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第1章:初めてのニューポテ競技場
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「お前さ、マジで競艇知らねぇの?」
りゅうのその一言が、ポテトの運命を大きく狂わせた。ポテトはコンビニの前に座り込み、地面に座ったまま、ポテスピを一口吸ってはくさそうに吐き出す。目の前にはりゅう、そしてその後ろで自販機の缶をがちゃがちゃやっているかもめ。
「ガチレスすると、俺、そういうのよりもっと”理論派”だから」
口をゆがめながら、ポテトは笑った。歯の間に何か挟まっているのか、やたら舌を動かしながら喋る。あの脂ぎった笑顔が夜の街に浮かぶたび、りゅうはげんなりしていた。
「でも、まぁ、行ってみてもいいけど? どうせ俺が勝つし?」
その日の夜、三人は軽自動車でニューポテ競技場へと向かった。夜風が窓から入り込む中、車内にはポテスピの臭いと、ポテトのやたらと大きな鼻息がこもっていた。ポテトは後部座席でふんぞり返り、スマホでスロットのアプリを眺めながら「これさ、設定6確定出てるやつなんだよね」と誰にも求められていない解説を繰り返していた。
到着したニューポテ競技場。水面はライトに照らされて鈍く光り、ピットの向こう側では整備士がエンジンの調整をしていた。スタンドにはまばらに人がいるが、ポテトの目には舟しか映っていなかった。
「お前、舟ってさ、見たことある?」
かもめのその質問に、「あーね、お前の知らないやつ」と言い放って、ポテトは一歩、場内に踏み入れた。
「正直言っていい? これ、俺が勝てるやつじゃん」
まだレースも始まっていない。ただし、彼の中ではすでにレースは始まっていた。勝つのは自分、負けるのは他人。それが彼の人生のルールだった。
だが、この水面が、彼の人生を飲み込み、沈めるとは――そのとき、誰も思っていなかった。
場内に入って数分、ポテトは既に“通”の顔をしていた。手には場内新聞を持ち、意味もわからぬ舟券用語を声に出して読み上げ、周囲の客にチラチラと視線を送る。
「これさ、3-1-4でしょ、どう考えても。俺、センスで分かっちゃうんだよね」
紙面を指でなぞりながら、なぜか斜めに立って喋るポテト。その立ち方は、まるで勝者のそれだった。見ているりゅうの肩が、何度もため息で上下する。
「お前、展示見ろよ……」
りゅうの声は届かない。ポテトは既に舟券売り場に突撃していた。
「とりま、2万。勝負する。今日の俺は、来てる」
財布の中身はすでにギリギリだった。というか、そもそもその2万円も、昨日りゅうから「絶対に返すから」と言って借りた金だった。返済期限? 「それ、誰が決めたの?」というポテトの一言で、いつも有耶無耶になる。
舟券を握りしめ、観覧席へ戻るその顔には、妙な自信と脂汗が混ざっていた。自分の座席にどかりと腰を下ろすと、椅子が一瞬悲鳴を上げたような音を立てた。周囲の客が微かに振り返る。
「ポテスピくれ、かもめ」
「自分で買えよ」
「あーね、だから俺、今日勝ったら、全員焼肉連れてくから。マジで。信じて」
それは決して果たされない約束。そんなこと、りゅうもかもめも分かっていた。それでも、ポテトが“勝ったら”という未来にだけは異様な説得力を込めて話すから、誰も突っ込まない。
レースが始まる。
スタートの瞬間、ポテトは立ち上がり、手を広げて叫んだ。
「行け! 俺の舟っ!!」
もちろん、自分の舟ではない。買った舟券の選手のことを指しているだけだ。だが、その声はまるで神の使いのように高く、場内に響き渡った。
……結果は、まさかの1-5-6。
ポテトの舟券は、無残にも紙くずになった。
