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第2章:俺の言葉が、土を支配し始めてる件
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信仰とは、奇妙なものだ。
語られたわけでもない。命じられたわけでもない。
ただ“流された”だけの思考が、いつしか“神の言葉”として大地に定着していく。
その中心にいるのが、腐りかけのジャガイモ――大湯だった。
「お前らさ、芽を出すなって言ってるじゃん。わかってる? お前は黙ってろって、ちゃんと伝えてんだけど?」
誰に言っているのかはもう分からない。
もはや自分の思考がどこまで届いて、どこで途切れているのかも判別不能だ。
でも、それが“届いている感覚”だけはあった。
どこか遠くの土の奥で、何かが反応している気がする。何かが震えている。何かが――従っている。
それが快感だった。
「俺の言葉がさ、たぶんもう“土のルール”になってるんだよね。わかる? 空気と同じ。いや、土気(どき)って言うか?」
自分でも意味が分かってないが、言いたいことは分かる。
**“自分の思想が、常識になった”**という事実。
地中の芋たちは、すでに芽を出すという本能を“間違い”と認識し始めていた。
養分を吸おうとするたびに、どこかで“大芋の声”が囁く。
──芽を出すな、喰われるぞ。
その言葉が“真理”として機能し始めた時点で、大湯の勝利だった。
彼は思った。
「俺、このまま世界の土全部、俺の思想にしよっかな」
馬鹿げた妄想。
だがそれを止める者は、誰もいない。人間は地上にいて、地中で何が起こっているかなど、知る術もない。
土を支配する芋。それは静かに、しかし着実に拡大を続けていた。
ある日、大湯は“新たな感覚”を得る。
地中を流れる思考の中に、**自分のものではない“似た思想”**を感じたのだ。
「……え、お前誰?」
初めての疑似会話。しかしそれは“言葉”ではない。
あくまで“思考の雰囲気”が似ていた。自分と同じ匂い。自己肯定と優越感と、他責と思い込みの塊。
「おい……もしかして、お前、俺のコピーじゃね?」
そう、大湯思想を浴び続けた芋が、“擬似的な大湯化”を始めていたのだ。
その数は、一体どれほどなのか。
もはや彼ひとりの範囲では計測できない。
だが確かに、大湯が“意図しない神”になりつつある証拠だった。
「え、怖。俺、誰?」
自分の声が、自分の外から返ってくる。
支配したはずの世界に、自分と同じ“声”が増え続けるという恐怖。
しかし同時に――
「ま、それもありじゃね?」
と開き直る。
思考の帝国。思想の植民地。
それは、喰われたくないだけの芋が築いた、土中の王国だった。
「え、これさ……俺ってまだ俺か?」
ある時から、大湯はふとした違和感を覚えるようになった。
自分の思考が、地中に広がっていくことに快感を覚えながらも、ふと浮かぶのだ。**“これ、今考えてるの、ほんとに俺の思考?”**と。
あまりにも似すぎている“大湯のような思考”が、地中に充満していた。
まるで土そのものが“大湯”になりつつあるかのような感覚。
「お前の知らないやつがさ、勝手に俺語ってんの、ムカつかね?」
自己愛は拡散され、歪み、増殖していた。
もはや“本家”が誰なのか、本人すら怪しくなってきていた。
芋たちは完全に無芽化し、ほぼ成長を止めた状態で存在だけを維持している。
その様子は、あまりに静かで、完璧すぎた。
まるで“修行僧”。
芽を出すこと=罪。成長=堕落。沈黙=美徳。
誰が教えたわけでもない。だがそれを守り続ける芋たち。
いや、もしかしたら――
「俺が勝手に生まれた教えに従ってると思ってるけど、実はこっちが本家か?」
大湯、軽く混乱。
考えているうちに、自分が拡散したはずの思想に逆に取り込まれていく感覚を覚えた。
