仮面夫婦の愛息子

daru

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 もう日も暮れ暗くなった頃、ようやくクラリッサを帰路につかせることができた。
 身も心もくたくただ。

 セシールのところへ報告に行けば、「一晩を共にするのかと思いました。」などと笑顔で嫌味まで言われる始末。ご苦労さまのひと言も無い。

 まぁ、それはいい。労いなど最初から期待していなかった。
 俺が早足で廊下を歩いている原因は別にある。

 辿り着いた部屋の戸をノックすると、寝巻姿のセオが現れた。

「父さん。クラリッサが帰ったんですね。お疲れ様です。」

 セシールとは違って、嫌味のない笑顔で労ってくれるセオは、やはり天使だ。
 俺にはそんなセオの未来を守る義務がある。

「セオ、少しいいか?」

 セオは素直に俺を部屋へと通した。
 俺の趣味もセシールの趣味も取り入れられたセオの部屋は、統一感の無い家具が揃えられ、親として申し訳ない気になるが、当の本人は文句の1つも零したことがない。

 罪悪感の募る部屋だが、言うべきことは言わねばなるまい。

「公爵の御令嬢との件を聞いた。」

 1人掛けのソファに座りながら物々しく言ったつもりだったが、セオは「ああ。」と軽い反応で、なんなら笑顔まで浮かべながら俺の正面に座った。

「すみません、僕から話そうと思っていたのですが、母さんから聞いたんですね。」

「考え直した方がいい。」

「驚くのは分かりますが、母さんは応援してくれるって言ってくれていますし、マリアとも、もう約束しています。」

 困ったように笑うセオ。
 しかしそれはあの公爵の正体を知らないから言えることだ。

「クラリッサにあることを聞いた。」

「あること?」

 これを知れば、公爵の娘などと婚姻をしようなどと考えられなくなるはずだ。

 俺はクラリッサに聞いた内容を、そのままセオに話した。
 そこから考察できる、俺に毒を盛った執事に指示を出したのはエイヴリルの可能性があることも、その背後に公爵がいるかもしれないことも。

 さすがのセオも笑顔を引っ込め、真剣な眼差しで軽く握った拳を口元に当てていた。そして、静かに「そうですか。」と呟いた。

「ショックかもしれないが、この状況で安々とお前たちの婚姻に、賛成はできない。」

「この件を、母さんにも伝えたんですか?」

「いや…まだだ。」

 まだ、というか、言わないつもりでいる。
 公爵はセシールに有利な条件を提示するだろう。彼女にあちら側に靡かれては困る。そうして万が一にもセオが彼女について行ったら、そんなことになったら俺は絶対絶命だ。

 そんな俺の心を悟っているかのように、セオは軽く息を吐いた。

「母さんのことも疑っているんですか?」

「いや、そうではない。」

 セシールは違うと、セオが言った。

「セシールのお前への態度と、お前の言葉を信じている。」

「ではなぜ母さんに伝えないんですか?」

「それは…。」

「そうやって怖がっているのは、今まで母さんを蔑にしてきた自覚があるからではありませんか?」

 ちくり、いや、ぐっさりと胸を抉られた。
 図星だ。しかしこんな風にセオに責められるのは初めてだった。

「この前、父さんが母さんに謝罪をしましたよね。あの時はクラリッサの件という風にしていましたが、僕には他にもいろいろな意味が含まれた謝罪に聞こえました。」

 息子の前で、不覚にも狼狽えてしまった。

「僕、嬉しかったんですよ。ああやって3人でお茶を飲んだり、同じ目的の為に作戦会議みたいなことをしたり。僕は、父さんも母さんも好きなので。」

「セオ。」

 俺たちの夫婦関係が、セオには教育上良くないということは分かっていた。分かっていて改善できずにいたのは、それでもセオが、問題なく良い子に育ってくれたからだ。
 そんな優秀なセオに、俺もセシールも甘えてしまったのだ。

「父さんが謝罪の言葉を口にした時、何か変わったのかと思いました。変わろうとしているのかもって、そんな期待をしました。」

 真っ直ぐに見つめてくるセオの瞳が、とても優しい。
 俺も真っ直ぐに伝えようと思った。

「父さんは、どうしたいんですか?これからも今までのように…。」

「改善したいと思っている。」

 セオの言葉を遮るように言うと、セオは目を丸くして、気のせいかもしれないが、輝かせたように見えた。

「え…ほ、本当ですか?」

「お前にも、ずっと謝らなければならないと思っていた。俺とセシールの関係のせいで、大きな負担を背負わせてしまった。板挟みにしてしまった。」

 大人びたセオが小さな子供に戻ったように、懸命に耳を傾けてくれている。
 そんな様子を見て、ふと笑みが零れた。

「死にかけて、ようやく目が覚めたんだ。俺とセシールには、もっと別の形があったんじゃないかって。」

「父さん…遅いです。」

 そう言いながらも、セオは笑っていた。俺も「そうだよな。」と笑い声を重ねる。

「そう簡単に修繕なんてできないだろうが、今回の毒の件を片づけたら1度しっかり謝罪をして、今後は少しずつ誠意を見せようと思う。」

「それなら、僕の婚姻は父さんの役に立つと思いますよ。」

「どういうことだ?」

「僕がマリアに結婚話を切り出されて承諾をした理由の1つは、公爵閣下への牽制にもなると考えたからです。」

 地位も権力もあり、容姿も端正で、セシールの望みをなんでも叶えれる公爵は、男として俺を脅かす存在であることは間違いない。
 セオの言い分は、そんな公爵でも、まさか自分の娘の嫁ぎ先の母にまでは、手を出さないだろうということだった。

「もちろん理由はそればかりではありませんが。それに、今回の事件の黒幕が父さんの言うように公爵閣下だった場合、王弟であらせる公爵閣下を追い詰めるのは難しいです。」

 それならば、と流暢に話す様は、セシールにそっくりだ。

「マリアと結婚をして、逆に味方に付いてもらった方がこの先も安心です。」

 そう上手く行くだろうか。公爵が婚姻を認めないケースも、国王陛下が認めないケースもありうる。
 そう思っているのに、首が縦に折れてしまうのは、人形だった頃の流されやすい俺の名残だろうか。

「お前にも考えがあることは分かった。やってみるといい。」

「ありがとうございます、父さん!」

「けど、結婚ってのは簡単じゃないぞ。」

「はは、父さんを反面教師に頑張ります。」

 屈託のない笑顔のセオにちくりと刺され、胸を押さえながら退室をした。

 今まで文句を言われたことが無かったとはいえ、やはりセオから見て俺は反面教師にするような父なのかと、再認識をさせられた。
 そして、募る罪悪感の中で、反面教師にセシールは含まれないのかとため息を零した。



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