「いや、これは事故。完全に。3が転覆するなんて読めるか?」
そう言って、紙をぐしゃぐしゃに丸めながら、ポテトはふてくされたように言った。
りゅうが静かに言う。「まず展示見てれば、3は無理って分かったよ」
ポテトは黙ったまま、ゆっくりとポテスピを取り出す。
一本吸い、煙を吐いたあとで、また言った。
「まぁ、初戦は捨てた。ここからだから。俺の伝説」
その言葉には、どこか哀しみすら混ざっていた。
……誰にも聞かれたくない、ポテトだけの開幕だった。
ポテトは、負けても諦めない。というより、自分が負けたという認識が脳内に存在していない。
「正直言っていい? これは俺が負けたんじゃなくて、運営が負けさせた」
そう呟きながら、ポテスピをふかす。煙の匂いが後ろの家族連れにまで届き、子供が咳き込むが、ポテトは気づかないふりをしてさらに一口深く吸う。
「この空気感、俺のじゃない」
意味のわからない言葉を漏らしながら、ポテトは再び新聞を広げる。そこに書かれた選手のデータを眺める目には、異様な光が宿っていた。
「理論で勝てる。感覚じゃない。ここで生き残るのは、読みと予測とポテナッチ」
「……ポテナッチ?」
かもめが呟くように尋ねたが、ポテトは無視して続けた。
「黄金比。それに近いやつをオレ流に変換して、枠番と進入コースに掛け合わせて……お前、知らねぇか。まぁいい」
そう言いながら、ポテトは自分のスマホのメモアプリを開き、いくつかの数字を打ち込んだ。「8.3、6.1、12.1……」声に出しながら入力するその姿は、まるで何か神聖な儀式でもしているかのようだった。
りゅうは眉をひそめ、黙って座っている。かもめは、何も言わずポテトの横でポカリを飲んでいた。
「ほら、出た。この数字、“くる”やつだわ」
次のレースも、ポテトは全力で舟券を買った。所持金はもうわずかだったが、「これに勝てば全部取り返せる」と、心のどこかで本気で思っていた。
……そして、またもや、外れる。
「え? は?」
口から漏れたその言葉には、焦りが混ざっていた。ポテトはレースのリプレイを見ながら、納得のいかない表情を浮かべていた。
「いや、5がもう少しスタート踏めてれば展開変わったって……」
りゅうがそっと言う。「それ、誰が言っても同じだよ」
「お前、黙ってろ」
一気に声が荒れる。視線が交差する。だが次の瞬間には、ポテトはもうスマホを見ていた。怒りも反省も、彼には不要だった。ただ次の勝利への妄想だけが、彼を支えていた。
「次だな。うん、次。ポテナッチの法則、今度こそ。」
そしてまた、舟券を買いに立ち上がった。
その歩き方は、妙に偉そうだった。
次のレースまでの待ち時間。ポテトはベンチにどっかりと座り込み、ポテスピを指に挟んだまま、自分のスマホ画面をまじまじと眺めていた。
「お前ら、これが“ポテナッチ指数”だから」
りゅうもかもめも、まるで見たくないものを見るような目で彼のスマホを覗き込んだ。画面には、謎のスプレッドシート。セルには「ふわ感値」「ハンドル捌き率」「バイブス成分」などと意味不明なワードが並んでいる。
「これさ、まず前日睡眠時間と当日の朝飯メニューから、選手の集中度を算出すんの。たとえば、味噌汁飲んだやつは“冷静寄り”、カレー食ったやつは“攻撃型”。で、そこに天気と風速を掛け合わせる。あーね、あと重要なのは“スタート音が耳にどう届くか指数”。これ、他のやつ知らねぇから」
りゅうがぽつりと呟いた。
「それ、選手のデータどこから拾ってんの?」
「直感」
まさかの回答だった。
「あとさ、これが一番重要。オーラ値。場内に入った瞬間に俺が感じ取る“選手の気圧”。これを自分の体内コンパスに記録してんの。あの腹のあたりの“ゴロゴロ感”で精度が変わる」
「……腹壊してんじゃね?」
「は? お前、バカじゃね?」
