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第一章 王城の闇
女王の一喜一憂
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突然騎士団長が面会を求めてきたので、フローレンティーナ女王は不安に駆られた。
理由は間違いなく、午前中のルークスによる事件調査であろう。
事件に関することならルークスに言うはず。
となれば、調査そのものに対する諫言かもしれない。
昨日まで平民だったルークスのことだ。無礼の十や二十はするだろう。
彼への苦情は全て受ける、それが彼を騎士にした彼女の責任とわきまえていた。
フローレンティーナは王立精霊士学園の制服から黒いドレスに着替えていた。
戦死者の喪に服しているのだ。
黒は彼女の金髪がよく映える色ではあるが、二度と身につけたくない色でもあった。
父の死、初めての戦争、そして今次の戦争と、悲しみの色だから。
人払いをした執務室で一人待つ彼女の元に、フィデリタス騎士団長がやってきた。
入室した彼の身なりにフローレンティーナは驚いた。
平服の袖に喪章を巻いただけで、騎士団のサーコートはおろか騎士の紋章さえ身につけていない。
まるで全ての身分を捨てたような姿であった。
(まさか騎士団長を辞めると?)
恐ろしい想像にフローレンティーナは震えないよう懸命に感情を抑えた。
騎士団長は女王の前で片膝を着き、口上を述べる。
「ここにいるは騎士団長にあらず。騎士でもないただ一人の人間、フィデリタス・エクス・エクエスにてございます」
フローレンティーナは努めて平静な声を出す。
「それは、どういう意味ですか?」
「パトリア騎士団団長としてではなく、騎士としてでもなく、一個人としてあなた様にお仕えする、との決意を述べるためでございます」
上げた顔には迷いも陰りもなかった。
穏やかな眼差しが少女を包み込む。
フローレンティーナの胸が詰まった。こみ上げてくる感情が言葉と胸の場所取りをしているのだ。
一個人フィデリタスは苦笑した。
「ご友人に叱られてしまいました。『騎士団そのものが問われているのだから、騎士団長としての発言など信じるに足りぬ』と」
「そこまで言いましたか!?」
ルークスの無礼ぶりは予想を遥かに超えていた。
「彼は『自分はパトリア王に仕えているのではない。フローレンティーナという少女の友達だから騎士になったのだ』と。次の王などに仕える気などさらさらなく『退位しようと友達に仕え続けるのだ』と。それがルークス・レークタという人物でした」
「ええ。彼は私の友達です。たった一人の……心の支えでした」
「騎士として、騎士団としての形に囚われておりました。立場ゆえの言葉が陛下の心に届かぬのは当然。彼はそれに気付かせてくれました。これほど鈍感な無骨者ゆえ、陛下の信を得るに至らぬは当然。全ては我が不徳の致すところです。伏してお詫びいたすとともに、改めて個人として陛下に、いえフローレンティーナ嬢に忠義を尽くすことを誓うべく、参じた次第でございます」
フローレンティーナは感極まって立ち上がった。彼の元に歩み寄り、膝を着いてその手を取った。
「嬉しく思います。フィデリタス殿、あなたも今日から私の友達なのですね」
「友とお呼びいただけるとは一生の名誉にございます。否、名誉などという俗な言葉ではなく、ただ墓まで持っていける誇りにいたします」
「本当に、ルークスもあなたも、不器用な良い友達です」
その不器用さこそが、少女にとって一番信頼できる理由であった。
玉座に戻ったフローレンティーナは、咳払いした。
「では、今まで話さなかったことも、打ち明けていただけますね?」
「御意。陛下を脅かす者に手をこまねいておりましたのは、陛下の王権を守るためでございました」
そしてフィデリタスは自分が知る限りの事を語った。
第一王位継承者プロディートル公爵クナトス・ドルス・ド・ジーヌスは、女王の臣下ほぼ全員を掌握していること。彼の意向一つで王国の政務が滞ってしまうことを。
「立法や裁判はおろか、日々の町の巡視に至るまで、王の直轄地は事実上、公爵の領地と化しております」
痛む頭を女王は何度も振った。
「まさか、そこまで叔父の手が伸びているとは」
「もし騎士団が公爵排斥に動けば、たちまちパトリア王国は機能不全に陥るでしょう」
