12 / 33
マルイヨシキ
マルイヨシキ その1
しおりを挟む
見飽きた夕焼けに視界が霞む。忘れられた校庭のサッカーボールが、唯一この世に取り残された存在のように転がっている。廊下には窓が切り取った四角い光の塊が並び、それを俺は通過していく。チャイムが鳴っている。空洞に響くように空々しく。
俺は何度か足を止めそうになって、結局止められずに歩き続ける。心の底では、引き返した方がいいと思っている。あんな紙切れなんか破り捨てて、さっさと帰って安物のビールでも呷った方がいいと思っている。しかし、足は目的地に向かって動く。
校舎の隅の隅、今はもう使われていない、誰の意識からも外された空き教室。そこが俺の向かっている場所だった。
そうこうしているうちに、近づいてくる。胸のあたりが熱く、どくどくと高鳴っているのを感じる。馬鹿みたいだ、と思う。頭の何かの寄生虫に冒されているようだった。あのカタツムリに寄生する虹色のやつみたいな、ああいうのが俺の脳みそに寄生して、無理やりここまで引っ張ってきているのだと、ありもしない妄想が湧いて沈んだ。頭蓋骨を砕いてしまいたかった。脳みそごと寄生虫を引っ張り出したかった。寄生虫なんていないのに。
空き教室のドアの前に立つ。そのときになって、ようやく身体の一切の動きが止まる。それが最後の機会だった。ここで引き返せば良かったと後悔しないための。
けれど――俺の腕はゆっくり上がって、がらっとドアを引いていた。
カーテンの閉め切った、埃臭い教室だった。黴と苔が混じったような匂いが鼻腔を突き刺した。薄暗がりに目を馴らしていくと、がらんとしたその教室の中央に、ぽつんと椅子が一つ置かれていて、その上には少女がひとり座っていた。俺が受け持っている生徒と同じ歳くらいの。少女は妙ちくりんな格好をしていた。水色のドレスみたいな衣装を着ていて、髪の毛は銀色に染められていた。なんだか一昔前の女児向けアニメの主人公のようだった。さらに目が馴れてくると、ただ座っているだけでもないということがわかってきた。少女は縄のようなものできつく椅子に縛り付けられていて、口には猿轡を噛まされていた。瞼を下ろしてぐったりと肩を落としていることから察するに、どうやら気を失っているようだった。
様子をもっとはっきり確かめようと教室に一歩足を踏み入れたとき、がらっとカーテンが開いた。鬱陶しい西日が一気に雪崩れ込んできて、俺は思わず目を瞑った。
次に目を開けたとき、少女の後ろに、三人のぱっとしない男たちと、一人の珍妙な女がいた。男たちの方は、一人が不似合いなアロハシャツを着、一人が大きなカメラを持ち、一人は首に紐を通した知恵の輪をかけていた。女は痴女みたいな露出度の高い格好に、緑色の肌、頭には黒い角のようなものを生やしていて、空想に登場する鬼や悪魔の類のようだった。
「どうもどうも、マルイヨシキさんですかね?」
アロハシャツの男が、まるで知り合いに挨拶するように気さくな調子で声をかけてきた。
状況が把握できずに黙っていると、今度は女が一歩前に歩み出てきた。
「私はオーバーリーディングの幹部、アマンダ」
「は?」
聞き慣れない単語が飛び出してきて、俺はアホみたいにぽかんとする。
「あなた視点にわかりやすく言えば、悪の組織よ」
「悪の――組織?」
今度は幼稚な単語だ。なんだか馬鹿にされているような気分になってきた。
「信じていないわね。まあ良いけど」
女はまた後ろに下がると、隣のアロハシャツの方を指差した。
「それでこいつらは――」
「初めまして、私、アダルトビデオメーカークズ箱の社長をやってるイチノセと申します」
女の声を遮り、アロハシャツは通販販売員みたいな明るい口調で言う。
「あだると、びでお?」
俺の疑問の声を無視し、イチノセと名乗った男は話を続ける。
「そんでこっちのカメラを持ってるのがカメラマンのナカムラ、こっちの何も持っていないのがアシスタント的なことやってくれてるサクラダくん。撮影スタッフは以上です。本日はどうかよろしくお願いします」
イチノセは深々と頭を下げた。ナカムラとサクラダと紹介された二人の男は、会釈するように浅く頭を下げた。女は棒立ちのまま髪の毛をいじっていた。
俺はやはり意味がわからなくて、ずっとその場に突っ立って押し黙っていた。というか、知らないことを突然捲し立てられるばかりで、実質情報は増えていないも同然だった。
そんな俺の心境を察してか察していないのか、頭を上げたイチノセが、貼りつけたような満面の笑みを顔面に浮かべながら言った。
「マルイさんには、撮影に協力してうただきます」
「撮影?」
「彼女の相手役として」
イチノセは目の前の少女を指した。少女はまだ気を失っていた。
「そもそも――この子は誰なんだ?」
「え? マルイさんはもうご承知だと思いますけど」
「どういう――」
「だって、手紙で呼び出されてここに来たんでしょ?」
イチノセに指摘され、俺はようやくここに来た理由を思い出した。そっと右ポケットを探り、折り畳まれた一枚の紙きれを取り出す。今朝、職員室の机の上に置かれていた紙切れ。
「もう、わかりましたよね?」
――ああ、わかってしまった。
「この子は、魔法少女スカイシャイン。別名、アマサキヒカリさんです」
