競艇に溺れたポテトの末路

ポテト男爵

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第2章:ポテナッチ、覚醒する

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「あ? 今なんて言った?」

その声に、ポテトの耳がピクリと動いた。どこかで聞いたような、苛立ち混じりの挑発。ポテスピの煙を口に含んだまま、彼はゆっくりと顔を上げた。

スタンドの数列向こう、ポロシャツにキャップを被った男が立っている。その男の顔を見た瞬間、ポテトは目を細めた。

「……お前、なんでここいんの?」

「お前がいるなら、俺がいても別に良くね?」

そこに立っていたのは、りょうだった。ポテトが一番下に見ている男。いつもキチガイじみた言動でポテトを煽るのが大好きな、あのりょう。

「は? お前、舟券買えるほどの知識ないじゃん。つーか、俺の指数知らないって時点で“敗北者”じゃね?」

りょうはニヤニヤと笑いながら、わざとらしく耳に手を当てた。

「ポテナッチ? なにそれ。ポテトがやってる妄想表か? 俺それ見て逆張りしたわ」

「は?」

「今のレース、6-1-4。ポテナッチは“切り”って言ってたよな? 6号艇。俺、それ軸にしたんだけど。1万入れたら、ほら――」

りょうはスマホの画面をポテトに突きつけた。舟券払い戻しの確認画面。画面いっぱいに「+207,600円」の表示。

その数字がポテトの視界に突き刺さる。心拍が跳ね上がり、言葉が出てこない。

「マジで、ありがとうな、ポテナッチ。お前の“逆”行ったら勝てたわ。あーね、天才だろ? 俺って」

その瞬間、ポテトの中で何かが爆発した。

彼は無言でポテスピの箱を開け、1本、2本、3本……連続で火を点けていく。4本目を口に加えたとき、かもめが呆れながら言った。

「……お前、何本吸う気?」

「黙ってろ!!」

5本目のポテスピに火が灯った瞬間、スタンドの空気が一変した。煙が辺りを包み、周囲の観客が明らかに顔をしかめ始める。特有の、ポテスピにしかない“焦げた紙と濁った化学臭”が一帯に漂う。

「くっさ!!」

「ちょっと、吸いすぎじゃないですか!?」

係員が駆け寄ってくる。「すみません、喫煙は指定エリアでお願いします!」と叫ぶように言うが、ポテトは聞こえないふりをして煙を吐いた。

「これが俺の集中法。ガチで」

「今すぐ消してください、周りが迷惑してます!」

「しらね。ここ、空いてたし。あと俺、勝つから。てか勝つべき人間だから。お前らとは“生まれ”が違うの」

その時、りょうがまたスマホを見せてきた。

「なーなー、これ焼肉いける金額だよな? お前、俺に出させるつもり?」

「お前、俺の半径から出てけや。マジで今“降りて”きてんだよ」

ポテトの声は震えていた。怒りと、嫉妬と、負け犬の叫びが混ざったような、誰にも響かない独り言だった。

りゅうもかもめも、もう何も言わなかった。ただ一歩だけ、それぞれの席をポテトから離した。

煙だけが、空しく漂っていた。

「……おい、もう一回だけ言わせろ。俺は“外れた”んじゃない。これは“試練”なんだよ。わかる? “成長痛”ってやつ」

ポテトはベンチに座りながら、空になったポテスピの箱を振り続けていた。指は黄ばみ、息は臭く、顔には脂が滲んでいる。数分前まで5本を同時に吸っていたせいで、喉も焼け焦げたようにガラガラだった。

