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第一話 田舎の鉄筋三階建て
④
しおりを挟む「してないな。だって、もしかしたらこの歯が、殺されてから抜かれた歯かもしれないだろ? そしたら死体遺棄になって、ここは事故物件になる。俺は追い出される」
「乳歯は……なんで大丈夫なんですか?」
「抜けた歯なんて髪と一緒さ。被害者の指が落ちてたら事件だけど、抜け毛の一本まで目くじら立ててたら美容院は全部事故物件になるじゃん?」
「それはまた、ゾッとする話ですね……」
「無特記物件は限りなくグレーな物件だから、扱いが難しいんだよ。なんともない奴は平気な顔して何年も住んでるし、ダメな奴は裁判沙汰だ! 慰謝料だ! と血相変えて突っ込んでくる。かといって、事故は起きてないんだから『事故物件』として扱うこともできない。うまく立ち回ればお荷物を利益に変えることができるけど、失敗すれば信用問題だ」
「……正直に、『幽霊が出るかもしれません』って言ったらダメなんですか?」
「ダメなことはないが……。さっきも言ったけど、このご時世で誰がそんな自ら進んで商品の価値を下げるような真似をすると思う?」
「そ、そうですよね……すいません」
また、いらないことを言ってしまった。
肩を落とす僕を見て、所長は気を取り直すかのように殊更明るい声色で続ける。
「まっ! 怪奇現象っても、理由はあるものなんだよ。例えば、入居者が過剰なビビりでただの家鳴りを霊のせいにするとか、隣人からの悪質な嫌がらせで実際に壁に穴を開けられて監視されていたとか、合い鍵を持っている身内からのストーカー行為で留守中に忍び込まれていたとか、痴情のもつれで盗聴アンド尾行されていたとか、単に風評被害で客足が伸びなかっただけとか……色々な。自分の現世でのしがらみや行いを全部霊のせいにするから、恐怖で不調が出てくる。そんなの全部つき合ってちゃ、不動産業なんてやってられないぜ?」
「……その理由っていうのを調査するのが、僕たちの仕事なんでしょうか」
「主にそうなる。人間関係を調べたり、物件に行って痕跡をカメラに収めたり、法務局で古地図を取り寄せて過去に刑場や墓地があったかどうか確認したり。でも、その辺りは他の支店の連中が探偵紛いなことをやってるから俺らの仕事じゃない。俺たちの役割は、本物の霊現象だ」
「だっ……」
だから、僕には霊感なんて……と言い掛けたところでさきほどの「あなた、だれ?」の声が耳元をよぎる。
ない、とは断言できないのかもしれない。
「なぁ、朝くんってビビリだろ?」
「は、はい……」
「どうして怖いんだ?」
「どうして、と言われましても……」
幽霊が怖い。
それは人として当たり前の感情ではないだろうか。
「だって、幽霊って見えないじゃん。包丁もって殺しに来るわけでもないし。ある意味、生きてる人間より安全だと思うんだけど、生身の人間より霊体のほうが皆こわがるよな。どうしてだと思う?」
「やっぱり……その、よく知らないからでしょうか」
「知っていれば怖くないのか?」
「まぁ、たぶん……」
まるで禅問答のようだ。
「そう、人は『分からないもの』、つまり『未知のもの』を怖いと感じるんだ。でも、朝くんはさっき妹の声を聞いたよな? それはもう『未知のもの』ではないはずなのに、何故まだ怖がる? 実際に危害を加えるのは、いつだって生きた人間じゃないか」
「それはそうですが……やっぱり『知らないもの』はこわいんです」
理屈じゃない。
イヤな気配のするところには近づきたくないし、その場所が曰く付きだった日には勝手に色々脳内補完されてさらに恐怖が増してしまう。
「じゃあ知ってもらおう。そうすれば、ちょっとはマシになるかもしれないし。このままだと、宝の持ち腐れだからなぁ」
「宝?」
「朝くんぐらい憑かれやすい体質も珍しいよ」
「ハッ!? ぼ、僕がですか!?」
今度は僕が取り乱す番だった。
「いや、だって、今まで誰にもそんなこと言われて……!」
「そりゃ、周りに霊感ある奴がいなかったからだろ? ホントの霊感持ちなんてそんなにポンポンいるわけじゃないから、その歳まで気づかれなくてもおかしくないって。それに、憑かれやすいけど落ちやすい体質みたいだから大丈夫だろ。今はだいぶ混じってるみたいだけど」
「ま、混じって……?」
そういえば、さっきも煙草の煙を吹きかけられながら同じ事を言われた気がする。
「そう。なーんか、良くないモンと混じり合っている気配。最近ポンコツなのも、それが原因じゃないの? 心当たりある?」
「心当たりなんて……。僕が出来損ないなのは幽霊のせいなんかじゃなくって、僕自身が……」
「あぁ、ダメダメ。そんな気持ちが付け込まれる元になるんだって!」
過去の諸々を思い出してどうにも気持ちが沈んでしまう。頑張って愛想笑いをしようとするけれど、ほっぺたが鉛のように動かない。
所長はそんな僕の両頬を、まぁまぁ強い力でバチン!!とひっぱたいた。
「痛っ!?」
「いいか! 大事なのは、気持ちをしっかり持つこと! それは不都合を全部幽霊や怪奇現象のせいにしない潔白さと、不調を全部自分の責任だと思いこまない傲慢さだ!」
所長の両手は大きくてゴツゴツと骨張っていて、叩かれた部分がジンジンと熱い。
「そ、それは少々矛盾しているのでは……?」
「人生なんて矛盾だらけだろ? ペットの死には涙するくせに、家畜は平気な顔で殺しまくるし。矛盾は悪い事じゃないんだって。どっちかに偏る方がよっぽど悪い」
「分かるような、分からないような……」
「要するに、バランス感覚だよ。天秤の重さが一方に傾きすぎないようにすること。どっちに傾いても、幽霊や悪いものを呼び寄せるんだ」
「はい……」
「そうならないために一番良いのは、些細なことでも丁寧にすることだな。掃除をちゃんとしたり、炊事洗濯をしたり。きれいな部屋に幽霊が出るって話はあまり聞かないし、毎日楽しく暮らしている人間には取り憑きたくても取り憑けない!」
「そ、そうなんですね……」
「たまに、すげぇ強力な霊がいてそういうのは除霊しないといけないけどな。まぁ稀な話だよ。大体が、自分の心がけでどうにかなるもんだ。この世は生きている人間の世界なんだから。でもな、あの世の住人だって世界の一部だ。だから蔑ろにしちゃいけない。適度に思い出して、お供えして、花を手向ける。そうやって、うまくつき合っていけばいい」
「わ、わかりました。わかりましたから……そろそろ手を離してください……!」
「おっと、悪ぃな」
やっと掴まれていたほっぺたが解放された。恐る恐る触れてみると、まだ少し熱い。
かなり乱暴だけれど、所長の言っていることは間違いではないと思う。
だからと言って、すぐに幽霊が怖くなくなるわけではないけれど……。
「所長はその、やっぱり霊感があるんですか?」
散々独自の解釈を述べてくれたのだ。もちろん、あるのだろう。
「俺? ほぼないけど?」
「……えっ?」
「昔はかなりあったんだけど、今はなくなっちゃったんだよなぁ~。成長すると力が弱くなるってよくある話だし、別に珍しいことでも……」
「霊感ないのに、どうして無特記物件の仕事ができるんですか!?」
幽霊を相手にするのだから、きっと所長には特殊な力があるのだとばかり思っていた。
「なくてもできるって。てか、ない方がいいのかもね。気づいたら付け込まれる時もあるし、単に人間の仕業だってケースも多いよ。土地ってバケモノは時として人をも殺す力を持つからね。現金より価値があることも、その逆だって」
「だ、だけど……」
「さっきも言っただろ! 己を精錬に保っていれば大体大丈夫!」
大体じゃ、ダメなんじゃ……。
「……あの、僕っていま憑かれているんですか?」
「たぶんな。今って言うか、たぶん半年ぐらい前からだな」
半年前というと、ちょうど就職したあたりか……。
「じゃあ、祓ってもらったりとか……」
「俺には無理。だけど、さっき言ったみたいに清潔にして前向きに生きてれば自然とよくなるよ。幽霊は確かにいるけど、奴らに力を与えるのは人間の恐怖心なんだから」
気の長い話だ。
「その髪の毛、いつから切ってない?」
「ええと、そうですね……」
忙しさと憂鬱を言い訳に、随分切っていない気がする。
櫛は通しているけれど、入社してから伸びっぱなしの髪は肩に当たって毛先がはねたままだ。
所長のボサボサ頭にケチを付ける前に、まずは自分のことだったか……。
「前髪センター分け、キミには似合わないぜ~?」
結構気にしていることを、馬鹿にするように茶化されたのでつい拗ねたような反応を返してしまった。思わず唇が尖る。
「生え際の癖で、どうしても分かれちゃうんですよ……」
「はは! それならしょうがないな! ……で、ちょっとは緊張解れたか?」
「へ……?」
「朝くん、ずーっとこの世の終わりみたいな顔してるもんだからな! これから一緒に仕事するんだし、慣れてもらわないと!」
そうか……。
もしかして、所長は僕のためにワザと幽霊だなんて……?
「あははっ」
「お?」
「ヒッ!? 」
また背後から笑い声だ。
情けないと分かっていても、両手で耳を塞いでその場にしゃがみこむ。
「おいおい、そんなことしても無駄だって。耳から聞こえてるわけじゃないし」
「じゃ、じゃあどこから……?」
半分涙目になりながら辺りを見渡す。故人の歯だという代物を見てからは、より一層恐怖が増してしまった。恐怖心が幽霊に力を与えると言うのなら、アレを見てしまったのは逆効果なんじゃ……!?
「強いて言うなら、脳味噌だろうな。目で見てるわけじゃないから盲目でも霊は見えるし、耳で聞くわけじゃないから鼓膜を通さずに意思が伝わる。便利だよな」
「そっ……、そんなの、どこにも逃げ場が……!」
「逃げようと思うからダメなんだ。立ち向かえ」
「かっ、簡単に言わないでください……っ!」
「いや、簡単さ。妹はなんて言ってる?」
高い笑い声は、僕のまわりをぐるぐると回って時折「あなた、だれ?」としきりに尋ねている。所長には笑い声の部分しか聞こえないらしい。
「ぼ、僕のことを知りたがっています……!」
「おい、ナユナ。彼は朝前夕斗くんだ。今日から一緒に住む家族だよ」
所長はなんの躊躇もなく僕の本名を暴露した。
「ちょ、ちょっと所長! こういう時って本名を教えない方がいいんじゃ……!」
「なんで? こんな無垢な存在に嘘つくなんて悪いじゃん。大丈夫だって」
所長の大丈夫は全く大丈夫に聞こえないことを、彼は分かっているのだろうか?
一体どんな報復が待っているのかと身を固くして怯えていたら、次第に笑い声は消えてしまった。
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