左遷先の伯爵様が愛しすぎて帰れません。

daru

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本編

13.スカーレット・カッソニア

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 騎士館の鍛錬場で、ダンと一戦交え、ひと汗流した。

 天気が良く、開放感に満ち溢れていて気分が良い。その為、休むと言い張るダンを引きずって、ここへやって来たのだ。
 ぶつぶつと止まらないダンの文句も、清々しく聞き流せる。

 手を扇いで首元に風を送りながら座り込むダンをよそに、私は剣を構え、この先の私の道を指し示すような真っ直ぐな剣先を見つめた。

「本当にあの手紙を送ったんですか?」

 あの、という言い方が気になる。
 人の素直な気持ちを綴ったものに対し、失礼ではないだろうか。
 そもそもとっくに送った物だから、今更修正の仕様もないが。

 親愛なるメンタム伯爵アーチボルド・カッソニア様、という書き出しはとても悩んだ。

 実母が突然死してカッソニア家に引き取られた時、子供ながらに庶子という立場を理解し、謙虚にいるべきだと感じた。
 そんな中で、お兄様と呼んでくれ、と一番に歩み寄ってくれた兄を、今まで通り馴れ馴れしく呼んで良いものかどうか迷ったのだ。
 結局、宛名には正式な形で書き、文面ではお兄様と書いた。そうやって小さなプライドを守った。遠ざけられても傷なんかついていない、と。

「今頃は、手紙を読んだお兄様が憤慨しているかもしれない。」

「いいですよ、別に、閣下が怒り狂おうが。いや、むしろ後悔すればいいんです。クリスタル様を遠ざけた事を。」

 ダンは眉間に皺を作り、唇を尖らせた。

「ダンはどうする?」

「どうって、なんですか?」

「私はネッサに骨を埋める覚悟をしたが、皆を巻き込むつもりはない。そもそも騎士たちはカッソニア家に仕えているわけだし、ここでの契約が終了すれば、おのずとメンタムに帰ることになる。」

「俺はクリスタル様について行くって言ったじゃないですか!」

 ダンは幼い頃から共に勉強し、鍛錬に励んで、父から一緒に叙任された騎士だった。
 私と一緒に行動していたことで出世街道に乗ったと思っているらしいが、ダンならどのみち段階を踏んで騎士になっただろう。

 ありがとうと言ってしまうと、本当に一生、彼を縛ってしまいそうで、言葉を呑み込んで、数百メートル先の城門の方に視線を投げた。

 すると、婦人用乗馬服を纏った貴婦人が、主館へ通じる主城門の方へ、勢いよく駆けて行った。
 この村であのような服を身に付け、乗馬をするような女性はいない為、不思議で首を横に捻る。
 次はカッソニア家の騎士団の制服を着た騎士が、後を追って行った。

 嫌な予感に鼓動が僅かに速くなる。

「今のって、閣下との連絡係でしょうか?」

「たぶん。」

「先に走っていた女性、大奥様ではありませんでしたか?」

「バカを言うな。母上はメンタムにいらっしゃるはずだ。」

 3秒ほど、沈黙した後、私たちは慌ただしく剣を腰に収めて走り出した。

「やっぱり手紙のせいじゃないですか!」

「正直な気持ちを書けって言ったのはお前だろ!」

「正直すぎなんですよ!もっとぼかしても良かったのに!」

「ダン!」

 主城門へと走る、背中に土がついた男を呼び止め、「こっちだ!」と以前ハミルトン様に教えてもらった近道を指差し、茂みの裏へと回った。

「ちょっと、こんな道があったなら最初から教えてくださいよ!」

 ハミルトン様と共有する秘密の通路だった。
 誰かに教えたところでハミルトン様が怒ったりはしないだろうが、彼と私だけが知っているという優越感からか、どうも自分から打ち明ける気にはならなかった。

「独占欲ですか?」

「うるさい!」

 全速力でハミルトン様の別棟を横切り、息を切らしながら、裏庭側から居城の扉を開けた。
 エントランスホールにはちょうどショーンさんがおり、自然と互いに駆け寄る。

「ショーンさん!」

「ああ、クリスタル様、今お呼びしようと!」

「は、母上がいらしたのですか?」

「左様でございます。応接室にてハミルトン様が御対応しておりますので、クリスタル様もそちらにお願い致します。」

「分かりました。」

 ショーンさんはもてなしの準備でもするのか、背筋を伸ばしてキッチンの方へと向かって行った。

 応接室は広いエントランスホールを横切ればすぐにある。
 ダンには、母が来たことを他の隊員へ伝達するように命じ、私は真っ直ぐと応接室へ向かう。

 古めかしくも見事な彫刻の入った木の両扉を前に、一度、深く息を吸いこみ、吐いた。

「あなたには、落ち込んでる娘に前を向かせて欲しいって頼んだのよ?誰が口説けなんて言ったのよ!」

「だから、誰も口説いてない!」

 紛れもない、母スカーレット・カッソニアとハミルトン様の荒々しい声、それと、私がネッサに来ることとなった事の真意が耳に飛び込んで来た。

「嘘おっしゃい!」

「嘘じゃないって!」

「じゃあどうしてこんな手紙が届くのよ?!あんたがあのピュアな子を騙して手籠めにしたんでしょう?!」

「おい、心外だぞ!俺をなんだと思ってるんだ!」

 手紙の内容を母が誤解しているのだ。そのせいでハミルトン様が謂れのない罪で責め立てられている。

 全身の筋肉が強張り、慌てて扉を開いた。

「母上、誤解です!」

 母は立ち上がっており、車椅子のままのハミルトン様を見降ろす形で指差していた。
 私のせいでハミルトン様が侮辱されていることが悔しくて、一気に手紙を書いた後悔の念が押し寄せた。

 しかし母は険しい表情を一変させ、「クリスタル!」と満面の笑みで飛びついてきた。力一杯抱きしめられたかと思うと、右頬、左頬とキスをされる。
 いつもの母であることに安心し、彼女の手を取ってソファに座ってもらった。

「会いたかったわ、クリスタル。」

「御無沙汰しております、母上。御足労をお掛けしました。」

「何を言っているの。クリスタルの為ならどこまでだって馬を駆けるわ。乗馬は結構得意なんだから。」

 誇らしく胸に手を当てる母に、くすりと笑みがこぼれた。
 連絡係を追い越して到着するくらいだから、嘘ではないのだろう。しかしこんな長距離はさすがに心配になるので、せめて馬車にしてほしい。

 ハミルトン様に目を向けると、疲れたように瞼が緩んだ顔で白金色の髪を撫でていた。

「ハミルトン様、申し訳ございません。大変ご迷惑をおかけしました。」

「いや、大丈夫だ。何か誤解があったらしい。」

 困ったように笑顔を作るハミルトン様の瞳は、今日も温かい。

 母がきゅっと表情を引き締め、眉尻を下げた。綿のような手で、私の手を包まれる。

「クリスタル、手紙を読んだわ。どうしてあんな、一生の別れのような手紙を書いたの?ハミルトンに残って欲しいって頼まれたの?」

 ぴくりとハミルトン様の手が動いたのが見えたので、彼が声を発する前に、「違います。」とはっきり否定の意を示した。

「母上、手紙の内容は、私が自分自身で決めた事です。今までずっと、カッソニア家に恩義を返す為、お兄様に倣って立派なカッソニアの騎士になることばかり考えてきました。しかし、道はそればかりではないと気がついたのです。」

 真っ直ぐに母を見つめると、ルビーのような瞳が潤いを増し、水に映った夕日のようにゆらゆらと揺れた。

「お別れのように締めたのは、もしかしたら、こんな勝手をお許しいただけないかもしれないと考えた為でした。私はもう何を言われようと……、もう、自分の道を決めたのです。」

 母の手に、ぽつりと雫が落ちて、はっとした。
 母は静かに涙をこぼしていた。一つ、二つと雫を落とすと、再びきつく抱きしめられた。

「あなたの選択がどうであれ、あなたと一生のお別れするなんて絶対に嫌よ、クリスタル。」

「母上……。」

「どうして自分の考えで行動したからといって、私があなたを許さないと思うの?クリスタル、私はあなたを愛しているのよ?」

 母の力強い言葉と腕の温もりが、心の芯まで染みわたる。
 庶子だからと、線を引いていたことを母に感づかれ、罪悪感が押し寄せた。

「申し訳ありません。」

 視界が滲む。「私も……。」この先は私が発しても良い言葉なのか思いあぐね、代わりにそっと母の背に腕を回した。
 と思うと、すぐに肩を押され、引き離された。

 だからこそ、と母は瞳を鋭く光らせた。

「この男と結婚なんて許しません!」

 母の言葉を理解するのに数秒かかった。
 誰と誰が。この部屋に男は1人。話の流れ的に、私の話だ。つまり、私とハミルトン様が?

「結婚?!」

 声を上げたのは私1人ではなかった。

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