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第二部 ジェノサイド

第46話 血のメッセージ 第十三の犠牲者

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 残り時間――1時間06分  

 残りデストラップ――2個

 残り生存者――7名     
  
 死亡者――11名   

 重体によるゲーム参加不能者――1名

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「おいおい、いつまでそうやって安っぽいドラマを見せ付ける気だよ。こっちはそういうのにはもう飽き飽きしてるんだよ」

 ひどく不満げな声が割り込んできた。市民の味方であるはずの刑事らしからぬ態度を2人に隠すことなく見せたのは、阿久野であった。

「――阿久野さん、申し訳ないですが、おれはあなたよりもイツカのことを信じます!」

 スオウはイツカを抱き締めながらそう言い切った。勇気を出して辛い告白をしてくれたイツカ。そんなイツカの気持ちを裏切るわけにはいかない。

「なるほど、どうしても俺の言うことを聞いてはもらえないっていうことか。まあ、それじゃ、仕方がないな」

 阿久野の言葉はどこか投げやりな感じに聞こえた。はじめに見せた好感のある刑事の姿は、どこにも感じられない。いや、あるいはこちらこそ、本当の姿なのかもしれない。

「こういう言い方はしたくありませんが、あなたの今のその態度には、どこか不穏な気配が感じられます。おれの知っている阿久野さんじゃない気がするんです」

 スオウは心に生まれていた疑問を、阿久野に直接ぶつけた。阿久野がどういう反応をするのか怖かったが、ここではっきりとさせておきたかった。

「──分かった。そこまで言うのならば、君も覚悟は出来ているんだろうな?」

「覚悟、ですか……?」

「忘れたのか? 俺は刑事なんだぜ。──おまえたち2人を殺人容疑で逮捕する」

 阿久野の返事はスオウの予想外のものだった。

「逮捕って、どういうことですか?」

「そこに横たわっている女が、まさかただ寝ているなんて言わないよな?」

 阿久野が玲子の存在について指摘してきた。

「それはその……」

「それとも、この状況で自分たちは一切関係がないなんて言うつもりじゃないよな?」

「…………」

 完全に返事に詰まるスオウ。確かにこの状況下では、真っ先に疑われるのはスオウたちで間違いない。しかし、スオウは自分とイツカが玲子を殺していないと知っている。スオウとイツカが来たときには、もうすでに玲子は息を引き取っていたのだ。

「阿久野さん、考えてもみてください。高校生が人を殺すと思いますか?」

 駄目もとで言ってみた。

「逆に殺さないとも言い切れないだろう?」

 嫌な返し方をしてくる阿久野。

「それは……そうですが……」

「特に最近の高校生は何をするか分からないからな。殺人ぐらい平気だろう。過去には、妊婦の腹を切り裂こうとした狂った少年もいたし、同級生に毒薬を飲ませた女子高生もいたからな」

 阿久野は刑事らしく過去の未成年犯罪の事例を持ち出してきた。スオウもそれらの事件のことはよく知っていた。自分とそれほど年齢が変わらない未成年が犯した犯罪が信じられなかった。

「でも、おれはそんな連中とは違いますよ! それは阿久野さんが一番知っているはずでしょ?」

「悪いな、スオウ君。身内だからといって甘くしていたら、刑事は勤まらないんだよ。──さあ、俺と一緒に警察署まで来てもらおうか」

 阿久野が一歩、スオウたちのいる方に足を踏み出してきた。右手は腰のベルトに付けられている茶色のホルダーに伸びている。おそらく中身は手錠であろう。

「どうして分かってくれないんだよ……」

 スオウは恨みがましくつぶやいた。


 こんなことならば玲子さんのことを無視して、場所移動を優先させるべきだったかもしれないな……。


 玲子の遺体にチラッと目を向ける。そこで玲子の唇に目が止まった。


 そういえば、イツカが玲子さんの唇に付いた血がおかしいって言っていたけど……。


 こんな切羽詰った状況だというのに、なぜかそのことを思い出した。目のピントが玲子の口元に、急速にフォーカスを合わせる。

 真っ赤な血で彩られた玲子の唇。まるで小さな子供がママゴトで母親の口紅を使って、自分の唇を出鱈目に赤く塗りたくったような感じに見えた。唇以外には、顔には血の痕跡は一切見られない。


 確かにイツカが言った通り、唇だけにべったりと血が付いているのは、どこか不自然でおかしいけれど……。


 スオウの頭が高速で回転を始めた。不自然さには、必ず何かしらの理由があるはずなのだ。


 もしかしたら、玲子さんは自分の血を使って、何かメッセージを残したのかもしれない!


 唐突にそんな解答にたどり着いた。


 そうか。これってミステリー小説によくある、ダイイングメッセージなんだ!


 そう確信するに至った。

「――イツカ、おれの話を聞いてくれ」

 スオウはイツカの耳元に口を寄せた。

「どうしたの、スオウ君?」

「イツカ、今気付いたんだけど、玲子さんはメッセージを残してくれたんだよ。それさえ解ければ、玲子さんを撃った犯人が分かるかもしれない。犯人さえ分かれば、きっと阿久野さんもおれたちの言い分を信用してくれると思うんだ」

 スオウはイツカに早口で囁いた。

「えっ? メッセージってどういうことなの……?」

「イツカが言っていた、玲子さんの唇に付いた血のことだよ。たぶん、あれはダイイングメッセージなんだと思う」

「ダイイングメッセージ……あっ、そうか、その可能性があったんだ!」

 イツカは先ほどの告白をまだ引きずっているのか、若干顔が強張ったままである。しかし、その目には力強い輝きが戻っている。

 スオウとイツカが囁き合っている間にも、阿久野は徐々に2人との距離を詰めてきていた。阿久野が接近してくる前に、なんとかして玲子が残してくれたダイイングメッセージを解かないとならない。


 唇に付いた真っ赤な血……。これっていったい、どういうことなんだろう? 何かの意味を表しているのかな?


 とりあえず赤い物を思い浮かべられるだけ考えてみた。


 リンゴ、イチゴ、さくらんぼ、バラ、太陽、信号機、炎、ルビー……。


 しかし、これだという物が思い浮かばない。


 ひょっとしたら赤い物を表しているんじゃないのかも……。だとしたら赤い物じゃなくて、赤からイメージされる事柄を考えた方がいいのかもしれないな。


 答えに辿りつけずに、思考ばかりが堂々巡りをする。

「どうしたんだ、スオウ君? さっきからそこの死体ばかり見ているが、今さら何かもっともらしい言い訳でも考えているのか?」

 倒れた玲子から視線を外さないスオウのことが気になったらしく、阿久野がからかうような声で訊いてきた。

「先に忠告しておいてやるよ。刑事に言い訳はきかないぞ。素人の考えるウソなんて、一発で見抜けるからな」

 阿久野の言葉を聞いた瞬間、スオウの頭に閃きがはしった。


 ウソ……! そうか、ウソなんだ! 玲子さん、分かったよ! 玲子さんが言いたかったことが──。


 スオウは阿久野にすぐさま目を戻した。

「阿久野さん、この女性はおれたちにメッセージを残してくれたんです。自分を撃った犯人についてのヒントになることを」

「──ヒント? それはどういうことだ?」

 阿久野が興味を持ったのか、足を止めてスオウの話に耳を傾ける姿勢を示した。


 よし、ここで阿久野さんを説得出来れば、警察署に連れて行かれなくて済むかもしれないぞ。


 スオウは一度大きく息を吐いて気持ちを整えると、たった今頭に思い浮かんだ謎解きの答えを話し始めた。


「重要なのは、この唇に不自然に付いた真っ赤な血だったんです。この血は『真っ赤なウソ』ということを示していたんです。では、なぜそんなメッセージを残したのか? きっとこの女性は、自分を撃った人間は『真っ赤なウソ』を付いている、ということを伝えたかったんだと思います」

「ほおー、真っ赤なウソねえ」

 阿久野はスオウの推理に多少なりとも感心したようだった。

「でも、それだけじゃ、君たち2人が関係ないとはまだ言い切れないだろう?」

 刑事らしく、すぐにスオウの推理の欠点を突いてくる。

「ええ、それは分かっています。だから今、必死になって考えているんです。『真っ赤なウソ』が示しているのが誰のことなのか──」

 今夜、この閉園になった遊園地に集まったゲーム参加者たちの顔を、順番に一人ひとり思い浮かべてみた。その中に、必ず『真っ赤なウソ』を付いた人間がいるはずなのだ。そして、その者こそ、玲子を殺した犯人に違いないのだ。


 ゲーム参加者の内、生き残っているのはおれとイツカ、それに春元さんとヴァニラさん。あとは美佳さんと櫻子さんに……そうか、あの包帯男も残っているよな。


 頭に思い浮かんだのは計7人。その中で当然、自分とイツカは除外出来る。重体で体を動かせないヴァニラも除外対象である。そうすると、残りは4人。

 長いこと一緒に行動していた春元も除外していいだろ。これで残りは3人。

 この3人の中で、もっともウソを付きそうにない人間が玲子を撃ったに違いない。だからこそ玲子は『真っ赤なウソ』というダイイングメッセージをあえて残したのだ。


 美佳さんはウソを付くようには見えないよな。おれに護身用の痴漢スプレーも貸してくれたしな。あれが無かったら、今ごろおれはあのナイフ男の矢幡に殺されていたかもしれないんだから。ということは、美佳さんも除外していいよな。

 これで残ったのは包帯男と櫻子さんの2人だな。見た目だけで判断したら駄目だけど、この2人は見た目からしてウソを付きそうにみえるからな……。


 疑わしい人物は絞られたが、これだという決定的な証拠が見付からない。そうしているうちに、心中に焦燥感が生まれてくる。

 再度、阿久野の様子を確認する為に、前方に目を振り向けた。

 阿久野は今にも腰のホルダーから手錠を取り出そうとしている。ここで刑事に捕まるわけにはいかない。


 刑事……? えっ、刑事って、まさかそういうことなのか……!