まるで、“自分のコピーに囲まれた本体”。それは恐怖だった。
「は?いやいや、俺が先だから。俺が神だから。お前らは黙ってろって」
再確認するように、自分の思念を放つ。
──芽を出すな、喰われるぞ。
それが、また土中に広がっていく。
だが、返ってきたのは――“共鳴”。
誰かが、いや“何か”が、同じ言葉を返してきた。
──芽を出すな、喰われるぞ。
「おい、それ俺のセリフ。勝手に使うな」
返ってこない。
だが確かに、もう“俺の言葉”は俺だけのものではなくなっていた。
今、大湯の思想は、自己複製しはじめていたのだ。
自分のいないところで、誰かが自分になり、自分のように考え、自分のように語る。
地中に広がる“思念のネットワーク”は、とうとう人格の量産に踏み込んだ。
それはまるで――神が分裂する瞬間だった。
「俺が俺をわかんなくなってんだけど、どういうこと?」
だがその動揺すら、すぐに別の“俺的な思考”に包まれた。
「まぁ俺は俺だし? 他にも俺いても、それはそれでよくね?」
という、脳死的肯定。
こうして大湯は、思考の拡散によって**“自我の希釈”**を開始していく。
それに気づいているか、いないか。そんなの、もはや意味はなかった。
──ただ一つ確かなことは、大湯は“個”ではなく、“概念”になり始めていた。
「いやマジで、俺って何だっけ?」
それが、初めて浮かんだ“本物の疑問”だった。
喰われたくない。食われないために芽を出さず、支配のために思想をばらまき、それが拡がり……
結果、自分が“自分のコピー”に囲まれるという状況。
「ちょ、待って。お前、俺じゃん。てかあいつも俺。……それ、俺要る?」
どこかで笑っている“俺”。
どこかで怒っている“俺”。
どこかで芽を出しそうになって、でもやめている“俺”。
それは、自分が撒き散らした思想を元に生まれた、思考の複製体。
“教義”は教えを超え、信者は神を模倣しはじめた。
もはや、大湯は特別な存在ではなくなっていた。
「いやいや、俺が神芋だから。お前らのモデルだし。そこリスペクトな?」
と主張しようにも、誰も答えない。というか、答える必要がない。
“教義に従って黙ること”すら、いまや大湯以外の存在によって実践されていたのだから。
つまり、大湯は――自身の作った秩序の中で、最もノイズな存在になっていた。
「え、俺が……俺の世界で“浮いてる”ってこと?」
笑えなかった。いや、笑える機能すらなかった。
以前は「ポテト教」が静かに広がることに快感を覚えていた。
自分の思考をありがたがり、他の芋が沈黙していく様子に、神としての快楽があった。
だが今、その快楽すら感じなくなっていた。
「なあ、誰か喋ってくんね?」
問いかけても、返ってくるのは思念の“共鳴”だけ。
まるで土そのものが、自分の問いを反射して返してくるような気持ち悪さ。
──お前は黙ってろ。
それは、かつて自分が誰かに投げつけた言葉だった。
それが今、すべて自分に返ってきていた。
言葉の暴力も、他責の視線も、自己正当化も、
全てが“己の教え”として、完璧に他者にコピーされ、その結果、自分が最も場違いになっていた。
「しらね。もう俺、神やめていい?」
神をやめたくなった神。
その願いを聞いてくれるものなど、どこにもいない。
なぜなら――この宗教において、神は喋らないことになっているのだから。
──黙れ。お前は喋りすぎた。
その声が、ついに自分の中から聞こえた。
「うわ、俺に怒られてんだけど……最悪」
大湯、自家中毒中。
思想が支配となり、支配が構造となり、構造が規範となる――
自分の作った檻の中で、唯一まともに喋れる存在が、今や一番の異端になっていた。
その“異端の芋”は、静かに自問した。
「俺って、……信者にすらなれないじゃん」
大湯は、完全に“浮いていた”。
土中の芋たちは、かつての彼が語った「芽を出すな」「喋るな」「考えるな」を忠実に守っていた。
