競艇に溺れたポテトの末路

ポテト男爵

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第3章:深夜の潜入者

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「このままじゃ、ダメなんだよ……」

ポテトは夜のコンビニ前に座り込み、ポテスピに火をつけながら呟いていた。口臭は濃厚で、すれ違う客が眉をひそめるが、本人はまるで気づいていない。

彼の目の前には、今日一日で溜まりに溜まった“外れ舟券”の束が広げられていた。風が一枚、二枚と飛ばすたびに、ポテトは慌ててそれを押さえる。まるで宝物を守るように。

「勝てない……いや、勝てる。絶対に勝てる。理論は間違ってない。“環境”が操作されてる。そう、エンジンが……」

その言葉に、自分でもハッとしたのか、ポテトは目を見開いた。

「……まさか」

頭の中に、ひとつの“神託”が落ちてくる。

「俺が、“いじれば”よくね?」

指先が震えていた。タバコの灰がズボンに落ちるが、気にしない。脳内にはすでに計画が浮かび上がっていた。

「夜中に忍び込んで、ちょっと回転数調整して、プロペラ角変えて……あーね、それだけで“勝ち確”。しかもバレない。誰もそんな発想しない。ポテトしか見えてない世界」

その時、彼のスマホに通知が来た。

【りゅう:お前、もう来んな】

一瞬、指が止まった。しかし、すぐに笑った。

「嫉妬だな。あいつ、俺が“進化”してるの気づいたんだ。もう俺が高次元にいってるのが、怖いんだよ。置いてかれるのが」

通知を無視して、ポテトはバッグから何かを取り出した。ドライバーセット。以前、通販で買ったが一度も使っていなかったやつ。

「これで……エンジン、ちょっとだけ“最適化”するだけ。正直言って、他の選手のためにもなるっていうか? 俺、“調整師”になれるかも」

完全に狂っていた。

そして深夜0時過ぎ。

ニューポテ競技場の裏門近く。ポテトは黒いジャンパーに身を包み、帽子を深く被りながら、あたりをキョロキョロと見回していた。

「ふっ……俺、今、歴史を変えようとしてる」

人気はない。暗闇の中に、競艇場の照明がかすかに残っている。塀を見つめながら、ポテトは「よっ」と掛け声を上げ、脚を上げた。

しかし、腹が重すぎて途中で引っかかる。

「ちょ……ぐっ……」

もがきながら、やっとの思いで塀を越える。腹を擦りむいたが、そんなことはどうでもよかった。勝利がすぐそこにあるのだ。

中に入ると、ピット裏は真っ暗だった。ポテトはスマホのライトをつけて進む。

「6号艇……お前だ。お前が俺の“舟”になるんだよ……」

指先に汗をかきながら、ボートの横にしゃがみこむ。そしてドライバーを握り、震える手でネジを回し始めた。

「これで……俺は、“未来”を変える」

どこまでも、愚かで、どこまでも本気だった。

「……回ったな」

ポテトの額からは、じっとりと汗が滲んでいた。太い指先でエンジンのネジを締め直し、キャブレターのカバーをそっと戻す。手元にはポテスピの吸い殻が3本、無造作に地面に転がっている。

「正直言って、天才だろ俺?」

声に出した瞬間、自分でも鳥肌が立った。何かをやり遂げた男の顔。それが今、ポテトの表情だった。

「“最適化”は完了。回転数、角度、燃料流入量……全部、俺流。“ポテナッチ・メカニクス”。だーれも気づいてない。てか気づけるわけねぇじゃん、凡人に」

立ち上がったポテトは、腰をぽんぽんと叩きながら振り返った。暗闇の中、整備ピットの影が波打つようにゆれていた。背後に誰もいないことを確認すると、彼はニタニタと笑った。

「明日の朝一レース……6号艇が勝つ。“必然”で。“神の手”が入ったわけ。俺の手が」

そしてスマホを取り出し、メモアプリを開く。

『6号艇・調整済み→ポテ指数99.8』

『1-6-4、6-1-5、6-2-1……買い目はこのへんで“絞り”』

『これが“正史”』

スケッチブックを地面に置き、そこにも同じ内容を丁寧に書き写した。筆圧が強く、紙が破れそうになっていた。

そのまま、ポテトはコンクリートの上にあぐらをかき、ポテスピに火を点けた。もはや煙の味などしていない。ただ“勝利の香り”として吸っている。

「いやー……震えてきたな……。これが“頂点”の景色か。やっと来た。俺の番」

まぶたを閉じると、頭の中に“勝った後の未来”が鮮明に浮かんできた。

——実況「まさかの大波乱! 6号艇が直線一気の差し!!」
——観客「なんだあの舟!? 動きが違うぞ!」
——ポテト「……だから言ったろ?」

誰からも称賛され、どこかのメディアに“謎の天才投資家”として取り上げられる自分の姿まで思い浮かんだ。

「次は……商材だな。“絶対に当たる指数”、1口1万円で売る。名前は“ポテナッチ改”で。特典で俺の語り動画もつけて。ふふっ、マジで売れるな。逆に買えない方が恥ってやつ?」

