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第十章 決戦

渡河作戦開始

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 リスティア大王国征南軍の本隊がソロス川に到着したのは、その日の午後だった。
 総司令のパナッシュ将軍は先行させていた第一軍団を編入し、堤防の上に敷いた本陣に幕僚を集め軍議を始めた。
 征南軍の幕僚の他、第一軍団から参謀とゴーレム連隊長、精霊士長を加えている。
 現状報告は第一軍団の参謀だったキニロギキ参謀補佐にさせた。
「現在渡河用の丸太確保のため、伐採と運搬作業を一個大隊と土精使い十名に行わせています」
 過不足無い報告にパナッシュ将軍は満足してうなずいた。
 第一軍団に無能な指揮官と副官を付けられたときは将軍も目眩を起こしたが、この参謀を押し込んだ甲斐あり最悪の事態は免れた。
 パナッシュ将軍はこの年四十八才。馬に乗るのも苦労する肥満漢である。
 自分が有能ではないと自認し、部下を働かせる事を旨とする、リスティア軍では稀有な将である。ゆえに幕僚ら士官には評判だが、その反面兵からは頼りなく思われがちだ。
 自分が有能であると粉飾して大王に売り込む他の将軍と違い「儂には優秀な部下がおります。お命じくだされば何なりと」と実績を積み重ね、四十代で事実上国軍の最高司令官に上り詰めたのだ。
 今回の遠征でも売り込みだけは熱心な無能が先鋒と別動隊の指揮官に据えられてしまったので、補佐にはそれなりの人物を付けたつもりではいた。
 しかし第二軍団は司令部が丸ごと投降し、第一軍団も無駄な損害を出すなど、小手先では致命的な欠陥は補えない事を再確認した。
 キニロギキが予想以上に「使える」と分かった事だけが、今回の収穫だとパナッシュ将軍は総括した。
「敵は本陣を堤防上、主力を河川敷に展開。ゴーレム三十八基、兵は目視した範囲では四千ですが、堤防の背後や河川敷に隠れている事はほぼ確実かと」
 敵の陣容を報告するキニロギキ参謀補佐にパナッシュ将軍は尋ねる。
「シルフでは確認できなかったぞ」
「夜襲や伏兵などで、敵はシルフの目をあざむく事を何度も行っております」
「なるほど。精霊も万能ではないか」
 部下の体験を、自分の知識より優先することは将軍が心がけている事だ。敵は常に常識の裏を突いてくるのだから。
 パナッシュ将軍は折りたたみ式テーブルに広げた地図に指を落とす。川を遡る。貯水池があった。
「こちらはどうなっておる?」
 精霊士長が答える。
「敵歩兵一個中隊が守りを固めております。険しい山道で攻めるのは困難です。また精霊士が複数確認できておりますので、精霊を使っての事前の水門破壊も難しいかと」
「では向かわせた分遣隊は無駄足か」
 到着前に騎兵中隊と精霊士一個分隊を上流に派遣していたのだ。
「それでしたら」
 とキニロギキ参謀補佐が貯水池から下った地点を指した。
「この辺は渓谷となっておりますので、崩せば水を堰き止められるかと」
「どれだけの時間止められる?」
「そこまでは分かりませんが、ゴーレムが対岸へ渡る程度でしたら」
「うむ。分遣隊に命令変更を伝えよ。くれぐれも敵に見つかるな、とも伝えておけ」
 精霊士長が部下に指示する。その入れ違いに精霊士が報告してきた。
「敵陣後方からゴーレム十五基が接近中です」
「敵に予備兵力がそれほどあったのか?」
 パナッシュ将軍はゴーレム連隊長に尋ねる。
「敵ゴーレムを撃破したのは一昨日です。核を回収していたので、再生産は可能です。しかし、急ごしらえでは強度が出ず、ウルフファングの装備をもってしても、戦力的には我が軍の支援型以下かと」
「それでも数が増えたのは困りますな」
 征南軍の副官が渋い顔になる。
 たとえゴーレムには勝てなくても、人間には圧倒的脅威なのだから。
 そのゴーレムが堤防を越えて姿を見せると、渋面は幕僚全員に伝染した。
 ボアヘッド十五基が、パトリア軍の紋章を付けてやって来たのだ。
「ポニロスめっ!! あの若造は十五基も敵にくれてやったのか!?」
 普段は鷹揚なパナッシュ将軍も、これには激怒した。
「しかし、これで敵のゴーレム一基に第二軍団が負けた事も理解できます」
 とキニロギキ参謀補佐が言う。
「一基で二十基はさすがに無理でしょう。囮となってゴーレムを引きつけ、伏兵が本陣を急襲したとあれば、不思議ではありません。先程申しましたように、敵はシルフの目を誤魔化す術に長けておりますから」
 納得したが、パナッシュ将軍の怒りは解けない。
「これは、苦戦しそうだわい。総員気を引き締めろ!」
 睨むように幕僚を見渡した。
 その場には、第一軍団の指揮官アニポノス将軍の姿は無かった。
 到着早々に「敵の襲撃に備えた防衛陣地の構築」の任務に、副官ともども就かせているからだ。「騎士団の襲撃には詳しいであろう」と。
 もっともそれは表向きで、実際の所は渡河という重要作戦から無能な将を排除する為であった。