じっとりと手のひらから滲みだした汗が、薄い紙切れを濡らしていた。
俺は何度か足を止めそうになって、結局止められずに歩き続ける。心の底では、引き返した方がいいと思っている。あんな紙切れなんか破り捨てて、さっさと帰って安物のビールでも呷った方がいいと思っている。しかし、足は目的地に向かって動く。
校舎の隅の隅、今はもう使われていない、誰の意識からも外された空き教室。そこが俺の向かっている場所だった。
そうこうしているうちに、近づいてくる。胸のあたりが熱く、どくどくと高鳴っているのを感じる。馬鹿みたいだ、と思う。頭の何かの寄生虫に冒されているようだった。あのカタツムリに寄生する虹色のやつみたいな、ああいうのが俺の脳みそに寄生して、無理やりここまで引っ張ってきているのだと、ありもしない妄想が湧いて沈んだ。頭蓋骨を砕いてしまいたかった。脳みそごと寄生虫を引っ張り出したかった。寄生虫なんていないのに。
空き教室のドアの前に立つ。そのときになって、ようやく身体の一切の動きが止まる。それが最後の機会だった。ここで引き返せば良かったと後悔しないための。
けれど――俺の腕はゆっくり上がって、がらっとドアを引いていた。
カーテンの閉め切った、埃臭い教室だった。黴と苔が混じったような匂いが鼻腔を突き刺した。薄暗がりに目を馴らしていくと、がらんとしたその教室の中央に、ぽつんと椅子が一つ置かれていて、その上には少女がひとり座っていた。俺が受け持っている生徒と同じ歳くらいの。少女は妙ちくりんな格好をしていた。水色のドレスみたいな衣装を着ていて、髪の毛は銀色に染められていた。なんだか一昔前の女児向けアニメの主人公のようだった。さらに目が馴れてくると、ただ座っているだけでもないということがわかってきた。少女は縄のようなものできつく椅子に縛り付けられていて、口には猿轡を噛まされていた。瞼を下ろしてぐったりと肩を落としていることから察するに、どうやら気を失っているようだった。
様子をもっとはっきり確かめようと教室に一歩足を踏み入れたとき、がらっとカーテンが開いた。鬱陶しい西日が一気に雪崩れ込んできて、俺は思わず目を瞑った。
次に目を開けたとき、少女の後ろに、三人のぱっとしない男たちと、一人の珍妙な女がいた。男たちの方は、一人が不似合いなアロハシャツを着、一人が大きなカメラを持ち、一人は首に紐を通した知恵の輪をかけていた。女は痴女みたいな露出度の高い格好に、緑色の肌、頭には黒い角のようなものを生やしていて、空想に登場する鬼や悪魔の類のようだった。
「どうもどうも、マルイヨシキさんですかね?」
アロハシャツの男が、まるで知り合いに挨拶するように気さくな調子で声をかけてきた。
状況が把握できずに黙っていると、今度は女が一歩前に歩み出てきた。
「私はオーバーリーディングの幹部、アマンダ」
「は?」
聞き慣れない単語が飛び出してきて、俺はアホみたいにぽかんとする。
「あなた視点にわかりやすく言えば、悪の組織よ」
「悪の――組織?」
今度は幼稚な単語だ。なんだか馬鹿にされているような気分になってきた。
「信じていないわね。まあ良いけど」
女はまた後ろに下がると、隣のアロハシャツの方を指差した。
「それでこいつらは――」
「初めまして、私、アダルトビデオメーカークズ箱の社長をやってるイチノセと申します」
女の声を遮り、アロハシャツは通販販売員みたいな明るい口調で言う。
「あだると、びでお?」
俺の疑問の声を無視し、イチノセと名乗った男は話を続ける。
「そんでこっちのカメラを持ってるのがカメラマンのナカムラ、こっちの何も持っていないのがアシスタント的なことやってくれてるサクラダくん。撮影スタッフは以上です。本日はどうかよろしくお願いします」
イチノセは深々と頭を下げた。ナカムラとサクラダと紹介された二人の男は、会釈するように浅く頭を下げた。女は棒立ちのまま髪の毛をいじっていた。
俺はやはり意味がわからなくて、ずっとその場に突っ立って押し黙っていた。というか、知らないことを突然捲し立てられるばかりで、実質情報は増えていないも同然だった。
そんな俺の心境を察してか察していないのか、頭を上げたイチノセが、貼りつけたような満面の笑みを顔面に浮かべながら言った。
「マルイさんには、撮影に協力してうただきます」
「撮影?」
「彼女の相手役として」
イチノセは目の前の少女を指した。少女はまだ気を失っていた。
「そもそも――この子は誰なんだ?」
「え? マルイさんはもうご承知だと思いますけど」
「どういう――」
「だって、手紙で呼び出されてここに来たんでしょ?」
イチノセに指摘され、俺はようやくここに来た理由を思い出した。そっと右ポケットを探り、折り畳まれた一枚の紙きれを取り出す。今朝、職員室の机の上に置かれていた紙切れ。
「もう、わかりましたよね?」
――ああ、わかってしまった。
「この子は、魔法少女スカイシャイン。別名、アマサキヒカリさんです」
じっとりと手のひらから滲みだした汗が、薄い紙切れを濡らしていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる