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第二部 ジェノサイド

第55話 三つ巴の戦いの果て その2

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 残り時間――36分  

 残りデストラップ――2個

 残り生存者――6名     
  
 死亡者――11名   

 重体によるゲーム参加不能者――2名

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「――まさか、本当にお前だったとはね……」

 重い声を発したのは春元だった。その視線は阿久野の顔に釘付けである。

「なんだ、誰が運転しているのかと思ったら、あのときの間抜けな男かよ。あの示談の件では、いろいろと世話になったな。おまえたち兄妹のおかげで随分と稼がせてもらったぜ。遅ればせながら礼を言うぜ」

 阿久野はこれ見よがしにニヤッと嫌らしい笑みを浮かべた。

「なんだと! お前、それでも本当に刑事かよっ!」

 今にも一歩前に出そうな勢いで春元が噛み付く。温厚な春元の顔に激高の相が浮かんでいる。

「悪いが、これでも立派な刑事さ。もっとも世の中にはいろんなタイプの刑事がいてな、生憎と俺は正義ではなく、『悪の刑事』なんだよ。名前も阿久野だしな」

 スオウはこの状況でこのブラックユーモアを悠然と発する阿久野の気が知れなかった。いや、これこそが本当の阿久野の姿なのだろう。

「お前のことを信じていたのに……。お前のせいで全部ぶち壊しになったんだ……。妹はそのせいで……」

 春元は握り締めた拳をぷるぷると震わせている。

「そういえば、その妹は元気なのか? まさかあれからセックス恐怖症にでもなっちまったんじゃないだろうな? もしもそうならば、オレのベッドテクニックで治してやってもいいんだぜ。もちろん有料でな」

 明らかに春元のことを挑発していると分かる阿久野の言葉であった。

「きさま、今すぐその口を叩き潰してやるっ! 妹がどれだけ深い心の痛手を受けたのか知ってるのかっ!」

 春元が実際に一歩前へと足を踏み出しかけた。妹のことを言われた春元は、完全に挑発にのってしまったのだ。

「こんな簡単な挑発にのるぐらいだから、お前は簡単に騙されたんだよっ!」

 阿久野の手元で乾いた音が鳴った。躊躇することなく拳銃を発砲したのだ。銃弾は春元がまさに今足を踏み出そうとしていたバスの床の上を、正確無比に撃ち抜いていた。もしも春元が実際に一歩足を踏み出していたら、間違いなく足の甲に穴が開いていただろう。

「これだから素人は困るんだよな。素手で銃に勝てるとでも思ったのか?」

「ぐっ、くくく……」

 春元は歯噛みしながら、その場で体を硬直させてしまう。相手が拳銃では、余りにも分が悪すぎる。はなから勝負にはならないのだ。

「せっかくだから、お前にひとついいことを教えてやるよ。いいか、世の中には二種類の人間しかいねえんだよ。俺みたいに上手く騙すやつと、お前みたいにバカみたいに騙されるやつの二種類さ!」

「クソ野郎が……」

「俺がクソだとしたら、お前は差し詰め、負け犬ってところだな。負け犬はそうやって自分の愚かさと非力さを悔やむしかねえんだよ!」

 阿久野が拳銃の力によって、完全にこの場を支配し始める。

「――それで阿久野さん、おれたちをこの後どうするつもりなんですか?」

 スオウは座席から少しだけ顔を覗かせて、阿久野と春元の会話に加わった。挑発にのった春元の様子を間近で見ていたせいか、逆にスオウは気持ちが冷静になっていた。今はとりあえず怒り心頭の春元が暴走しないようにおさえつつ、阿久野が手にした拳銃の脅威から、いかに逃げるかを最優先に考える必要がある。

「そこにも俺に騙された間抜けがひとりいたのか」

 阿久野はスオウのことも挑発してきた。

「阿久野さん、戯言はもういいです。おれが聞きたいのは──」

「なんだよ、つまらねえやつだな。さっきはあんなにカッとなっていたくせによ。まあ、いいさ。バカをおちょくっていても時間の無駄だからな。さっさとお前を片付けないとな」

