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第一章 天才の持ち腐れ
ルークスという少年
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園庭の東側、池の奥は泥沼である。
砂と粘土とを混ぜた泥を、池の水と同じように掘り下げた場所に満たしているのだ。
その泥はゴーレムの素材である。
土精ノームにこの泥でゴーレムを作らせ、動かさせるのがゴーレム製作実習である。土精科の選択科目であり、中等部では約半数の生徒が選択している。
残る半数はノームと契約はおろか召喚もできない「土精と相性が悪い」生徒で、自分が得意とする他の精霊の科目を選択している。
ただ一人の例外を除いて。
泥沼の縁で小柄な少年が腹這いに寝そべっていた。黒い髪で日に焼けた肌、好奇心に輝く漆黒の瞳で泥沼の一点を凝視していた。
「よし、その調子だ。ゆっくり、ゆっくりだ」
少年の鼻先で泥が少しずつ盛り上がっている。その頂点に小さな羊皮紙が置かれていた。羊皮紙はゴーレムに欠かせない呪符である。泥は上に伸び、徐々に形を変えてゆく。頭と胴体、手足の区別ができるようになった。
手の平大の泥人形、ゴーレムが出来たのだ。
少年は興奮して地面を叩いた。
「よし、良くできた。形は良いよ。それじゃあ、まず手を動かそう。自分の手だと思って。大丈夫、ノンノンならできるさ」
ゴーレムの右腕が震え、肩から少しずつ動きだした。
少年の顔が喜びに輝く。
ところがゴーレムの腕はもげて泥に落ちてしまった。
少年の顔から笑みが消え、視線を落とす。
泥人形は崩れて泥の塊になってしまった。
少年はため息をつく。
泥の塊から手の平ほどの人影が抜け出た。
土精――ノームより下位の精霊オムである。黒い三角帽子を被った幼女の姿で、小さな顔にしては大きめな瞳をうるうるさせている。
「ごめんなさいです、ルールー」
「気にしないで良いよ、ノンノン。オムの君がゴーレムを作れるだけで十分凄いんだから。この分なら、近いうちに必ずノームになれるさ」
「ううう、でもでも~。ノンノンはいつまでたってもノームになれないです~」
「普通百年以上かかるんだ。十年やそこらでなれやしないって。でも、いつかは立派なノームになれるさ。そうしたら、僕のゴーレムを動かしてね」
「うん、うん」とノンノンは何度も頷いた。「いつかきっと必ずノンノンはノームになるです。それでルールーのゴーレムを動かすです~」
慰め合う二人を、この時間の本来の実習生たちが取り囲んだ。口々に声をかけてくる。
「ルークス先輩、まだやっているんですかあ?」
「オムにゴーレム作らせるなんて、さすが天才のやる事は違いますねえ」
「でも、どうしてノームと契約しないんですかあ?」
「そりゃルークス先輩は幼女が大好きだからですよねえ?」
友好的な声かけとは正反対の、中傷と嘲笑だった。
中等部になればノームを召喚したり契約できる者はいくらでもいる。そんな彼らにとり、ノームを召喚もできず、普通の精霊使いなら無視する下位精霊などと契約した上級生は物笑いの種なのだ。
ただでさえ貴族の子にとり目立つ平民の子は目障りである。
それに強い嫉妬も混じっていた。
「お手本を見せてあげますよ。ゴーレムはこうやって作るんです」
騎士の息子が泥沼に呪符を貼ってゴーレムを立ち上げた。しかも人間の二倍もある大型だ。
二倍級ゴーレムが腕を振り上げても、腹這いになっている少年――ルークス・レークタは見向きもしなかった。
「無視すんなよ、平民が!」
振ったゴーレムの腕が肘から千切れて飛んだ。泥の塊となってルークスに向かって飛んだが、寸前で弾け散った。
泥は広範囲に散らばり、ルークスの側に集まっていた下級生全員を泥まみれにする。
不意に突風が吹き荒れ、厳しい女声が木霊した。
「我が主への無礼、このインスピラティオーネが許さぬ!」
ルークスの頭上に半透明の女性が現れた。風をまとい、背中に透明な羽根を生やした細身の精霊――シルフの上位存在である大精霊グラン・シルフである。
風の大精霊が契約者を守る為に現れたのだ。
ルークスがこのグラン・シルフと契約したのは四年前、僅か十才の時である。現在パトリア王国で大精霊と契約しているのは、彼の他には王宮精霊士室長しかいない。
ルークスの大精霊契約は学園創立初の快挙である。さらに十才という年齢は他国でも例を見ない早熟ぶりなのだ。
だのに当人は自分の非凡さには無自覚であった。それが余計に他者の嫉妬を強めている事も含めて。
「あれ? インスピラティオーネ?」
ルークスは彼の守護者に気付いて立ち上がった。土の上に腹ばっていたので、制服は泥と土埃で汚れていた。
グラン・シルフは乾いた風で泥を乾かし、土埃を吹き飛ばしにかかる。
本人が身なりに無頓着なので、放っておくと泥を校舎に落としてまた叱られてしまう。
ルークスの目は、実習で使うには大きすぎて半分壊れたゴーレムと、泥まみれで教師に叱られている下級生たちに向けられた。
「二倍級のゴーレムは実習では禁止のはずだけど、何かあったの?」
問いかけられたインスピラティオーネは淀みなく答える。
「特別な事は何も。人間の子供は無茶をするものです。それにしても主様、相変わらず凄い集中力ですね。周りの事など目に入りませぬか」
「そりゃそうさ。ノンノンがゴーレムを作れるようになったんだよ! 次は動かせるようになるさ。もうワクワクが止まらないよ!」
ルークスは後輩を無視していたのでも、軽視していたのでもなかった。
気付いていなかったのだ。
絡まれた事はおろか、ゴーレムをけしかけられた事でさえ知らないでいる。
目の前の事に集中すると、他に全く注意が向かなくなる特性を持っているが為に。
そうした過集中の状態だと時間も忘れてしまう。
「あれ? ひょっとして次の授業始まっていた?」
「はい、かなり前に。アルティが呼んだ時既に授業は終わっていました」
「アルティが呼んだんだ。つい夢中になっていたよ」
「焦りは禁物ですよ、主様。苦手を克服するには時間がかかります」
「ありがとう、インスピラティオーネ」
ルークスは肩にオムの幼女を乗せ、ゆっくりと校舎へ向かった。走っても服という固体と固着できる土精が落ちる心配は無いが、心理的に嫌なのだ。
彼の背後で半透明の大精霊はつぶやいた。
「何ごとにも向き不向きがございます。そして相性も」
ルークスは風との相性が抜群に良い。気質が熱にして湿、まさに風なのだ。
さらにどちらも非常に強く、熱の強さ故に火の精霊サラマンダーと、湿の強さ故に水の精霊ウンディーネとも契約できている。
一般的な精霊使いが契約出来るのは、風水火土の四大精霊のうち一つである。二属性と契約できる精霊使いは稀であり、三属性と契約できたルークスは破格の存在なのだ。
だが風との相性が良すぎた為に、反対の属性である冷にして乾の土の精霊ノームとは相性が最悪だ。露骨に嫌われ、契約どころか召喚もできずにいる。
「もし、風の才が少なかったら」
風の大精霊はそう思わずにいられない。
彼はノームと契約でき、悲願のゴーレムマスターになれたであろう。
ゴーレムマスターになりたい気持ちがどれほど強くて切実か、グラン・シルフは知っていた。だからこそ気の毒でならない。
夢を妨げる才能に恵まれ過ぎた少年が。
砂と粘土とを混ぜた泥を、池の水と同じように掘り下げた場所に満たしているのだ。
その泥はゴーレムの素材である。
土精ノームにこの泥でゴーレムを作らせ、動かさせるのがゴーレム製作実習である。土精科の選択科目であり、中等部では約半数の生徒が選択している。
残る半数はノームと契約はおろか召喚もできない「土精と相性が悪い」生徒で、自分が得意とする他の精霊の科目を選択している。
ただ一人の例外を除いて。
泥沼の縁で小柄な少年が腹這いに寝そべっていた。黒い髪で日に焼けた肌、好奇心に輝く漆黒の瞳で泥沼の一点を凝視していた。
「よし、その調子だ。ゆっくり、ゆっくりだ」
少年の鼻先で泥が少しずつ盛り上がっている。その頂点に小さな羊皮紙が置かれていた。羊皮紙はゴーレムに欠かせない呪符である。泥は上に伸び、徐々に形を変えてゆく。頭と胴体、手足の区別ができるようになった。
手の平大の泥人形、ゴーレムが出来たのだ。
少年は興奮して地面を叩いた。
「よし、良くできた。形は良いよ。それじゃあ、まず手を動かそう。自分の手だと思って。大丈夫、ノンノンならできるさ」
ゴーレムの右腕が震え、肩から少しずつ動きだした。
少年の顔が喜びに輝く。
ところがゴーレムの腕はもげて泥に落ちてしまった。
少年の顔から笑みが消え、視線を落とす。
泥人形は崩れて泥の塊になってしまった。
少年はため息をつく。
泥の塊から手の平ほどの人影が抜け出た。
土精――ノームより下位の精霊オムである。黒い三角帽子を被った幼女の姿で、小さな顔にしては大きめな瞳をうるうるさせている。
「ごめんなさいです、ルールー」
「気にしないで良いよ、ノンノン。オムの君がゴーレムを作れるだけで十分凄いんだから。この分なら、近いうちに必ずノームになれるさ」
「ううう、でもでも~。ノンノンはいつまでたってもノームになれないです~」
「普通百年以上かかるんだ。十年やそこらでなれやしないって。でも、いつかは立派なノームになれるさ。そうしたら、僕のゴーレムを動かしてね」
「うん、うん」とノンノンは何度も頷いた。「いつかきっと必ずノンノンはノームになるです。それでルールーのゴーレムを動かすです~」
慰め合う二人を、この時間の本来の実習生たちが取り囲んだ。口々に声をかけてくる。
「ルークス先輩、まだやっているんですかあ?」
「オムにゴーレム作らせるなんて、さすが天才のやる事は違いますねえ」
「でも、どうしてノームと契約しないんですかあ?」
「そりゃルークス先輩は幼女が大好きだからですよねえ?」
友好的な声かけとは正反対の、中傷と嘲笑だった。
中等部になればノームを召喚したり契約できる者はいくらでもいる。そんな彼らにとり、ノームを召喚もできず、普通の精霊使いなら無視する下位精霊などと契約した上級生は物笑いの種なのだ。
ただでさえ貴族の子にとり目立つ平民の子は目障りである。
それに強い嫉妬も混じっていた。
「お手本を見せてあげますよ。ゴーレムはこうやって作るんです」
騎士の息子が泥沼に呪符を貼ってゴーレムを立ち上げた。しかも人間の二倍もある大型だ。
二倍級ゴーレムが腕を振り上げても、腹這いになっている少年――ルークス・レークタは見向きもしなかった。
「無視すんなよ、平民が!」
振ったゴーレムの腕が肘から千切れて飛んだ。泥の塊となってルークスに向かって飛んだが、寸前で弾け散った。
泥は広範囲に散らばり、ルークスの側に集まっていた下級生全員を泥まみれにする。
不意に突風が吹き荒れ、厳しい女声が木霊した。
「我が主への無礼、このインスピラティオーネが許さぬ!」
ルークスの頭上に半透明の女性が現れた。風をまとい、背中に透明な羽根を生やした細身の精霊――シルフの上位存在である大精霊グラン・シルフである。
風の大精霊が契約者を守る為に現れたのだ。
ルークスがこのグラン・シルフと契約したのは四年前、僅か十才の時である。現在パトリア王国で大精霊と契約しているのは、彼の他には王宮精霊士室長しかいない。
ルークスの大精霊契約は学園創立初の快挙である。さらに十才という年齢は他国でも例を見ない早熟ぶりなのだ。
だのに当人は自分の非凡さには無自覚であった。それが余計に他者の嫉妬を強めている事も含めて。
「あれ? インスピラティオーネ?」
ルークスは彼の守護者に気付いて立ち上がった。土の上に腹ばっていたので、制服は泥と土埃で汚れていた。
グラン・シルフは乾いた風で泥を乾かし、土埃を吹き飛ばしにかかる。
本人が身なりに無頓着なので、放っておくと泥を校舎に落としてまた叱られてしまう。
ルークスの目は、実習で使うには大きすぎて半分壊れたゴーレムと、泥まみれで教師に叱られている下級生たちに向けられた。
「二倍級のゴーレムは実習では禁止のはずだけど、何かあったの?」
問いかけられたインスピラティオーネは淀みなく答える。
「特別な事は何も。人間の子供は無茶をするものです。それにしても主様、相変わらず凄い集中力ですね。周りの事など目に入りませぬか」
「そりゃそうさ。ノンノンがゴーレムを作れるようになったんだよ! 次は動かせるようになるさ。もうワクワクが止まらないよ!」
ルークスは後輩を無視していたのでも、軽視していたのでもなかった。
気付いていなかったのだ。
絡まれた事はおろか、ゴーレムをけしかけられた事でさえ知らないでいる。
目の前の事に集中すると、他に全く注意が向かなくなる特性を持っているが為に。
そうした過集中の状態だと時間も忘れてしまう。
「あれ? ひょっとして次の授業始まっていた?」
「はい、かなり前に。アルティが呼んだ時既に授業は終わっていました」
「アルティが呼んだんだ。つい夢中になっていたよ」
「焦りは禁物ですよ、主様。苦手を克服するには時間がかかります」
「ありがとう、インスピラティオーネ」
ルークスは肩にオムの幼女を乗せ、ゆっくりと校舎へ向かった。走っても服という固体と固着できる土精が落ちる心配は無いが、心理的に嫌なのだ。
彼の背後で半透明の大精霊はつぶやいた。
「何ごとにも向き不向きがございます。そして相性も」
ルークスは風との相性が抜群に良い。気質が熱にして湿、まさに風なのだ。
さらにどちらも非常に強く、熱の強さ故に火の精霊サラマンダーと、湿の強さ故に水の精霊ウンディーネとも契約できている。
一般的な精霊使いが契約出来るのは、風水火土の四大精霊のうち一つである。二属性と契約できる精霊使いは稀であり、三属性と契約できたルークスは破格の存在なのだ。
だが風との相性が良すぎた為に、反対の属性である冷にして乾の土の精霊ノームとは相性が最悪だ。露骨に嫌われ、契約どころか召喚もできずにいる。
「もし、風の才が少なかったら」
風の大精霊はそう思わずにいられない。
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