10 / 181
第10話 伯爵の予感
しおりを挟む
北方の山脈に連なる大地に築かれた、堅牢な城砦。その石壁には幾重もの戦いの傷跡が刻まれ、風雪に晒された瓦屋根は、歳月の重みを物語っている。
ここは辺境伯爵家。その領地の中心にそびえる、ヴァルツェン城。
王国の最北端。“魔の森”に最も近いこの地は、常に外敵の脅威に晒されていた。魔物、盗賊、反乱。そして何より、深き森から滲み出る“何か”の気配。
それらを抑え、秩序を守るために必要だったのは、政治力ではなく“力”そのもの。だからこそ、代々この地を統べてきた家には、武の誉れが求められてきた。
そして今、その責を担うのは一人の男──
辺境伯爵ギルベルト・ヴァルツェン。
齢四十を越えてなお、鋼のように鍛えられた体躯を保ち、剣を佩かずともその存在は“剣”のごとく鋭い。
その額には、紋章のごとく赤い印が光る。
──〈剣聖〉
神より授かった、最上級の剣士スキル。その名は戦場に響けば、敵軍の士気が崩れると言われる。
彼は今日も、朝の稽古を欠かさない。使用人も兵も誰もが知っている。この当主が一切の怠惰を許さぬ人間であることを。日々努力し、向上心ある者を好むことを。
それは去年のことだった。
「……アルテイル男爵の子が、〈聖騎士〉のスキルを得たそうですね」
当時執務室にて報告を受けた時、ギルベルトの顔には何の驚きも浮かばなかった。
むしろ、わずかに眉をひそめた。
「〈聖騎士〉か、ふむ。名ばかりでなければいいがな」
それが彼の反応のすべてだった。スキルの名など、戦の場では虚飾に過ぎぬ。真に剣を振るう覚悟と鍛錬なき者に、スキルは何の力ももたらさないことを彼はよく知っている。
アルテイル男爵とは形式的な付き合いに過ぎぬ。
だが、その子が辺境伯爵家の名を軽んじるような真似をすれば、一切の容赦はしない。
それ以降、彼がその話題を口にすることはなかった。
そしてその後、一年が過ぎた。
〈聖騎士〉の名を得たという少年──エリオットとやらについて、この一年、武功を立てたとの報は一つとして入ってきていない。
今、彼の視線は執務室の窓を通して、遠くの森へと向けられていた。
“魔の森”。その深奥には、いまだに誰も知らない何かが眠っている。
「……試されるのは、いつだってこれからだ」
彼の呟きは、静かながらも鋼のような意志を帯びていた。
「それよりも遺跡……あの森の奥にある、例の“口を開かぬ墓”のことだ」
ギルベルトは、報告書を静かに机に置いた。
報告によれば、最近になって“魔の森”奥地にて、微かな魔力の変動が観測された。二百年前に滅びたという古代文明の遺跡。長らく調査もままならない状況が続いていたが、ここ最近、魔物の動きに妙な変化が見られるという報告が上がってきていた。
「これはただの変化ではない。これは……何かの予兆なのかもしれん」
そう呟いたギルベルトに、側近の騎士団長が応える。
「では、やはり、領軍から正式な調査隊を出しますか?」
ギルベルトは首を横に振った。
「いや、今はまだ大規模な動きは避けたい。“魔の森”は民にとって恐怖だ。だが、その恐怖が、必要以上に広がれば混乱を生む。まずは少人数。できれば探索に長けた者に偵察を任せる必要があるが……」
「信頼できる者を──そういった冒険者が、今、領内にいるかと申せば……」
騎士団長は少し考え込むように眉を寄せた。
ギルベルトは静かに目を閉じた。
(“スキルなし”の少年。名の知れた剣士でもない、魔法使いでもない。だが、報告にあった……小鬼の討伐、魔獣の討伐、連戦すべて単独、そして生還。何者か?)