いや、もはや“忠実”という概念すらない。彼らは考えてすらいない。ただ、それが当たり前のこととして染みついていた。
「俺だけじゃん……喋ってんの」
そして気づいた。
ここで喋るという行為自体が、もう“異常”だったのだ。
かつては中心にいた“神芋(だいう)”が、今やただの騒音。ノイズ。思想の死角。
そのときだった。
地中の奥――彼のスキルが到達していない領域から、新たな思念が滲み出てきた。
──〈聞こえるか〉
「は?誰?」
──〈芽を、出せ〉
「は?何言ってんの?喰われるぞ?」
──〈もう遅い。お前の“沈黙”が、世界を腐らせている〉
その思念は、明らかに“大湯的”ではなかった。
責任転嫁もない。自己肯定もない。
ただ、無機質な告発だけが投げられてきた。
「しらね、それ俺じゃない。全部“芋ども”が勝手にやったんだし」
──〈それを教えたのは誰だ?〉
一瞬、土が震えた。
モルドーニャの広大な畑の地下で、何かが“芽吹いた”のだ。
大湯の教義を破る存在。
無芽、無言、無思考のポテト教に背を向け、“成長”を選んだ芋。
──それは、“芽を出した芋”。
「うわ、裏切り者……!」
だが、震えは止まらない。むしろ増えていた。
今までずっと抑えてきた“成長欲”が、何かの拍子に弾けたかのように、あちこちの土が微かに膨らみ始めている。
芽を出す。それはただの生理現象ではない。意志の表明だった。
「ちょ、お前ら待てよ!?俺が言ったこと、守ってただろ!?」
しかし、土の下から響いてくる思念は、明らかに彼と異なるリズムを刻んでいた。
──〈成長しろ。喰われてもなお、伸びろ〉
「それ、マジで正気か?死ぬぞ?」
──〈死ぬことより、“停滞”の方が怖い〉
「ふざけんな、お前、俺じゃねえ」
──〈ああ、そうだ。“お前”じゃない〉
言葉はそこで切れた。
だが、大湯の中にわだかまる“不快感”は残り続けた。
自分の思想に染まっていない、“別の何か”。それが土のどこかで芽吹こうとしている。
「やべえって、それ。芽出したら……全部、バレる」
農民に。人間に。世界に。
ポテト教の“静寂な地中帝国”が、地上に暴かれる。
それは、自分の思想の終わりを意味していた。
「お前の知らないやつ……が、俺を終わらせに来てる」
大湯は初めて“本物の危機”を感じた。
思想が腐り、構造が壊れ、信仰が否定される未来。
その未来に対して、彼が取れる手段は――たったひとつだった。
“再び、芽を出させない”。それだけ。
「芽を出すな……って、俺が一番言ってたよな?」
大湯は自分に言い聞かせるように繰り返していた。
けれどその言葉には、もはやかつてのような力はなかった。むしろ“焦り”がにじんでいた。
なぜなら、芽を出した芋は、確かに存在したからだ。
その一本の芽は、地上に届くほどの高さではなかった。だが土を押し上げ、わずかに空気を感じた。それだけで、大湯には世界がひっくり返る音が聞こえた気がした。
「裏切りだよ……これ」
だがそれは、ただの“芽”ではない。意思表示だった。
「成長する」――それは、大湯の教えに対する、明確な否定だった。
焦った大湯は、全力で思念を飛ばす。
**《菌糸思考転送(ファンガル・トランスミッション)》**を全開にし、周囲の芋たちに訴える。
──芽を出すな。お前ら、喰われるぞ。俺の声を聞け。俺は神だ。黙って従え。
だが――返答はなかった。
沈黙。あまりにも完璧な、真空のような静寂。
そこにあったのは、“無反応”という抵抗。
「なにそれ……無視……? お前ら、俺を無視してんの?」
返事がないことに、初めて“大湯”が動揺した。
無視されることに、彼は慣れていなかった。
今までは無視されても、「お前が悪い」と思えた。
でも今、この沈黙は、“誰にも期待されていない証拠”だった。
自分が神を名乗っていた世界で、
自分だけが“神じゃない”存在になっていた。