「それを防ぐ手立ては無いのですか?」
「今ならば奏上できます。一時的とはいえ、陛下が王権を手放すことになりますゆえ、今まで控えておりましたが」
「聞かせてください」
「公爵は、陛下の臣下を把握しておりますが、文官に限ります。国王から国家に所属が変わった軍は手つかず、彼が握る武力は衛兵の他は海軍だけです」
「つまり軍は味方と言うわけですね?」
「むしろ仲間を殺され、自分たちの血で掴みとった勝利を覆された遺恨により、軍は公爵と完全に敵対しております。彼らと協同すれば、公爵の影響を排除することは可能かと」
レークタ夫妻暗殺事件の再調査に、軍が協力的だったわけである。
「軍の主だった者たちは、皆領主ですね?」
「はい。公爵に尻尾を振る背信者を排除し、その穴を各領主からの人員で埋めることは可能かと」
「なるほど。私は自分の城で他人の臣下に囲まれるのですね」
「御意。ゆえに、今の今まで奏上できずにおりました」
「それは、いつまでになります?」
「人材登用の道を抑えられているため、陛下の直臣を一から揃えるには時間がかかります。その間、陛下にははつらい思いをさせることになります」
フローレンティーナは大きく息を吸った。
「今とさほど変わりませんね」
「は?」
「叔父一人の臣下が、複数領主の臣下に変わるだけです。むしろ可視化される分ましです」
そして女王は決した。
「やりましょう」
それがどれだけ厳しい道のりか、想像にあまりあった。
「どれほど険しい道だろうと、ノームに嫌われてなおゴーレムマスターを目指したルークスの逆境に比べたら、まだ楽なはずですから」
א
夕食の席でフローレンティーナ女王は上機嫌だった。
ルークスのマナー失敗にも余裕で微笑みかける。
騎士団長とのわだかまりが溶け、心から信頼できると分かったからだ。
息子であるフォルティスにとり最高の朗報であった。
食堂で食事をしているのは女王とルークスの他はフォルティスだけである。
調査報告を兼ねているので余人を除いていた。
その為警護も絶対に信頼できる人物しか置いていない。
フォルティスの兄プレイクラウス・エクス・エクエス卿である。
身内で固めているので安心して内緒話ができる、そうフローレンティーナは配慮したのだ。
しかしフォルティスにとっては針のむしろとなった。
兄を立たせて弟の自分だけが食べるなど、僭越すぎて食事が喉を通らない。
しかしルークスに食事マナーを見せる都合上、食べねばならない。
それ以前に、陛下と囲む夕食で料理を残すなど言語道断である。
緊張するあまり手が震えてしまう。
「どうしたの?」
とルークスは肉をナイフで刺したまま話しかけてきた。
「ルークス卿、まず手の物を置いてください。あなたは会話中、手元がおろそかになりますので」
「ああ、そうか」
とルークスはナイフを皿に乗せた。
「ええと、何だっけ?」
ナイフを皿に置くことに注意を向けた途端、前のことが頭から追い出されたのだ。
「まさか今ので忘れてしまうのですか?」
フローレンティーナも驚いた。
「ああ、うん。悪い事はいつまでも覚えているのに、一瞬前のことはすぐ忘れてしまうんです」
女王はフォルティスに目を向ける。
「教育には時間がかかりそうですね」
お陰で理解が深まった点は収穫である。
調査の報告はフォルティスがやった。記録を付けていたのは彼だし、ルークスは話が脇にそれるなどで要領を得ない。
「ルークス卿は、ゴーレムに関しては専門家に匹敵する知識と話術になれるのです」
とのフォローに女王はにこやかにほほ笑む。
ゴーレムへの熱意はそのまま「自分のゴーレムで守る」というフローレンティーナとの約束を果たそうとする誠意だからだ。
女王の背後、天井近くでシルフの娘が一人、退屈そうに伸びをしている。
通常警護は二人で行うが、一人なのはルークスの友達のシルフがいるからだ。
暴漢を防ぐ盾にはならないが、いち早く警報を発せられるし、後日の証人にもなれる。
ただシルフとしては退屈な役割なので、ルークスはできるだけ声をかけてやる。
シルフ繋がりでルークスは思い出した。
「そうだ、学園が休み延長を認めませんでした」
戦勝祝賀式典の出席のためなので、休みは明後日までなのだ。
最終日は移動に当てるので、調査に使えるのは明日一日しかない。
学園には昨日早馬で手紙を出していたのだが、延長却下の返事をシルフがもたらしたのが夕方である。
