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第16話

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「イエロー、お札の束の場所はどこー?」
「ワンワーン」
「ブルー、はぐれないでくださいね。足手まといだけは、ごめんですよ」
「大丈夫に決まってるだろ。しかしやけに静かだな。誰もいないみたいに」
「みんなで慰安旅行にでも行ったんじゃないですか。私たちも、これが終わったら行きましょうよ。ねえ、イエロー?」
「ワーン!」
「そういう話は無事にアジトに帰ってからだ。一応聞くが、旅行費用は割り勘だよな?」
「ブルー、集中してください。この障子の向こうにいよいよお目当ての物が。ブルーに開けさせてあげるから感謝してくださいね。そして感謝は気持ちだけじゃなくて、形あるもので伝えないとだめですよ。では、どうぞ」
 まさかとは思うが、慰安旅行の費用を出せと? まさかな。もしそうなら、近所の公園にピクニックが関の山だぞ。うん? 集中集中。
 私はまず障子に耳を当て中の様子を伺うと、やはり変わりなく静かで誰かがいるような気配が感じられない。それでも慎重を期すために、レッドと特にイエローにくしゃみをしないように念を押してから少しずつゆっくり障子を開けた。
 もうすっかり暗さに目がなれているとはいえ、障子を2、3センチ開けたくらいでは中の様子が全く分からない。その間、阿部君と明智君は我慢できなかったようで、障子に指で穴を開けて覗いている。 
 さらに障子を開ける前に、私が頭を中に入れた瞬間に障子を閉めて私の頭を挟むようなふざけた事をしないように懇願すると、二人は嫌々約束してくれた。やはりやるつもりだったけど、先手を打ってやれるほど今日の私は冴えているようだ。
 安心もして自信もついた私は、頭が入るくらいに障子を開け目を凝らせて見てみると、奥に何かがあるようだ。場所的におそらく床の間だろう。その間、二人のうち一人は握りこぶしで障子に穴を開けて中を覗いていて、残りの一頭は障子に完全に頭を突っ込んで中を見ていたので、私と目があった。
 すると、悪びれた様子なんて全く見せず明智君が床の間の方だと目で訴えたので、お札の束の匂いはあそこから来るということだ。本当に床の間にお金を飾っているのか? いやいや、いくらなんでもそれはないな。床の間に金庫があって、その中にあるのだろう。金庫破りこそは怪盗の醍醐味じゃないか。
 私が年甲斐もなく有頂天になっていると、阿部君が障子を全開にして明智君の誘導のもと、床の間にまっしぐらだ。もし落とし穴や跳ね上げ式の網罠なんかがあったらどうしようもなかっただろう。気づけば二人にピタリと付いて走っていた私を含めて、何事もなく床の間まで来て、夢を見ているのか疑っている状態になってしまった。例えこれが夢だろうが現実だろうが、やる事は変わらないのだけど。
 ただ少し恐怖もあった。ここの組長は昼間の言動といい、いかれているかもしれないぞ。
「本当に床の間にお金を飾ってるな。金庫や床下に隠さないというのは、よほど入られない自信があったのか頭が悪いかだけど、趣味が良いとは言えないな。後ろに飾ってある掛け軸にはトラが描かれているから、これに守らせてるつもりなのかな? ハハハー」
「ブルー、トラを笑うなんて許さないですよー」「ワンワーン!」
「違う違う。トラをバカにするわけないだろ。お金を飾ってる趣味の悪さと、絵のトラに何かできると本当に信じてるのかと思わせる、ここの組長を笑っただけだ。
 そんな事より、早く頂戴しよう。だけど、映画とかだったら、このお金を取ると何か仕掛けが発動するかもしれないから慎重に……」
「わいわーい、お札の束が10個もあるー」「ワワーン」
「明智君、後ろ向いて……ああ、イエロー、後ろ向いて。リュックサックに入れるからね」
「ワン」
 阿部君と明智君はなぜこんなにも考えないで行動できるのだろうか。良く言えば大胆とも言えるが、いつか足元をすくわれた時に泣きべそと意味そのままの吠え面をかいて私にすがってきたら、くどくど説教するとしようか。
「ブルー、ボケっと突っ立ってないで、念の為に周囲を見張ってないとだめでしょ。敵が全く見えなくても、油断したら命取りになるんだから。ねえ、イエロー?」
「ワンワワン」
 うーん、阿部君の言っている事は正しい。だけど、私は腑に落ちない。どこでどう間違ったのだろう。
 結局、阿部君がお札の束を明智君のリュックサックにすべて入れ終わっても、何事も起こらなかった。拍子抜けしたというよりは、逆に不気味で言いようのない不安だけがどんどん増幅してくる。そんな私が一層神経を尖らせているのに、
「イエロー、リュックサックにはまだ空きがあるから、金銀財宝も探しに行こうよ」
「ワンワーン」
「え? こんな田舎ヤクザが、どうのこうのって言ってなかった?」
「時が経てば、考えなんて変わるもんですよ。盗れる時に盗っておいた方がいいじゃないですか。こんな簡単に1000万円が手に入ったんだから、まだまだ……ヒヒヒヒヒ」
 阿部君の言っている事も一理ある。ただし欲張るとろくな目に合わないと、昔の話とか童話とかに教訓として書かれているんだぞ。引き際を大事にしないといけないような。
 だけど、阿部君と明智君がリーダーである私の意見を聞くわけがない。なぜなんだろう?