 どうやらスオウの口封じをする気に変わりはないようだ。

「本当におれたちのことを殺すつもりなんですか?」

「お前たちは俺のことを知りすぎちまったからな」

「誰にも言わないと約束してもダメですか?」

「悪いな。俺が信じるのは自分だけなんだよ。そのお陰でここまで生き延びてこられたんだからな」

「だったら、せめてイツカだけでも──」

「安心しろ、その女はここで助けなくともいずれ死ぬ。心配するだけ無駄だぜ」

 イツカのことを簡単に切り捨てる阿久野だった。

「やっぱりあんたは正真正銘のクソ刑事だなっ!」

 上手い具合に話し合いに持っていこうとしたが、結局最後は罵声で終わってしまった。こうなったら話し合い以外の別の手を早急に考えなければならない。

「まあ、でも安心しな」

「えっ……?」

「お前たちの口封じをするのは、これから始まるショータイムが終わってからだ」

「ショータイム……?」

 阿久野は自分だけにしか分からない言い方で会話を終えると、バスの奥の方に銃口を向けた。

「そこに隠れているんだろう? さっさと姿を見せろよ。お前にはやってもらうことがあるんだからな」

 話し終えるやいなや、また発砲した。銃弾はバスの後方の座席を直撃する。

 銃声の余韻が残る中、阿久野の声に促されたのか、あるいは発砲の恐怖によるものか、座席の下に隠れていた櫻子が立ち上がって姿を見せた。


 えっ、櫻子さんに何の用があるっていうんだ……? ひょっとして、おれがまだ知らないことがあるのか……? もしかしたら、このクソ刑事は櫻子さんのことまでも騙していたのか……?


 スオウは恐怖と緊張がない交ぜになった状態の中、それでも必死に頭を動かし続けた。人間関係を把握することは、逃げ道を探す近道にもなりうるのだ。

「おい、あのバケモノ顔野郎を今すぐ呼び出せ!」

「――わざわざ私が呼ばなくとも、きっと向こうから来るわ」

 阿久野を前にしても櫻子の態度は微塵も変わらない。感情が見えない表情も変わらない。そこが逆に怖くもあった。

「それじゃ、やつが来る前にお前が持っているその物騒なモノをこっちによこしな。嫌なら今度はお前を直接狙ってもいいんだぜ」

 阿久野が銃口の先をくいっと動かした。

「────」

 櫻子は無言のまま座席の裏側に手を伸ばすと、そこから黒い筒状の物体を取り出した。阿久野が手にしている拳銃と同型の拳銃である。そんな危険な武器を座席の裏側に付いている網ポケットに、そのまま入れておいたらしい。銃身の部分を親指と人差し指で挟むと、無造作に宙でぶらぶらとさせる。

「そのまま床の上を滑らせて、こっちによこしな」

「────」

 櫻子はその場に静かにしゃがみ込むと、拳銃を床に置いて、阿久野の方に滑らせた。

 黒い凶器がスオウのすぐ脇を滑っていく。一瞬、この拳銃を奪って、阿久野と対峙しようかと考えたが、さきほど見せ付けられた阿久野の射撃の腕前を思い出して、すぐに自分の浅はかな考えを捨てた。


 大丈夫だ。まだチャンスはいくらでもあるはずだ。今はその機会を待とう。


 スオウは床の上を滑る拳銃を見つめながら、じっと耐え忍んだ。

 拳銃が阿久野の足元まで滑っていく。阿久野は床から拳銃を拾い上げると、左脇に付けたホルスターに収めた。そして、ゆっくりとバスの廊下を奥へと移動し始めた。バスに衝突したときに怪我を負ったのか、右足を重そうに引き摺っているが、他に傷は負っていないみたいだった。手にした拳銃の狙いは少しもぶれていない。いつでも正確に発砲出来る体勢で、どこにも隙らしい隙がなかった。