「一人、面白い者が探索に志願しただろう?」
騎士団長が目を見開いた。
「あのスキルを持たぬ者を遺跡に? それにまだ子供だと聞いておりますが……本当によろしいのですか、閣下?」
「スキルがあれば死なぬという保証があるならば、誰だっていいということになる。だが現実は違う。“生きて帰る”力とは、時にそれとは別の資質に宿るものだ」
そう言ってギルベルトは立ち上がった。
その言葉には、一分の迷いもなかった。
「うむ。それはそれとして、この少年……何か気になるな。少し調べてみるとするか。ゼムロスを呼んでくれ」
「はっ、承知いたしました!」
ここは辺境伯爵家。その領地の中心にそびえる、ヴァルツェン城。
王国の最北端。“魔の森”に最も近いこの地は、常に外敵の脅威に晒されていた。魔物、盗賊、反乱。そして何より、深き森から滲み出る“何か”の気配。
それらを抑え、秩序を守るために必要だったのは、政治力ではなく“力”そのもの。だからこそ、代々この地を統べてきた家には、武の誉れが求められてきた。
そして今、その責を担うのは一人の男──
辺境伯爵ギルベルト・ヴァルツェン。
齢四十を越えてなお、鋼のように鍛えられた体躯を保ち、剣を佩かずともその存在は“剣”のごとく鋭い。
その額には、紋章のごとく赤い印が光る。
──〈剣聖〉
神より授かった、最上級の剣士スキル。その名は戦場に響けば、敵軍の士気が崩れると言われる。
彼は今日も、朝の稽古を欠かさない。使用人も兵も誰もが知っている。この当主が一切の怠惰を許さぬ人間であることを。日々努力し、向上心ある者を好むことを。
それは去年のことだった。
「……アルテイル男爵の子が、〈聖騎士〉のスキルを得たそうですね」
当時執務室にて報告を受けた時、ギルベルトの顔には何の驚きも浮かばなかった。
むしろ、わずかに眉をひそめた。
「〈聖騎士〉か、ふむ。名ばかりでなければいいがな」
それが彼の反応のすべてだった。スキルの名など、戦の場では虚飾に過ぎぬ。真に剣を振るう覚悟と鍛錬なき者に、スキルは何の力ももたらさないことを彼はよく知っている。
アルテイル男爵とは形式的な付き合いに過ぎぬ。
だが、その子が辺境伯爵家の名を軽んじるような真似をすれば、一切の容赦はしない。
それ以降、彼がその話題を口にすることはなかった。
そしてその後、一年が過ぎた。
〈聖騎士〉の名を得たという少年──エリオットとやらについて、この一年、武功を立てたとの報は一つとして入ってきていない。
今、彼の視線は執務室の窓を通して、遠くの森へと向けられていた。
“魔の森”。その深奥には、いまだに誰も知らない何かが眠っている。
「……試されるのは、いつだってこれからだ」
彼の呟きは、静かながらも鋼のような意志を帯びていた。
「それよりも遺跡……あの森の奥にある、例の“口を開かぬ墓”のことだ」
ギルベルトは、報告書を静かに机に置いた。
報告によれば、最近になって“魔の森”奥地にて、微かな魔力の変動が観測された。二百年前に滅びたという古代文明の遺跡。長らく調査もままならない状況が続いていたが、ここ最近、魔物の動きに妙な変化が見られるという報告が上がってきていた。
「これはただの変化ではない。これは……何かの予兆なのかもしれん」
そう呟いたギルベルトに、側近の騎士団長が応える。
「では、やはり、領軍から正式な調査隊を出しますか?」
ギルベルトは首を横に振った。
「いや、今はまだ大規模な動きは避けたい。“魔の森”は民にとって恐怖だ。だが、その恐怖が、必要以上に広がれば混乱を生む。まずは少人数。できれば探索に長けた者に偵察を任せる必要があるが……」
「信頼できる者を──そういった冒険者が、今、領内にいるかと申せば……」
騎士団長は少し考え込むように眉を寄せた。
ギルベルトは静かに目を閉じた。
(“スキルなし”の少年。名の知れた剣士でもない、魔法使いでもない。だが、報告にあった……小鬼の討伐、魔獣の討伐、連戦すべて単独、そして生還。何者か?)