話の流れを切る形での発言だが、フローレンティーナは感情を害することもなく答えた。
「それは困りますね。私から言いましょう」
「学園は王宮精霊士室の管轄だから、陛下が言っても決定が覆らなければ、室長の黒は確定ですね」
まだ王宮精霊士室長のインヴィディア卿については報告されていなかったので、女王は飛び上がらんばかりに驚いた。
「まさかインヴィディア卿が!?」
「ああ、まだでしたか。まあ公爵が支配する文官ですし、精霊にしゃべらせない精霊使いは信用できません」
ルークスはにべもなく断じた。
慌ててフォルティスが止める。
「ルークス卿、インヴィディア卿は陛下の大切な人のようです」
「え? そう……だったんですか。いきなり言ってごめんなさい」
「いいえ、あなたは悪くありません。私の覚悟が足りなかったのです」
無意識のうちに親しい人間を嫌疑から外してしまったのだ。
ルークスは手を伸ばし、彼女の手を握って元気付ける。
主君に無断で触れるという禁忌を犯しているのだが、フォルティスは止めなかった。
信頼を裏切られて傷ついた心は、信頼によってしか癒えることはないのだから。
もちろん今はまだ疑いの段階である。
だが状況からフォルティスも黒と判断している。
そしてフローレンティーナにも心当たりがあった。
見過ごしてきた、大目に見てきた多くに、裏の意味があると分かれば疑問も解ける。
婆やのように思っていた老女もまた、自分の敵だったのだ。
昨日、ルークスという本当の友達と再会できた。
今日、フィデリタス騎士団長が真に忠臣であると判明した。
だが今、信頼していたインヴィディア王宮精霊士室長が背信していると気付いた。
喜びと悲しみとの振れ幅が大きすぎて、少女の心は張り裂けそうだ。
「つらければ泣いていいんですよ」
と、手を握ってくれるルークスが彼女の頼みの綱であった。
何があっても自分を裏切ることがない友達。
彼女が忘れ、期待を失ってもなお、誰にも知られないところでひたすら尽くし続けてきてくれたルークスがいる。
主君と騎士という関係以前に、固い絆で結ばれた友達が今ここにいるのだ。
ルークスがいる限り自分の心が折れることはない、そうフローレンティーナには信じられた。
そしてそれが分かるので、フォルティスはルークスの無礼を止めなかった。
「ルークス卿は陛下の友人ですので、内々のこの場では許されます。しかし、公の場ですと問題となることは覚えていてください」
それはルークスに向けてではなく、背後で見ている兄への言い訳だった。
騎士が無断で主君に触れるだけでも問題だが、主君がそれを認めるのはもっと問題なのだ。
気安く肉体に触れさせる異性を周囲は「愛人」としか思わないから。
プレイクラウス卿は弟の気遣いを理解していた。
騎士にあるまじき無礼ではあるが、昨日まで平民だった子供のすることだ。
昨日、陛下が涙まじりに約束の履行を喜んだ姿を、彼は目に焼き付けている。
騎士団が命がけで忠誠を尽くした以上のことを、あの少年はやってのけたのだ。
敗戦の時より九年間、幼き陛下の心の支えであり続けることを。
それができなかった自分たちが悔しくてならなかった。
ルークス卿についてプレイクラウス卿は何も知らない。
しかし幸いなことに、彼について尋ねるに最適な人間がすぐ側にいる。
任務を終えたら弟とゆっくり話そう、と兄は思った。
理由は間違いなく、午前中のルークスによる事件調査であろう。
事件に関することならルークスに言うはず。
となれば、調査そのものに対する諫言かもしれない。
昨日まで平民だったルークスのことだ。無礼の十や二十はするだろう。
彼への苦情は全て受ける、それが彼を騎士にした彼女の責任とわきまえていた。
フローレンティーナは王立精霊士学園の制服から黒いドレスに着替えていた。
戦死者の喪に服しているのだ。
黒は彼女の金髪がよく映える色ではあるが、二度と身につけたくない色でもあった。
父の死、初めての戦争、そして今次の戦争と、悲しみの色だから。
人払いをした執務室で一人待つ彼女の元に、フィデリタス騎士団長がやってきた。
入室した彼の身なりにフローレンティーナは驚いた。
平服の袖に喪章を巻いただけで、騎士団のサーコートはおろか騎士の紋章さえ身につけていない。
まるで全ての身分を捨てたような姿であった。
(まさか騎士団長を辞めると?)