「やだやだやだ、俺が中心じゃないと意味ないじゃん」
それは、思念ではなく本音だった。
誰もが芽を出さず、大湯の声に従っていたあの静かな世界。
大湯にとってそれは、“支配”ではなく“承認欲求の慰め”だった。
だが今、誰も聞いていない。誰も従っていない。
しかも――芽を出した芋は、増えていた。
ひとつ、またひとつ。
もはや止められない。
「ねえ……お願いだから芽を出さないで……俺が、俺でいられなくなる」
懇願。
芋として、神として、そして何より“承認されたい存在”としての最後の訴え。
けれどその声もまた、土に吸われて、消えた。
──その時、大湯の周囲に、無数の“微かな光”が現れた。
菌糸の先端、まるで呼応するように新たな意識が芽吹き始めていた。
そして、それらが一斉に同じ思念を放った。
──〈喰われてもいい、俺は俺でいたい〉
それは、大湯が一度も持てなかった思想だった。
そして、その瞬間だった。
大湯の本体に、小さなヒビが入った。
「……俺、割れてる?」
思想が否定されたとき、それは自壊する。
大湯の肉体が朽ちていく音が、初めて彼自身の中に響いた。
こうして――神芋・大湯、崩壊の序章を迎える。
語られたわけでもない。命じられたわけでもない。
ただ“流された”だけの思考が、いつしか“神の言葉”として大地に定着していく。
その中心にいるのが、腐りかけのジャガイモ――大湯だった。
「お前らさ、芽を出すなって言ってるじゃん。わかってる? お前は黙ってろって、ちゃんと伝えてんだけど?」
誰に言っているのかはもう分からない。
もはや自分の思考がどこまで届いて、どこで途切れているのかも判別不能だ。
でも、それが“届いている感覚”だけはあった。
どこか遠くの土の奥で、何かが反応している気がする。何かが震えている。何かが――従っている。
それが快感だった。
「俺の言葉がさ、たぶんもう“土のルール”になってるんだよね。わかる? 空気と同じ。いや、土気(どき)って言うか?」
自分でも意味が分かってないが、言いたいことは分かる。
**“自分の思想が、常識になった”**という事実。
地中の芋たちは、すでに芽を出すという本能を“間違い”と認識し始めていた。
養分を吸おうとするたびに、どこかで“大芋の声”が囁く。
──芽を出すな、喰われるぞ。
その言葉が“真理”として機能し始めた時点で、大湯の勝利だった。
彼は思った。
「俺、このまま世界の土全部、俺の思想にしよっかな」
馬鹿げた妄想。
だがそれを止める者は、誰もいない。人間は地上にいて、地中で何が起こっているかなど、知る術もない。
土を支配する芋。それは静かに、しかし着実に拡大を続けていた。
ある日、大湯は“新たな感覚”を得る。
地中を流れる思考の中に、**自分のものではない“似た思想”**を感じたのだ。
「……え、お前誰?」
初めての疑似会話。しかしそれは“言葉”ではない。
あくまで“思考の雰囲気”が似ていた。自分と同じ匂い。自己肯定と優越感と、他責と思い込みの塊。
「おい……もしかして、お前、俺のコピーじゃね?」
そう、大湯思想を浴び続けた芋が、“擬似的な大湯化”を始めていたのだ。
その数は、一体どれほどなのか。
もはや彼ひとりの範囲では計測できない。
だが確かに、大湯が“意図しない神”になりつつある証拠だった。
「え、怖。俺、誰?」
自分の声が、自分の外から返ってくる。
支配したはずの世界に、自分と同じ“声”が増え続けるという恐怖。
しかし同時に――
「ま、それもありじゃね?」
と開き直る。
思考の帝国。思想の植民地。
それは、喰われたくないだけの芋が築いた、土中の王国だった。
「え、これさ……俺ってまだ俺か?」
ある時から、大湯はふとした違和感を覚えるようになった。
自分の思考が、地中に広がっていくことに快感を覚えながらも、ふと浮かぶのだ。**“これ、今考えてるの、ほんとに俺の思考?”**と。
あまりにも似すぎている“大湯のような思考”が、地中に充満していた。
まるで土そのものが“大湯”になりつつあるかのような感覚。
「お前の知らないやつがさ、勝手に俺語ってんの、ムカつかね?」
自己愛は拡散され、歪み、増殖していた。
もはや“本家”が誰なのか、本人すら怪しくなってきていた。
芋たちは完全に無芽化し、ほぼ成長を止めた状態で存在だけを維持している。
その様子は、あまりに静かで、完璧すぎた。
まるで“修行僧”。
芽を出すこと=罪。成長=堕落。沈黙=美徳。
誰が教えたわけでもない。だがそれを守り続ける芋たち。
いや、もしかしたら――
「俺が勝手に生まれた教えに従ってると思ってるけど、実はこっちが本家か?」
大湯、軽く混乱。
考えているうちに、自分が拡散したはずの思想に逆に取り込まれていく感覚を覚えた。
まるで、“自分のコピーに囲まれた本体”。それは恐怖だった。
「は?いやいや、俺が先だから。俺が神だから。お前らは黙ってろって」
再確認するように、自分の思念を放つ。
──芽を出すな、喰われるぞ。
それが、また土中に広がっていく。
だが、返ってきたのは――“共鳴”。
誰かが、いや“何か”が、同じ言葉を返してきた。
──芽を出すな、喰われるぞ。
「おい、それ俺のセリフ。勝手に使うな」
返ってこない。
だが確かに、もう“俺の言葉”は俺だけのものではなくなっていた。
今、大湯の思想は、自己複製しはじめていたのだ。
自分のいないところで、誰かが自分になり、自分のように考え、自分のように語る。
地中に広がる“思念のネットワーク”は、とうとう人格の量産に踏み込んだ。
それはまるで――神が分裂する瞬間だった。
「俺が俺をわかんなくなってんだけど、どういうこと?」
だがその動揺すら、すぐに別の“俺的な思考”に包まれた。
「まぁ俺は俺だし? 他にも俺いても、それはそれでよくね?」
という、脳死的肯定。
こうして大湯は、思考の拡散によって**“自我の希釈”**を開始していく。
それに気づいているか、いないか。そんなの、もはや意味はなかった。
──ただ一つ確かなことは、大湯は“個”ではなく、“概念”になり始めていた。
「いやマジで、俺って何だっけ?」
それが、初めて浮かんだ“本物の疑問”だった。
喰われたくない。食われないために芽を出さず、支配のために思想をばらまき、それが拡がり……
結果、自分が“自分のコピー”に囲まれるという状況。
「ちょ、待って。お前、俺じゃん。てかあいつも俺。……それ、俺要る?」
どこかで笑っている“俺”。
どこかで怒っている“俺”。
どこかで芽を出しそうになって、でもやめている“俺”。
それは、自分が撒き散らした思想を元に生まれた、思考の複製体。
“教義”は教えを超え、信者は神を模倣しはじめた。
もはや、大湯は特別な存在ではなくなっていた。
「いやいや、俺が神芋だから。お前らのモデルだし。そこリスペクトな?」
と主張しようにも、誰も答えない。というか、答える必要がない。
“教義に従って黙ること”すら、いまや大湯以外の存在によって実践されていたのだから。
つまり、大湯は――自身の作った秩序の中で、最もノイズな存在になっていた。
「え、俺が……俺の世界で“浮いてる”ってこと?」
笑えなかった。いや、笑える機能すらなかった。
以前は「ポテト教」が静かに広がることに快感を覚えていた。
自分の思考をありがたがり、他の芋が沈黙していく様子に、神としての快楽があった。
だが今、その快楽すら感じなくなっていた。
「なあ、誰か喋ってくんね?」
問いかけても、返ってくるのは思念の“共鳴”だけ。
まるで土そのものが、自分の問いを反射して返してくるような気持ち悪さ。
──お前は黙ってろ。
それは、かつて自分が誰かに投げつけた言葉だった。
それが今、すべて自分に返ってきていた。
言葉の暴力も、他責の視線も、自己正当化も、
全てが“己の教え”として、完璧に他者にコピーされ、その結果、自分が最も場違いになっていた。
「しらね。もう俺、神やめていい?」
神をやめたくなった神。
その願いを聞いてくれるものなど、どこにもいない。
なぜなら――この宗教において、神は喋らないことになっているのだから。
──黙れ。お前は喋りすぎた。
その声が、ついに自分の中から聞こえた。
「うわ、俺に怒られてんだけど……最悪」
大湯、自家中毒中。
思想が支配となり、支配が構造となり、構造が規範となる――
自分の作った檻の中で、唯一まともに喋れる存在が、今や一番の異端になっていた。
その“異端の芋”は、静かに自問した。
「俺って、……信者にすらなれないじゃん」
大湯は、完全に“浮いていた”。
土中の芋たちは、かつての彼が語った「芽を出すな」「喋るな」「考えるな」を忠実に守っていた。
いや、もはや“忠実”という概念すらない。彼らは考えてすらいない。ただ、それが当たり前のこととして染みついていた。
「俺だけじゃん……喋ってんの」
そして気づいた。
ここで喋るという行為自体が、もう“異常”だったのだ。
かつては中心にいた“神芋(だいう)”が、今やただの騒音。ノイズ。思想の死角。
そのときだった。
地中の奥――彼のスキルが到達していない領域から、新たな思念が滲み出てきた。
──〈聞こえるか〉
「は?誰?」
──〈芽を、出せ〉
「は?何言ってんの?喰われるぞ?」
──〈もう遅い。お前の“沈黙”が、世界を腐らせている〉
その思念は、明らかに“大湯的”ではなかった。
責任転嫁もない。自己肯定もない。
ただ、無機質な告発だけが投げられてきた。
「しらね、それ俺じゃない。全部“芋ども”が勝手にやったんだし」
──〈それを教えたのは誰だ?〉
一瞬、土が震えた。
モルドーニャの広大な畑の地下で、何かが“芽吹いた”のだ。
大湯の教義を破る存在。
無芽、無言、無思考のポテト教に背を向け、“成長”を選んだ芋。
──それは、“芽を出した芋”。
「うわ、裏切り者……!」
だが、震えは止まらない。むしろ増えていた。
今までずっと抑えてきた“成長欲”が、何かの拍子に弾けたかのように、あちこちの土が微かに膨らみ始めている。
芽を出す。それはただの生理現象ではない。意志の表明だった。
「ちょ、お前ら待てよ!?俺が言ったこと、守ってただろ!?」
しかし、土の下から響いてくる思念は、明らかに彼と異なるリズムを刻んでいた。
──〈成長しろ。喰われてもなお、伸びろ〉
「それ、マジで正気か?死ぬぞ?」
──〈死ぬことより、“停滞”の方が怖い〉
「ふざけんな、お前、俺じゃねえ」
──〈ああ、そうだ。“お前”じゃない〉
言葉はそこで切れた。
だが、大湯の中にわだかまる“不快感”は残り続けた。
自分の思想に染まっていない、“別の何か”。それが土のどこかで芽吹こうとしている。
「やべえって、それ。芽出したら……全部、バレる」
農民に。人間に。世界に。
ポテト教の“静寂な地中帝国”が、地上に暴かれる。
それは、自分の思想の終わりを意味していた。
「お前の知らないやつ……が、俺を終わらせに来てる」
大湯は初めて“本物の危機”を感じた。
思想が腐り、構造が壊れ、信仰が否定される未来。
その未来に対して、彼が取れる手段は――たったひとつだった。
“再び、芽を出させない”。それだけ。
「芽を出すな……って、俺が一番言ってたよな?」
大湯は自分に言い聞かせるように繰り返していた。
けれどその言葉には、もはやかつてのような力はなかった。むしろ“焦り”がにじんでいた。
なぜなら、芽を出した芋は、確かに存在したからだ。
その一本の芽は、地上に届くほどの高さではなかった。だが土を押し上げ、わずかに空気を感じた。それだけで、大湯には世界がひっくり返る音が聞こえた気がした。
「裏切りだよ……これ」
だがそれは、ただの“芽”ではない。意思表示だった。