 阿久野はバスの中央付近まで来ると、そこで足を止めた。阿久野を中心にして、前方に櫻子、後方にスオウと春元が位置している。スオウと春元は乗降口に近いので、一瞬でも隙が出来ればバスを飛び降りることが出来るが、如何せん、重体のイツカの存在がある以上、ひとりで逃げることは出来ない。

「さあ、これであとはやつが来るのを待つだけだな。それで全員集合っていうところか」

 阿久野がバスの車外に意味深な視線を向けた。


 いったいこのクソ刑事は誰を待っているんだ? まだ残っているゲーム参加者といえば──。


 スオウは頭の中で素早くゲーム参加者の顔を順番に思い浮かべていった。現在、ゲーム内の残り生存者は6名のはずである。ここにいるのは重体のイツカを除けば、スオウ、春元、美佳、櫻子、そして阿久野を合わせて計5名。


 あと一人、誰だ? おれは誰か忘れているのか……?


 再度思考を巡らせようとしたとき、乗降口から物音がした。咄嗟に音の方に目を向ける。

「うぐっ!」

 思わず口から呻き声がもれてしまった。視界に飛び込んできた人物が余りにも異様な顔付きをしていたからである。顔中に残る目を覆いたくなるような無惨な傷跡の数々。戦争にでもいってきたんじゃないかと疑ってしまうような傷跡だ。

 しかし顔に見覚えはなくとも、その筋肉質の体付きはしっかり記憶に残っていた。

「まさか……こいつは……あの男なのか……?」

 つぶやくスオウを尻目にして、新しい乗客は泰然とバスに乗り込んできた。

「その顔の傷……。だから、おまえは包帯で顔を隠していたのか……」

 少し離れた所にいる春元も驚いている様子だったが、その乗客の正体にすぐに気がついたらしい。

 ゲーム開始時のレストランで会って以来となる再会シーンであった。新しい乗客は、顔に巻き付けていた包帯を全て外した白包院に間違いなかった。

「相変わらず反吐が出そうなくらいの胸糞悪い顔だな。さっさと女の隣に移動しやがれ」

 阿久野が銃口を振って声高に白包院に命令をする。

「…………」

 白包院は自然体のままバスの中を歩いていく。その足取りに迷いや恐れといったものは感じられない。櫻子同様に、この男もまた普通ではないことが分かる所作である。

「さてと、これで今夜のパ-ティーの参加者は全員揃ったみたいだな。どうしたんだ? みんな顔色がすぐれないぞ? せっかくのパーティーなんだから、もっと盛大に騒いだらどうだ?」

 まるで安っぽいパーティーの主催者のように振る舞う阿久野。

「まったくしょうがねえな。このままじゃ、少しばかし盛り上がりに欠けちまうからな、今から俺がとっておきのショーを見せてやるよ! 一生に一度見られるかどうかの最高のショータイムの始まりだぜ!」

 言い終わるやいなや、阿久野は手にした拳銃を白包院に真っ直ぐ向けた。

「おい、無抵抗の人間を撃つつもりなのか? それがあんたの言うショータイムなのかよ! 全然面白くないぞ!」

 スオウは自分の危険も顧みずに、思わず声を発していた。阿久野がなぜ白包院に銃口を向けたのか知らないが、目の前で人が撃たれようとしているのを、このまま黙って見過ごすわけにはいかない。

「──お前、こいつの正体を知っても、まだそんな甘いことが言えるのか?」

「えっ、正体って……?」

 確かにスオウは白包院の正体を知らない。しかし顔に残る傷を見れば、普通ではない人生を送ってきたのであろうことは容易に察せられる。問題はその人生の中身であるが。

「──ひょっとして……あんたたち2人にも、何らかの関係性があるっていうのか……?」

 阿久野と白包院の顔を交互に見比べる。

 片や悪の道に堕ちた刑事。方や顔中に残る傷跡を包帯で隠していた正体不明の男。

「──昔々あるところに、それはそれは可愛らしい一人の妊婦がいましたとさ」

 唐突に阿久野が話を切り出した。まるで子供に読み聞かせる昔話みたいな話し出しだったが、今から語られる阿久野の話が、そんな生ぬるいものでないことは分かり切っている。

「その妊婦はもうすぐ赤ん坊が産まれそうだった。夫婦は幸せの絶頂にあった。そこに狂気的なガキがひとり現われた。ガキはまだ未成年だった。そのガキはあろうことか、妊婦の腹を無惨に切り裂いて、腹の中から無理矢理赤ん坊を取り出そうとした──」