恐ろしい想像にフローレンティーナは震えないよう懸命に感情を抑えた。
騎士団長は女王の前で片膝を着き、口上を述べる。
「ここにいるは騎士団長にあらず。騎士でもないただ一人の人間、フィデリタス・エクス・エクエスにてございます」
フローレンティーナは努めて平静な声を出す。
「それは、どういう意味ですか?」
「パトリア騎士団団長としてではなく、騎士としてでもなく、一個人としてあなた様にお仕えする、との決意を述べるためでございます」
上げた顔には迷いも陰りもなかった。
穏やかな眼差しが少女を包み込む。
フローレンティーナの胸が詰まった。こみ上げてくる感情が言葉と胸の場所取りをしているのだ。
一個人フィデリタスは苦笑した。
「ご友人に叱られてしまいました。『騎士団そのものが問われているのだから、騎士団長としての発言など信じるに足りぬ』と」
「そこまで言いましたか!?」
ルークスの無礼ぶりは予想を遥かに超えていた。
「彼は『自分はパトリア王に仕えているのではない。フローレンティーナという少女の友達だから騎士になったのだ』と。次の王などに仕える気などさらさらなく『退位しようと友達に仕え続けるのだ』と。それがルークス・レークタという人物でした」
「ええ。彼は私の友達です。たった一人の……心の支えでした」
「騎士として、騎士団としての形に囚われておりました。立場ゆえの言葉が陛下の心に届かぬのは当然。彼はそれに気付かせてくれました。これほど鈍感な無骨者ゆえ、陛下の信を得るに至らぬは当然。全ては我が不徳の致すところです。伏してお詫びいたすとともに、改めて個人として陛下に、いえフローレンティーナ嬢に忠義を尽くすことを誓うべく、参じた次第でございます」
フローレンティーナは感極まって立ち上がった。彼の元に歩み寄り、膝を着いてその手を取った。
「嬉しく思います。フィデリタス殿、あなたも今日から私の友達なのですね」
「友とお呼びいただけるとは一生の名誉にございます。否、名誉などという俗な言葉ではなく、ただ墓まで持っていける誇りにいたします」
「本当に、ルークスもあなたも、不器用な良い友達です」
その不器用さこそが、少女にとって一番信頼できる理由であった。
玉座に戻ったフローレンティーナは、咳払いした。
「では、今まで話さなかったことも、打ち明けていただけますね?」
「御意。陛下を脅かす者に手をこまねいておりましたのは、陛下の王権を守るためでございました」
そしてフィデリタスは自分が知る限りの事を語った。
第一王位継承者プロディートル公爵クナトス・ドルス・ド・ジーヌスは、女王の臣下ほぼ全員を掌握していること。彼の意向一つで王国の政務が滞ってしまうことを。
「立法や裁判はおろか、日々の町の巡視に至るまで、王の直轄地は事実上、公爵の領地と化しております」
痛む頭を女王は何度も振った。
「まさか、そこまで叔父の手が伸びているとは」
「もし騎士団が公爵排斥に動けば、たちまちパトリア王国は機能不全に陥るでしょう」
「それを防ぐ手立ては無いのですか?」
「今ならば奏上できます。一時的とはいえ、陛下が王権を手放すことになりますゆえ、今まで控えておりましたが」
「聞かせてください」
「公爵は、陛下の臣下を把握しておりますが、文官に限ります。国王から国家に所属が変わった軍は手つかず、彼が握る武力は衛兵の他は海軍だけです」
「つまり軍は味方と言うわけですね?」
「むしろ仲間を殺され、自分たちの血で掴みとった勝利を覆された遺恨により、軍は公爵と完全に敵対しております。彼らと協同すれば、公爵の影響を排除することは可能かと」
