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第15話

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「ブルー、まだそこにいますかー?」
「ああ、うん。白シカ組の奴らが現れないけど。どうする?」
「うーん、……。私もそっちに行きます」
「えっ! どうやって? レッドにはこの塀は高すぎるだろ?」
「ブルーにできて私にできないのは癪だけど、単に身長の差だから調子に乗らないでくださいね」
 調子に乗ってはいなかったが、阿部君に言われたことで調子に乗り優越感に浸ってしまった。だからって「身長の差だけではないぞ」なんて言おうものなら、ここが私の墓場になるので我慢しよう。
「それで、どうするんだ?」
「そうですねー。ロープがあれば良かったけど、この前のロープはまだ白イノシシ会の鉄条網に引っ掛けたままでしょ? ああいう証拠になるものは、きちんと回収してこないとだめですよ。ブルーは基本がなってないですね」
 我慢我慢。
「ロープの代わりになるものがないか、ちょっと探してみるよ」
「ちょっと待って。あるじゃないですか、ロープの代わりが」
「え? どこに……」
「バックパックとイエロー」
 明智君は聞こえただろうか。聞こえていてもいなくても、あと数秒後には明智君は顔面蒼白になることだろう。
「バックパックにイエローの後ろ足を引っ掛けても、まだ届かないだろ?」
「こんな事もあろうかと、イエローには大して意味のない大きなマントをコーディネートしていたんですよ。私ってすごいなー。自画自賛しなくても、私を採用しなかった見る目のない企業以外のみんなは、私が世界一すごいって分かってますよね?」
 なんとなく私に似ていると思ってしまった。うーん……なんとも言えない。
「そ、そうだね。じゃあ、バックパックにイエローの後ろ足を引っ掛けて、そしてイエローがマントを持ってレッドの前に垂らせばいいんだね?」
「うーん、それだと、イエローが後ろ足を滑らせたりマントを離す可能性が高いから、バックパックにマントを括り付けて、その先にイエローの後ろ足を縛った方がいいですね。バックパック、マント、イエローの順ですよ。間違わないでくださいね」
「わ、分かった。イエロー、聞こえたか?」
「……」
 返事をしたら実行されると考えたのかもしれないが、どうせされるのだ。諦めろ、明智君。
 明智君が話を全部聞いていたのは明白だった。バックパックを開けて中を覗くと、これでもかというくらいに震えていて、私と目を合わせようとしない。それでも心を鬼にしてバックパックから出るように促しても、この至近距離で聞こえないフリをするので、仕方なく引きずり出すしかなかった。ささやかな抵抗は試みるが、いつまでもバックパックに留まっていると何をされるか分からない恐怖に後押しされたようで、そこまで私に負担をかけなかったけれど。
 出てきた時には完全に観念していていて、私にされるがままマントを取られ、片足がいいのか両足がいいのかを一応聞いてあげると何も言わず両足を揃えて出してきたので、マントを明智君の両足とバックパックに縛ってあげた。その間、「まだー?」とか「早くー」とか聞こえていたが、明智君のために無視をしてやった。この程度の反抗は許してくれるだろう。
「できたよ。イエローを投げるぞー」
「待ってましたー。元気よくねー」
「あれ? 待てよ。イエローではなくてバックパックをレッド側にした方がいいんじゃないか? バックパックの方が持ちやすいだろ?」
「あっ、ほんとだー。今日のブルーは珍しく冴えてますね。私の教育の賜物かな。ただ、ブルーは絶対にイエローを離したらだめですよ。どんなに涙を流しても、どんなに鼻水を垂れさしても、どんなにギャンギャン叫ぼうとも。分かりました?」