どや顔のままポテトは続けた。
「正直言っていい? これマジでエグい理論だから。俺、これで昨日の夢の中で1-3-5当ててるから」
「夢……」
かもめの呆れが空気に溶ける。
「で、最後に“ポテナッチ変換”。これは黄金比からの逆算を俺流でやるわけよ。1.618……覚えてる? それを4.44に変えて、あとは割る。全部割る。割りまくる。出てくんの、答えが。“今日の本命”が」
スマホには、ただ「6-1-2」と書かれたセルが一つ、ハイライトされていた。
りゅうはそれを見て、「で、今のレースは?」と聞いた。
「見てろよ。ポテナッチ指数が炸裂すっから」
ポテトはチケットを握りしめ、席に戻った。口の端に、勝利を確信したようなニヤつきが浮かんでいる。
……レーススタート。
そして、まさかの「4-5-3」決着。
完全に外れた舟券を見つめながら、ポテトはひと言。
「……風、急に変わったな」
風速は最初から変わっていない。
「あとさ、6号艇の選手、ちょっと顔に出てたわ。アレ、昨日なんかあったな。女とか。俺、見抜いてたけど、気づかなかった。今日はそういう日。うん」
自己完結の極みだった。
その隣で、りゅうはポテスピの箱を見つめていた。「この中に真実があるなら、全部燃やしてしまいたい」と思いながら。
「なー、ちょいジュース買ってきて。喉かわいた。俺、今集中してるから」
ポテトは自分で動こうとすらしない。片手でスマホをいじりながら、ポテスピを口にくわえて、かもめに命令するように言った。
「いや、なんで俺が……」
「お前、そーゆーとこだよ。人間力ないの、マジで。“気づき”が足りない。“仲間”って、そういう時に試されるわけ」
かもめは何も言わず、ゆっくりと席を立った。その背中に、ポテトは「ポテミルクで。ガム味」とかいう意味不明なリクエストを付け足す。
りゅうは、ベンチで目を閉じていた。精神的に疲弊していた。ポテトの言動には、もう何度も何度も期待して裏切られてきた。だが、いまだに見放せないのは、自分の弱さだと自覚していた。
「なー、りゅう。お前、前に貸した3万、今返してくれって言わないの、マジで賢いよ。お前って、そういうところだけは評価してる。つか、むしろもっと貸して?」
「返してないだろ、お前が借りたの」
「いやいやいや。ガチで言うと、返すタイミングがなかっただけ。チャンス与えてくれたら、普通に倍にして返すから。俺、今ポテナッチ開発中だし。マジで今が仕込みどき」
「……」
「てか、お前って数字弱いよな? 見てて思うもん。“センスのない人”って、こういうことかーって。うん。あーね、お前って“目が悪い”のよ。舟が見えてない」
いつのまにか、完全に上から目線だった。どのレースにも一銭も勝っていないポテトが、今日だけで万単位の負けを抱えている男が、まるで天才のような顔をして、人を評価していた。
「あと、お前らさ。将来どうすんの? 俺は“自分のブランド”立ち上げようと思ってて。“ポテナッチ”を軸にして、舟券情報ビジネス展開すんの。“ポテト塾”って名前、よくない?」
りゅうは返事をしなかった。かもめは自販機のほうでポテミルクを選びながら、「これ、投げつけたらどうなるんだろうな」とか考えていた。
ポテトはそんな空気など感じ取らず、まるで救世主のような顔で語り続ける。
「お前らさ、マジで“見る目”がない。俺って、マジで“発見されてない才能”って感じ? つか、気づける人は気づけるから。まぁお前らには無理か」
自分を「発見されてない天才」と本気で信じて疑わないその姿は、もはや哀れですらあったが、なぜかその哀れさが、余計に人をイラつかせた。
その時だった。後ろのベンチに座っていた中年男性が立ち上がり、ポテトにひと言こう言った。
「……黙れよ、少し」
