女神のパン屋

陸田種子

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女神のパン屋~飛ばされて異世界~ 5

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わたしを含めて七人で、パンが詰まった箱を持ち、浴場に向かったけれど
パンの箱は重く、これで30分の徒歩はきつい。
今日はオルレアンたちがいるけれど、彼女たちもいつまでもいるわけではない(聞いたら、明日の早朝には次の目的地に出発する予定だとか)。
レンゲ畑も、レンガの道も、カートを引っ張るには向かないし、イベント出店時にはいつもオットに持ってもらっていたのに、わたし一人では、どうしたらいいのだろうか。とまた不安が押し寄せてきた。
解決策が見つからないまま浴場に着くと、建物の前にはかなりの人が集まっている。あれ?建物の前ってあんな感じだったっけ?と疑問が頭をよぎるが、一人の女性と小さな子どもが駆け寄ってきて、わたしの前で跪いたので、疑問をわきによけておいた。
「昨日はありがとうございました。あなたにいただいた、あの食べ物のおかげで、わたしの子どもが信じられないくらいに元気になりました。
それに、昨日居合わせた者たち全員が、今まで感じたことのない活力を得、そしてそれを家族に伝えたところ、あのように多くの人が集まってしまいました」

つまり、あの少ない量で、ある程度満たされたという事、期待値も上がったってことなのか。持って来た量、足りるだろうか

「わたしはササラと申します。息子はカッタです。
それで、僭越ながら、昨日お声をかけさせていただいたご縁で、まとめ役をさせていただくこととなり、みなに並ぶように伝えて、あのようになっております」
たしかに、大人数だけど、ちゃんとまとまっている様子
「それで、何人くらい集まったのかしら」
「今のところ50人くらいでしょうか」
50人、持って来た量を考えてみる。
一人一個でも足りるかな。足りないかも。それに、このままだと全員に声を届けられない。説明を都度するのも大変だし・・・仕方ない。
「では、五列に並んで、しゃがんでもらえるかしら」
「分かりました」
「あぁあと、現時点の最後の人が分かるようにしておいてもらえる?」と付け加えた。

日本人は行列が好き。と言われていた。行列を見ると、何か分からなくても並ぶ人がいるくらいらしい。わたしは並ぶことが好きではない。前に進んでいないのに、後ろから押されたり、突かれたりすることに耐えられないし、オットも並ぶのが好きではなかったから、行列は避けていた。
店を始めた頃は、行列の出来る店になりたい。と思った事もあるけれど、待つのも待たされるのも嫌いなのに、行列が出来ると申し訳ない気持ちになる。
店は行列どころか、一日の来店数も少なかったから、待たせている申し訳なさはなかったけれど、たまに大きなイベントに出ると、行列が出来ることがあって、この人達はちゃんと分かっていて並んでくれているのだろうか?と疑問に思ったものだった。
今日はどうだろう。もしかしたら何も知らずに並ぶ人がいるかもしれない。
パンを受け取った後、再度並ぶ人もいるかもしれない。
それで、続けて手伝ってくれることになったオルレアン達に、再度並ぶ人がいたら、別の列にしてくれるように頼んだ。

そうして、わたしの前に五人
その後ろに、10人ずつ・・・いや、やっぱりどんどん増えているように見える。これは足りないな。
カットするか。念のためナイフを持って来ておいてよかった。

深呼吸をしてから、後ろの人にも聞こえるように声を出す
「みなさん、こんにちは」ここで、並んでいる人たちをざっと見渡す。
期待を込めた目が、わたしを見ている。すごく緊張する。
何かざわついているけれど、気にせずに説明を始める。
「わたしはパン屋のヒロコです。今日は5種類のパンと1種類のケーキを持って来ていますが、多くの人に集まっていただいたので、皆さんに1つずつお渡しすることが出来ません。半分に切った状態のものをお渡ししますので、ご希望のものをお伝えくださいね。
直前で悩まずに済むように、何があるかご案内します」
そう言って、一つずつ見せながら、種類を説明する。分からなかったら、また聞いてもらえばいいけれど、とりあえず、どんなものがあるか事前に分かると選びやすいと思うし、時間もかけずに済むだろう
「初めて見るものばかりで、どうしてよいか分からないと思いますので、その場合は、最初に目に留まったものを選ぶのが良いと思いますよ」

そう言ってから、種類の説明をした。

最初に並んでいたのは、ササラ親子。一番乗りで来ていたらしい。まとめ役をやることになったので、最初に選ぶことに躊躇していたけれど、朝早く来て待っていたことを、他の人たちも分かっていたようで、誰からも文句が出なかった。そして、選んだあと、それを食べる事をせずに、列の整理に回ってくれた。いい母子だ。
受け取った人たちは、邪魔にならないところに移動して、待ちきれないように食べ始めているようだけど、そちらに目を向けている暇がない。
質問に答えながら、パンをカットして手渡す。オルレアンたちが手伝いを買って出てくれたけれど、なぜか皆、わたしから手渡してほしいようで、5人ずつ並んでもらっているのにも関わらず、その中でも順番を待って、わたしからでないと受け取らなかった。何故だろう。