 私の一存では返事をしないで、明智君に同意を求めるのが筋だろう。すると明智君は悟りを開いた僧侶のように全く感情を出さず、遠くの方を見ながら頷いてくれた。無理しないで欲しい、いやそもそもロープになんてなりたくないと言いたいのは山々だろうけど、他に選択肢がない事を理解しているのだ。
「明智君、きっと報われる時が来るさ」と、敢えて『イエロー』とは呼ばずに励ましてあげると、明智君は健気にも笑顔で頷いてくれた。
 これが号令だと判断した私は、明智君を肩に乗せてバックパックを月に向かって投げると、無情にもバックパックは塀の向こう側に消えていった。と同時に嬉しそうな声で、「ナイスー」と悪魔の声が返ってきた。阿部君のはちきれんばかりの笑顔が手に取るように分かる。
 続いて、阿部君が楽に掴めるように塀を利用して明智君を逆立ち状態にすると、「オッケー」と、これまた地球上のすべての生き物の喜びを独占したような楽しさで返ってきた。もしかしたら、阿部君は最前線で活動したくてうずうずしていたのだろうか。
 何の遠慮もなくすぐにバックパックにしがみつくと思って、私は明智君の前足をがっちり握り明智君は無の境地でロープになっていた。なのに魚釣りで餌を突かれている浮きのようにチョンチョンと動くだけで手応えがない。阿部君は何をしているのだろうか。
「レッド、いつでもいいぞ。登ってきてくれ」
「何言ってるんですか。私はバックパックにしがみついてるので、引っ張ってください」
 もちろん明智君は聞いていて、きちんと明智君に確認すると、またもや笑顔で頷いてくれた。明智君の覚悟は計り知れない。すっかり大きく強くなって、私は嬉しいぞ。
「じゃあ、引っ張るぞー。手短にやりたいから、レッドも頑張って手を離さないようにしてくれよー」
「はーい。私、頑張りまーす」
 私が加減しては明智君に申し訳ないし、何より無駄に時間だけがかかって明智君が苦しむ時間が長くなるだけだ。明智君の根性と、あと阿部君がしがみつくだけではなく上手く手足を使って少しでも負担を軽くする努力に期待して、私は力を込めて明智君の両前足を引っ張った。
 もしこの場面を誰かに見られたなら、動物虐待で通報されただろう。例え明智君が自らの意志でやりましたと言っても信じてもらえないし、そういう風に追い込んだ私たちの罪は重い。一つ分かって欲しいのは、明智君は愛玩動物ではないし立場も下でも上でもなく、私たちの仲間だということだ。
 自然と「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」という掛け声を「ワン」の所はもちろん明智君、「フォー」が阿部君、「オール」を私が担当して発している。初めて一つになった我々怪盗団は、少しずつとはいえ確実に進んでいる実感があった。怪盗団としての仕上がりと、阿部君の位置が。
 無心で声を出し明智君の顔だけを見て引っ張っていると、突然手応えがなくなり勢い余って私は尻もちをついてしまった。さらに悪いことに、すべての足を拘束されてなすすべのない明智君が、私の眉間をめがけて頭突きをしてきたのだ。頭がクラクラしているし自分の顔と明智君の頭が心配な気持ちもある中、一番気がかりだったのは阿部君が耐えきれず手を離してしまったかもしれない事だ。
 しかし、そんな私の心配が杞憂に終わったのに気づくまで、1秒も必要としなかった。無意識に塀に目をやると、視界の上部に人影らしきものがある。焦点をその人影らしきものに合わせると、月光をバックに塀の上で阿部君が……いや、『レッド』が両手を腰に当て背筋を伸ばし立っていて、逆光でも笑顔だと分かるくらいに歯を光らせ、私と明智君を見下ろしていた。
 私はしばし無言で眺めていたが、阿部君は動く気配を一向に見せない。何をしたいんだ? 私たちの時間は永遠ではないんだぞ。
 何かおかしいと感じた私が目を凝らして見てみると、阿部君の膝がガクガク震えているじゃないか。なるほど。登ったはいいが恐くて降りられないのだな。今までの仕返しで、石でもぶつけてやりたい気持ちを押し殺し、私は優しく声を掛けてあげた。石ころ一つ見つからなかったとは、言わなくてもいいことだな。
「レッド、立ってないで、まずしゃがむんだ」
 阿部君は憎まれ口を一切叩かず素直に従った。これはこれで優越感に浸れたので感無量だ。
「次に、下を見ないで塀にぶら下がってごらん」
 口答え一つせず、またもや素直だ。
「よし。もうそこからなら地面まで1メートルもないから、手を離してごらん」
 さすがに恐いのか、なかなか離さない。
「ワンワン」
 後ろ足にマントは縛られたままだけど、自分の足や頭が痛いのは忘れて明智君も応援をしだした。すると阿部君は我々の期待に応えるように清水の舞台から飛び降りる覚悟を傍から見てても分かるくらいに見せつけて、何事もなく何十センチ下に落下した。
 言うまでもなく無傷だし、痛くも痒くもないはずだ。
 想像は出来ていたが、喜び勇んだ阿部君は私の方へは来ずに、キャッキャッ言いながら明智君に駆け寄り、あたかも死の淵より生還したヒロインとヒーローよろしく抱き合った。あくまでも喜んでいるのは阿部君だけで、一時的人間不信に陥っている明智君の目は冷めている。それに何より明智君が今一番して欲しいのは、後ろ足を縛っているマントを外してくれる事だ。 
 なので私はそっと明智君に近寄り後ろ足を自由にしてあげると、明智君は阿部君を突き放し私に鼻っ面を寄せてきた。しかし、それも一瞬だったが。
「イエローは頑張ってくれたから、今日の取り分は私3,ブルー3,イエローが4で決まりだね」の言葉一つで、明智君は痛いはずの後ろ足で私を足蹴にして、阿部君の懐に飛び込んでいった。
 私は理解した。こんなにも変わり身の早い明智君が一番好きなのは、私でも阿部君でもなく、お金なんだと。
「レッド、イエロー、はしゃいでいるところを悪いが、早く次のミッションに移らないか?」
「そうですね。あんなに派手に爆竹が鳴り響いてたのに、白シカ組の誰一人として現れないのは不気味ですけど」
「私が見込んだように、やはりここには何かがあるぞ」
「そうですね。私が見込んだ物がざっくざくとありますね。楽しみだねー、イエロー?」
「ワオーン!」
 明智君がすっかり元気になっただけでも良しとしておこう。うんうん。
 私たちは私を先頭に少し離れて阿部君と明智君が何かこそこそ話しながら先へと進んだ。ただ、ここは完全に敵のテリトリーだから、慎重さだけは忘れないようにしないと。特に阿部君と明智君がお荷物となっているのだから。
「ブルー!」
「こらー! 急に大きい声を出すんじゃない」
「大丈夫ですよ。爆竹を鳴らしても何の反応もないんだから、これくらいの大声で見つかるわけないじゃないですか」
「それはそうだが……で、なんだ?」
「イエローがお札の束の在処が分かるみたいですよ。昨日初めてお札の束の匂いを嗅いで覚えたそうなんです。分かりきったことだけど、ブルーは今までお札の束とは無縁だったんですね? ヒヒヒ」
「そ、そんなことは……。そもそも、お札一枚とお札の束は濃度の違いがあれど、匂いは同じじゃないのか?」
「そう言えばそうですね。イエロー、どういうことなの?」
「ワンワ、ワンワンッワワン。ワワワンワンワン」
「なるほどー。お札を束ねてる帯の匂いが独特らしいですよ」
「レッド、話は変わるが、レッドはイエローと話せるのか?」
「ブルーはバカなんですか? 人間と犬が話せるわけないでしょ」
「いや、でも、レッドはイエローの通訳みたいな事をしてるし、いつも二人で楽しそうに会話してるじゃないか」
「あっー! ほんとだー! え? どうして? イエローは身も心もきれいな人とだけ話せるとか?」
「いやいや、それはない。変な妄想は時間の無駄だ。ちょっと、イエローと話してみれば? 私が見てみるよ」
「ブルーが見ても謎が解けるとは思えないけど、他に誰もいないし藁にもすがるとか言いますしね。イエローはどうして私と話せるの?」