「一人、面白い者が探索に志願しただろう?」
騎士団長が目を見開いた。
「あのスキルを持たぬ者を遺跡に? それにまだ子供だと聞いておりますが……本当によろしいのですか、閣下?」
「スキルがあれば死なぬという保証があるならば、誰だっていいということになる。だが現実は違う。“生きて帰る”力とは、時にそれとは別の資質に宿るものだ」
そう言ってギルベルトは立ち上がった。
その言葉には、一分の迷いもなかった。
「うむ。それはそれとして、この少年……何か気になるな。少し調べてみるとするか。ゼムロスを呼んでくれ」
「はっ、承知いたしました!」
11
あなたにおすすめの小説
ホームレスは転生したら7歳児!?気弱でコミュ障だった僕が、気づいたら異種族の王になっていました
たぬきち
ファンタジー
1部が12/6に完結して、2部に入ります。
「俺だけ不幸なこんな世界…認めない…認めないぞ!!」
どこにでもいる、さえないおじさん。特技なし。彼女いない。仕事ない。お金ない。外見も悪い。頭もよくない。とにかくなんにもない。そんな主人公、アレン・ロザークが死の間際に涙ながらに訴えたのが人生のやりなおしー。
彼は30年という短い生涯を閉じると、記憶を引き継いだままその意識は幼少期へ飛ばされた。
幼少期に戻ったアレンは前世の記憶と、飼い猫と喋れるオリジナルスキルを頼りに、不都合な未来、出来事を改変していく。
記憶にない事象、改変後に新たに発生したトラブルと戦いながら、2度目の人生での仲間らとアレンは新たな人生を歩んでいく。
新しい世界では『魔宝殿』と呼ばれるダンジョンがあり、前世の世界ではいなかった魔獣、魔族、亜人などが存在し、ただの日雇い店員だった前世とは違い、ダンジョンへ仲間たちと挑んでいきます。
この物語は、記憶を引き継ぎ幼少期にタイムリープした主人公アレンが、自分の人生を都合のいい方へ改変しながら、最低最悪な未来を避け、全く新しい人生を手に入れていきます。
主人公最強系の魔法やスキルはありません。あくまでも前世の記憶と経験を頼りにアレンにとって都合のいい人生を手に入れる物語です。
※ ネタバレのため、2部が完結したらまた少し書きます。タイトルも2部の始まりに合わせて変えました。
30年待たされた異世界転移
明之 想
ファンタジー
気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
老衰で死んだ僕は異世界に転生して仲間を探す旅に出ます。最初の武器は木の棒ですか!? 絶対にあきらめない心で剣と魔法を使いこなします!
菊池 快晴
ファンタジー
10代という若さで老衰により病気で死んでしまった主人公アイレは
「まだ、死にたくない」という願いの通り異世界転生に成功する。
同じ病気で亡くなった親友のヴェルネルとレムリもこの世界いるはずだと
アイレは二人を探す旅に出るが、すぐに魔物に襲われてしまう
最初の武器は木の棒!?
そして謎の人物によって明かされるヴェネルとレムリの転生の真実。
何度も心が折れそうになりながらも、アイレは剣と魔法を使いこなしながら
困難に立ち向かっていく。
チート、ハーレムなしの王道ファンタジー物語!
異世界転生は2話目です! キャラクタ―の魅力を味わってもらえると嬉しいです。
話の終わりのヒキを重要視しているので、そこを注目して下さい!
****** 完結まで必ず続けます *****
****** 毎日更新もします *****
他サイトへ重複投稿しています!
独身貴族の異世界転生~ゲームの能力を引き継いで俺TUEEEチート生活
髙龍
ファンタジー
MMORPGで念願のアイテムを入手した次の瞬間大量の水に押し流され無念の中生涯を終えてしまう。
しかし神は彼を見捨てていなかった。
そんなにゲームが好きならと手にしたステータスとアイテムを持ったままゲームに似た世界に転生させてやろうと。
これは俺TUEEEしながら異世界に新しい風を巻き起こす一人の男の物語。
最強剣士が転生した世界は魔法しかない異世界でした! ~基礎魔法しか使えませんが魔法剣で成り上がります~
渡琉兎
ファンタジー
政権争いに巻き込まれた騎士団長で天才剣士のアルベルト・マリノワーナ。
彼はどこにも属していなかったが、敵に回ると厄介だという理由だけで毒を盛られて殺されてしまった。
剣の道を極める──志半ばで死んでしまったアルベルトを不憫に思った女神は、アルベルトの望む能力をそのままに転生する権利を与えた。
アルベルトが望んだ能力はもちろん、剣術の能力。
転生した先で剣の道を極めることを心に誓ったアルベルトだったが──転生先は魔法が発展した、魔法師だらけの異世界だった!
剣術が廃れた世界で、剣術で最強を目指すアルベルト──改め、アル・ノワールの成り上がり物語。
※アルファポリス、カクヨム、小説家になろうにて同時掲載しています。
レイブン領の面倒姫
庭にハニワ
ファンタジー
兄の学院卒業にかこつけて、初めて王都に行きました。
初対面の人に、いきなり婚約破棄されました。
私はまだ婚約などしていないのですが、ね。
あなた方、いったい何なんですか?
初投稿です。
ヨロシクお願い致します~。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる