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第九章 次なる戦場へ

奇蹟の朗報

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「アルティ!!」
 父の怒鳴り声でアルティは我に返った。
 炉内の温度を測っていた真っ赤に熱せられた鉄棒を、彼女のゴーレムが泥溜に落としてしまったのだ。次の瞬間、泥が弾けて周囲に飛び散った。
 悲鳴を上げる娘にアルタスは駆け寄った。
「火傷していないか!?」
「ご、ごめん、父さん。大丈夫」
 不慣れな工房、暑さの中で初めてのゴーレム作業、疲れて集中力を欠いたのだ。
「何が起きたの?」
「泥の水分が一気に蒸発したんだ」
 何かとアルタスは言葉が足りないが、高熱の鉄棒が原因なのは言わずとも知れた。
「今日はもう休め。明日も忙しいぞ」
「分かった」
 工房では親方が絶対だ。それを守る約束でアルティは残る事を認められたのだ。
 アルティはゴーレム三基を工房隅の置き場にやって、ノームたちを解放した。
「ありがとう、皆。明日もよろしくね」

 外に出ると、空も鉄棒ほどに赤く染まっていた。
 夕陽の方角にルークスがいるのだと思うと、胸の奥へと追いやっていた不安が噴きだす。
「ルークス、大丈夫だよね?」
 声が震える。工房は炉の熱で暑かったが、胸の奥は凍り付いているかのように冷たかった。
 西風が吹いてシルフが飛んで来た。見覚えがある。アルティの心臓が激しく打ち鳴らされた。
「アルティ、インスピラティオーネからの伝言だ」
 アルティは全神経を集中して、精霊の言葉を一音も聞き逃すまいと耳を澄ませる。
「ルークスは勝利した。彼は無事。以上だ」
 そして飛び去るシルフの姿は、アルティの目には映っていなかった。まるで夢を見ているかのように心が定まらない。
「勝った……無事……」
 口に出した途端に、それを実感できた。涙があふれ出す。
「ルークス……生きているんだ……帰って来るんだ」
 胸が潰れそうに痛む。
 今までどれだけ心配していたか、その痛みが教えてくれた。
 不安を抑えつけていた反動が一気に出て、涙と痛みで立っていられず、しゃがみ込んで泣きじゃくる。
(ルークス、どこにも行かないで。ずっと一緒にいて!)
 いつの間にか工房が静かになっている。それに気づき、アルティは父親に「ルークスの無事を知らせないと」と思い至った。だが腰が抜けたか立ち上がれない。
 何か掴まれる物が無いか手探りする。
 夕焼けの町に銅鑼声が響いた。
「アルティーっ!! ルー坊は無事だぞぉーっ!!」
 近所中に聞こえる声でアルタスは怒鳴った。アルティの次にシルフが知らせたのだろう。
 恐らく南へ向かった母と妹の元にも、伝令のシルフは飛んでいるはず。
 この国で唯一の風の大精霊契約者は健在なのだから。

                   א

 アグルム平原での戦闘結果は、女王フローレンティーナの心を晴らすどころかさらに追い込んだ。
 謁見の間は重苦しい空気に包まれている。
 罠を張って待ち構えたが、十分に敵を減らせなかった上にゴーレムの損耗。
 数字の上では痛み分けだが、女王には敗北に聞こえた。
 報告した伝令も、敗報を伝えたがごとくうな垂れている。
 ねぎらう女王の顔は心労でやつれ、臣下たちに痛々しさを感じさせた。

「敵軍は明日にはソロス川に到着。ここを最終防衛線として全軍一丸となって阻止します」
 唯一残った武官であるプルデンス参謀長が、大卓上の地図に積み木を置いて説明する。
 北に赤い三角と四角、青い三角が王都のすぐ前。西の小さな赤い三角の前には何も置かれていない。
 北から部隊を割いて西の敵を迎撃する事は、参謀長しか知らない。奇襲を確実に成功させるには、情報漏洩は絶対に許されない。たとえそれが主君であっても。
 文官たちは不安の色を隠さない。
「ソロス川から王都までは指呼の間です」
「ここを突破されたらもう後はございません」
「それより先に、西からの別動隊が明日にでも襲来しますぞ。陛下には避難のご準備を」
 との宰相の勧めを、女王は拒否した。
「民を残して逃げられません。私はここで、敵にまみえます」
 フローレンティーナの決断は文官たちに反対された。
「陛下の御身に万一あれば、国は滅びますぞ」
「一時の恥にどうかお耐えください」
「まだ巻き返しのチャンスはあります」
 臣下たちの表情を見て、女王は譲歩を見せた。
「民が不安がらぬよう皆が残るならば、私は身一つで落ち延びましょう」
 途端に声が小さくなった。
 この期に及んで保身を考える文官たちに、フローレンティーナは自分の器を感じて自己嫌悪を募らせた。

 その時、足音高く入ってきた壮年男性が声を張りあげる。
「将兵たちが必死に戦っておるのに、貴殿らは臆病風に吹かれましたかな?」
 プロディータ公爵だった。
「伯父上、いらしたのですか?」
 公爵は女王の父、前王の弟である。国外に知己が多い事を鼻にかける人物と、女王は思っている。
「フローレンティーナよ、マルヴァド王国の説得はこの伯父に任せるが良い。必ずや有利な結果をもたらそう」
「お恐れながら殿下、そのマルヴァド王国はリスティア軍を通過させ、我が国を背後から突かせた裏切り者ですぞ。殿下ほどの方さえ欺く輩を、いかにして説得されますか?」
 参謀長が質問を装って責任追及をした。宰相がたしなめるが武官は退かない。
 プロディータ公爵は苦々しく笑んだ。
「フローレンティーナが先日の婚姻話を前向きにしてくれれば、説得は確実だ」
「失礼ながら殿下、そのマルヴァド王国に手引きされた敵軍は既に、王都まで一日強の位置まで迫っておりますぞ。今さら殿下が発たれても間に合わぬのでは?」
「陽動部隊であろう。王都の守りは崩せまい」
「戦闘ゴーレム二十基、王都をならして城壁を破壊するには十分かと」
「貴殿は敗北主義かね?」
「戦争とは外交の延長、そして外交とは武力と経済力とをカードに舌で争う戦。武力を知らずして外交は語れませぬ」
 公爵の顔色が変わった。
「貴様は王族を侮辱しておるのだぞ」
「諫言は臣下の務めでございます。既に使いは送っております。殿下には領地にて民の心配を取り除いていただくのが、我が国にとって最大の貢献かと」
 ふん、と公爵は鼻で笑った。
「これだから武官は始末に負えぬ。案ずるな、フローレンティーナ。今日ある事を見越してこの伯父は――」
 公爵の言葉を遮って、謁見の間に駆け込んだ伝令が叫んだ。
「陛下に戦況報告でございます!」
「貴様、無礼であろうが!」
 参謀長とのやり取りで苛ついていた公爵の感情が爆発した。だが即座にプルデンス参謀長が制止する。
「殿下! 戦場からの報告は全てに優先しますぞ!!」
「貴様! 身の程を知れ!!」
「この場は軍議の席。文官の方にはお控え願いましょう」
 視線で火花を散らす両者に、フローレンティーナ女王が言う。
「伯父上、今はお控えください」
 憤懣やるかたない様子でプロディートル公爵は壁際に下がった。参謀長を眼力で殺さんばかりに睨みつける。
 女王が顔を向けると、伝令は跪いて述べた。
「西から侵攻した敵軍、防ぎましてございます!」
 居合わせた全員が驚きと喜びでどよめいた。
「ありえぬ!」と大声を上げたのは公爵だった。
 女王は伝令に問いかける。
「それは、王宮精霊士室長インヴィディア卿の働きですか?」
「いえ、未所属の戦闘ゴーレム一基によるものでございます」
 室内は一転して沈痛な沈黙に包まれた。
「戯れ言だ」
 公爵のつぶやきが多くの心中を代弁していた。その様な都合が良い話などあるはずがない。
「恐らく敵が流した偽情報でしょうな」
 宰相が推論を述べる。
 しかし伝令は報告をまだ終えていなかった。
「最初の連絡は未登録のシルフでしたので、留保しました。しかし続いて、国境警備隊のシルフが同じ報告を致しました。敵ゴーレムは破壊もしくは鹵獲、敵将ならびにゴーレムコマンダーを捕虜にしたとのことです」
 具体的な報告に部屋の空気は好転した。
「国境守備隊がそこまで働くとは」
「まるで奇蹟が起きたようだ」
 臣下たちの言葉にフローレンティーナもうなずく。
 まるで九年前のあの時のように――
 次の伝令が駆け込んできた。
「西より伝書鳩が到着。報告者、西部地区国境守備隊ライル陸佐。王立精霊士学園の生徒の戦闘ゴーレム一基が、敵ゴーレム五基を撃破、指揮官ポニロス将軍並びにゴーレムコマンダー六名、騎士従者兵ら八十九名を捕縛、ゴーレム十五基を鹵獲。以上全て、ゴーレムマスター、ルークス・レークタ、一名による戦果と確認。以上となります」
「あり得ぬ!!」「ルークス!?」
 女王が玉座を蹴って立ち上がり、公爵の叫びをかき消した。
「ルークス・レークタに間違いありませんね!?」
 女王から直々に問われ、伝令は慌てて文面を確認。
「は、間違いありません」
 先に来た伝令が補足する。
「最初に戦勝報告した未登録シルフは『グラン・シルフのインスピラティオーネからの伝言』と申しておりました」
 女王は王宮精霊士室の精霊士にその名を確認する。
「ルークス・レークタが契約したグラン・シルフの名前です」
「彼は、ノームと契約できなかったと聞いています」
「実は開戦の直前、学園から異例の報告が上がっておりました。彼がノーム無しで七倍級ゴーレムを作り上げた、と」
「聞いていません」
「申し訳ございません。インヴィディア卿が確認に向かうその日に、侵略を受けまして。なにぶん前代未聞の事ですので、未確認のまま陛下のお耳に入れるには、正直信じがたい事でした」
「その前代未聞のゴーレムが、前代未聞の大戦果を上げたのですね」
 フローレンティーナは額の汗を拭って玉座に座り直した。無意識のうちに握り絞めていた両手が痺れている。軽く振って痺れを取った。
 彼女の心につかえていた棘が取れ、解放感と共に喜びが溢れてくる。
(彼は、やってくれたのですね)
 臣下たちは口々に喜びを交した。
「さすがはドゥークス殿のご子息」
「そのゴーレムが北に来れば、あるいは」
「一基で五基も撃破するとは、どれだけ凄いゴーレムなのか」
 室内の空気から悲観が消えたところで、女王は必用な措置を命じた。
「至急、現地に人を送ってください。そして事実を確認したら、ルークス・レークタに私からの感謝を伝えてください。感状を用意しましょう。それと、この勝報を前線のヴェトス元帥に伝えてください。将兵たちに何よりの励ましとなるでしょう」

 臣下たちが動きだす。
 ネゴティース宰相が感状の文言を奏上した。
 プルデンス参謀長が前線に送る勝報の確認を求めてくる。
 補給統監の兼務をしているレルスティカ農務大臣が具申してきた。
「西で鹵獲したゴーレムですが、北でゴーレムを失ったコマンダーに回収させるべきかと。本日十二基を失いましたが、十五基あれば穴埋めに加え予備も確保できます」
「良き進言です。ですが彼らは疲労しているでしょう。回収と輸送だけなら他のゴーレムマスターでも可能なのではありませんか?」
「確認いたします」
 すると王宮精霊士室の精霊士が進言する。
「王立精霊士学園に、退役ゴーレムコマンダーがおります。能力的にも位置的にも、指揮に当たらせるには最適かと」
「良き進言です。その者を臨時に将校待遇にして移送を行わせてください」
 君臣共に祖国防衛に動く中、居場所を失ったプロディートル公爵は憤然として部屋を辞した。
 女王に断ることもなく。
 彼の中ではフローレンティーナはいまだに姪でしかない。それに今は体裁を整える余裕など無かった。
 彼の遠大な計画に重大な齟齬が生じてしまったのだ。
 歴史は大きなうねりとなって大陸を変えつつあるのに、こんな小さな国にいつまで縛られねばならないのか。
 物事を大局的に見られる人間は限られる。それができぬ人間は与えられた仕事をしていれば良いのに、やれ祖国だ、誇りだ、などと口先の言葉に酔いしれる。
 そんなだからサントル帝国の野蛮人に好き放題させているのだ。
 帝国を倒す為には力を結集しなければならない。その中心になるのはリスティアの暴君でも、マルヴァドの謀君でもない。
 神に選ばれた・・・・・・自分こそが、その使命を果たすのだ。
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