持たざる者は、世界に抗い、神を討つ

シベリアン太郎

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第108話 二日目

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 翌日、朝露がまだ地を湿らせる中、訓練場には再び二人の影が並んでいた。
 レオンはゆっくりと剣を抜きながら、淡々と口を開く。

「今日は少しだけ──厳しくいくぞ」

 言葉に険しさはない。しかし、その声音には、昨日とは違う緊張感があった。

「安心しろ。傷薬を用意してある。俺の知り合いの手製だ。……よく効くぞ」

 ラグナルは返事をしない。ただ黙って、昨日と同じく聖剣を抜き放つ。剣が唸り、光が滲む。王家の血に応じる力が、再びその身を満たしていく。

 そして、始まった。
 ラグナルの突撃。聖剣の閃き。怒りのこもった斬撃──
 だがレオンは、それらをことごとく躱し、いなす。

「どうした?」

 レオンは無表情のまま言葉を重ねる。

「これでは、昨日と同じだぞ?」
「ふざけるなっ!!」

 ラグナルの叫びが訓練場に響く。スキルが発動し、風が唸り、剣が閃く。しかし、レオンはまるで未来を見通しているかのように、そのすべてを無傷で抜ける。
 次の瞬間、レオンの剣が、鋭くラグナルの肩口をかすめた。

「……ッ!」

 浅い傷。いくら訓練用の剣と言っても、鋭く攻撃されれば怪我もするし、確かな痛みも走る。ラグナルは歯を食いしばり、再び間合いを詰める。怒りのまま、また斬る。斬る。斬る──
 だが、返ってくるのは小さな、だが確かな刃の報いだった。
 レオンの剣が、確実にラグナルの身体に浅い傷を刻んでいく。腕、脇腹、太腿。どれも致命には至らぬが、明確に“差”を教えるものだった。

「どうした? ほら、全力を出せ」
「黙れ……ッ、うるさいっ!!」

 感情の叫びとともに、ラグナルは再び突撃するが、レオンはまるで舞うように躱し、その背に一つ、切り傷を刻んだ。
 訓練場の端で見守る騎士たちが、ざわめき始める。

「……もう十分では……?」
「一体どういうつもりなんだ……?」

 血がにじみ、ラグナルの剣は徐々に重くなっていく。息が荒れ、足元が揺らぎ、それでも彼は止まらない。誇りのためか、意地か、あるいは──それ以外の何かのためか。
 レオンはなおも冷静だった。打ち込まれる怒りの斬撃を、確実に避け、必要最低限の痛みを返す。

「言っただろう。今日は“少し”厳しくすると」

 その言葉と同時に、レオンの剣がまた一閃──ラグナルの服を裂き、血が地に滴る。
 立ち尽くす騎士たちの視線が、次第に悲鳴に近いものへと変わっていった。
 それでも、レオンの表情には、冷たさはあっても、憎しみはなかった。ただ静かに、まるで──何かを教えるように。

 数度目の斬撃が交差し、再びラグナルの肩に浅い切り傷が走った時──
 訓練場の片隅で見守っていた騎士たちの間に、低い声が漏れる。

「……さすがにやり過ぎではないか?」

 血に濡れ、息を荒げる王子の姿を見て、誰かが思わずそう呟いた。
 その声は小さなさざ波のように周囲に広がり、いくつもの視線がレオンに向けられる。
 しかし、当の本人は平然としたまま剣を収め、ラグナルから少し距離を取った。そして、淡々と答える。

「何、この程度──兵士たちならいつもやっていることだ」

 静かに、けれど揺るがぬ響きがあった。
 ラグナルは地面に膝をつき、荒い呼吸を繰り返していた。聖剣の光は既に消え、その身を支えるのがやっとといった様子だ。

「この程度で、もうへばったのか? まあいい、休憩だ」

 レオンが合図すると、待機していた一人の騎士がすぐさま駆け寄ってくる。レオンは腰の袋から小瓶を取り出し、無造作にそれを手渡した。

「使うといい。レティシア──俺の知り合いが調合した傷薬だ。効き目は保証する」

 騎士は頭を下げて頷き、慎重にその液を布に含ませ、ラグナルの傷口に当てていく。
 すると──

「……!」

 騎士が思わず声を漏らした。見る見るうちに、切り傷が塞がっていく。皮膚が滑るように再生し、赤黒い血が止まっていく様に、周囲の騎士たちも目を見張った。

「こ、これは……」
「すごい回復だ……!」

 ざわめきが、先ほどまでの不安げな空気が、少しずつ安堵のものへと変わっていく。
 レオンは、それを一瞥したあと、静かにラグナルに声をかけた。

「もう少し体力も必要だな」

 ラグナルは答えない。ただ苦しげな呼吸を整えながら、地面を睨みつけていた。
 レオンはふっと息を吐き、背を向ける。

「今日はここまでにする。……傷がふさがっても、失った血は戻らんからな。念のため、明日は一日休養していろ」

 その言葉を残し、レオンはゆっくりと訓練場の外へと歩き出した。
 残された騎士たちは、ただその背を見送りながら、ラグナルの肩に手を添え、そっと支える。
 静かな午後の陽が、じわじわと訓練場を照らしていた。



 扉が閉まる音がした瞬間、ラグナルはベッドの縁に腰を落とした。
 額から流れる汗が、まだ引かない。心臓が、怒りに合わせて荒く脈打っていた。

「……クソッ!!」

 拳が思わず床を打つ。重厚な絨毯が拳の衝撃を吸収しきれず、鈍い音が室内に響いた。

「何が……“今日はここまでにする”だ……」

 唇が震え、歯が噛み合わさる。

「俺は王子だぞ……っ!」

 何度打ちかかっても、届かない。〈聖剣〉の輝きすら、あの男には通じなかった。
 躱され、払われ、斬られ──ただの訓練などではない。あれは見せしめだ。完膚なきまでの敗北を、誰の目にも明らかにして、王子である自分を無力だと示した。

「貴様ごときが、この俺を──見下している……!」

 ラグナルの視線が、自らの手のひらへと落ちる。そこには乾きかけた血と、聖剣の柄の感触が残っていた。

「力が……足りない……?」

 そんなことはない。聖剣は王家に伝わる至高の武器だ。スキルもある。幼い頃から剣術を学び、誰よりも努力してきた。
 なのに──

「なぜだ……なぜ、あいつには……!」

 脳裏に浮かぶ、あの冷たい瞳。一切の感情を読み取らせない、あの沈着な立ち居振る舞い。

 ラグナルの胸に渦巻くものは、怒りだった。屈辱だった。
 そして、憎しみだった。

(許さない……絶対に……)

 拳が震える。

(次こそ……。次こそは、あの男を──)

 感情は熱となり、怒りは鋼を溶かす炎となって、ラグナルの中に積もっていった。
 静かな自室の中、王子の呼吸は荒れたまま、夜が深まっていった。
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