「成長する」――それは、大湯の教えに対する、明確な否定だった。
焦った大湯は、全力で思念を飛ばす。
**《菌糸思考転送(ファンガル・トランスミッション)》**を全開にし、周囲の芋たちに訴える。
──芽を出すな。お前ら、喰われるぞ。俺の声を聞け。俺は神だ。黙って従え。
だが――返答はなかった。
沈黙。あまりにも完璧な、真空のような静寂。
そこにあったのは、“無反応”という抵抗。
「なにそれ……無視……? お前ら、俺を無視してんの?」
返事がないことに、初めて“大湯”が動揺した。
無視されることに、彼は慣れていなかった。
今までは無視されても、「お前が悪い」と思えた。
でも今、この沈黙は、“誰にも期待されていない証拠”だった。
自分が神を名乗っていた世界で、
自分だけが“神じゃない”存在になっていた。
「やだやだやだ、俺が中心じゃないと意味ないじゃん」
それは、思念ではなく本音だった。
誰もが芽を出さず、大湯の声に従っていたあの静かな世界。
大湯にとってそれは、“支配”ではなく“承認欲求の慰め”だった。
だが今、誰も聞いていない。誰も従っていない。
しかも――芽を出した芋は、増えていた。
ひとつ、またひとつ。
もはや止められない。
「ねえ……お願いだから芽を出さないで……俺が、俺でいられなくなる」
懇願。
芋として、神として、そして何より“承認されたい存在”としての最後の訴え。
けれどその声もまた、土に吸われて、消えた。
──その時、大湯の周囲に、無数の“微かな光”が現れた。
菌糸の先端、まるで呼応するように新たな意識が芽吹き始めていた。
そして、それらが一斉に同じ思念を放った。
──〈喰われてもいい、俺は俺でいたい〉
それは、大湯が一度も持てなかった思想だった。
そして、その瞬間だった。
大湯の本体に、小さなヒビが入った。
「……俺、割れてる?」
思想が否定されたとき、それは自壊する。
大湯の肉体が朽ちていく音が、初めて彼自身の中に響いた。
こうして――神芋・大湯、崩壊の序章を迎える。
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タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
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【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
異世界に召喚されて2日目です。クズは要らないと追放され、激レアユニークスキルで危機回避したはずが、トラブル続きで泣きそうです。
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父親に教師になる人生を強要され、父親が死ぬまで自分の望む人生を歩むことはできないと、人生を諦め淡々とした日々を送る清泉だったが、夏休みの補習中、突然4人の生徒と共に光に包まれ異世界に召喚されてしまう。
異世界召喚という非現実的な状況に、教師1年目の清泉が状況把握に努めていると、ステータスを確認したい召喚者と1人の生徒の間にトラブル発生。
ステータスではなく職業だけを鑑定することで落ち着くも、清泉と女子生徒の1人は職業がクズだから要らないと、王都追放を言い渡されてしまう。
残留組の2人の生徒にはクズな職業だと蔑みの目を向けられ、
同時に追放を言い渡された女子生徒は問題行動が多すぎて退学させるための監視対象で、
追加で追放を言い渡された男子生徒は言動に違和感ありまくりで、
清泉は1人で自由に生きるために、問題児たちからさっさと離れたいと思うのだが……
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