 夜半、月は時折雲に隠れる。
 リスティア大王国征南軍総司令官パナッシュ将軍は、暗がりを突いて命じた。
「作戦開始!」
 四千の兵が一斉に丸太をソロス川に運び入れ、跨がって板きれで必死に漕ぐ。
 八名が跨がる丸太五百本が対岸を目指した。
 精霊士がウンディーネを放って丸太を押し、シルフが追い風を吹かせる。
 水音で察知したパトリア軍は川に火矢を放ってきた。
 兵や丸太に刺さる都度、リスティア兵たちは水をかけて火を消す。その火を目印に矢が集中してくるからだ。
 不運なリスティア兵が次々と冷たい雪解け水に落ちるが、四千のうち一部だった。向かえ撃つパトリア兵は絶対数が少ない。特に熟練の弓兵が少なく、多くの兵は装填に時間がかかる弩を使っていた。
 たちまち川の半ばまで押し寄られてしまう。
 しかしリスティア軍の前に巨大な影が立ちはだかった。
 パトリア軍のゴーレムが川砂利を投げつける。
 降り注ぐ石の雨は、矢より多くの兵を川へと叩き落とした。
 人間がゴーレムに抗う無謀さをリスティア軍は見せつけられた。

 パナッシュ将軍はゴーレム連隊に命じた。
「出撃せよ!」
 一昨日二十基を失った第二大隊のゴーレムボアヘッド三十基が、インヴィタリ橋のたもとから川に踏み込む。
 ゴーレムが渡れるこの橋を奪取してしまえば、王都まで遮る物は無い。
 これをパトリア軍の大型弩が迎撃する。
 丸太の矢は重装甲型でも盾で防げるのは一本。二本目は盾を砕き左手を潰し、三本目は胴体に突き刺さる。それでも核が無事なら前進できる。
 しかしさすがに足の付け根に打ち込まれると動けなくなった。
 五基が動きを止めるも、残りは川の半ばを越した。
 渡河兵に砂利を投げていたパトリア軍のゴーレムが、迎撃の為に橋に集まって来る。五十三対二十五で一時的に数的有利の状態だ。
 しかし、渡河する兵を阻止する力は弓兵のみとなった。丸太が南岸に押し寄せてくる。
 橋のたもと、川岸で両軍のゴーレム同士が激突した。
 鋼鉄と鋼鉄とが打ち合わされる。幾度となく火花が闇を刹那照らし、衝撃が河川敷全体に響き渡り、地響きが橋を揺るがした。
 今回ウルフファングは退かない。ボアヘッドを川に押しとどめようと圧力をかける。
 鹵獲されたボアヘッドもかつての味方を攻撃し、攻撃される。
 真っ先に支援型が破壊され、続いて通常型も餌食になった。
 敵ゴーレム全てが戦闘に加わったのを確認すると、パナッシュ将軍は再度ゴーレム連隊に命じた。
 今度は四十基。橋よりかなり下流で渡河を始める。対岸にウルフファングはいない。
 これが渡りきれば敵を圧倒、橋の奪取は確実である。
 パトリア軍には渡河部隊を一掃する切り札があるが、それに対してリスティア軍は手を打っていた。
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