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本編
11.木剣
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自分でも驚くほど充実した数か月を過ごした。
開墾計画は順調すぎるといっても良い程だ。
時には人と人が争ったり、壁にぶつかることもあったが、それもどうにか皆で乗り越えた。
どれだけ疲労が蓄積しようとも、城へ帰り、ハミルトン様に労いの言葉を頂けば心が満たされ、それだけで意欲が漲った。
そうしているうちに森を切り開いた地はついに農地へと変貌を遂げ、地元民も移民も関係なく領民の皆が協力し合い、忙しくしながらも胸をはり、充足感を覚えているような笑顔を浮かべていた。
建物が増え、皆が寝所を得たし、治療所や倉庫の拡大に加え、簡易的ではあるものの、騎士の派出所も建てられた。
全てが順調だ。
戦場で血と敵意に塗れた日々も、兄に失望されて無力感打ちひしがれた事も、遠い昔のように感じられるほどに、慌しくも晴れやかな生活を送っていた。
元の生活に戻れるだろうか。そんな恐怖心さえ芽生えていた。
大きく窪んだ地形の採石場の脇に立ち、遠目に村を眺めると、領民たちの活気がそのまま風に乗ってきたような爽快感を覚える。
「優しい村ですね。」
「そう思うか?」
嬉々とした声に振り返ると、簡易的なテーブルで優雅にコーヒーを嗜むハミルトン様が自慢げに顎を上げていたので、自然と頬が弛んだ。異論は無いらしい。
「よそ者も変化も柔軟に受け入れ、病人も怪我人も関係なく支え合って生活しています。」
「怪我人というのは俺も含めか?」
「よそ者というのは私も含まれるので、お気になさらず。」
相変わらず痛快な返しだな、とハミルトン様は歯を見せた。
「まぁ、確かに。俺も来たばかりの頃、あっという間に馴染んだよ。」
それは性格に起因しているのではと思ったが、口には出さなかった。
「世界中がこの村のようであれば、戦争なんて起きないのでしょうね。」
「コミュニティが大きくなれば、それだけいろんな思想が入り乱れて、制御は難しくなる。この村が平和なのは、皆の意識が一致して自然と向き合っているからだろう。人間同士で争っている余裕はないからな。」
自嘲気味に笑みをこぼしてカップを置き、森に視線を投げたハミルトン様。その眼差しに覚えがあった。
風景画を描くキャンバスを前に見せるあの目だ。真っ直ぐでいて、どこか物悲しさを感じるあの表情。
もしかするとハミルトン様は、本当のところ、森を開墾したくなかったのかもしれない。
田舎の風景に合うから、とロバ車で移動するような御方だ。領民の為に村を発展させてはいるが、彼からしたら不本意だったのだろうか。
不意に、空気を切り替えるように「クリスタル卿。」と呼ばれ、背筋を伸ばした。
「調査が終わる前に、連れて行って欲しい場所があるんだ。」
「ロバ車の御用意を致しましょうか?」
「いや、それでは行けない山道だ。車椅子を押して欲しい。」
「畏まりました。」
採石場の下方に見える、どこかを指差しながら話し合っている調査員の面々に目を配り、まぁ席を外しても大丈夫かと頷いた。
調査というのは、この採石場のことだ。
今日は専門家を呼び、採石場の状態を調査しに来たのだ。
最初、ハミルトン様が御一緒したいと申し出てくれた時、危険だからとお断りしたのだが、どうしても行きたい、道中険しくてもクリスタル卿がいればなんとかなるだろうと引き下がってもらえず、渋々御受けした。
その為、本来は私も調査に同行する予定だったのだが、ダンとその他の騎士隊員、地理のある村人たちに任せ、こうしてハミルトン様と外で待機している。
コーヒーカップを片づけるショーンさんを置いて、ハミルトン様が案内する先、ここに来た道と反対側の小道へと向かう。
採石場から少し離れると、「ここだ。」とハミルトン様は森の奥を指差した。
小道の脇に、きのこの生えた倒木と、それを見下ろすような、樹齢何百年であろう立派な大木が佇んでいる。
その先には獣道すら無い。車椅子では難しいだろう。
「この先に進むのですか?」
「そうだ。そんなに遠くないから、抱えてくれるだろ?」