 スオウの思考が在り得ない解答を導き出した。


 そうか、おれのすぐ間近に『もうひとり』いるのを忘れていたよ。もしも『この人』も今夜のゲームの参加者だとしたら……。


 驚愕で見開いたスオウの目と、阿久野の底知れぬ光を溜めた目が、空中で交差する。

「スオウ君、もしかしたらだけど、阿久野さんが怪し──」

 ほぼ同時にイツカも真相にたどり着いたみたいだ。

「ああ、絶対にウソなど付きそうにない人間がウソをついたからこそ、玲子さんは『真っ赤なウソ』というダイイングメッセージをあえて残したんだ。世の中で絶対にウソを付きそうにない人間といって真っ先に思い浮かぶのは、社会的に信頼されている刑──」

 スオウが言い終わる前に、場に動きが生じた。

 阿久野が腰の手錠に添えていた右手を、スーツの脇の下に素早く移動させる。スーツの裾が翻って、再び阿久野の右手が現われたとき、そこには黒くて細長い筒状の物体が握られていた。それを躊躇することなく、スオウの方に向けてくる。

「スオウ君、危ないっ!」

 イツカがスオウの前に身を投げ出してきた。


 そして──空気を切り裂く甲高い音が一回、園内に鳴り響いた。


 スオウの前に立つイツカの体が、糸を断ち切られたマリオネットのように力を失いスオウの方にもたれかかってくる。スオウは自分の胸にのしかかってくるイツカの体を呆然の眼差しで見つめながらも、しっかりと受け止めた。

 両手にイツカの体の重みをずっしりと感じる。もうひとつ、両手に感じるものがあった。

 ねっとりとした生温かい液体の感触。

「イツカァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 スオウは口から張り裂けんばかりの絶叫を放った。

 スオウの視線の先には、こちらに銃を向けた阿久野の姿があった。銃口から微量の硝煙が宙に向かって伸びている。


 イツカは阿久野が手にした拳銃で撃たれたのだった!


 ────────────────


 電気の力で走っているおかげで、バスの走行音はガソリン車と比べると驚くくらい静かだった。

「これだけ静かだと、デストラップの前兆があってもすぐに気が付くよな」

 春元はハンドルを慎重に操作しながらバスを走らせる。

「なあ、ヴァニラ。オレにひとつ名案があるんだけど、聞いてくれるか? きっとヴァニラの望みを叶えられる名案だと思うんだ」

 返答がないことを知りながら、ヴァニラに話し掛け続ける春元。ひとりでじっと黙ったままでいるよりも、こうしてヴァニラに話し掛けている方が精神的に落ち着くのだ。

「このゲームが始まってから、オレがずっと話していた地下アイドルのことは覚えているか? 実はその地下アイドルっていうのは、オレとちょっとした関係があってさ──」

 地下アイドルの『エリムス』との関係については、誰にも話すつもりはなかったが、なぜかこのタイミングでさらっと話し出していた。あるいは、ヴァニラには聞こえていないと分かっているからこそ、逆に話を切り出せたのかもしれない。

「いや、関係っていっても、そういう男女の関係とかじゃないからな! 本当に違うからな! 誤解しないでくれよ!」

 ヴァニラは聞いていないというのに、春元は全力で頭を振って、必死に言い訳をする。

「まあ、どんな関係かというと、すごく単純なんだよ。つまりさ、簡単に言うと──」

 春元がいよいよ話の核心に入ろうとしたとき、遠くの方から乾いた音が鳴り響いてきた。走行音が静かな電気バスだったからこそ聞こえた音である。

 今夜、何度も聞いた音──。

「クソっ! また銃声かよ! いったい銃を持っているバカは、今夜何発撃てば気が済むんだ!」

 春元は雑言を吐き捨てつつも、すぐさま電気バスのブレーキを強く踏み込んだ。電気バスが急停車する。

 耳を研ぎ澄まさせて、園内の音に全神経を集中させる。しかし、二発目の銃声はいっかな聞こえてこない。

「うん? どうしたんだ? 一発こっきりで終わりなのか?」

 改めて、耳をそばだててみる。しかし、アトラクションの動く音以外は聞こえてこない。

「うーん、銃声は気になるが、ヴァニラを乗せている状態では近付くわけにはいかないからな……」

 次の行動に迷っていると――。


『イツカァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!』


 銃声ではなく、人の叫び声が聞こえてきた。それもよく知る少年の声である。

「スオウ君!」

 声の主が分かった瞬間、春元は間髪入れずに電気バスを発進させていた。

「ヴァニラ、悪いけど、やっぱり少しばかり寄り道していくからな──」

 アクセルをベタ踏みにして、全速力でバスを走らせる。幅の狭い園内の道をスピードを出して走り続けるのは危険極まりない行為だったが、今はそんなことに構っているときではない。

 路肩に設置された鉄製の柵に、バスの側面が接触して甲高い金属質の悲鳴があがる。荒い運転に車体が激しく上下する。

 それでも春元は電気バスのスピードを一切緩めることをしなかった。

「スオウ君、今、助けに行くからな!」

 必死にハンドルを操作しながら、胸の中でスオウの無事を祈り続ける春元だった。
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