「質問が直球だね。おや? イエローは表情豊かにジェスチャーみたいな事までしてるじゃないか。まさか、レッドはイエローが今何て言ったか理解できたのか?」
「はい。イエローはそんなの分からないけど、日本語は分かるよ、と」
「なるほど。まず、イエローが人間の言葉が分かるという前提があって、さらに表情豊かで、そして全身を使ったジェスチャーが巧みなんだよ。でも、そのイエローの表現を大抵の人は理解できないけど、レッドが持って生まれた対応力って言うのかな、それが図抜けているうえにイエローとレッドの波長がピッタリ合うんだろうね」
「じゃあ、お宝を探しに行きましょう」
「ワンワーン!」
「私の話を聞けー!」
 阿部君と明智君の二人が、物陰に隠れる辺りを確認する次の物陰まで静かに全力疾走するを無意味に繰り返す後ろを、私は何も警戒せずにダラダラついていった。二人は初めての怪盗らしい潜入を目一杯楽しんでいるけれども、爆竹や私たちの会話で誰も来なかったのだからコソコソする意味がない。もしかしたら気づいていて、私たちを家の中におびき入れ逃げ場を無くしてから捕まえるつもりなのかもしれないが、どちらにしても中に入るまでは警戒する必要はないだろう。
 そんな事を考えながら無言で二人について行ってると、怪盗ごっこに飽きたのか、二人は急に警戒するのを止め何やら相談し始めた。
 もう今さら二人が会話できる事にいちいち反応する気はない。
「何かあったのか?」
「はい。この壁の向こうにお札の束が山のようにあるって、イエローが自信満々に」
「ワ? ワンワー! ワンワン」
 おそらく阿部君の都合のいいように解釈されたのだろう。明智君は完全には否定していないが、何か言い訳をしているようにも感じるぞ。私も明智君の言いたい事がだいぶ分かるようになっているじゃないか。だけどいちいち阿部君に逆らうようなことはしない。
「それじゃ、この近くから入れる所がないか見てみよう。中で待ち伏せしてることも考えて慎重にな」
「はい。ブルー、ここに窓がありますよ」
「鍵が開いてたらいいけど、どうだ?」
「うーん、びくともしませんね。でも、鍵が見えますよ」
「こんな時のためにガラス切りを持ってきたんだぞ。私は抜かりないだろ。昔、コソ泥を捕まえた時に、腕試しのつもりでそいつから気づかれないように盗ったなかなかの美品だから……」
「ガシャン! そんなものいらないですよ」
「こらー! 私たちは怪盗であって強盗ではないんだぞ。昨日、レッドがイエローに散々言ってたじゃないか」
「まだ誰にも危害を加えてないから、これは怪盗の範疇ですよ。でも、私がイエローにそんな事を言いました?」
 私と明智君は、阿部君は酔うと記憶をなくすと知った。
「この音で白シカ組の奴らが来るかもしれないし、例え来なかったとしてもそれは結果論だからな」と私が真の怪盗のリーダーらしく説教をしてあげているのに、すでに阿部君と明智君は窓を開けて侵入を試みていた。 
 何らかの罠があるかもしれないのに、なんて躊躇のない奴らなんだ。
 そして間違っているのは、私にされる。
「ブルー、そんな所でひとり言を呟いてないで、早く来てくださいよ。気持ち悪いなー」
「こらつ、もっと警戒しろ。カメラとかセンサーとかないのか?」
「分かりませんよ。こんなに暗いんだから。どこかに電気のスイッチがあればいいんですけどね」
「こらー。もしスイッチがあっても触るんじゃないぞ!」
「冗談じゃないですか。おとなげないなー。ねえ、イエロー?」
「ワン」
 暗がりでも、二人の私をバカにしている視線を感じる。
「オホンッ。まあ、警戒は怠るなよ」
「はいはい」「ワンワン」
「『ワン』は1回……じゃなくて『はい』は1回だ」
 言うまでもなく、私のひとり言となった。








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