にこりと両手をこちらに伸ばすハミルトン様に、心臓が大きく跳ねた。
1度、横抱きにしてロバ車に乗せてから、荷台への昇降を手伝うことはすっかり定着していたが、それ以外でこのように要求されるのは珍しかった。
要するに、破壊力が凄い。
落ち着け、私の心臓。
深呼吸を挟み、「失礼します。」といつも通りハミルトン様の背と膝裏に腕を回した。
首に回された腕の重みが心地よく、気を抜いたら晩冬の雪のように溶けてしまいそうだ。
力を込めて抱き寄せているのは、足元の悪い道なき道を進むからであって、決して役得だと喜んでいるわけではない。
必死にそう言い聞かせながら、倒木を跨いだ。
目的地は予想以上に近かった。
森に足を踏み入れて、恐らく50メートルも進まない内に、「あそこだ。」とハミルトン様が指を差した。
見ると、熊の巣穴のような洞。一瞬、身構えたが、「俺が子供の頃に掘ったんだ。」と誇らしげに言うので、用心しつつ歩み寄る。
近くまで行くと、なるほど、動物の巣穴にしては浅かった。せいぜい子供が作るかまくら程の広さしかない。
低い天井に頭を下げながら恐る恐る足を踏み入れ、「降ろしてくれ。」という指示に従う。マントの紐をほどき、上手い具合にハミルトン様の体を覆い、なるべく柔らかそうな場所に彼を降ろして自分も腰かけた。
近くの地面には木剣が刺さっており、ふと手を伸ばすと、「それを取りに来たんだ。」とハミルトン様がはにかんだ。
「あ、触れても良い物ですか?」
「もちろん、取ってくれ。」
遠慮なく抜くと、その木剣には精巧な細工が施されている事に気がつき、ハミルトン様が子供時代に使っていた物ではないかと直感した。
よく見ると、刃の部分には荒々しく文字が彫られている。が、古く痛み、読みにくい。
「”西地の守護者、ここにあり。”そう書いてあるはずだ。たしか。」
手を出されるままに、木剣を渡した。
「ハミルトン様が彫ったのですか?」
「そうだ。シューリス家の後継ぎとして、西の地はこの小さな田舎までも気を配るぞっていう、子供ならではの高慢ちきな宣誓だ。」
「いつ頃のお話ですか?」
「俺が13くらいの時かな。たぶん。俺とは真逆の謙虚な弟を引っ張って来て、ここに秘密基地を作ろうって穴を掘ったんだ。」
やんちゃで自信家な兄と、それにくっついて歩く気弱な弟。想像するだけで微笑ましい。
「俺たちが泥まみれになって帰ったせいで母上が発狂してな、ネズミでも見たかのように悲鳴を上げたのを覚えてるよ。」
「ふっ……。」
笑いが堪えきれず、急いで口を押さえた。下を向き、顔は隠したものの、誤魔化せている気はしない。
「なんだ、笑うなら堂々と笑えばいいだろ。」
「い、いえ……あまりに想像に容易く、くっ、失礼な事を。ふっ、くっ。」
「え?今の姿から想像なんてできないだろ?元気に走り回っていた頃だぞ?」
笑いをこらえているせいで絞りだされる涙を指で拭った。
「いえ、想像つきます。快活にやんちゃをなさるハミルトン様は、戦場の旗手のように頼もしく先導し、弟様の道標となったでしょうから。」
私だってそうだ。暗闇でもがいていたところに、光を差してもらった。彼は太陽そのものだ。
困ったように、「照れることを言うな、卿は。」とはにかむ姿もキラキラ輝いて、胸の奥がじんわりと暖かくなる。
「いつか、またこの場所に来たいと思ってたんだ。でも、諦めていた。」
確かに、この場所に車椅子で来ることは難しいだろう。
「クリスタル卿のお陰だ。ありがとう。」
優しく目を細めるハミルトン様に、私は目を見開いた。
頭の中で爽快な風が吹き抜け、塵ひとつ残さずに去って行った。
ハミルトン様のお役に立てた。それがこの上なく幸福に感じた。思わず涙がこぼれそうになる。
「これくらいのこと、いつでもお申し付けください。」
「ははは、そうだよな。卿がいてくれるうちに、頼めることは頼んでおかないとな。」
きっと、笑顔の裏に幾つもの忍苦を隠してきたのだろう。
無意識の内に、固く拳を握っていた。
なんでもしよう。彼の為なら命すらも惜しくない。私の全てを賭けて、彼の投光に報いたい。ハミルトン様の今後が、幸福で溢れるように。
この時、私には帰るべき場所があるということを、すっかり考えていなかった。その為、待ちに待っていた筈だった兄からの手紙に、ショックを受けることになる。
開墾計画は順調すぎるといっても良い程だ。
時には人と人が争ったり、壁にぶつかることもあったが、それもどうにか皆で乗り越えた。
どれだけ疲労が蓄積しようとも、城へ帰り、ハミルトン様に労いの言葉を頂けば心が満たされ、それだけで意欲が漲った。
そうしているうちに森を切り開いた地はついに農地へと変貌を遂げ、地元民も移民も関係なく領民の皆が協力し合い、忙しくしながらも胸をはり、充足感を覚えているような笑顔を浮かべていた。
建物が増え、皆が寝所を得たし、治療所や倉庫の拡大に加え、簡易的ではあるものの、騎士の派出所も建てられた。
全てが順調だ。
戦場で血と敵意に塗れた日々も、兄に失望されて無力感打ちひしがれた事も、遠い昔のように感じられるほどに、慌しくも晴れやかな生活を送っていた。
元の生活に戻れるだろうか。そんな恐怖心さえ芽生えていた。
大きく窪んだ地形の採石場の脇に立ち、遠目に村を眺めると、領民たちの活気がそのまま風に乗ってきたような爽快感を覚える。
「優しい村ですね。」
「そう思うか?」
嬉々とした声に振り返ると、簡易的なテーブルで優雅にコーヒーを嗜むハミルトン様が自慢げに顎を上げていたので、自然と頬が弛んだ。異論は無いらしい。
「よそ者も変化も柔軟に受け入れ、病人も怪我人も関係なく支え合って生活しています。」
「怪我人というのは俺も含めか?」
「よそ者というのは私も含まれるので、お気になさらず。」
相変わらず痛快な返しだな、とハミルトン様は歯を見せた。
「まぁ、確かに。俺も来たばかりの頃、あっという間に馴染んだよ。」
それは性格に起因しているのではと思ったが、口には出さなかった。
「世界中がこの村のようであれば、戦争なんて起きないのでしょうね。」
「コミュニティが大きくなれば、それだけいろんな思想が入り乱れて、制御は難しくなる。この村が平和なのは、皆の意識が一致して自然と向き合っているからだろう。人間同士で争っている余裕はないからな。」
自嘲気味に笑みをこぼしてカップを置き、森に視線を投げたハミルトン様。その眼差しに覚えがあった。
風景画を描くキャンバスを前に見せるあの目だ。真っ直ぐでいて、どこか物悲しさを感じるあの表情。
もしかするとハミルトン様は、本当のところ、森を開墾したくなかったのかもしれない。
田舎の風景に合うから、とロバ車で移動するような御方だ。領民の為に村を発展させてはいるが、彼からしたら不本意だったのだろうか。
不意に、空気を切り替えるように「クリスタル卿。」と呼ばれ、背筋を伸ばした。
「調査が終わる前に、連れて行って欲しい場所があるんだ。」
「ロバ車の御用意を致しましょうか?」
「いや、それでは行けない山道だ。車椅子を押して欲しい。」
「畏まりました。」
採石場の下方に見える、どこかを指差しながら話し合っている調査員の面々に目を配り、まぁ席を外しても大丈夫かと頷いた。
調査というのは、この採石場のことだ。
今日は専門家を呼び、採石場の状態を調査しに来たのだ。
最初、ハミルトン様が御一緒したいと申し出てくれた時、危険だからとお断りしたのだが、どうしても行きたい、道中険しくてもクリスタル卿がいればなんとかなるだろうと引き下がってもらえず、渋々御受けした。
その為、本来は私も調査に同行する予定だったのだが、ダンとその他の騎士隊員、地理のある村人たちに任せ、こうしてハミルトン様と外で待機している。
コーヒーカップを片づけるショーンさんを置いて、ハミルトン様が案内する先、ここに来た道と反対側の小道へと向かう。
採石場から少し離れると、「ここだ。」とハミルトン様は森の奥を指差した。
小道の脇に、きのこの生えた倒木と、それを見下ろすような、樹齢何百年であろう立派な大木が佇んでいる。
その先には獣道すら無い。車椅子では難しいだろう。
「この先に進むのですか?」
「そうだ。そんなに遠くないから、抱えてくれるだろ?」
にこりと両手をこちらに伸ばすハミルトン様に、心臓が大きく跳ねた。
1度、横抱きにしてロバ車に乗せてから、荷台への昇降を手伝うことはすっかり定着していたが、それ以外でこのように要求されるのは珍しかった。