「お、お、おい……ちょっと待てよ、その話って……聞いた覚えがあるぞ……。それって数年前に起きた……少年による猟奇的な事件なんじゃ……」

 春元は拳銃のことも忘れたかのように、隠れていた座席の陰から驚きの顔を覗かせて、白包院のことを見つめている。

「オレの記憶が確かならば、被害者である妊婦の夫は──刑事だったはずだ……おい、まさか――」

 春元が何ごとかを探り当てたのか、見開いた目を今度は阿久野に向ける。

「刑事って……! 春元さん、その刑事っていうのはもしかして──」

 春元の話を聞いているうちに、スオウも記憶を蘇らせていた。頭の隅に残っていた事件を伝えるニュース映像が、鮮明に脳裏に浮かんでくる。

 自分とそれほど年齢の変わらない少年が引き起こした、前代未聞の猟奇事件──。

「それじゃ、あの事件を引き起こした少年っていうのが、この男っていうことなのか……?」

 スオウの目は自然と白包院の顔に向けられていた。

「そうだよ。この男こそ、あの狂った事件の犯人なんだよ! 名前は──瑛斗えいと。人間の皮を被った悪魔なんだよ、こいつは! オレはあの事件以降ずっと、この悪魔を死滅させることだけを考えて生きてきたんだよ! そして、その機会がようやく今やって来たんだよっ!」

 叫びざま阿久野は白包院──瑛斗に光の速さで迫った。

「まずはお前のその生気のない右目を奪う。次に同じように左目を奪う。オレと同じ決して明けることのない絶望的な暗闇に引きずり堕としてやる! そして、最後にお前の命を完全に奪う。お前が生きてきた証をすべて根絶やしにしてやるっ!」

 銃口を瑛斗の右目に突きつける。発砲しなくとも、そのまま銃口を少しでも前に突き出せば、瑛斗の眼球に触れるほどの距離である。

 阿久野の目には妄執じみた狂気の光が宿っていた。ほんの些細なきっかけひとつで、その狂気が爆発しそうだった。


 く、く、狂っている……。あの冷静だった男が……ここまで狂気に走るなんて……。


 スオウは阿久野の形相を見て戦慄に思った。確かに白包院──瑛斗の過去の所業も狂っているが、阿久野が今やろうとしていることもまた、同じように狂っているとしか思えなかった。これでは単なる私刑であり、陰惨な処刑でしかないのだ。


 な、な、何か、何か……打つ手はないのか?


 スオウは必死に頭を回転させた。知らぬうちに両手をせわしなく動かしていた。服のポケットに触れたとき、右手に熱い感触が走った。先ほど拾った春元のスマホである。


 そういえば目の前でいろいろ起こりすぎて、スマホを春元さんに返すのを忘れていたけど──。


 不意に電光が頭を貫いた。


 そうか。このスマホだ! さっきの『あの熱』は、きっとデストラップの前兆だったんだっ!