りょうはその横で、わざとらしく財布の札束をばらつかせながら言う。

「なー、これさ、どうやって使おっかな。ポテクロで新しいシャツ買う? あー、でもポテキ行って高級ポテ弁当食うのもアリだよな~?」

ポテトの手が震える。

「お前、マジで性格悪いな。ガチで言うけど、今のお前、結構ヤバいぞ? 人としてどうかしてる。金で人間性試されてんの、気づいてる?」

「お前が言う?」

横からりゅうが呟いたが、ポテトは聞こえなかったふりをした。自分の中では「完全に冷静な理論派」でいるつもりだった。

「……見てろって。ここから“巻き返し”すっから。まだ今日イチの指数、出てねぇから」

そう言って、ポテトは再びスマホを開いた。画面には例の謎のスプレッドシートがあり、ひとつのセルだけが点滅している。

「来た……っ!」

彼は突然立ち上がり、まるで天啓を受けたかのような顔で叫んだ。

「今だ! 今が“来てる”。ポテナッチ、来てるっ!!」

周囲の視線が一斉に集まる。

「このレース、1-6-2で決まり! 異論は認めん! 全ツッパ!!」

場内に響き渡るポテトの絶叫。それを聞いた他の観客がざわつき始める。

「うるせぇな……」

「またあのデブだよ……」

誰かが「さっき5本吸ってたヤツだろ」と呟く。完全に顔を覚えられている。ポテトの存在そのものが、すでに競艇場の“ノイズ”と化していた。

それでも、彼は勝利を信じていた。いや、勝たないと、もう何も残らなかった。

りょうが肩をすくめて、にやりと笑う。

「また逆張りするか~。ポテナッチ、逆が正解だもんな」

ポテトは睨みつけた。目に涙が浮かんでいるのか、単なる煙のせいか、本人にもわからない。

「正直言っていい? お前ら、ホント何も分かってない。俺の才能、これから“バズる”から。震えて眠れよ。あと、あと……うるせぇな!!!」

また叫んだ。意味もなく、怒りに任せて。

スタンドの係員がこちらを見て、無線で何かを喋っている。

ポテトの時間は、もう、残されていなかった。

「勝つ。これは“俺のレース”だ」

ポテトはそう言いながら、すでに3万円分の舟券を手に握っていた。もちろん、その金は自分のものではない。今朝、りゅうから借りた1万円に、かもめが「あんたもうこれ以上やんなって」と言って差し出したポテチ代のお釣り、そして競艇場内のATMで限度ギリギリまで引き出したクレカキャッシング。

「全部ぶち込んだ。これで“終わらせる”。いや、始まる」

ポテトの口は止まらない。脳が何かに取り憑かれたように、ぶつぶつと呟き続けている。

「ここで勝てば、すべてが証明される。ポテナッチ指数は真実。お前らはただ、追いついてないだけ。俺が未来を見てるだけ。あーね、見えてる奴と見えてない奴の違い? お前ら、盲目。俺、預言者」

「……終わってるな」

りょうのその言葉に、ポテトはふと目を向けた。だがその目は焦点が合っていない。まるで遠くの何かを見つめているような虚無の光。

そして、レースが始まった。

風速2m。小雨がぱらつき始めたニューポテ競技場の水面を、6艇のボートが飛び出していく。

「来い……来いっ!! 1! 6!! 2!!!」

ポテトの絶叫。身体をのけぞらせ、両手を広げ、まるで水面の神に祈るように叫ぶ。だが、序盤から明らかにレースはおかしい。

5号艇が飛び出し、続いて3号艇、そして4号艇が猛烈なターンを決めた。

「いや、待て。これは“罠”だ。捲り差しからの旋回誤差、ここから巻き返す……!」

ポテトは何かにすがるように声を上げるが、レースの展開は非情だった。

最終周回――結果は、「5-3-4」

静寂が訪れた。

舟券を握っていたポテトの手が、ゆっくりと下がっていく。目の前に広がるのは、信じていた神に見放された預言者の背中。敗北の音は、音もなく降ってきた小雨とともに、彼の脂っぽい頭皮を濡らした。

沈黙を破ったのは、りょうだった。

「お前、ほんとすげーな。逆行きすぎて、もうなんか芸術だわ。新しいジャンル、逆ポテ投資」

ポテトは何も言わなかった。ポテスピを口にくわえるが、ライターの火がつかない。手が震えていた。

かもめがポテスピを取り上げた。

「やめろって、マジで。もう限界だよ」

「返せ」

「もう、いいだろ。負けたんだよ」

「返せって言ってんだろ!! これは“勝利の煙”なんだよ、俺にとっては!!」

周囲の客たちがまたポテトを見た。係員が近づいてくる。今度は本格的に、注意では済まされない空気だった。

「ここ、退場になっても文句言えないですよ」

「は? しらね。俺の自由だし。何がいけねぇんだよ。ここ、俺のステージなんだが?」

声は震えていた。もう誰も、彼に声をかけようとしなかった。

雨は強くなっていた。ポテトのTシャツは濡れ、肌に貼り付き、輪郭が醜く浮き出ていた。

かもめがそっと言った。

「……なぁ、もう帰ろうや」

ポテトは答えなかった。ただ、舟券の破れた紙を見つめながら、唇を噛んだ。

風に乗って、かすかに煙の匂いが漂っていた。消えかけたポテスピの、最後の抵抗のようだった。

「なぁ……お前らのせいだよな、ぶっちゃけ」

雨に濡れながら、ポテトは唇を動かした。声は低く、しかし確かに、怒気を含んでいた。

かもめが一瞬止まり、りゅうは明らかにうんざりした顔をした。

「……何が?」

「いや、だから。今日俺が負けたのってさ、そもそも“空気”が悪かったわけ。お前らがそばにいると、俺のリズム狂うっていうか、“数字”がズレんの。ポテナッチは、周囲の“雑音”にも反応しちゃうから」