レークタ夫妻暗殺事件の再調査に、軍が協力的だったわけである。
「軍の主だった者たちは、皆領主ですね?」
「はい。公爵に尻尾を振る背信者を排除し、その穴を各領主からの人員で埋めることは可能かと」
「なるほど。私は自分の城で他人の臣下に囲まれるのですね」
「御意。ゆえに、今の今まで奏上できずにおりました」
「それは、いつまでになります?」
「人材登用の道を抑えられているため、陛下の直臣を一から揃えるには時間がかかります。その間、陛下にははつらい思いをさせることになります」
フローレンティーナは大きく息を吸った。
「今とさほど変わりませんね」
「は?」
「叔父一人の臣下が、複数領主の臣下に変わるだけです。むしろ可視化される分ましです」
そして女王は決した。
「やりましょう」
それがどれだけ厳しい道のりか、想像にあまりあった。
「どれほど険しい道だろうと、ノームに嫌われてなおゴーレムマスターを目指したルークスの逆境に比べたら、まだ楽なはずですから」
א
夕食の席でフローレンティーナ女王は上機嫌だった。
ルークスのマナー失敗にも余裕で微笑みかける。
騎士団長とのわだかまりが溶け、心から信頼できると分かったからだ。
息子であるフォルティスにとり最高の朗報であった。
食堂で食事をしているのは女王とルークスの他はフォルティスだけである。
調査報告を兼ねているので余人を除いていた。
その為警護も絶対に信頼できる人物しか置いていない。
フォルティスの兄プレイクラウス・エクス・エクエス卿である。
身内で固めているので安心して内緒話ができる、そうフローレンティーナは配慮したのだ。
しかしフォルティスにとっては針のむしろとなった。
兄を立たせて弟の自分だけが食べるなど、僭越すぎて食事が喉を通らない。
しかしルークスに食事マナーを見せる都合上、食べねばならない。
それ以前に、陛下と囲む夕食で料理を残すなど言語道断である。
緊張するあまり手が震えてしまう。
「どうしたの?」
とルークスは肉をナイフで刺したまま話しかけてきた。
「ルークス卿、まず手の物を置いてください。あなたは会話中、手元がおろそかになりますので」
「ああ、そうか」
とルークスはナイフを皿に乗せた。
「ええと、何だっけ?」
ナイフを皿に置くことに注意を向けた途端、前のことが頭から追い出されたのだ。
「まさか今ので忘れてしまうのですか?」
フローレンティーナも驚いた。
「ああ、うん。悪い事はいつまでも覚えているのに、一瞬前のことはすぐ忘れてしまうんです」
女王はフォルティスに目を向ける。
「教育には時間がかかりそうですね」
お陰で理解が深まった点は収穫である。
調査の報告はフォルティスがやった。記録を付けていたのは彼だし、ルークスは話が脇にそれるなどで要領を得ない。
「ルークス卿は、ゴーレムに関しては専門家に匹敵する知識と話術になれるのです」
とのフォローに女王はにこやかにほほ笑む。
ゴーレムへの熱意はそのまま「自分のゴーレムで守る」というフローレンティーナとの約束を果たそうとする誠意だからだ。
女王の背後、天井近くでシルフの娘が一人、退屈そうに伸びをしている。
通常警護は二人で行うが、一人なのはルークスの友達のシルフがいるからだ。
暴漢を防ぐ盾にはならないが、いち早く警報を発せられるし、後日の証人にもなれる。
ただシルフとしては退屈な役割なので、ルークスはできるだけ声をかけてやる。
シルフ繋がりでルークスは思い出した。
「そうだ、学園が休み延長を認めませんでした」
