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第七章 激突

魂の代償

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 魂を得た精霊は不滅となり、無限に力を使える。
 ただし、魂を与えた人間が死ぬと精霊は力を失い消えてしまう。
――短期間不滅後の消滅、それが魂を得た精霊の末路であった。

 グラン・シルフのトービヨンは不可視のまま首を振った。
「分からぬな、インスピラティオーネ。上位精霊になったそなたが、何故そうまでして人間に尽くす?」
「尽くしているのではないぞ。楽しんでおるのだ」
 笑うインスピラティオーネにトービヨンは呆れる。
「楽しみの代償で消えるなど、気が知れぬ」
「そなたとて、人間と契約したのは楽しみ故であろう?」
「退屈しのぎだ。存在をかける程の付き合いではない」
「退屈、そうだ退屈だ。お互い随分と永い間、吹いてきたな。世界の隅から隅まで繰り返し吹き回ってきた。同じ場所を繰り返し繰り返し回り、同じ光景を繰り返し繰り返し見るとなれば、退屈にもなるものよ」
「だから何だ?」
「シルフの頃は良かった。行く先々で発見があったからな。だがグラン・シルフになり、視野が広がり遠くまで見えるようになると、あっと言う間だ。この世界は、グラン・シルフにとっては狭過ぎた」
「ここ千年の間、変化と言えば人間が増えたくらいか」
「であろう? 変化が乏しく、移動に魅力が無くなった。そんなある日だ。シルフたちの言の葉にルークスの名前が出たのは」
 インスピラティオーネは笑う。
「ルークスは、あの子は他の人間とはまったく異質。精霊使いなのに、精霊の力を使おうとせぬのだ。信じられるか?」
「何かの誤解だと思っていたが」
「精霊の使い方を教える学び舎で居眠りをするのがルークスだ。精霊とはおしゃべりするだけで、用事を頼むことはほとんどない。それどころか、仲良くなったオムが苦しむからと、我に『離れて』と言ってのけたぞ」
「グラン・シルフの力が不要と?」
「応。ずっと側におるが、ルークスは精霊と友達になるだけだ。力を欲して契約を求めたことは、ただの一度も無かった。逆に力を貸してやっていたのう」
「あべこべではないか」
「トービヨン、そなたも聞いておろう? 幼き頃よりの夢を叶え、ゴーレムマスターになったルークスを祝福し、木々が花を狂い咲かせた話は。これまで木の世話をしてくれたルークスの為に、ドリュアスたちが無理して咲かせたのだ」
「花びらを運んだシルフたちから、聞き及んではおる」
「過去に精霊に媚びる人間はいたが、それは精霊の力が目当てだった。見返りを求めず精霊に尽くす人間など、我が知る限りルークスが初めてだ。今は毎日が楽しくて仕方ない。ルークスが何を言って何をするのか、その場面を見逃してなるものか、と。故に閉鎖空間に閉じ込められても、苦にならぬ」
「そなたがそこまで言うとは」
「我は乾いていた。乾いていたのだよ、トービヨン。空の高みを飛ぶあまり、潤いを忘れておった。キラキラと輝く水滴をルークスからもらっている今が、この一日一日が、これまでの百年千年に匹敵しよう。我が無味乾燥な年月を過ごせたのは、それが苦痛であると知らなかった為だ。ルークスと触れあい、この輝く日々を知ってしまった今は、その後・・・にまた乾いた時を何千年も過ごすなど考えられぬ」
 トービヨンは悲しげに言う。
「そなたを救うには、もう遅いのだな」
「何を言う? 我は苦痛から救われたのだぞ、ルークスによって」
「好奇心は、精霊にとっての『死に至る病』か」
「それは違う。退屈こそが『死に至る病』なのだ。そなたもルークスに会えば分かるであろう」
「遠慮する。人間とは、暇つぶしに付き合うに留めたい」
「暇つぶしが必要なほど退屈なら、いずれ苦痛となろうぞ。その時までルークスが生きている、などとは思わぬことだな」
 そう言い残し、インスピラティオーネは北へ戻る。
 残されたトービヨンはゆっくりと首を振った。

 インスピラティオーネが山中の休憩場所に戻ると、ルークスは腹這いになって紙にペンを走らせていた。
 先ほど閃いたアイデアを、外に出して検証しているのだ。
 ノンノンが左肩に乗っているほか、リートレとカリディータはルークスの手元に視線を注いでいる。
 その為グラン・シルフの報告はアルティが聞いた。
「広く散った歩兵がゴーレムを取り巻いて行軍している? 何でそんな真似を?」
 首をひねる幼なじみに顔を向けず、ルークスは言った。
「敵のゴーレムコマンダーが隠れていないか、虱潰しらみつぶしにチェックしているんだよ。ルート上に潜伏させないためにね」
「それって――つまり?」
「イノリ最大の秘密はまだ守られているってこと。その分だと到着は相当遅れるな。三日どころか、その倍はかかるかも」
 だのにルークスはため息をついた。
「でもなあ、それでも終わりそうにないなあ、これ」
 ゴーレムの新技術らしいが、絵の下手さもあってアルティには理解不能だ。
「続きは終わってからでもいいんじゃない?」
「中断したら閃きが腐っちゃうよ」
「肉や魚じゃないぞ」
「腐るのは肉や魚だけじゃないよ。野菜や果物だって腐るし。腐る前にカビが生えるのはパンやチーズくらいで……そうだ!」
 突然ルークスは身を起こした。
「まーた余計な閃きが沸いたわね」とアルティは肩をすくめる。
 ルークスは笑顔で親友たちに頼んだ。
「イノリを作って」
 まだ帰るには早い時間なのでアルティは怪訝に思った。

 それから程なくして、サントル帝国の征北軍本隊はパトリア王国の新型ゴーレムに遭遇したのだった。
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