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第四話 境界標騒動

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 朝日と共に起き出して、家中の窓を開ける。
 洗濯機を回しながら掃除機をかけて、その後に拭き掃除。
 洗濯物を干したらその後で朝ご飯の準備をする。
 ……これ、どこからが業務時間なんだろう? と思わないこともないけれど、ずっと母子家庭で家事はキライではないからあまり気にならない。
 冷蔵庫をゴソゴソ漁っていると、いつも昼前まで三階で寝ている所長がボサボサ頭で起き出してきた。

「あれ、今日は早いですね」
「おぅ、腹減って眠れなくてな……。悪いけど朝くん、いなり寿司作ってくれない?」
「い、いなり寿司ですか?」
「そう。材料は買ってあるから」

 朝からなんでいなり寿司?
 普通にパンやご飯ではダメなのだろうか。
 そんな疑問を抱きつつ、スマホで検索しながら見よう見まねで作ってみる。
 油揚げを切って、茹でて、味付けして煮て、冷凍ご飯を解凍して酢飯にしてから中に入れた。
 ……形が歪だ。
 詰め込みすぎて破れてしまったものはよけて、綺麗にできたものだけを皿に盛る。

「できましたよ」
「ありがと。いただきます」

 所長が何かを食べたいだなんて言い出したのははじめてだ。
 ダイニングテーブルに座ってもくもくと無言で食べる姿を見ながら、僕も形の崩れた自分の分を食べてみる。うん、普通に美味しい。

「いなり寿司、好きなんですか?」
「いいや? 別に……」

 一気にペロリとたいらげて、そんな言い方はないと思う。

「急に食べたくなるんだ。飢餓霊かオキツネさまのせいだろうな」
「き、飢餓……?」
「この前、飛び降り団地で取り憑かれただろ? きっとその時のが身体に残ってんだよ。飢餓霊はオキツネさまの管轄だから、好物を食べてやれば収まりがいいんだ。あの辺は霊道が通ってたから、雑なやつを色々取り込んじまったんだろうな」
「……なんか、よく分からないんですけど大変ですね」
「他人事じゃないぞ? 朝くんは取り憑かれても身体に残らないタチだけど、もし残るようになったらこうやって対処するんだ」
「いなり寿司がいいんですか?」
「最悪、油揚げならなんでも良いらしいけど、まぁ食べやすいからいなり寿司にしてる。お供えものとしても使われるしな。ちゃんとお望みのものを食べてやらないと、いつまでも無限に食べ続けておデブちゃんになっちまうぜ」

 食後のお茶を飲みながら、まるでよくある世間話のように所長は言う。
 僕にとっては初耳のことばかりだから、うまく相づちが打てなくて困る。

「怪談話の後日談ってさ、痩せすぎるか太りすぎるかってのが多いだろ? あれは取り憑かれたタイプによって変わってくるんだ。太りすぎるのなら飢餓霊だな。もしも身近に急におデブちゃんになった奴がいたら、いなり寿司を与えてみてもいいかもしれないな」
「……覚えておきます」

 ごちそうさまでした、とお皿を流しに片づけた所長はまた三階へ戻ろうとする。

「二度寝するんですか?」
「違う違う。資料を持ってくるんだよ。飛び降り団地の報告書を書かないとな」

 散らかした台所をノロノロと綺麗にしながら件の団地を思い出す。
 色々と複雑に絡み合っていた気がしたけれど、よくよく考えてみれば魔境館と良く似ていたかもしれない。
 どちらも、遺体の一部をしかるべき場所におさめていないことが原因だった。
 ……燃やす前か、燃やした後かの違いはあるけれど。

「よいしょ、っと」

 三階の自室からノートパソコンやら書類やら一式を抱えて下りてきた所長は、さっきまでいなり寿司を食べていたテーブルの上にそれらを広げる。
 古い資料まで持ってきたのか、せっかく朝一番に掃除をしたのにあちこち埃が舞う。

「……所長の部屋も、僕が掃除しましょうか?」
「遠慮しとくぜ。見られたくないものもあるし、朝くんだって見たくないだろうし。だいたい朝くんとは趣味が違うからな~」

 何の趣味か、とは聞かないでおく。
 どうせまた下ネタに走るだけだろうから。

「資料や概要はまとめてあるから、またタイピング頼むぜ」
「わかりました」

 一通り現状復帰した台所を後にして、パソコンの前に座る。
 その後ろには所長が立っていて、主に言われたことをタイピングしていくのだけれど……たぶん、所長がパソコン操作を覚えた方が早いと思うんだけどな。

「今回の物件、なんか魔境館と良く似てたな」
「所長もそう思いましたか」
「ま、よくある話だからな。手放したくないんだよ。生きている人間の自分勝手なエゴだけど。朝くんも、誰か大事な人を亡くしたら分かるよ」

 幸か不幸か、僕はまだ大事な人との別れを経験していない。
 友達はみんな健在だし、家族は母だけだけどまだ元気だ。
 妹さんを痛ましい事件で亡くした所長には、僕には分からない感情もあるのだろう。

「できれば、分かんない方がいいけどな」
「そうですね……。もしそうなっても、きちんと送り出してあげたいです。身体の一部をいつまでも手元に置いておくのは……」

 いけないことですもんね、と言いかけて今朝の掃除の時間に玄関で目にしたものを思い出す。

「……所長」
「ん?」
「あの、玄関にある妹さんの歯は………大丈夫なんでしょうか?」

 妹さんの歯。
 それは確信をもってそう言えるものではないらしいけれど、あれのせいで妹さんの霊が出るようになったのだからそれなりの因縁があるはずだ。

「あれは見逃してよ~。乳歯なんて抜けた髪の毛みたいなもんだし!」
「乳歯は良くて永久歯はダメなんですか? その辺りの違いがちょっと良く……」
「あんまり難しいこと考えんなよ。禿げるぜ?」

