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第四話 境界標騒動
②
しおりを挟むさて、無駄話はこれくらいにして……と所長は資料を手に取った。
「まずは概要からな。飛び降り団地改め……」
「あっ、ちょっと待って下さい」
所長の勢いに負けてすっかり忘れていたけれど、今朝一番に所長に聞こうと思っていたことがあったんだった。
人の出鼻は挫くくせに、自分の出鼻を挫かれること嫌う所長はあからさまにイヤな顔をする。でもこれだけは聞いておきたい。今後の安眠のためにも。
「なに?」
「あの、僕が今使わせてもらっている部屋にある写真立てなんですが……所長、中の写真を変えたりしていませんか?」
所長ほど家族愛の強い人なら、たくさん写真を持っていても不思議ではない。
「写真の中の妹さんが動いているんです!」なんて下手に騒げばまたバカにされてしまうのが目に見えていたので、詳細は話さずにわざとボカして聞いてみた。
「写真?」
所長は一瞬だけキョトンとした顔をした後、すぐに「あぁ」と呟いた。
でも、その次の言葉を聞く前にどこからか電話のベルが鳴る。
事務所に備え付けてある固定電話ではない。
僕のスマホはマナーモードにしているので、出所は所長だろう。
「ごめん、俺だわ」
やっぱり所長だった。
でも、そのスマホはいつも使っている仕事用のものではなくてプライベート用の赤いスマホだった。
個人的な用事だろうか。
「はい、もしもし~。いつもお世話になっております~」
でも躊躇いなく通話に応じて、しかも仕事用の声を出しているということは依頼なのかな。あんまり聞いちゃ悪いと思ってぼーっとしながらテーブルの上に飾ってある竜胆の眺めてみる。
今日も綺麗な色だな……。
「……わかりました。はい、はい。それではすぐに」
思いのほか電話は早く終わり、所長は赤いスマホから顔を離す。
「所長、ご依頼です、か……」
てっきりいつもの営業スマイルがそこにあると思っていたのに、所長は今まで見たこともないような酷い顔をしていた。
怒りのような、悲しみのような、それでいて嬉しそうな……。
とにかく、おかしな表情だ。
「……ん? どうかしたか?」
僕が言葉を失って固まっていることに気がついたのか、所長は殊更にいつもの顔のパーツ全体をクシャッと歪める笑い方をした。
さっきの複雑な表情をみた後では、そのいつもの笑みの方が偽りなんじゃないかと思ってしまう。
「い、いえ……何も……」
「重ね重ね悪いな。せっかく準備してもらったけど、新しい急ぎの依頼が入っちまった」
「そ、そうですか……」
「お得意さまからのご依頼だからな。さっさと行かないと。……いや、向こうから来るな。ちょっと着替えてくる」
「えっ、あのっ……」
言うが早いが、所長は自室へと駆け上がってしまった。
事態が良く飲み込めないけれど……もうすぐお客様がくるっていうことか?
改めて自分の姿を見ると、まだ部屋着のままだ。
そしてお客様が座るであろうテーブルには所長が散らかしたノートパソコンや資料が埃まみれで溢れかえっている。
「……っ、やばい」
急いで部屋の片づけと自分の身支度を整えようとしたら、無情にもインターホンが鳴ってしまった。
朝くん出てあげて~、と三階から所長の声がする。
こんな格好で、ですか!? と言いたくなるのを必死に堪えて、なんとかインターホンの向こうにいる人物に笑いかけた。
「……はい、どなたでしょうか」
年齢は所長と同じか、ちょっと上ぐらいだろうか。
人好きのする笑みを浮かべた、大多数の女性に人気がありそうな男性が画面の向こうでハキハキと喋り出す。
「先ほどお電話させていただきました。里見くんの友人で志田と申します。お邪魔してもいいですか?」
所長の友達?
依頼人じゃなかったのか……と固まっていたら、最速で身支度を整えた所長が僕の横から口を出す。
「開いてますよ。上がってきて下さい」
「しょ、所長……! まだ全然片づけできてないんですけど……!」
「いいよ、玄関先だけで済ますから」
いつものことながら、言葉足らずな所長は僕にひらひらと手を振ってさっさと階段を下りていった。
結局、ご友人が依頼主なのか?
いや、友人からの電話にあんな表情をするだろうか。
飛び降り団地に向かう前、誰かからの電話を受けた後にスマホを地面に投げつけた時を思い出す。
……ますますわからない。
とりあえず、気持ちを落ち着けるために掃除をしようとテーブルに目をやると……。
「え?」
ほんの一瞬前まで元気に色づいていた竜胆の花が、すべて枯れ落ちていた。
青々とした色づきの見る影もない。
「ど、どうして……」
花が枯れるということは、この家にいる妹さんが動いた印だったっけ?
「い、妹さん……、いるの?」
おそるおそる虚空に向かって話しかけてみるけれど、その問いかけは壁にぶつかっただけで空気に溶けていった。
所長が出て行ってから、どれぐらい経っただろうか。
取り残された僕は、またお客さんが来たときの為に部屋の掃除と自分の身支度を整えて事務所でおとなしく待っていた。
「遅い……」
そんな独り言が何度か出たところで「ただいま~」と所長が帰ってくる。
「おっ、おかえりなさい」
帰ってきたのは所長一人だけだった。
後ろには誰も憑いてきていない。
「さっきの方は、もう良いんですか?」
「いいや? 先に目的地で待ってるぜ。朝くんを迎えにきたんだ」
「僕?」
「だって、君がいないと分かんないことも多いだろ~?」
また霊感レーダーの仕事らしい。
詳細を聞く隙を与えてもらえないまま、車の助手席に押し込まれる。
「近場だから、すぐ着くぜ」
「えっと……さっきの方が依頼主なんでしょうか? でも所長の友人なんですよね?」
僕がシートベルトを装着すると、すぐに車は発進した。
「うーん、友人っていうのはちょっと違うけど……まぁ、そんな感じだよ。でもちょっと入り組んでてな、ソイツは今回の依頼主じゃない。ただの仲介人だ」
「仲介人、ですか」
「この前の飛び降り団地と一緒のパターンだな。さっき訪ねてきたアイツの名前は志田亘って名前で……俺らの事務所の現オーナーだよ」
「それって……あの、『ちょっと変わった奴で、独自の解釈で幽霊を捉えている』人ですよね」
「おっ、よく覚えてるな。えらいえらい。まぁ、昔からこの辺に住んでる地主の息子だから、顔見知りなんだ。ちょっと俺より年上だけどな。妹の事件をずっと気にかけてて……」
遺志留の町は、田舎の終着駅らしくほとんど車通りがない。
広い道路とどこまでも続く田圃、そして山。
速度制限なんてあってないようなものだけれど、所長の運転は急に減速してしまった。
「あっ、もう着いたんですか?」
シートベルトを外して車庫入れを手伝おうと思ったのに、車は減速するばかりでどこかに止まる様子はない。
ゆるやかな速度で進み続けている。
いくら交通量が少ないとはいえ、道路でノロノロ運転をし続けるのは危険だ。
不思議に思って所長を見ると、ゼェゼェと息を切らして苦しそうにしていたので驚いた。
「えっ!? ちょ、ちょっとどこかに止めましょう!?」
「だいじょうぶだって、これぐらい……」
「全然、そんな風には見えないです!!」
この期に及んで強がる所長が握るハンドルをなんとか操って、路肩に止めることに成功した。思わず安堵の息が漏れる。
「ふぅ……。所長、一体どうしたんですか? まさか、なにかに取り憑かれて……」
「いやいや、違うぜ。これはそんなんじゃない。幽霊の仕業じゃない」
「じゃあ……?」
「むしろ、幽霊の仕業だったらありがたいぐらいだ」
所長の苦しそうな様子は変わらない。
せっかくキッチリ結んだネクタイも解かれて、苦しそうな深呼吸を繰り返している。
「はぁ……。ちょっと、待っててくれ。すぐにおさまるから」
「な、なにかご病気ですか? あっ、聞いちゃっていいのかどうか分からないんですけど……」
「病気か……。ま、病気みたいなもんかもな。妹が死んでから、ずっとこうだ」
そういえば、所長が出て行った後すぐに竜胆の花が枯れたことを話していなかった。
あれは妹さんの存在が関係しているんだっけ……。
「ちょっと休めばすぐに治る。これは、向こうとコッチとの根比べみたいなものだからな」
「向こう? コッチ?」
「あ~……。いや、まだ黙っとくつもりだったんだが、もう話しておくか」
「え?」
所長はスーツのポケットからいつもの煙草を取り出して火をつける。
閉め切った狭い車内に煙が充満するけれど、その煙たさはなぜかあまり不快ではなかった。
「俺に憑いてるのは……生霊だ」
「生霊……」
またはじめて聞く単語だった。
「生霊っていうのは、まぁ、幽霊の分類の中でも一線を画している。霊現象のほとんどすべてが死者や人ならざる者の影響であるにも関わらず、生霊だけが生者の影響するところだからな。今まで培ってきた対幽霊のノウハウが全く通用しない。だから、考えようによっちゃあ一番厄介なんだよ」
何度か浅い息を繰り返していた所長は、次第に大きく息が吸えるようになっていった。顔色も段々戻ってきた気がする。
こんなにも短時間に体調が変わるところをみると、ただの体調不良じゃなくて『取り憑かれている』んだということがよく分かる。
「生霊への対処方法は、それぞれ違うんだ。なぜなら、生きている人間は常に変わりゆくものだから。死者の念である幽霊は、もうそれ以上変化しないが……生きている人間は、生きている人間が飛ばす生霊は、『変化』するからな」
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