「お前……マジで言ってんの?」

「ガチレスな」

ポテトの目は真っ直ぐだった。信じているのだ、本当に。自分の中にある法則と、それが世界の真理だと。

「俺さ、マジで勝てる人間なの。そこに邪魔が入るから狂うわけ。わかる? 今日だって、俺一人だったら、絶対当ててた」

「お前が騒ぎすぎて、周りのやつ何人か帰ってったぞ?」

「それも“試練”。俺、そういうの全部、経験に変えられる人間だから。むしろ今、お前らを見て“学んでる”」

「……ふざけんな」

りゅうがついに声を荒らげた。珍しく、はっきりとした怒気がその声に乗っていた。

「お前さ、人のせいにしてばっかで、何一つ背負わないよな。借金も、ギャンブルも、全部他人のせい。お前、自分の人生どこにあんの?」

ポテトはポテスピをくわえ、火をつけようとして手が止まった。濡れているせいで、タバコがふにゃふにゃになっていた。イライラとした手つきで、別のポテスピを取り出す。

「お前、なんでそんな言い方しかできねぇの?」

「お前が人の金でギャンブルして、人のせいにして、それで文句まで言うからだよ」

「つーか、そもそもお前が俺を競艇に連れてきたのが悪いだろ。始まりそこじゃん?」

「……は?」

「な? そうやって、人に責任押し付けて逃げるのお前の癖じゃん。お前ってマジで“逃げグセ”あるよな。俺は、ちゃんと勝負してるわけ。ポテナッチっていう“武器”で。お前は?」

りゅうは何も言わなかった。ただ、かもめがぽつりと呟いた。

「お前、自分で言ってておかしいって思わないの?」

ポテトはにやりと笑った。

「思わない。むしろ今、お前らの言葉を“データ化”してる。“否定される環境”って、逆に成功の前兆だから。“ポテナッチ環境パラドックス”って概念、今ここで生まれた」

かもめとりゅうは、言葉を失っていた。

ポテトは、そのまま場内の端の方へと歩き出した。足取りは重く、だが、どこか偉そうに。あの独特の“ポテトの歩き方”だった。

背後に、かもめが絞り出すように呟いた。

「……やっぱ、アイツもうダメだな」

りゅうは頷かず、ただ空を見上げた。

雨はまだ、降り続いていた。

翌朝、ポテトはニューポテ競技場の前に立っていた。昨日の雨で靴はまだ湿っており、Tシャツは相変わらず同じくたびれたまま。髪は寝ぐせで爆発し、口元には何かの食べかすがくっついたまま。

「戻ってきたぞ……“聖地”に」

誰に聞かせるでもなく、ポテトは低く呟いた。目の下にはクマ。手にはコンビニの袋。中にはポテスピ2箱と、エナジー系ポテドリンク、そしてなぜかスケッチブックが入っていた。

「今日から、記録をつける。“ポテナッチ完全体”の構築だ。俺の未来は、ここから始まる」

ポテトはその場にあぐらをかいて座り込み、スケッチブックを開いた。一枚目には太字で書かれていた。

『ポテナッチver1.7.1 - 暴風編 -』

「風速、湿度、雲の形、売店の匂い、スタッフの歩く速度、客層の髪型割合――全部関係ある。舟券っていうのは、そういう“場”で動くもんだから」

そして彼は、周囲の人間をこっそり観察し、誰かが電話をしていれば「この時間帯は電磁波干渉が多い」と記録し、ゴミが飛んでくれば「風圧変化係数に影響」と書き込み、遠くで係員がくしゃみをすれば「不吉サイン」と書いた。

完全に、狂っていた。

そして迎えた第1レース。

ポテトは1-2-6を全財産で買った。昨日の夜、ポテチを売り飛ばし、スマホのケースも外してポテカリに出し、数千円をかき集めて、そこにすべてを投じた。

「俺が当てたら、お前ら全員黙るからな……」

りゅうもかもめも、今日はいない。誰も彼を止める人間はいなかった。

レースが始まる。

1号艇が出遅れ、2号艇がフライング。最終的に決着は3-5-4。

ポテトの舟券は、もちろん紙屑になった。

しかし彼は笑った。

「……見えた。これは“前兆”だ。次が本命。これは“試金石”。これを越えた先に、完全体が現れる」

そのままスケッチブックの新しいページに、こう書いた。

『ポテナッチver1.7.2 - フライング調整版 -』

隣で見ていた見知らぬ老人が、「兄ちゃん……もう帰んな」と小さく呟いた。

だがポテトは立ち上がり、また舟券売り場へと歩き出した。偉そうな歩き方で、すべてを理解したかのような顔で。

誰ももう、彼を笑わなかった。

哀れみが、すでに勝っていたから。
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