 所長は未だ散髪に行けていないために、伸びた前髪が分かれてむき出しになった僕のおでこをピシリと叩いた。

「イタッ……。今のは別に、魔除けとかじゃないですよね?」
「どうかな。今から幽霊について色々書くんだし、その前段階ってことにしとくか」

 なんだかはぐらかされてしまった気がする。
 でも、良くないことなら所長がそのまま放っておくわけがないし、言われた通り気にすることないか……。

「今回の物件で厄介だったのは、霊道の真上に建ってたってことだよな」
「霊道っていうのは、変えられないんですか?」
「基本的には無理だ。結界で一時的にねじ曲げたり守ることはできるけど、元々そこにあるものだから。後学のために教えておくと、何度も競売に出されている物件には気をつけた方がいいぞ。競売物件っていうのは、持ち主が維持できなくなって手放したってパターンが多いからそもそも曰く付きだし、そういうのは霊道に触れている場合が多いんだ」

 使えそうで使えない知識だ。
 でも、前の職場でも何度競売にかけても売れないお荷物物件があったことを思い出す。
 それが霊の仕業かどうかは僕には分からないけれど、あまり良い噂は聞かなかった。事業に失敗したとか、家族に不幸とかあったとか、健康を崩したとか……。

「霊道が動かせないなら、どうしたらいいんでしょうか? そこだけ避けて建物を建てるなんて無理ですよね?」
「そうだな。霊感がない人間にとっては全く関係のない話だし。でも、そういう時の対処法っていうのは意外と簡単なんだよ」
「えっ? あんなに大変だったのに、ですか?」
「簡単簡単。ただ、毎日窓を開けて換気すればいいんだ」
「……それだけ?」
「それだけ。爽やかな部屋には幽霊なんて出ないだろ? 霊道っていうのは単に霊が集まりやすいってだけなんだから、通り道を開けてやればどうってことないんだよ」
「本当ですか?」
「あのな、幽霊ってのは恐怖なんて不安定な感情の上しか成り立たないものなんだから、自分を強く持てば全然関係ないんだって何度も言ってるだろ」
「それはそうですけど……」

 ここに勤めるようになってから、所長の独特な考えにはさんざん振り回されてきた。
 半信半疑で従ってきたけれど、その通りにしていたら今まで常に感じていた不調が改善されてきたから、やっぱり効果はあるんだと思う。顔色も良くなったし、不眠もない。
 いきなり頬を叩かれたり、煙草の煙を吹きかけられたり、氷を投げつけられたりするのはちょっと納得いかないけれど。

「あの物件にとってもう一つ運が悪かったのは、まわりに高層ビルやタワーマンションが多かったことだな」
「なぜそれがいけないんですか? 清潔そうで良いと思うんですが」
「そりゃ、確かに最新の建物は綺麗で良いよな。防音とか、気密性も高くて住みやすいだろうさ。でもな、そんな部屋だと……」

 所長の言葉が途切れる。
 意味もなくタメる時と本当に言いにくい時と見分けがつかないから、僕はパソコンのセッティングをしながら続きを待った。
 文章作成フォルダを立ち上げて、いつものフォーマットを確認する。

「……孤独死した時、臭いが漏れないからミイラになっても気づいてもらえないんだなっ!」
「……っいきなり大きな声出さないで下さいよ……」
「あれ、怖くなかった? 絶対ビビると思ったのに」
「そういう話は、不動産に勤めた頃から良く聞いていましたからね。葬儀屋さんとか遺品整理屋さんとかとも交流しましたし……」
「ふぅん……でもそれって、入ってすぐの奴が対応するような案件じゃないよな」
「……な、なぜか僕が受け持った物件はそういうご縁が多かったんです……」

 僕だって就職するにあたり覚悟をもって飛び込んだ業界だったけれど、いざ目の当たりにすると辛いことも多かった。
 それでもなんとか、気持ちを持ち直して頑張ろうとしたのに空回りが続き、こうして所長のいる遺志留いしどめ支店に飛ばされることになったわけだ。

「なるほど、そんなんだから変なのいっぱい憑れてきちゃったんだな」

 納得した、とでも言うように所長がウンウンと頷く。

「孤独死するなら、やっぱりある程度は壁の薄い安い部屋がいいよな。ウジがわけば臭いで気づいてもらえるし」
「こ、この話はもう終わりにしませんか……」

 前の支店での諸々が思い出されてちょっと気分が悪くなる。
 さっき食べたいなり寿司を戻してしまいそうだ。

「あぁ、悪い悪い、ちょっと脱線したな。つまり、そんな条件だから霊道の上に他の霊たちも集まりやすい環境だったってわけだ。上に昇れない霊は落ちるだけだからな。落ちて地面にたどり着く前にあの団地があったから、余計に集中したんだろ」
「そんな因縁があっても、窓を開けるだけで解決するんですか?」
「今回の依頼者だって、あのミイラがなけりゃ普通に暮らしていたさ。あの団地はちゃんと大きな窓をとった作りだったからな。そりゃ、窓を開けるタイミングは朝がいいとか、むしろ夜は閉めておくとか、色々条件はあるが……基本的には丁寧に暮らすってのが一番なんだ。昔はみんなそれをやってた。幽霊の存在は今も昔も変わんないのに、現代が騒ぎすぎなんだよ」

 
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