ポテトはニヤリと笑い、ポテスピを口から外して言い放った。
「しらね。お前は黙ってろ」
そして、またスマホを開き、次のポテナッチ指数の“計算”を始めた。
りゅうのその一言が、ポテトの運命を大きく狂わせた。ポテトはコンビニの前に座り込み、地面に座ったまま、ポテスピを一口吸ってはくさそうに吐き出す。目の前にはりゅう、そしてその後ろで自販機の缶をがちゃがちゃやっているかもめ。
「ガチレスすると、俺、そういうのよりもっと”理論派”だから」
口をゆがめながら、ポテトは笑った。歯の間に何か挟まっているのか、やたら舌を動かしながら喋る。あの脂ぎった笑顔が夜の街に浮かぶたび、りゅうはげんなりしていた。
「でも、まぁ、行ってみてもいいけど? どうせ俺が勝つし?」
その日の夜、三人は軽自動車でニューポテ競技場へと向かった。夜風が窓から入り込む中、車内にはポテスピの臭いと、ポテトのやたらと大きな鼻息がこもっていた。ポテトは後部座席でふんぞり返り、スマホでスロットのアプリを眺めながら「これさ、設定6確定出てるやつなんだよね」と誰にも求められていない解説を繰り返していた。
到着したニューポテ競技場。水面はライトに照らされて鈍く光り、ピットの向こう側では整備士がエンジンの調整をしていた。スタンドにはまばらに人がいるが、ポテトの目には舟しか映っていなかった。
「お前、舟ってさ、見たことある?」
かもめのその質問に、「あーね、お前の知らないやつ」と言い放って、ポテトは一歩、場内に踏み入れた。
「正直言っていい? これ、俺が勝てるやつじゃん」
まだレースも始まっていない。ただし、彼の中ではすでにレースは始まっていた。勝つのは自分、負けるのは他人。それが彼の人生のルールだった。
だが、この水面が、彼の人生を飲み込み、沈めるとは――そのとき、誰も思っていなかった。
場内に入って数分、ポテトは既に“通”の顔をしていた。手には場内新聞を持ち、意味もわからぬ舟券用語を声に出して読み上げ、周囲の客にチラチラと視線を送る。
「これさ、3-1-4でしょ、どう考えても。俺、センスで分かっちゃうんだよね」
紙面を指でなぞりながら、なぜか斜めに立って喋るポテト。その立ち方は、まるで勝者のそれだった。見ているりゅうの肩が、何度もため息で上下する。
「お前、展示見ろよ……」
りゅうの声は届かない。ポテトは既に舟券売り場に突撃していた。
「とりま、2万。勝負する。今日の俺は、来てる」
財布の中身はすでにギリギリだった。というか、そもそもその2万円も、昨日りゅうから「絶対に返すから」と言って借りた金だった。返済期限? 「それ、誰が決めたの?」というポテトの一言で、いつも有耶無耶になる。
舟券を握りしめ、観覧席へ戻るその顔には、妙な自信と脂汗が混ざっていた。自分の座席にどかりと腰を下ろすと、椅子が一瞬悲鳴を上げたような音を立てた。周囲の客が微かに振り返る。
「ポテスピくれ、かもめ」
「自分で買えよ」
「あーね、だから俺、今日勝ったら、全員焼肉連れてくから。マジで。信じて」
それは決して果たされない約束。そんなこと、りゅうもかもめも分かっていた。それでも、ポテトが“勝ったら”という未来にだけは異様な説得力を込めて話すから、誰も突っ込まない。
レースが始まる。
スタートの瞬間、ポテトは立ち上がり、手を広げて叫んだ。
「行け! 俺の舟っ!!」
もちろん、自分の舟ではない。買った舟券の選手のことを指しているだけだ。だが、その声はまるで神の使いのように高く、場内に響き渡った。
……結果は、まさかの1-5-6。
ポテトの舟券は、無残にも紙くずになった。
「いや、これは事故。完全に。3が転覆するなんて読めるか?」
そう言って、紙をぐしゃぐしゃに丸めながら、ポテトはふてくされたように言った。
りゅうが静かに言う。「まず展示見てれば、3は無理って分かったよ」
ポテトは黙ったまま、ゆっくりとポテスピを取り出す。
一本吸い、煙を吐いたあとで、また言った。
「まぁ、初戦は捨てた。ここからだから。俺の伝説」
その言葉には、どこか哀しみすら混ざっていた。
……誰にも聞かれたくない、ポテトだけの開幕だった。
ポテトは、負けても諦めない。というより、自分が負けたという認識が脳内に存在していない。
「正直言っていい? これは俺が負けたんじゃなくて、運営が負けさせた」
そう呟きながら、ポテスピをふかす。煙の匂いが後ろの家族連れにまで届き、子供が咳き込むが、ポテトは気づかないふりをしてさらに一口深く吸う。
「この空気感、俺のじゃない」
意味のわからない言葉を漏らしながら、ポテトは再び新聞を広げる。そこに書かれた選手のデータを眺める目には、異様な光が宿っていた。
「理論で勝てる。感覚じゃない。ここで生き残るのは、読みと予測とポテナッチ」
「……ポテナッチ?」
かもめが呟くように尋ねたが、ポテトは無視して続けた。
「黄金比。それに近いやつをオレ流に変換して、枠番と進入コースに掛け合わせて……お前、知らねぇか。まぁいい」
そう言いながら、ポテトは自分のスマホのメモアプリを開き、いくつかの数字を打ち込んだ。「8.3、6.1、12.1……」声に出しながら入力するその姿は、まるで何か神聖な儀式でもしているかのようだった。
りゅうは眉をひそめ、黙って座っている。かもめは、何も言わずポテトの横でポカリを飲んでいた。
「ほら、出た。この数字、“くる”やつだわ」
次のレースも、ポテトは全力で舟券を買った。所持金はもうわずかだったが、「これに勝てば全部取り返せる」と、心のどこかで本気で思っていた。
……そして、またもや、外れる。
「え? は?」
口から漏れたその言葉には、焦りが混ざっていた。ポテトはレースのリプレイを見ながら、納得のいかない表情を浮かべていた。
「いや、5がもう少しスタート踏めてれば展開変わったって……」
りゅうがそっと言う。「それ、誰が言っても同じだよ」
「お前、黙ってろ」
一気に声が荒れる。視線が交差する。だが次の瞬間には、ポテトはもうスマホを見ていた。怒りも反省も、彼には不要だった。ただ次の勝利への妄想だけが、彼を支えていた。
「次だな。うん、次。ポテナッチの法則、今度こそ。」
そしてまた、舟券を買いに立ち上がった。
その歩き方は、妙に偉そうだった。
次のレースまでの待ち時間。ポテトはベンチにどっかりと座り込み、ポテスピを指に挟んだまま、自分のスマホ画面をまじまじと眺めていた。
「お前ら、これが“ポテナッチ指数”だから」
りゅうもかもめも、まるで見たくないものを見るような目で彼のスマホを覗き込んだ。画面には、謎のスプレッドシート。セルには「ふわ感値」「ハンドル捌き率」「バイブス成分」などと意味不明なワードが並んでいる。
「これさ、まず前日睡眠時間と当日の朝飯メニューから、選手の集中度を算出すんの。たとえば、味噌汁飲んだやつは“冷静寄り”、カレー食ったやつは“攻撃型”。で、そこに天気と風速を掛け合わせる。あーね、あと重要なのは“スタート音が耳にどう届くか指数”。これ、他のやつ知らねぇから」
りゅうがぽつりと呟いた。
「それ、選手のデータどこから拾ってんの?」
「直感」
まさかの回答だった。
「あとさ、これが一番重要。オーラ値。場内に入った瞬間に俺が感じ取る“選手の気圧”。これを自分の体内コンパスに記録してんの。あの腹のあたりの“ゴロゴロ感”で精度が変わる」
「……腹壊してんじゃね?」
「は? お前、バカじゃね?」
どや顔のままポテトは続けた。
「正直言っていい? これマジでエグい理論だから。俺、これで昨日の夢の中で1-3-5当ててるから」
「夢……」