「分かったけど、あくまでも慎重にな。そして常に退路を確保しながらだぞ」
「はいはい。まったくもー。ブルーは心配性すぎるんですよ。年寄りの取り越し苦労って本当にあったんですね」
「ワワワーン」
 私の意地の悪い部分が腹の底から湧いてきているのが分かる。宝物を見つけたい気持ちを、何か危険があればいいのにと期待する気持ちがあっさり凌駕してしまった。それが原因かどうかは定かではないが、私の希望が叶ってしまって、さすがに反省してしまった。
 この部屋の床の間がある方と向かいになっている壁だと思っていたら実は襖で仕切られているだけだったのを、全く警戒していない阿部君と明智君が勢いよく開け、そのままの勢いで中に入っていくものだと何も考えずについていった私だったが、二人が襖を開けると同時にピタッと止まったものだから、ついつい前にいる明智君を蹴飛ばしてしまった。あれほど運動神経の良い明智君が蹴られた勢いがあったとはいえゴロゴロ転がっていったのは、正座や縛られたりして足にダメージがあったのだけが原因ではない。
 襖を開けた瞬間に見えた光景にビビったのだ。
 そしてそのビビったもののすぐ目と鼻の先まで転がってしまい、ビビったを通り越して腰が抜けたように動けなくなってしまった。さらに不幸なことにリュックサックのチャックがきちんときちんと閉められていなかったのか、転がった勢いもあってお札の束が3つほどこぼれ落ちてしまったのだ。
 ただそこにいる誰もが、説明すると白シカ組の組長らしき年配で強面でまあまあ威張っている人と他に組員らしき人が10数人が誰一人として、その落ちたお札の束を拾うどころか言葉一つ発しようとしない。トラの覆面を被った一人と、変なロボットのお面を付けた一人と、部屋の中央まで転がっていったトラの覆面を被った一頭に対して。
 そこにいる誰もがそれどころではなく、各々が自らの命を心配していたからだろう。
 大きさは明智君を一回りほど大きくした程度だけど、今にも獲物に襲いかかろうと大きく口を開けた一頭のトラが威嚇しているのだから分からなくもない。まだまだ子供のトラなので明智君が本気を出せば勝てないこともないのに、まずビビった時点で負けたようなものだ。もしそこに予めトラがいると分かっていて、さらに大金を手に入れてウキウキはしゃいでいなければ、あんな無様に子トラの前でひれ伏すこともなかっただろう。
 このままだと明智君が食べられてしまうと思った私は、白シカ組の連中に囲まれる事も子トラに襲われる事も顧みずに、明智君を救出するために走り出した。と同時に阿部君も私と並走して、私と共に子トラと明智君の間に割って入ったのだ。
 私たちの怪盗人生、いや人生そのものが終わってもいいとさえ思うほど感動したのは言うまでもない。明智君の「ありがとう」がはっきり聞こえた……ような気がする。
 でもここで、犬死になんて……うん? 犬死になんて言うのは明智君に失礼か。まあこれは私の心の声なので問題ないだろう。というわけで、私は普通に犬死にする気なんてない。
 最後の最後まで戦ってやる。阿部君も明智君もこの時ばかりは、私と考えを同じにしてくれているはずだ。
 腰が抜けていた明智君は何事もなかったかのようにすくっと立ち上がり、私を真ん中に、左に阿部君、右に明智君という並びで子トラを睨みつけた。すると意外なことに、子トラがビビっている……ような錯覚に私は陥ったようだ。
 いや待てよ。これは錯覚じゃないぞ。子トラの様子が何かおかしい。子トラが少し小さくなったようにも見えるじゃないか。もしかしたら、トラの顔に人間の体、ロボットの顔に人間の体、トラの顔に犬の体の我々3人組を、この世のものとは思えない異様な存在としてビビったとも言えるが、この場は私たちの鋭い眼光でビビっていることにして欲しい。
 ここからが大事だぞ。失敗は許されない。ビビっているとはいえ子トラとはいえ、獰猛なトラだ。私たちの連携攻撃を受けあっさり降参してくれればいいが捨て身の反撃をしてきたなら、私は強いから大丈夫だけど、弱っちい阿部君と明智君は見るも哀れな状態になってしまうかもしれない。いや、考えている場合ではないな。先手必勝。攻撃は最大の防御だ。よーし……。
 この子トラは話せば分かってくれないだろうか。「おとなしく帰るから、私たちの事は忘れろ」と言ってやれば、ビビりながらもかっこつけて「今回だけだぞ」と返してきて、思わず安堵のため息をついてしまい必死で目を逸らすに違いない。
 今回はこの子トラに花を持たせてあげようじゃないか。私が本気を出せば、この子トラの縦縞を黄色と黒を逆の縦縞にだってできるが、私だって鬼じゃないし平和を愛する怪盗なのだ。
 と決めたが、トラ語が分からない。明智君はこの子トラと話せるのだろうか。もし話せるにしても、私の後ろに隠れて「バーカ」とか言うに決まっている。阿部君は? 阿部君は犬と意思疎通ができるのだから、トラともできてもおかしくないが。
 あれ? 考え込んでいる間に、阿部君がいない。いや、阿部君だけじゃなくて、明智君もいないじゃないか。私のこのお面の視界が限られているから、たまたま死角に入っているのか?
 冷静沈着を地で行く私がややパニックのマネごとをしていると、今までマネキンのモノマネ大会でもやっていたかのような白シカ組の誰かが口を開いた。
「お前たち、いきなり入ってきたと思ったら、横に並んだり縦に並んだりと。いったい何者だ? ここを天下の白シカ組だと分かったうえでのふざけた行動なんだろうな?」
 え? 横に縦に? ということは、阿部君と明智君は私を盾にしているのか? なぜだ? 3人がかりで威圧しているから、この子トラはビビっているというのに。
 うん? でもよく考えれば、この子トラと白シカ組はここで何をしているんだ? ずっとここにいたのなら、私が派手に爆竹を鳴らしたのも、隣の部屋でキャッキャ言いながらお金を盗っていたのも、その時ついうっかり組長の悪口を言ってしまったのも知っているんじゃないのか。
 これはどういう風にまずいか分からないが、とにかくまずい。
「おい! 聞いてるのか? お前たちは何者だ? もしかしたら神様が遣わしてくれた生贄なのか?」
 あんなにおしゃべりの阿部君と犬語しか話せない明智君が押し黙っているので、私が相手しないといけないのだろう。それが泣く子も黙るリーダーの役目でもあるし。せめて誰か「リーダー頑張れー」と応援しておくれ。
「我々は泣く子も黙るただの通りすがりの怪盗団だ。それがちょっとだけ道に迷ってしまったようだな。でもすぐに帰るから安心してくれ。お前たちの邪魔はしない。では、さらばだ。レッド、イエロー、さよならを言いなさい。それが礼儀だ」
「さよならー」「ワンワーン」
「待て待て待て待て。生贄が帰ったらだめだろ」
「生贄って何の事だ?」
 いけない。速攻で帰ろうとしたのに、反応してしまった。阿部君と明智君の冷たい視線を感じる。お前たちはただ恐がっていただけじゃないか。機転を利かせて帰ろうとしたのは、私なんだぞ。
「そこにいるものすごくおとなしいはずの虎造はお腹を空かせているから、お前たち、ちょっと食べられてみてくれ」
 トラゾウ? おそらくこの子トラの名前なのだな。もう少しセンスのある名前にしてやれ。今はそれどころではないな。うんうん。
「お前、何を言ってるんだ? 正気か? ふざけるな。私たちは帰る」
「待て待て。飛躍しすぎたようだ。ちょっと話を聞いていけ。そうすれば気が変わるかもしれないぞ」
「お前は頭が悪いのか? 気が変わるということは、このトラゾウに食べられるということじゃないか。そんなこと、あるわけないだろ」
「そこまで言うのなら、話を聞いてくれるんだな?」
「ああ、望むところだ」
 阿部君がパンチを明智君がキックを、私に見舞ったようだ。気持ちは分かるぞ。
 私がこんな簡単に口車に乗ってしまうなんて、この組長はそこまではバカではないのか。バカの相手をするよりは頭の良い奴の相手をする方が私には相応しいから、嬉しい誤算と強がっておこう。それに物は考えようで、話を聞いて時間を稼いでいる間に、この訳のわからない危険地帯から逃げる方法が見つかるかもしれないじゃないか。どうせ今すぐこの場からおとなしく帰してくれないのは分かりきっていたし、万が一解放してくれたとしても、ビビっていてじっとしているとはいえトラゾウに背を向けるのは危険すぎる。
 そうだ、組長の話を聞いている間にトラゾウが暴れ出さないように、神様にお願いしておかないといけないな。阿部君と明智君もトラゾウに変に刺激を与えるかもと心配して、私にそんなおもいっきりは攻撃できなかったくらいなのだから。現時点では私たちがこのトラゾウから無事に離れるためにできる事が思い浮かばない以上、この蛇に睨まれた蛙状態を打破するためには、組長の話を聞くのが結局正解なのだろう。
「人の話を聞くつもりなら、そろそろこっちを向いたらどうなんだ?」
「バカヤロー! トラゾウに背を向けられるか。たまに頭だけ振り返ってやるから、それで妥協してくれ」
「くそっ、引っかからなかったか」
「うん? 聞こえない。もう少し大きい声で話してくれ。さっきまで出来てただろ」
「しょうがないなあ。ちゃんと聞いておけよ」
「ああ」
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