そのとき、競艇場の外から犬の鳴き声が聞こえた。一瞬身を縮めたが、すぐに「しらね」と呟いてまた吸う。

「これで……俺の“負の連鎖”は終わった。始まるのは、連勝の連鎖。誰にも止められない」

そう言って、ポテトは夜の競艇場の床で寝転がった。アスファルトの冷たさを感じることもなく。

明日が、人生の頂点になると信じて――。

朝のニューポテ競技場。ゲートが開くと同時に、ポテトは誰よりも早くスタンドに駆け込んだ。

「来た……運命の日だ……!」

顔はむくみ、シャツには昨日の汗と泥。手には謎のクラフト紙封筒がぎっしり詰まったビニール袋。その中身はすべて、自作の舟券――否、「ポテ券」。

「こいつが……世界を変える。お前ら、震えて買え」

売店横のベンチにドンと座り、ポテトは封筒を並べはじめた。紙には手書きで“ポテナッチ指数完全対応舟券予想セット”と書かれている。さらに、“今なら一口800円、二口ならポテ割あり”という怪しいセールス文も添えられていた。

「正直言って、J○より当たる。運営より先に“数字”に触れてるから。俺、昨夜“舟と対話”してるし」

すでに狂気を超えていた。まるで天啓でも授かった預言者のような態度で、ポテトは来場客に声をかけていく。

「兄さん、これ見て。今日の一発目、6-1-4固定。オレの手が入った“エンジン”だから。いじったとかじゃなくて、神が俺を通して調整した。マジで来る」

「奥さん、今日の晩ごはん代、これで倍にできます。信じるだけでOK。信じたら勝つのが“ポテナッチ流”」

「そこの爺さん、そろそろ“当てたい”でしょ? この紙、読めば分かる。書いてある。俺の中の数学が。感じろ、風を」

誰もが怪訝な目で見て通り過ぎていく。だがポテトは止まらない。

「買わなかったやつ、後悔するから。“買わなかった奴リスト”作って晒すから。そんぐらいの精度」

彼の脳内ではすでに、“ポテ券”の成功によって取材される映像が再生されていた。

——記者「きっかけは何だったんですか?」
——ポテト「自分を信じる力……ですかね」
——ナレーション「謎の予想家ポテト氏。その的中率は実に驚異の33%を超えるという――」

現実には、誰も買っていない。

りゅうも、かもめも今日は来ていない。

孤独の中、ポテトは“営業”を続けていた。

一人、手に取りかけた中年男性がいたが、ポテトが「その封筒、中身見ないで。エネルギー逃げるから」と言った瞬間、そっと戻して立ち去った。

それでもポテトは笑った。

「なるほど、今日は“波長”がずれてる。でも午前中で“反転”するのがポテナッチの特徴」

そして自分用の舟券とは別に、もうひとつの“ポテ券”をポケットから取り出した。

そこには、デカデカと「1-6-4確信」と書かれていた。

「俺が信じないで、誰が信じる。これは、“正義”の行動だ」

そして再び、ポテスピに火をつけ、強く吸い込んだ。煙が鼻から漏れ、漂い、売店スタッフに苦い顔をさせる。

「てか、場内でタバコ吸えるエリア少なすぎね? ここ、俺の営業所だから」

全員が距離を取った。

それでも、ポテトの営業は止まらなかった。舟券ではなく、己の幻想を売るように。

その姿は、誰よりも滑稽で、誰よりも哀れだった。

風が止んだ。雲が割れ、ほんの一瞬だけ朝日が差し込んだ。その時だった。

「スタートォォォォ!!!」

アナウンスとともに、6艇が一斉に飛び出す。ポテトはスタンドの最前列、柵に腹を乗せ、目を血走らせていた。

「行け……! 6号艇、俺の舟っ!!」

誰も振り返らない。ポテトだけが、まるで生きた舟を操るかのように、腕をぐるぐる回して指示を出していた。

第1ターンマーク、6号艇が外から鋭く切り込む。

「来たァァァ!!! 神、俺に微笑んだ!!」

声が競艇場に響き渡る。ポテトの顔が赤くなり、汗が噴き出す。まるで体内の血液すべてが沸騰しているかのような興奮。口から飛び出す唾が、周囲の客にかかりそうになるが、誰ももう近くにいない。

第2マーク――6号艇がなんと、1号艇を差しきって先頭に立った。

「はっ……あっ……当たった……! 当たる! 俺の! ポテ券がッ!!」

絶叫。

顔がぐちゃぐちゃになる。太った体が震える。息が上がり、ポテスピを握り潰したまま、ポテトは叫び続けた。

「見たか!! お前ら!! これが“ポテナッチ”だ!! 俺の“エンジン”が走ってる!! わかるか!? 俺の舟なんだよアレは!!!」

最終直線、6号艇は1艇身のリードを守りきり、1着でゴール。

「アァァァァァ!!!!!!!!」

ポテトは叫びすぎて、声が裏返った。手足をばたつかせながら、その場にしゃがみ込み、両手で顔を覆って震えていた。

「勝った……勝ったんだ……やっと……オレが……正しかった……っ」

だが、泣き声の中にも不気味な笑みが浮かんでいた。周囲の誰一人として祝福しない中、彼だけが自分の中で歓喜を反芻し続けていた。

「お前ら、見たよな……? 誰が正しいか、分かったよな? あーね、“数字”はウソをつかない。“手”を加えることが正義なんだよ。俺が、この世界を正したんだよ……!」

そのまま立ち上がり、ポテ券の束を掲げる。

「これが証拠! 当たり舟券だ! ポテ券は……当たる!!!」

観客たちは遠巻きにその光景を見ていた。誰も彼に拍手を送らない。ただ「またアイツだ……」という視線だけが、静かに突き刺さっていた。

勝利は確かに存在した。だがそれは、“自分で仕掛けた勝利”。

正当性など、ひとかけらもなかった。

ポテトはそれに気づかないまま、完全に“神の目線”に立っていた。

「次は……次は“塾”を始める。“ポテト塾”。俺が教える。“勝ち方”を。舟券で人生変える方法を。俺が、次の舟王になる!!」

空はもうすっかり晴れていた。だがその空の下で、最も晴れやかに笑っていたのは、世界で一番滑稽な男だった。

「――俺、今、多分“伝説”になったと思う」

レースが終わってから20分。まだ汗を拭かぬまま、ポテトはスタンドの通路を、まるでVIPかのようにゆっくりと歩いていた。ポテスピを口にくわえたまま、左手には当たり舟券、右手には大量のポテ券を持ち、視線は真っすぐ、というより“見下ろす”ような角度で。

「つーか、気づいてないやつばっかなんだよな。ポテナッチが“本物”ってこと。俺、もう言わないよ? 教えてたけど、これからは“選ばれたやつ”にだけ売るから」

誰も話しかけていないのに、ポテトは一人でブツブツとしゃべり続ける。その声は妙に通る。うざさに特化したボリュームとトーンだった。

「いやー、俺、やっぱ才能あるんだなぁ。“勝つこと”に対しての嗅覚? 本能? DNAレベルで俺、舟と会話できてんの。マジで。俺が舟だったら、俺乗せたいもん」

ポテトの横を通った若いカップルが、露骨に顔をしかめた。

「なにあの人……」

「しらね。てか“聞かせよう”としてるよね、絶対……」

そんな反応すらも、ポテトにとっては「注目されてる証拠」。ポテスピをくゆらせながら、にやりと笑って言い放つ。

「成功者って、いつも“最初”は理解されないから。“孤独”を知る者だけが上に行ける。まぁお前らには無理だな」

すれ違う人々すべてに対して、心の中で優越感を爆発させている。否、声に出して言ってしまっている。

「お前、当たった? いや、当たってないよな? その顔、負けた顔だもん。“敗者の顔”って一発でわかる。俺、今、“勝者の目”してるから。見て? 見て?」

そう言って、自分の顔を指で差しながら、サングラスをかける。もちろん、そのサングラスも100円ショップで買ったやつ。だが彼の中では、“王の装備”。

「てか、マジでポテ券、今日中に売り切れるわ。在庫、残り13セット。ま、見る目あるやつだけ買えばいいけど。“バカ”は買わなくていい。俺、バカには教えないって決めてるから。あーね」

スタンドの一角でポテ券を地面に並べ始め、勝手に「抽選で1枚プレゼント」と書いた看板を設置し始める。

「これさ、記念日? “ポテ記念日”。マジで、今日から公式化しよ。“舟神ポテトの覚醒日”。5月16日、“ポテの日”。これ、来年には祝日になってっから」

勝手に宣言。

誰も止めない。

というか、誰も近づかない。

そこへ、場内放送が静かに流れた。

「本日、係員の指示に従わず物販行為を続けた方がいらっしゃいます。場内での無許可販売は固く禁止されております。該当者には退場処分を課しますので――」

ポテトは耳をふさいだ。

「お前ら、ビビってんな? 俺が当てたから、運営が焦ってんだよ。“真実の指数”がバレるのが怖いわけ。あーね、バレちゃうと困る人たち? いるんだよな、やっぱり」

そう言ってまた、歩き出す。その歩き方は、よりいっそううざく、体を揺らしながら、まるで“舞っている”かのように。

誰一人、その後ろ姿に敬意を向ける者はいなかった。

あるのは、視線と、ため息と、距離だけだった。
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