戦勝祝賀式典の出席のためなので、休みは明後日までなのだ。
最終日は移動に当てるので、調査に使えるのは明日一日しかない。
学園には昨日早馬で手紙を出していたのだが、延長却下の返事をシルフがもたらしたのが夕方である。
話の流れを切る形での発言だが、フローレンティーナは感情を害することもなく答えた。
「それは困りますね。私から言いましょう」
「学園は王宮精霊士室の管轄だから、陛下が言っても決定が覆らなければ、室長の黒は確定ですね」
まだ王宮精霊士室長のインヴィディア卿については報告されていなかったので、女王は飛び上がらんばかりに驚いた。
「まさかインヴィディア卿が!?」
「ああ、まだでしたか。まあ公爵が支配する文官ですし、精霊にしゃべらせない精霊使いは信用できません」
ルークスはにべもなく断じた。
慌ててフォルティスが止める。
「ルークス卿、インヴィディア卿は陛下の大切な人のようです」
「え? そう……だったんですか。いきなり言ってごめんなさい」
「いいえ、あなたは悪くありません。私の覚悟が足りなかったのです」
無意識のうちに親しい人間を嫌疑から外してしまったのだ。
ルークスは手を伸ばし、彼女の手を握って元気付ける。
主君に無断で触れるという禁忌を犯しているのだが、フォルティスは止めなかった。
信頼を裏切られて傷ついた心は、信頼によってしか癒えることはないのだから。
もちろん今はまだ疑いの段階である。
だが状況からフォルティスも黒と判断している。
そしてフローレンティーナにも心当たりがあった。
見過ごしてきた、大目に見てきた多くに、裏の意味があると分かれば疑問も解ける。
婆やのように思っていた老女もまた、自分の敵だったのだ。
昨日、ルークスという本当の友達と再会できた。
今日、フィデリタス騎士団長が真に忠臣であると判明した。
だが今、信頼していたインヴィディア王宮精霊士室長が背信していると気付いた。
喜びと悲しみとの振れ幅が大きすぎて、少女の心は張り裂けそうだ。
「つらければ泣いていいんですよ」
と、手を握ってくれるルークスが彼女の頼みの綱であった。
何があっても自分を裏切ることがない友達。
彼女が忘れ、期待を失ってもなお、誰にも知られないところでひたすら尽くし続けてきてくれたルークスがいる。
主君と騎士という関係以前に、固い絆で結ばれた友達が今ここにいるのだ。
ルークスがいる限り自分の心が折れることはない、そうフローレンティーナには信じられた。
そしてそれが分かるので、フォルティスはルークスの無礼を止めなかった。
「ルークス卿は陛下の友人ですので、内々のこの場では許されます。しかし、公の場ですと問題となることは覚えていてください」
それはルークスに向けてではなく、背後で見ている兄への言い訳だった。
騎士が無断で主君に触れるだけでも問題だが、主君がそれを認めるのはもっと問題なのだ。
気安く肉体に触れさせる異性を周囲は「愛人」としか思わないから。
プレイクラウス卿は弟の気遣いを理解していた。
騎士にあるまじき無礼ではあるが、昨日まで平民だった子供のすることだ。
昨日、陛下が涙まじりに約束の履行を喜んだ姿を、彼は目に焼き付けている。
騎士団が命がけで忠誠を尽くした以上のことを、あの少年はやってのけたのだ。
敗戦の時より九年間、幼き陛下の心の支えであり続けることを。
それができなかった自分たちが悔しくてならなかった。
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