要するに、破壊力が凄い。
落ち着け、私の心臓。
深呼吸を挟み、「失礼します。」といつも通りハミルトン様の背と膝裏に腕を回した。
首に回された腕の重みが心地よく、気を抜いたら晩冬の雪のように溶けてしまいそうだ。
力を込めて抱き寄せているのは、足元の悪い道なき道を進むからであって、決して役得だと喜んでいるわけではない。
必死にそう言い聞かせながら、倒木を跨いだ。
目的地は予想以上に近かった。
森に足を踏み入れて、恐らく50メートルも進まない内に、「あそこだ。」とハミルトン様が指を差した。
見ると、熊の巣穴のような洞。一瞬、身構えたが、「俺が子供の頃に掘ったんだ。」と誇らしげに言うので、用心しつつ歩み寄る。
近くまで行くと、なるほど、動物の巣穴にしては浅かった。せいぜい子供が作るかまくら程の広さしかない。
低い天井に頭を下げながら恐る恐る足を踏み入れ、「降ろしてくれ。」という指示に従う。マントの紐をほどき、上手い具合にハミルトン様の体を覆い、なるべく柔らかそうな場所に彼を降ろして自分も腰かけた。
近くの地面には木剣が刺さっており、ふと手を伸ばすと、「それを取りに来たんだ。」とハミルトン様がはにかんだ。
「あ、触れても良い物ですか?」
「もちろん、取ってくれ。」
遠慮なく抜くと、その木剣には精巧な細工が施されている事に気がつき、ハミルトン様が子供時代に使っていた物ではないかと直感した。
よく見ると、刃の部分には荒々しく文字が彫られている。が、古く痛み、読みにくい。
「”西地の守護者、ここにあり。”そう書いてあるはずだ。たしか。」
手を出されるままに、木剣を渡した。
「ハミルトン様が彫ったのですか?」
「そうだ。シューリス家の後継ぎとして、西の地はこの小さな田舎までも気を配るぞっていう、子供ならではの高慢ちきな宣誓だ。」
「いつ頃のお話ですか?」
「俺が13くらいの時かな。たぶん。俺とは真逆の謙虚な弟を引っ張って来て、ここに秘密基地を作ろうって穴を掘ったんだ。」
やんちゃで自信家な兄と、それにくっついて歩く気弱な弟。想像するだけで微笑ましい。
「俺たちが泥まみれになって帰ったせいで母上が発狂してな、ネズミでも見たかのように悲鳴を上げたのを覚えてるよ。」
「ふっ……。」
笑いが堪えきれず、急いで口を押さえた。下を向き、顔は隠したものの、誤魔化せている気はしない。
「なんだ、笑うなら堂々と笑えばいいだろ。」
「い、いえ……あまりに想像に容易く、くっ、失礼な事を。ふっ、くっ。」
「え?今の姿から想像なんてできないだろ?元気に走り回っていた頃だぞ?」
笑いをこらえているせいで絞りだされる涙を指で拭った。
「いえ、想像つきます。快活にやんちゃをなさるハミルトン様は、戦場の旗手のように頼もしく先導し、弟様の道標となったでしょうから。」
私だってそうだ。暗闇でもがいていたところに、光を差してもらった。彼は太陽そのものだ。
困ったように、「照れることを言うな、卿は。」とはにかむ姿もキラキラ輝いて、胸の奥がじんわりと暖かくなる。
「いつか、またこの場所に来たいと思ってたんだ。でも、諦めていた。」
確かに、この場所に車椅子で来ることは難しいだろう。
「クリスタル卿のお陰だ。ありがとう。」
優しく目を細めるハミルトン様に、私は目を見開いた。
頭の中で爽快な風が吹き抜け、塵ひとつ残さずに去って行った。
ハミルトン様のお役に立てた。それがこの上なく幸福に感じた。思わず涙がこぼれそうになる。
「これくらいのこと、いつでもお申し付けください。」
「ははは、そうだよな。卿がいてくれるうちに、頼めることは頼んでおかないとな。」
きっと、笑顔の裏に幾つもの忍苦を隠してきたのだろう。
無意識の内に、固く拳を握っていた。
なんでもしよう。彼の為なら命すらも惜しくない。私の全てを賭けて、彼の投光に報いたい。ハミルトン様の今後が、幸福で溢れるように。
この時、私には帰るべき場所があるということを、すっかり考えていなかった。その為、待ちに待っていた筈だった兄からの手紙に、ショックを受けることになる。
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