左遷先の伯爵様が愛しすぎて帰れません。

daru

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本編

01.障壁

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「父上!!」

 叫ぶように父を呼んだ声は、しんと静かな部屋に溶け込んだ。

 上体を起こし、汗で張り付いた前髪を掻き上げ、同じく汗を吸い込み湿ったベッドから降りた。
 朝であればたくさんの陽光を注いでくれるはずの大きな窓のカーテンをめくると、まだ太陽は登っておらず、ため息を吐いてカーテンを離した。

 用意されいた洗顔用の水で顔を洗い、簡単に体を拭く。
 本来は目が覚めてからメイドが持って来てくれていたのだが、戦場から帰ってきてからはこのように夜明け前に目覚める事が増えた為、いつでも使えるように夜の内に準備してもらうようになった。

 普段からドレスではなく騎士服を着ている為、着替えにも手伝いは必要なく、父譲りの自慢の黒髪を1つに結び、1人で身支度を済ませて部屋を出た。

 空が薄っすらと明るくなり始めている。邸宅内も使用人たちが動き始めたようで、訓練場へ向かう途中、何人かとすれ違った。

「お嬢様。」

 外へ出る手前で呼び止められた。
 振り返ると、祖父の代から仕えている執事長だった。見事なまでの白髪で、兄に付き合い忙しくしているせいだろうか、禿げた頭頂部がさらに広がった気がする。

「お目覚めになったら、執務室にお呼びするように旦那様から仰せつかっております。」

「お兄様が。」

 こんな早朝に。いや、恐らく朝早いのではなく、寝ていないのだ。
 私より3つ上の兄は、戦争が終わり、亡き父からメンタム伯爵位を継承してから、ずっと忙しそうにしている。

「分かった。」

 くるりと踵を返し、兄の執務室へと赴く。

 厳かな両扉の前で手を胸に当て、目を瞑り、深呼吸をしてからノックをした。

「クリスタルです。」

 暫く待ったが返事はなく、「失礼します。」と遠慮なく戸を開けた。
 案の定、兄は寝ていた。机に肘を置き、その手で頭を支えるようにして、目を閉じている。

 机のすぐ前まで歩み寄っても起きる気配はない。
 机上には書類が積み重ねられ、兄の手から落ちたのか、転がったペンの近くの書類に小さな黒い斑点ができていた。

「お兄様。」

 机越しに兄の肩を揺らすと、一瞬、頭が落ちかけ、どうにか自力で持ち直した。

「しまった、寝てしまっていたか。」

 眉間をつねるように揉む兄に「ちゃんとお休みになるべきです。」と声を掛けると、じっと見つめられた。
 兄は父によく似ている。精悍な顔つきもそうだが、何よりも、言葉数が少なく感情の起伏が少ないところがそっくりだ。

「今は何時だ?起きるには随分早いのではないか?」

 どの口が言っているのか。

「5時です。」

 寝るには随分遅い時間です、という反論は呑み込んだ。

「私をお呼びだと伺いました。」

「ああ、そうだ。」

 がさごそと書類の山を漁り、1通の手紙を抜き出した。

「侯爵邸での定例会議で議題に挙がり、カッソニア家が引き受ける事にしたのだ。」

 渡された手紙を受け取り、中身を開く。そこには侯爵位を擁するシューリス家の跡継ぎを退いた長男、ネッサ伯爵ハミルトン・シューリスの名前が記されていた。
 その方から、人材支援の要請が届いたらしい。

「父上の葬儀にもご参列頂いた車椅子のお方だ。」

 説明されずとも知っている。
 今でこそ車椅子の生活を余儀なくされ次期侯爵の座を退きはしたが、20年前、今回私たちも戦ったオム王国からの侵略戦争に勝利をもたらし、むしろ敵国の領土アンスウを獲得した英雄だ。
 彼が今も健在であの地を守護していれば、今回の戦争自体、起こらなかったかもしれない。
 手紙によると、どうやらネッサという山の麓の田舎領に隠居しているらしい。

「ハミルトン卿の名声も関係しているのだろうが、戦争難民が多く流れ着いたらしく手が回らないらしい。」

「では、派遣する人員を騎士団から選出します。」

「お前を派遣すると進言した。」

 目を見開き、手紙から兄に視線を移した。

「お前の名を出したら、侯爵閣下もお喜びだった。他の人員選出はお前に任せる。100騎の隊を編成し、ネッサに向かえ。」

「なぜですか。お兄様がこんなにもお忙しくされているのに、私にはその手伝いもさせてくれないのですか?」

 兄はおもむろに椅子に背を預け、どこか一点を見つめた。私でもなく、書類でもない。
 恐らく何も見てはいないのだ。きっと、私といるのが気まずいだけ。

「クリスタル、隈が酷いぞ。少し田舎で気楽に過ごして来たらどうだ。」

 旅行気分で行ってくるといい。そのぼやきを聞き、持っていた手紙をぐしゃりと握った。

「私が……父上をお守りできなかったからですか?」

「まだそんなことを言っているのか。」

 兄の瞳が鋭く私を睨んだ。

「父上のことはお前のせいではない。」

「ではなぜ私を離れた土地へ送ろうとするのですか!」

「シューリス家はジネス王国西部を統括する大家門。何か問題があればお助けするのが、侯爵領に隣接する我々カッソニア家の使命だ。その為の騎士団でもあるんだぞ。」

「わざわざ私を指名する必要はなかったはずです!」

「誠意を示したのだ。私がカッソニア家当主として、初めて出席した定例会議だった故。」

 嘘つき。

 理性的な兄のことだ。私に怒りを抱いていても、そうとはっきり言葉にはできないのだろう。

 庶子でありながら、父の恩恵を受けていながら、その身をお守りすることができなかった自分が憎い。
 自分自身ですら許せないというのに、兄が許してくれるはずがない。

 次第に視界が滲んでいく。

 兄の重々しいため息に堪えきれず、熱い涙が頬を伝った。

「カッソニア家の一員だからこそ、お側で仕えたいのです。必ず、お役に立ちます。」

 それが私にできる唯一の贖罪。

「ご隠居されたとはいえ、ハミルトン卿もれっきとしたシューリス家のお方だ。ネッサ領が落ち着くまであの方にお仕えし、頭を冷やして来い。」

 これは決定事項なのだ。私が何を言っても覆ることはない。事実上の左遷。
 悔しさを覆うように塵が積もっていく。反論する言葉も出てこない。
 手紙を握り潰していた拳も、いつの間にか緩んでいた。

「出発は5日後だ。準備しておけ。」

「……分かりました。」

 そう言う他なかった。
 砂の城が波にさらわれるような、そんな無力感に打ちひしがれた。


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