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第21話

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 悪徳政治家から絵を奪い、それをフランスの美術館に返しにいく旨を私が簡潔に話すと、阿部君は黙り込み目の前でお肉が焼き上がっているのに知らんぷりだ。これはチャンスじゃないか。あの超高級和牛はこのままだと、まっ黒焦げになって誰にも食べられずに生ゴミとなってしまう。
 自分の欲望なんかではなく超高級和牛の気持ちだけを考えて、私が箸を伸ばした瞬間、阿部君にマジックテープでフォークを右手に固定してもらっている明智君が目にも留まらぬ速さで食べ頃の超高級和牛を華麗に奪っていった。明智君にすっかり心を開いているトラゾウが拍手をしている。うん、ぬいぐるみになる練習に、私も付き合うのは確定した。非常に楽しみだ。
 しかし、阿部君はどうしたのだろう? 標的が警備が万全な政治家だと聞いて怖気づいたのだろうか。まあ私と違って阿部君のレベルでは捕まりにいくようなものだからな。阿部君は己の実力を知っているということだけでも褒めてあげようじゃないか。
 それでも、白シカ組組長と約束した手前、絵を盗りにいかないといけないので、私と明智君の二人だけでの実行となるな。私の類まれなる運動神経と知能に加えて、明智君の何が何でも自分のものにする気力があって、さらに綿密な作戦を立てれば成功間違いなしだ。最悪の場合は明智君をダシにして、私だけでも脱出できるだろう。
 ただ、絵を盗むだけだと私に何も実入りがないので、ついでに何かお金になる物や現金そのものを盗りたいところだ。そうなると、ひよっこの阿部君も連れていかないといけないが、今までの経験上阿部君と明智君の二人占めとなる確率が高いから、前もって契約書を作っておいたほうがいいな。
 この作戦に二の足を踏んでいる阿部君は、せいぜい悪徳政治家宅の塀の外での待機がいっぱいいっぱいだから、1割だな。明智君は私と行動をともにするが、作戦は私が立てるので、明智君3割、私6割が妥当だな。
 そして可能性は五分五分だけど、明智君が脱出に失敗したなら、私が9割プラス明智君がこれまでに稼いだ550万円も私のものになる。悪徳政治家の家でどれほどのお金を盗れるか想像もできないが、最悪0円だとしても、明智君の550万円で新秘書をいくらでも雇えるだろう。
 問題は明智君が肌見離さず持っている通帳とキャッシュカードをどうやって奪うかだけど……よく考えたら、そのミッションは果てしなく難しいじゃないか。
 うーん、うーん、うーん、意地でも悪徳政治家から次の秘書を雇えるだけのお金を奪ってやる。明智君の安否は二の次だ。明智君なら捕えられたとしても、世渡りが上手いので、悪徳政治家の家で小間使いとしてやっていけるだろう。許せ、明智君。
 ただもっと心配なのは、家の外の安全圏に配置する阿部君に、私がひとまず敷地内から奪ったお金や絵を投げ渡したら、阿部君が一人で逃げてその後消息不明になることだ。かと言って、大量のお金と絵を持ちながらSPや番犬などの追撃をかわすのは、私でも至難の業だろう。もちろん見つからないように万全を尽くすが、万一のために身軽でいた方がいい。
 うーん、まずは下調べを念入りにしないといけないな。今までのような結果オーライのいきあたりばったり作戦では『元警察官が国民のために身を粉にして働いている政治家宅に押し入り3秒で確保される』というニュースが世界中に配信されてしまう。阿部君が行方をくらますとして、その候補地もピックアップしておかないとな。
 ミッションは困難だけど、怪盗としてやっとやりがいのある仕事が巡ってきた私はものすごくわくわくしてきた。そしてこんな時にお決まりのように水を差す阿部君がやっと口を開くようだ。さすがに今回は泣きべそをかいて私にすがり少しでも関わらなくていいようにお願いするのだろう。安心しろ。素人同然の阿部君を危険なミッションに同行させはしないから、運び屋の仕事を全うしてくれよ。
「リーダー、お願いがあります」
 ほらきた。それでいい。自信がないのを隠して、私についてきても足手まといになるだけだ。正直が一番だな。阿部君の唯一の良い所じゃないか。
 ただ、いつまでもひよっ子というわけにはいかないのだから、私の名怪盗ぶりから目を離さず勉強するんだぞ。メモも忘れるな。
「なんだい、阿部君? 遠慮せず何でも言ってみなさい」
 内容は分かっているが、自分の口で言わそう。優越感に浸りたいとかではないぞ。自分のできなさを口にすることによって、私のようになれるように努力する闘志が湧くのだ。
「トラゾウをインドネシアの故郷に帰すのを、少し遅らせてください」
 うん? トラゾウ? 話が見えないな。悪徳政治家関連の話をしていたはずだろ。仕事は順番に確実にこなしていかないと、後になってシッチャカメッチャカになるのだぞ。
 ゆっくり会話して落ち着かせよう。まったく世話の焼けるやつだな。
「トラゾウに対して情が湧いたのかもしれないけど、お別れを先延ばしにしても何も解決しないし、より辛くなるだけだぞ。トラゾウだって少しでも早く家族に会いたいだろうし、図体はでかいがまだほんの子供なんだから」
「トラゾウの気持ちは分かりますけど、悪徳政治家宅に盗みに入るなら、トラゾウに手伝ってもらいましょうよ」
 え! 何を言ってるんだ? トラゾウにいったい何ができるというんだ? 阿部君だけじゃなくトラゾウまでいたら足手まといが多すぎて、私と明智君の二人だけでフォローするのは大変じゃないか。確実に明智君は捕まって、政府の犬になるぞ。なかなか上手い事を言ってしまった。
 いやいやそんな事よりも、阿部君は何を考えているんだ? あまりに恐いから、ぬいぐるみのようなトラゾウをずっと抱きしめて、現実から目を逸らすつもりなんじゃないのか。そうなら、運び屋すらまともにできないじゃないか。弱ったぞ。他に頼れる人はいないし。
 そうだ。阿部君のパパとママは? 阿部君を雇っている社長の私の言う事なら聞いてくれるだろう。だけど阿部君の仕事内容を知っているのだろうか? 阿部君はどのように説明しているんだ? 
 だめだ。動揺しすぎて変な考えを起こしてはいけない。とりあえず、もう少し話を聞こうじゃないか。
「どういうつもりなんだい、阿部君? トラゾウは怪盗ではないんだよ」
「トラゾウも一緒に行きたいよね? 楽しいよ」
「ガオー。ガガガッオー」
 通訳するまでもない。私でも、トラゾウが何と言ったのかが分かった。表情も明らかに楽しそうだ。なんかかわいいな。よしよし。
 一番の加害者は白シカ組組長だけど、その白シカ組組長に頼まれたとはいえ、こんなかわいいトラを親から無理やり離して遥か遠い日本に連れてきた悪徳政治家に、トラゾウ自身に仕返しさせてあげるのもありか。
「わかった。だけど、トラゾウはまだまだ子供だ。最優先事項は、トラゾウの安全だからな。トラゾウに危険が迫っているなら、例え絵とお金を手に入れていても捨てる覚悟でいてくれよ」
「へえー、リーダーってなかなか良い所があるじゃないですか。トラゾウ、安心してね。絶対に私たちがインドネシアの家族の所に連れていってあげるから」
「ガオーオー」
「ところで、阿部君はご両親に仕事についてどのように話してるんだい?」
「どうしたんですか、急に?」
「いや、まあ、なんとなく……阿部君は正直者だろ? だったら親にも自分が怪盗だと言ってると思って。そしてそうなら、人手が欲しい時に手伝ってもらえないかと。現場は危険だから、例えば車を運転してくれるとかさ。虫が良すぎだね。忘れてくれ。『悪徳政治家宅の絵の強奪作戦』を話しあおうか……」
「知ってますよ」
「え?」
「だから、私はちゃんと親に言いましたよ。最初はあまりにセンスのない冗談だと思って鼻で笑われましたけど、白イノシシ会から盗った150万円を見せるとやっと詳しく話を聞く気になってくれて、今では応援してくれてますよ」
 まあなんと言うか、この子にしてこの親ありというところか。しかしこれで作戦の幅が広がったというものだ。
 でも阿部君の親ということは、阿部君のような冷酷で自分勝手な可能性が高いぞ。もし手伝ってもらったら、大して活躍をしないのはおろか足を引っ張っても莫大な報酬を要求してくるだろうから、極力頼まないようにしないと、場合によっては私が身銭を切らないといけなくなるな。
 一度機会を作って、四者面談だけはやっておくか。
「なかなか、話の分かる親御さんだな」
「そうでしょ。でもちょっと不安もあるんですよ。口には出さないけど、なんか羨ましそうに私を見るんです。だから手伝ってなんか言ったら喜んでやってくれると思うんですけど、ただでさえ初老の足手まといが一人いるのに、それが二人も増えたらリスクが爆上がりするじゃないですか。だけど私の親だから見捨てて逃げるわけにはいかないし」
「た、確かに」
 この話を続けていると、私は傷つきすぎて立ち直れないか、どす黒い感情が爆発してしまう自信があるぞ。
 明智君ですら、同情するかのような悲しい目で私を見つめているじゃないか。いや、明智君は人数が増えれば自分の取り分が減るのが悲しくて、私に目で訴えているのだな。これは難しいぞ。人数を増やせば心強いが、明智君のモチベーションが大幅に下がってしまうじゃないか。
 いや、でも阿部君のご両親はお金ではなく、怪盗活動そのものに興味があるのではないか? きっとそうだ。そうに決まっている。怪盗体験をさせてあげるとか言えば、逆にお金を払ってくれて、さらに娘がいつもお世話になってますとかでお中元とお歳暮まで送ってくれるのではないだろうか。
 ふうー、なんとかなりそうだ。安心しろ、明智君。
「でも、まあ、次回は私たちとトラゾウがいれば十分であり、リスクを考えたら未経験の素人ならいない方がいいので、ひとまず私の親の事は忘れてください」
「そうだな。また余裕のある時に、怪盗体験をさせてあげようじゃないか。それで、わざわざトラゾウを連れていくということは、阿部君の中では作戦ができあがってるんだね?」
 次も阿部君に作戦を立てる栄誉を譲ってあげようじゃないか。もちろん私が考えた方が完璧に事が運ぶのだけれど、阿部君を失敗から学んで成長させてあげるのもリーダーの大事な仕事なのだ。
 私がなんでもフォローできる大怪盗だからいいが、そんじょそこらの怪盗団のリーダーなら補えなくて空中分解するだろうな。
「はい。簡単に言うと、トラゾウに追いかけられてパニックになっているふりをしながらリーダーが悪徳政治家宅に真正面から入っていって、悪徳政治家宅で大騒ぎのどんちゃん騒ぎを誘発させている間に、どさくさに紛れて私と明智君が監視カメラや人目につかないように鮮やかにさっそうと家の中に忍び込んで、目にも留まらぬ速さで絵とお宝を盗って風のように脱走します。
 リーダーは自分の命に代えてでもトラゾウを守ってくださいね。もしピストルなんかで撃たれそうになったらちゃんと盾になったり、大きな網で捕まったら網を切り裂いて逃してあげたり、麻酔銃で撃たれて眠ってしまったら担いで逃げてくださいね。
 トラゾウが無傷で生還できたら、報酬は3等分してあげますよ」
「なるほど。それでトラゾウが必要だったんだ」
 トラゾウに手伝ってもらうと聞いた時に、こうなるような気はしていた。予想が当たったのは嬉しいが、当たってくれない方がどれだけ良かったか。はっきり言って私の役目は全然美味しくないし、怪盗らしいところは阿部君と明智君だけじゃないか。理には叶っているだけに文句の一つも言えないのが、さらに悔しさを助長している。
 だけど我々怪盗団の中でリーダーである私が群を抜いて一番強くて頭が良いから、どうしても一番難しいところを担わないといけないのは仕方がないのだ。私は……私は……我慢強いんだ。誰でもいいから、私を褒めてくれ。
「そうですね。トラゾウがいないなら、悪徳政治家宅への侵入は、私をもってしても不可能かもしれないですよ。監視カメラは四方八方にあるだろうし、警備だってプロ中のプロが担当しているはずだから。トラゾウは天からの贈り物ですね」
 ほんの少し前までは自分がトラゾウに最も怯えていたのに、この変わりようはさすが阿部君だ。このトラゾウに対する思いやりを100分の1でも私に向けてくれたら、私の中のストレスメーターが常時危険水域にあることもないのに。
 いや、そんな事を阿部君に期待するだけ虚しくなって、さらにストレスが加わるので考えないでおこう。
「うーん、今回はトラゾウ自身に復讐させてあげたいから連れていくことに同意したけど、本来なら私たちだけで作戦を実行しないといけないんだぞ。例えそれがどんなに困難であっても」
 さすが、私。いい事を言うじゃないか。
 実績に裏打ちされた自信があるから説得力があるので、阿部君もかしこまって聞いて……聞かないで、明智君とトラゾウに追加のお肉を焼いてあげている。うん、うん、束の間の平和を心から楽しんでおくれ。
「リーダーも、この高級和牛を食べたいですか?」
 食べたい。食べたいに決まっているじゃないか。
 しかし、富士山よりも高い私のプライドが……。
「はい!」
 プライドで高級和牛を食べられないことを教えといてやる。
 プライドなんて、人生で役に立ったためしがないぞ。
「おおー、いい返事だー」「ワーン」「ガッオー」
 私は一切れの高級和牛を手に入れた。ほら見ろ。プライドが何をしてくれた?
 いやいや、高級和牛に集中だ。はあー、美味しすぎる。お肉を食べて涙を流したのは初めてだ。
 いつしかトラゾウが私の頭を撫でてくれているじゃないか。世の中、捨てたものじゃないな。怪盗になって良かった。
 映画だったら、エンドロールが流れ始めるところかな。こういう中途半端なタイミングで終わる映画は私の好みではないので、まだまだ続くぞ。

 
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