そして、最初に並んだ列の、最後の人に渡してから、残りのパンと、並んでいる人の数をざっと確認する。
このまま配ると確実に足りない。仕方ないので半分にするのをやめて、三分の一にすることに。

「今日作ってきたものが残り少なくなってしまいました。申し訳ないけれど、明日も作ってくるので、今日のところは小さ目に切ってお配りしますので、ご理解お願いいたします」と頭をさげた。

小さくカットしたパンを、それでもありがたそうに、嬉しそうに受け取ってくれる人々。期待に応えられる味ならいいのだけれど。

今日の分は、あっという間になくなってしまった。
浴場に入らず、辺りにいる人たちに「明日も持ってきますから」ともう一度声をかけておく。

そして、パンを受け取った後に再び列を作っている人々の話を伺わなくては。

人々の話のほとんどが、これから自宅に戻るのに土産としたいという相談だった。この浴場はかなり特別らしく、何日もかけて徒歩でやって来ているそうで、道中は昨日オルレアンからも聞いていたように、乾燥野菜をそのまま食べてしのいでいるとかで、途中にある村々の簡易宿泊所で、簡単な加工をして食べているとか。かなり質素なのだそう。
ちなみに、この世界には通貨というものはないらしく、基本物々交換、等価交換なのだそう。そしてそれぞれの村は自給自足で完全に独立しているということだった。
村によって特産物が違う為に、旅をする際は地元の作物を乾燥させて、それを宿泊費や簡単な食事と交換するのが一般的らしい。この世界の食事はかなり質素のようだ。
それで、実のところわたしに差し出せるものがほとんどないが、どうしても途中で食べたり、家族にも食べさせたいと懇願された。

物々交換、実は大好きである。イベント出店時に売れ残ったパンを、野菜などと交換してもらったりしていた。家賃を払うのに現金が必要だったから、売れ残った時しか声をかけることが出来なかったけれど、お金を払って野菜を買い、パンを買ってもらったりするよりも、満足度が高かった。

今現在、家賃を支払う必要も、食材を買う必要もなくなったので、パンを差し上げても問題はないのだけれど、それだとエネルギーの循環という意味ではよろしくない。さっき配った時は殆どの人が少量とはいえ、乾燥野菜や採れたての野菜などを代わりにと置いて行った。では、この人たちにはどうしよう。
焼き立てのパンはすでにないけれど、長く持ち歩くことを考えたら、クッキーの方がいいと思うので、直ぐに出立する人には今持っているものを渡し、明日以降で良い人には、明日適したものを渡す約束をして、何を受け取るか考えた。
今のわたしに必要なものは何?
それは、元の世界でも必要だったもの。そう、宣伝だ。
だからクッキーを渡しながら、ここで毎日パンを配ること、森の奥のレンゲ畑に店があることを、知り合いなどに教えてまわって欲しいとお願いした。
皆、頼まれなくてもやると答えて、嬉しそうにクッキーを受け取った。
今使用している透明な袋は、土に埋めてもなくならないので、誤って口に入れないように処分することを忘れずに伝えておいた。OPP袋の代わりになるものを早いところ見つけなくては。

さて、今日は風呂には入らずさっさと戻って、明日の仕込みをするとしようか。
あぁでも、浴場主さんに挨拶はしたほうがいいか。さっきササラに言われてパンは一つ渡してもらうようにお願いしたのだけれども。

浴場に入ってすぐの番台に、昨日はいなかった浴場主さんがいた。
存在感のあるでっかい人だった。なんというか、仁王像に似ている。
ただでさえ、高い位置にある番台の、大きな人の顔を見るのは大変。首を思い切り傾げて声をかけた。
「こんにちは。あの~パンはいかがでしたか?お口に合いましたかしら?」
ちらり、とわたしを見た浴場主さんは、みるみる縮んで小さいおじいさんになった。
「おぉ、ヒロコ殿か。ありがたく美味しく頂戴しましたよ。おかげさまで何年もとれなかった本来の姿になれましてのぉ。束の間楽しんでおりましたのじゃ」
と、フォフォフォと笑った。
本来の姿と、今の姿の差があり過ぎますけれども?と激しく突っ込みたくなるのを我慢。
「それは、良かったです。建物の前を占領してしまい申し訳ありませんが、明日もまたお持ちしますので、よろしくお願いします。あぁ、何かご希望がありますか?」
「かまいませんよ。皆も喜んでおりますし、わしも良き力を得られて満足ですじゃ。希望?そうさのぉ、みなが申すには、あんことやらがとても美味しいとか。わしもそのあんことやらを食べてみたいのぉ」
あんこが人気?元の世界でも、わたしのあんこは評判が良かったのだけれども、こっちでも喜んでもらえたのか。ちょっと嬉しい。
「では明日はあんぱんをお持ちしますね。それではまた」
「おや、今日は入って行かれないのですかな?」
「ええ。明日もたくさんパンを作って来たいので、今日は入らず失礼しますね」
そういって、オルレアン達には、ゆっくり入ってくるようにと、今日手伝ってくれた感謝と共に伝え、外へ。

外に出たら、ササラ母子が近づいてきた。
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