 頭に浮かんだ閃きを信じて、スオウはポケットから春元のスマホを取り出した。そして迷うことなく、すかさず阿久野の足元に向けて床の上を滑らせる。

 ツゥーという軽い擦過音をたてながらスマホが滑っていく。そのまま阿久野の靴にコツンという軽い音を立ててぶつかった。

「誰だ! 俺の邪魔をするやつは! お前か? なんだったら、お前を先に殺してやってもいいんだぜっ! 俺の最高の晴れ舞台を邪魔するヤツは、誰であろうと容赦なく殺すからなっ!」

 阿久野が血走った目で、スオウのことを睨み付けてきた。激しい憎悪と狂気の炎が宿る瞳。今や阿久野は完全に復讐の鬼と化していた。

「阿久野さん、あんたの遺恨も分かるが、目の前で人を殺されるのを黙って見てはいられない!」

 スオウは恐怖で萎えそうになる気持ちを震え立たせて声を張り上げた。

「ガキが偉そうに正義の味方を気取ってんじゃねえよ! いいか、この世に正義はねえんだよ! オレはそのことを事件に巻き込まれて初めて知った! お前も銃に撃たれたあとで、そのことを思い知るんだなっ!」

 銃口がスオウに向けられる。

「スオウ君っ!」

 春元が悲痛な叫び声をあげた。

 スオウは絶体絶命のピンチ。阿久野はこの後、間違いなくスオウに向けて拳銃を発砲してくるだろう。しかし――。


 大丈夫。大丈夫なはずだ。おれの予想が正しければ、そろそろ『アレ』が起こるタイミングだから。


 銃口を向けられてもスオウにはまだ若干の余裕があった。頭の中で閃いた予想が正しければ、一発逆転の大チャンスが訪れるはずなのだ。

「恨むならば、浅はかな自分の正義感を恨みな」

 阿久野が引き鉄に力を込める。


 まだか……まだかよ……。この男が銃を撃つ前に『アレ』が起きてくれないと間に合わない……。


 一瞬、自分の予想が間違ったのかと思い、背筋に死神の息吹を感じた。音もなく死がすーっと身近に迫っている気がした。


 ひょっとして、お、お、おれの……おれの……早合点、だったのか……? まさかこのタイミングで……人生で一番最悪の……勘違いを、したのか……?


 スオウの心に恐れと迷いが生じた瞬間、バス内に動きが生じた。

 バスの床下から瞬間的に大量の『白煙』が湧き上がってきたのである。一瞬のうちに辺りに白煙が蔓延する。

「────!!!」

 予想していた事態とは少々違っていたが、スオウは白煙を見た瞬間、目の前で何が起きたのか一瞬のうちに理解していた。だから、次の行動にも素早く移ることが出来た。

「春元さん、逃げましょう!」

「スオウ君、逃げるぞ!」

 2人はほぼ同時に叫んでいた。

 スオウは火事場の馬鹿力を発揮してイツカを抱きかかえると、一気にバスの乗降口を目指した。両手に掛かる重量は、しかしすぐに軽くなった。春元が手助けをしてくれたのだ。

「逃がすかよっ!」

 背後から阿久野の怒りの咆哮が聞こえてきた。ほぼ同時に発砲音があがる。

 スオウの顔のすぐ脇を空気を切り裂いていく音が通過していった。

 正確無比を誇る阿久野の射撃の腕も、しかし突然湧き出てきた白煙を前にして、狙いが少しずれたらしい。もっとも、すぐに修正をして二発目を狙ってくるはずだ。

 乗降口から降りようとしたとき、再び空気を切り裂く音が聞こえた。スオウの右腕に灼熱が走った。銃弾がスオウの腕を掠ったのである。イツカを抱えていた腕から力が抜けそうになるのをぐっと堪える。


 ヤバイぞ……。次の銃弾は確実に体の中心に当ててくるぞ……。


 黒い恐怖が胸の内に溢れてくる。そのとき──。


 ピューフュルルルルゥゥーーー!


 バス内に透き通るような甲高い音が走り抜けた。


 えっ、この音って、さっき聞いたあの音じゃ──。


 黒い恐怖が一瞬晴れて、光明が見えた。数秒を置かずして、カツンと音を立てて、バスの廊下に何かが転がった。瞬時に、さきほどとは比べ物にならないほどの色濃い白煙が広がっていった。完全に周辺が白い闇と化す。

「春元さん、今なら安全に出られます!」

「よし、全速力で逃げるぞっ!」

 スオウたちは立ち込める白煙に紛れて、今度こそバスからの脱出を図った。
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