人の身にして精霊王

山外大河

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七章 白と黒の追跡者

ex 覚醒プロセス 下

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 ヤバイと思ったらギブアップ。それがこの戦いのルールだ。
 だとすればもうこの瞬間から、既にギブアップ宣言するべきなのだと直感的に思った。

「……ッ!?」

 急接近してきたレベッカの速度は、先程までとは文字通り桁違いだった。
 その速度は流石にエルを刀にしたエイジに届く程ではない。だがしかし、その速度のエイジ相手に一方的にやられない。辛うじて相対できるだけの速度にまで上がっていた。
 そしておそらく速度だけでなく、他の能力も上がっている。
 だとすれば肉体強化の出力という点で言えば、今のレベッカは自分の上の存在。肉弾戦では風で細工しても歯が立たない。
 だとすればやれる事は少ないが、中距離で隙を作るまで戦うしかない。
 そう考え、接近するレベッカから距離を取る為に瞬時にバックステップをしつつ、両手から風を噴出して推進力を得て距離を取る。
 そしてその直後、滑るように着地しながら目の前に風の塊を形成。それを打ちだそうとした。

 そう、打ちだそうとした。それで止まった。

「ぐぁ……ッ!」

 突然、全身が重くなった。
 突然の事に風のコントロールが乱れ風の塊が形成途中で暴発。生まれた暴風に煽られるようにエルの体が後方に転がる。
 それでもすぐに体制を整え立ち上がろうとするが、その動きに機敏さは無くなっている。
 体に大きなダメージを負った訳でもない。体力を消耗しきっている訳でもない。
 ただただ、体が重かった。
 そしてその原因にはすぐに辿りついた。

(……重力変動)

 先程ガードを下ろされた感覚と同じ感覚が全身に纏わりついていた。
 ……レベッカが再び動きだしてから、一度たりとも触れられていないのに。
 もっとも先程腕に掛けられたものと比べれば、その変動は比較的軽い。まだ戦える。

 だがただでさえ端から大きな出力差があった状態で、この重力だ。
 ……既に目の前に到達しているレベッカに対しなすすべがない。
 そこに術が生まれるとすれば、それは自分も同じ力を使った時だ。
 精霊術のリミッターを外した時だ。
 だがきっと、最初から予想していた通りそんな簡単にやれる様な事ではないのだ。
 この戦いの中で自分の力には何も変化はない。気にすれば分かる程度の違和感が付いて回っている体度だ。
 だがなにもやらない訳にはいかない。
 エルはレベッカから放たれた蹴りの威力を少しでも殺す為に、蹴りにガードを合わせつつ、サイドステップで横に跳んだ。
 そしてその直後、エルの腕に蹴りが叩き込まれる。

「うぐ……ッ!」

 鈍い音と共にエルの口からそんな呻き声が漏れ、勢いよくエルの体が弾きとばされる。

(とにかく、体勢を……ッ)

 そう考え着地耐性に体を持っていこうとするが、全身に未知の違和感が生じた。
 そして弾き飛ばされた勢いが弱まるにつれ、あろうことが空中に向けて落下を始めた。

「え、ちょ、なにが……ッ!?」

 突然起きた未知の体験に脳がパニック状態に陥る。
 だがそれでも無我夢中に、落ちないようにと風を操り、空に落ちる落下速度を落とす為にホバリングする。
 そして落下速度が落ちた事によって、ようやく思考が纏まってくる。

(触らずに重力をある程度操作できて、触れた相手の重力を手が離れた後も操作可能……これ本当に同じ能力なの?)

 リミッターを外すという言い方がいかに大雑把であったかというの伺える。
 これはもう大元が同じなだけで完全に別の能力と言っても過言では無い。
 それだけ無茶苦茶な力だ。

(私は……こんな無茶苦茶な力をエイジさんに振るっていたんだ)

 もし今の自分の力がこういう風に全く違った物に変異していれば、それは自分でも想像の付かないような無茶苦茶な力になっているのだろう。それがエイジに振るわれた結果が、あの時エイジの衣服に残っていた戦いの跡だ。
 その時のエイジの事を思うと心が痛くなる。
 だが同時に希望も沸いてきた。

 これだけの力なら。これだけの力を手にする事ができれば。きっと今よりもずっとエイジの事を助けられる。

 もっとも、手にするまでの道のりがあまりにも不明確で前途多難で。
 今この状況でどうするべきなのかもわからないけれど。

「うわッ!?」

 突然重力の向きが元に戻り、ホバリングの為に噴出していた風で加速してしまい地面に向けて急降下を始める。
 だが一瞬で今取れる最善の手を導き出した。
 別に落下する事その物はどうだっていい。普段からこの位の高度から急落下するなんてのは風を使って戦っている自分にはよくある事だ。
 だからその先、落ちた後どうするか。

「……」

 一時見失っていたレベッカの姿を見付けた。
 レベッカは落下してくるこちらに向かって先程から放ってきていた黒の球体をその手に構えながら急接近してくる。
 完全にレベッカのペースだ。
 ここから距離を取る事は難しいし、そもそも最初に僅かでも距離を取れたのもこれが訓練でレベッカが
どこかで手を抜いているからに違いない。
 故に多分それはとれなくて、そして実際取れたにも関わらずどうにもできなかった事を考えると、そもそもその策そのものが間違っている。
 とはいえ接近戦に持ち込んでも出力差で押しきられる。だとすればどうすればいいか。

 意表を付く。それしかない。

 極力自然落下かつ、パニックに陥った演技でレベッカを引き付ける。
 そして動くべき時はレベッカがあの球体を打ち込んできた時か、限界まで接近した時。そのどちらか。
 そして訪れたのは前者。自然落下してきたエルに直接その球体を叩き込むようにレベッカは落下地点に向けて動く。おそらく風を使って落下地点を大幅にずらしても、ホバリングで空中に留まってもそれに合わせてくるだろう。
 意表を付き動くために、やるべきことは回避じゃない。
 迎え撃つ事。

 レベッカが接近してきた事により、再び周囲の重力が重くなった様に全身に負荷がかかる。だがそれで多少動きを止められても、此処から先、大した影響はない。
 例え重くても超高速。複雑な動きだっていらない。
 ただ勢いよく。それだけでいい。

 地面に落下する直前、落下しながらレベッカに悟られない様にその手に作り出した風の塊を落下体勢のまま地面に斜めに掌底を撃ち込む。
 そして風の塊を践み抜いた時の様な推進力を攻撃に明らかに転じない様な不格好な状態で纏った。
 レベッカまでの距離は数歩程度の超至近距離。
 その距離で放つ捨て身のタックル。
 躱せるものなら躱してみろというような、そんな攻撃。
 ……が。

「……ッ!?」

 全身が空を切った。
 直前に見えたレベッカの表情に余裕はない。だがこの至近距離の超加速攻撃に反応しかわされた。
 冗談みたいな反応速度。そしてそれに反応できたなら、そこからの切り返しも当然早い。
 カウンターを打つ様に回避した瞬間にその手の黒い球体をエルに向けて射出。捨て身のタックルでバランスを崩して地面に受け身もとれずに地面を転がるエルに直撃する。

「……ッ!」

 直後その場から起きあがれない程の重力が襲いかかる。

(……動けない)

 今の捨て身のタックルの失敗で相当のダメージは負った。だがそれ以上に重力が厄介すぎる。
 このままでは来るであろう追撃を回避できない。
 ……だが来る筈の追撃がいつまでたっても来なかった。

「これギブアップ宣言無いけど、ウチの勝ちって事でいいかな?」

 こちらに駆け寄ってきたレベッカがそう問いかけてくる。
 ……例えばこれが本当に戦わなければならない戦いであれば、まだ足掻いただろう。
 多分やれる事はまだあって。危険な策ではあったけど、風を操れば捨て身でやれる事がいくつかあって。だけどそれをした所でどうにかなるかは分からないし、そして多分今はそこまでするべき時じゃ無い。

「それでいいですよ。参りました」

「よし、ウチの勝ち」

 笑みを浮かべてガッツポーズをするレベッカは、全身に纏っていた禍々しい雰囲気を消す。
 その直後、エルを押さえつけていた重力も解除された。それがリミッターの解除というのを止めたからなのか、技のコントロールを解いたからなのかは分からないが、とりあえずはこれで動く事が出来る様になった。
 そしてゆっくりと立ち上がるエルに、レベッカが心配そうに声を掛ける。

「大丈夫? なんか受け身も取らずに凄い転がり方してたけど」

「あ、はい。まあこの程度なら大丈夫です。比較的軽症ですよ」

「……なんか比較対象がとんでもない大怪我な気がするのは気のせいなのかな?」

 多分気のせいではないだろう。少なくともこれが地球の人間が負った怪我なら、とりあえず接骨院などに通院するのは確定の様な、そんな怪我をさっきの自爆で負っている。
 もっともこの位は回復術で治せるし、この程度で死にはしない事は良く知っている。
 それにこれより酷い怪我を今まで何度も負ってきた。だからある意味軽症なのだろう。
 ……正直あまり負いたくない位には全身痛いのだけれど。
 そしてそんな事を考えるエルにレベッカは言う。

