を見せると、爆竹だけを出して軽くさせられるだけだ。正直言って、チャンスは一回。失敗すれば、まず爆竹を取られ、それでもさらにもう一回失敗したなら恐怖の反省会が……。
 失敗なんて考えたらだめだ。私の成功は約束されている。自分を信じろ。よし、大丈夫だ。私は自己暗示が得意なのだ。
 当たり前に自らの意志で塀に近づき、大きく深呼吸をして、この歳にして私史上一番の跳躍をした。人間追い込まれればできるもののようだな。いや、私の能力からしたら普通の事をしたまでだな。たっぷり余裕もあるし。
 両手の中指の第一関節をかけることに成功すると、まさしくこの指が命綱とばかりに、これを緩めるとどうなるかなんてマイナス思考になんてならず一休みもせず、世界中の人々が私を応援しているような錯覚に自ら陥りさらに火事場の馬鹿力までも総動員して、中指の両サイドから人差し指と薬指も加わったかと思うとすぐに親指小指も追いついてきたのだ。なっ、余裕だろ? 答えなくていいぞ。忙しいから、どんどん進めるからな。
 これで腕力のすべてを手に伝えられるようになり、一気に塀の上に上り詰めた。後は慎重に降りるだけだ。だけど少しだけ息を整えるか。ふうー。
 しかしここで、安心した私も悪かったのかもしれない。バックパックの中からのものすごい大音量のくしゃみのせいで、驚いた私はバランスを崩し地面に真っ逆さまとなってしまった。わざとではないのは分かっている。一歩間違えれば、この大バカ空気読まない犬が下敷きになっていた可能性もあったのだから。
 不幸中の幸いは、阿部君がいる側ではなくて白シカ組側に落ちたことだろうか。例えこの騒ぎで白シカ組が大勢来ようとも、阿部君側に比べたら……説明するまでもなかったな。それに私は無傷だし白シカ組にも気づかれていないのだから、結果オーライとしておこう。
 そしてふと思った。先程の跳躍といい、こんな高所から落ちてもピンピンしている私は、普通にすごいんじゃないだろうか。
 前回は勝手に自分がゾーンに入ったと思っただけで、普段から私はすごいに違いない。阿部君が立てた作戦を無視して爆竹に火を着けたら逃げようと決めていたが、腕試しをしたくなってきたぞ。白シカ組の組員を全員やっつければ、それはそれで明智君が家の中に入るのが簡単になるだけで文句なんてないだろう。万が一私が袋叩きにあっても、それは阿部君の作戦通りだから、阿部君は気が狂ったかのように喜ぶだろう。
 ただ、なぜか自信しかない。まさか私はまたもや怪盗ズハイになっているのか? もしかしたら、これがゾーン? え? いや分からない。鶏が先か卵が先かのような気がしてきたぞ。今は考えるのはやめとこう。
 バックパックから大量の爆竹を取り出し、ついでに明智君を見ると、さすがに申し訳なさそうにちょっと顔を赤らめて舌をペロッと出してきた。かわいいと思ってしまった私は、明智君を叱り飛ばす気にはならない。こんな明智君の初歩的なかわいさアピールに屈するのも悪くないと思っただけだった。
 不思議だ。いつもの私なら、明智君がバックパックの中で逃げられないのをいいことに、くしゃみを放ち蓋を閉め私の口臭に悶絶する明智君を高笑いしていたはずだ。自分の強さに気づいた私は喜怒哀楽の「怒」を失ったのかもしれない。すぐに見つける自信はあるが、今ではないな。
 なので、明智君がくしゃみをした時に出た鼻水がそのままだったので優しく拭いてあげて、再び蓋を閉めできるだけ目立つ所にバックパックをそっと置いた。これで私が奇跡的に負ける番狂わせがあったとしても、白シカ組の奴らはバックパックを見つけ家の中に持って入ってくれるだろう。
 そしていよいよ爆竹の導火線に火を着け、私は逃げも隠れもせずに爆竹が派手に暴れ回るのをじっと眺めていた。まるで私を鼓舞しているかのようだ。 
 爆竹が己の役目を終えたので、すぐに白シカ組の弱っちい下っ端組員が何事かと大勢やってくるのを、私は目を閉じ微動だにせず待った。……。待った。……。待っているぞ。
 待てど暮らせど誰も来ない。
 この静寂を最初に破ったのは、白シカ組ではなく、私でもなく、明智君でもなく、阿部君だった。
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