かもめの呆れが空気に溶ける。
「で、最後に“ポテナッチ変換”。これは黄金比からの逆算を俺流でやるわけよ。1.618……覚えてる? それを4.44に変えて、あとは割る。全部割る。割りまくる。出てくんの、答えが。“今日の本命”が」
スマホには、ただ「6-1-2」と書かれたセルが一つ、ハイライトされていた。
りゅうはそれを見て、「で、今のレースは?」と聞いた。
「見てろよ。ポテナッチ指数が炸裂すっから」
ポテトはチケットを握りしめ、席に戻った。口の端に、勝利を確信したようなニヤつきが浮かんでいる。
……レーススタート。
そして、まさかの「4-5-3」決着。
完全に外れた舟券を見つめながら、ポテトはひと言。
「……風、急に変わったな」
風速は最初から変わっていない。
「あとさ、6号艇の選手、ちょっと顔に出てたわ。アレ、昨日なんかあったな。女とか。俺、見抜いてたけど、気づかなかった。今日はそういう日。うん」
自己完結の極みだった。
その隣で、りゅうはポテスピの箱を見つめていた。「この中に真実があるなら、全部燃やしてしまいたい」と思いながら。
「なー、ちょいジュース買ってきて。喉かわいた。俺、今集中してるから」
ポテトは自分で動こうとすらしない。片手でスマホをいじりながら、ポテスピを口にくわえて、かもめに命令するように言った。
「いや、なんで俺が……」
「お前、そーゆーとこだよ。人間力ないの、マジで。“気づき”が足りない。“仲間”って、そういう時に試されるわけ」
かもめは何も言わず、ゆっくりと席を立った。その背中に、ポテトは「ポテミルクで。ガム味」とかいう意味不明なリクエストを付け足す。
りゅうは、ベンチで目を閉じていた。精神的に疲弊していた。ポテトの言動には、もう何度も何度も期待して裏切られてきた。だが、いまだに見放せないのは、自分の弱さだと自覚していた。
「なー、りゅう。お前、前に貸した3万、今返してくれって言わないの、マジで賢いよ。お前って、そういうところだけは評価してる。つか、むしろもっと貸して?」
「返してないだろ、お前が借りたの」
「いやいやいや。ガチで言うと、返すタイミングがなかっただけ。チャンス与えてくれたら、普通に倍にして返すから。俺、今ポテナッチ開発中だし。マジで今が仕込みどき」
「……」
「てか、お前って数字弱いよな? 見てて思うもん。“センスのない人”って、こういうことかーって。うん。あーね、お前って“目が悪い”のよ。舟が見えてない」
いつのまにか、完全に上から目線だった。どのレースにも一銭も勝っていないポテトが、今日だけで万単位の負けを抱えている男が、まるで天才のような顔をして、人を評価していた。
「あと、お前らさ。将来どうすんの? 俺は“自分のブランド”立ち上げようと思ってて。“ポテナッチ”を軸にして、舟券情報ビジネス展開すんの。“ポテト塾”って名前、よくない?」
りゅうは返事をしなかった。かもめは自販機のほうでポテミルクを選びながら、「これ、投げつけたらどうなるんだろうな」とか考えていた。
ポテトはそんな空気など感じ取らず、まるで救世主のような顔で語り続ける。
「お前らさ、マジで“見る目”がない。俺って、マジで“発見されてない才能”って感じ? つか、気づける人は気づけるから。まぁお前らには無理か」
自分を「発見されてない天才」と本気で信じて疑わないその姿は、もはや哀れですらあったが、なぜかその哀れさが、余計に人をイラつかせた。
その時だった。後ろのベンチに座っていた中年男性が立ち上がり、ポテトにひと言こう言った。
「……黙れよ、少し」
ポテトはニヤリと笑い、ポテスピを口から外して言い放った。
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