「いや、なんというか、そりゃルール決めてその範囲内での行動でやってるわけだからルール違反じゃないけどさ……この手の特訓であんな捨て身な攻撃は止めたほうがいいよ」

「……まああんまりやりたく無かったんですけど、でもあんな騙し打ちみたいなのしかもう手がなくて」

「だったらもうそれはヤバイ状況じゃん。ギブアップでいいでしょ。確かにこの戦いはあの力を知ってもらう事や、戦いの中でエルに力を引き出してもらおうって目的はあるからある程度本気でやらないといけないけど……これ、別に殺し合いじゃないんだからさ。失敗したら自分が大怪我する様なのは無しだよやっぱり」

「……でもまあ結局回復術で治りますし」

「そういう問題じゃないよ。治ればいいってものじゃない。ハスカに来てもらったのだって、どれだけ怪我してもいいようにって無茶苦茶な理由じゃなくて、怪我しちゃった時の為にって訳なんだし……もっと自分を大事にしようよ」

 そんな事を諭すようレベッカが言った所で、ようやくハスカが駆け寄ってきた。

「終わった? 二人とも怪我してな……うわ、普通に怪我してる」

 痛々しい物を見るようにそう言ったハスカはエルの前に屈みこんで回復術を使い始め、そしてレベッカにジト目を向けて言う。

「ちょっとレベッカ。ヤバくなったらギブアップって話じゃなかったの?」

「いやいや、やったのウチじゃないって。ウチ精々軽く一発蹴り打っただけだし」

「この怪我、私の自爆なんですよ」

「自爆って……」

「まあウチらが想定してた以上にガチで挑んできたって感じかな……普通正攻法でどうにもならないって思ったら、もうそれがヤバい状況じゃん」

「……まあそれ以前にレベッカさんが全力で動き出したスピード見た瞬間からずっとヤバいとは思ってたんですけどね」

「……じゃあ一旦距離取った段階でギブアップすれば良かったんじゃない?」

「でもそれだといくらなんでも早すぎませんか?」

「ちなみに聞くけど、途中でギブアップしようって思った時あった?」

「え? ……そうですね……」

 ハスカに聞かれて考えてみる。
 ずっとヤバいとは思ってたけど。ギブアップするべぎだとも思ったけど。考えてみればギブアップしようと思った瞬間はなかった。
 多分止められなければ、限界まで戦っていたのではないだろうか?

「なかったですね……」

「なんで? まさかアンタ、こういう荒事好きだったりする?」

「いや、嫌いですよ。正直に言って大嫌いです。できる事ならのほほんと争い事とは無縁な生活がしたいです」

 その言葉に嘘偽りはない。あるわけがない。
 痛いのは嫌だし戦いだって好きじゃない。普通そうに決まってる。
 ……では、そんな自分がどうしてギブアップせずにそこまで粘ったのだろう。

「じゃあなんで……」

 だけど考えてみればそれはとても簡単な答えで。
 そもそも戦いが嫌いな自分が、こうした戦いを始めた理由だって同じだった。

「……ああ、そっか」

 自分で納得したようにそう呟くと、レベッカに問われる。

「理由、わかったの?」

「エイジさんの為……ですかね?」

 多分それ以上無い答えだ。

「結局エイジさんを助けるために強い力が欲しいって思ったみたいなものですから。この負けても怪我で済むようなこの戦いで、その力が手にはいるかもしれないって思ったら頑張れますよ。例え危ないと思っても。やろうとしてることが危ないって分かっても、食らいつけます。限界まで挑めます。まあ正直今分かった結果論ですけど」

 そう言ったエルの言葉をうんうんと聞いていたレベッカが、エルに問いかける。

「あーうん、なるほど。これはアレかな? あの人の為なら何だってできるって奴かな?」

 正直、その質問には答えかねる。

「どうですかね? なんだってできるかはよく分かんないです」

 実際そればかりはそういう状況になってみなければ分からない。
 だけど、とエルは言う。

「なんだってしてあげたいって思います。それが例え危険な事でも」

 言いながら気づいた。
 多分そうやって正当化した自分の行為は、自分がエイジにやってほしく無いような事だ。
 どんなことであれ無茶はしないで欲しい。危険な事はしないで欲しいといつも思ってる事。
 だからエイジが自分と同じ事を言い出したら。やりはじめたら、聞き入れられるかはともかくとして咎めはするだろう。 
 そう考えると、あまり人の事は言えないなと思う。
 だって自分はそれをやるのだから。

(まあ……言いますけど)

 自分の事を棚にあげるようだけど、やはりエイジには危険な目にあってほしくないから。
 自分がやる分にはともかく、そこは譲りたくなくて。
 だから多分、自分は随分と筋が通らない事を考えているのだろうけど、それでいいやって思った。
 もしかしなくてもそれは、無茶苦茶な考えなのかもしれないけれど。

「……」

 そしてそんなエルを治療しながら、複雑な表情でエルの顔と怪我を交互に見つつハスカが呟いた。

「……愛が重い」

 褒められてるのか咎められてるのかは分からなかった。
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