持たざる者は、世界に抗い、神を討つ

シベリアン太郎

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第10話 伯爵の予感

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 北方の山脈に連なる大地に築かれた、堅牢な城砦。その石壁には幾重もの戦いの傷跡が刻まれ、風雪に晒された瓦屋根は、歳月の重みを物語っている。
 ここは辺境伯爵家。その領地の中心にそびえる、ヴァルツェン城。
 王国の最北端。“魔の森”に最も近いこの地は、常に外敵の脅威に晒されていた。魔物、盗賊、反乱。そして何より、深き森から滲み出る“何か”の気配。
 それらを抑え、秩序を守るために必要だったのは、政治力ではなく“力”そのもの。だからこそ、代々この地を統べてきた家には、武の誉れが求められてきた。

 そして今、その責を担うのは一人の男──
 辺境伯爵ギルベルト・ヴァルツェン。
 齢四十を越えてなお、鋼のように鍛えられた体躯を保ち、剣を佩かずともその存在は“剣”のごとく鋭い。
 その額には、紋章のごとく赤い印が光る。

 ──〈剣聖〉
 神より授かった、最上級の剣士スキル。その名は戦場に響けば、敵軍の士気が崩れると言われる。

 彼は今日も、朝の稽古を欠かさない。使用人も兵も誰もが知っている。この当主が一切の怠惰を許さぬ人間であることを。日々努力し、向上心ある者を好むことを。

 それは去年のことだった。

「……アルテイル男爵の子が、〈聖騎士〉のスキルを得たそうですね」

 当時執務室にて報告を受けた時、ギルベルトの顔には何の驚きも浮かばなかった。
 むしろ、わずかに眉をひそめた。

「〈聖騎士〉か、ふむ。名ばかりでなければいいがな」

 それが彼の反応のすべてだった。スキルの名など、戦の場では虚飾に過ぎぬ。真に剣を振るう覚悟と鍛錬なき者に、スキルは何の力ももたらさないことを彼はよく知っている。
 アルテイル男爵とは形式的な付き合いに過ぎぬ。
 だが、その子が辺境伯爵家の名を軽んじるような真似をすれば、一切の容赦はしない。
 それ以降、彼がその話題を口にすることはなかった。

 そしてその後、一年が過ぎた。
 〈聖騎士〉の名を得たという少年──エリオットとやらについて、この一年、武功を立てたとの報は一つとして入ってきていない。
 今、彼の視線は執務室の窓を通して、遠くの森へと向けられていた。
 “魔の森”。その深奥には、いまだに誰も知らない何かが眠っている。

「……試されるのは、いつだってこれからだ」

 彼の呟きは、静かながらも鋼のような意志を帯びていた。

「それよりも遺跡……あの森の奥にある、例の“口を開かぬ墓”のことだ」

 ギルベルトは、報告書を静かに机に置いた。
 報告によれば、最近になって“魔の森”奥地にて、微かな魔力の変動が観測された。二百年前に滅びたという古代文明の遺跡。長らく調査もままならない状況が続いていたが、ここ最近、魔物の動きに妙な変化が見られるという報告が上がってきていた。

「これはただの変化ではない。これは……何かの予兆なのかもしれん」

 そう呟いたギルベルトに、側近の騎士団長が応える。

「では、やはり、領軍から正式な調査隊を出しますか?」

 ギルベルトは首を横に振った。

「いや、今はまだ大規模な動きは避けたい。“魔の森”は民にとって恐怖だ。だが、その恐怖が、必要以上に広がれば混乱を生む。まずは少人数。できれば探索に長けた者に偵察を任せる必要があるが……」
「信頼できる者を──そういった冒険者が、今、領内にいるかと申せば……」

 騎士団長は少し考え込むように眉を寄せた。
 ギルベルトは静かに目を閉じた。

(“スキルなし”の少年。名の知れた剣士でもない、魔法使いでもない。だが、報告にあった……小鬼の討伐、魔獣の討伐、連戦すべて単独、そして生還。何者か?)

「一人、面白い者が探索に志願しただろう?」

 騎士団長が目を見開いた。

「あのスキルを持たぬ者を遺跡に? それにまだ子供だと聞いておりますが……本当によろしいのですか、閣下?」
「スキルがあれば死なぬという保証があるならば、誰だっていいということになる。だが現実は違う。“生きて帰る”力とは、時にそれとは別の資質に宿るものだ」

 そう言ってギルベルトは立ち上がった。
 その言葉には、一分の迷いもなかった。

「うむ。それはそれとして、この少年……何か気になるな。少し調べてみるとするか。ゼムロスを呼んでくれ」
「はっ、承知いたしました!」
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