霊感不動産・グッドバイの無特記物件怪奇レポート

竹原 穂

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第四話 境界標騒動

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「キミ、里見くんの妹さんと仲が良いみたいだね」
「えっ?」

 突然振られた話題に飛びつきたいけれど、意図が見えなくて広げられない。

「これでも、ボクには霊感があるからね。あの子がどう思っているのか、何を感じているのかが手に取るように分かる」
「は、はぁ……」
「彼女は本当に可愛いよね。ケガレがなくて、純粋で、まるで天使だった。あの子の金髪を思い出す度に、それだけで僕は満たされた気持ちになるんだよ」

 シミ一つない白いニットが汚れるのも構わずに、棚なのかゴミ置き場なのかよく分からない混沌の中に手を突っ込んで、志田さんは小さな箱を取り出した。
 それをそのまま、僕の目の前に置く。

「不幸な事件でボクの目の前からはいなくなってしまったけれど……いまでも心に住み着いているよ。ボクの中が、よっぽど心地良いんだろうね」
「そ、そうなんですか……」
「そうだよ。少しでもすてきな空間にしてあげたいから、ボクはいつだってケガレを自分の中に溜めるよう努力しているのさ」

 その結果が、室内を無理矢理汚したり人の不幸を願ったり間違った霊感を吹聴して被害を増やすことなのか?

「里見くんからキミの話を聞いたとき、どんな子かと思ったんだけど……」

 志田さんが箱の蓋を開ける。
 中に入っていたのは、所長の妹さんの写真だった。
 ……それは、明らかに隠し撮りと分かるアングルのものばかりで禍々しい執着を感じた。

「えっ……」

 志田さんが僕の後ろに回り込んで、背中を塞ぐように身体を割り込ませる。
 イスには浅く腰掛けているだけだから、その気になれば蹴り上げることができるけれど……行く手を腕に阻まれてしまってどうにも身動きがとれない。

「あの子は、彼女は、ナユナは……本当に天使だよ」
「天使……ですか」
「そう。だからね、ボクが天に還してあげたんだ」

 幼い妹さんの姿は、隠し撮りの中でも天真爛漫に輝いていた。
 写真をめくる度、僕の頭の中に残酷なイメージが塗り込められていく。

 息が苦しい。

 眼が痛い。

 喉が渇く。

 間接が痛い。

 写真を通して、妹さんに身体を乗っ取られてしまいそうだ。


「や、やめ……」
「ほら、よく見てよ」
「ひっ……」


 写真はとうとう最後の一枚になった。
 それは、所長が撮ったと言うブランコの写真を違うアングルから撮ったものだった。
 背中を向けて走り去る所長と、その背中に向かって手を振る妹さん。

「キミにはどう見えているのか、ボクには分からないけど……」

 もはや、写真の中の区切られた四角はビデオカメラのようだった。
 僕の身体を蝕む代わりに、写真の中の妹さんはコマ送りでカタカタと動き出す。

「あっ、ああああ………」
「きっと、すてきな光景が見えているんだろうね。ボクも、できることなら

 志田さんはこんな時でも笑みを全く崩さない。
 僕の、目には……。
 所長に向かって手を振り終えた妹さんが、再びブランコで遊ぼうとしたところでカメラのシャッター音に気づいて、振り返って、そこから……若い志田さんに草むらに引きずられて、地面にたたきつけられて、お腹を蹴られて、綺麗な金髪を切られて、無理矢理気持ち悪いキスをされて、両腕を縛られて、服を脱がされて……。

 だ、だめだだめだだめだ。

 これ以上はダメだ。やめてくれ。みたくない。感じたくない。
 僕は無関係のハズなのに、まるでそこにいるかのような臨場感にすっかり呑まれてしまった。
 志田さんのことを『怖い』以外の感情で処理することができなくて、イスから一歩も動けなくなってしまう。
 僕の涙がポツポツと写真に垂れたのを見て、志田さんが心底迷惑そうに洋服の袖で写真を拭う。

「ちょっと、汚さないでくれるかな?」
「はぁ、はーっ……、はぁ……」

 早くここから逃げたい。
 僕は所長に教えてもらった思いつく限りの方法を試してみる。
 枯れた喉を絞り出して唾液をだそうとするけれど一向に報われず、深呼吸をしようとしても普通の呼吸すらままならない。瞬きする度にこぼれ落ちる涙のせいで視界も悪いし、滲んでいるのに写真の中の映像だけは鮮明だからどっちが真実が錯覚しそうになる。一方的で壮絶な暴力を一身に浴びる姿が、妹さんなのか僕自身なのか境界が非常に曖昧だ。身体中が痛くて目が回る。可愛い顔を何度も殴られた妹さんは、小さな前歯を二本、同時に折られた衝撃と痛みで失神してしまい、二度と意識が戻らなかった……。



「……っお、おええぇ……!!」

 たまらず嘔吐いてしまう。
 微かに残った理性で家を汚さないよう手で受け止めようとしたけれど、それも間に合わなかった。

「わっ。ちょっともう、しっかりしてよ」

 差し出されたタオルはいつ洗濯したのか、そもそも一度も洗ってないんじゃないかと思うほど汚れていて触りたくない。
 でも、顔の前にいつまでもぶら下げられているので仕方なく受け取ってテーブルの上を申し訳程度に拭いた。

「す、すいません……」

 自分の口元はスーツの袖で拭って、床も綺麗にしようとイスから立ち上がろうとしたら満足に腰に力が入らなくて床に崩れ落ちてしまった。

「あだっ……!?」

 冷や汗と動機が止まらない。
 裸足で逃げ出したかったけれど、出口へ続く扉を身体で塞がれているのでそれもままならない。

「どう? なにが見えた? キミにも霊感があるんでしょ?」
「え、ええと……」

 正直に話してしまって良いのかな。
 そもそも、なぜこの人はこんなものを僕に見せるんだ?
 普通はもっと、隠してバレないようにするんじゃ……?

「ボクの霊感は弱くてね。だから、キミみたいになんの努力もせず生まれつきの霊感にあぐらをかいている人間を見ると、本当に羨ましく思うよ。ボクはこんなにも、日々努力しているというのに」
「ど、努力……ですか」

 志田さんが言っていることがまともに頭に入ってこない。
 とにかく、所長が戻ってくるまでなんとか場を繋ごうとオウム返しに質問してみる。
 床にへばりついたまま動けない僕を見て、この人は何とも思わないんだろうか。

「身体の内側にケガレを溜めるのさ。人の汚い部分をしっかりこの目に焼き付けるために奔走したり、火のないところに煙を立てたり、キミに写真を見せたのもその一環さ。どうだい?」
「どう、と、言われまし、ても……」
「里見くんは頑固だからね。どんなに嫌がらせしても全く動じてくれないんだ」

 身体を動かす度に激痛が走る。
 妹さんが受けた苦痛の半分にも満たないだろうけど、かなりの負担だ。
 こんなのを、笑いながら他人に強いる神経が分からない。
 分からないから、怖い。
 幽霊よりも、この人がよっぽど怖い。

「被害者遺族からの怨念が、一番ケガレが溜まると思ったんだけどなぁ」
「……っ!」

 もうほとんど自白ともとれる発言を聞きながら、何もできない自分がもどかしい。
 できることならこの人を殴ってやりたいのに、どうして震えて見上げることしかできないんだ?

「どうかな? 教えてくれない? あの子はきっと喜んでいるだろう? ボクがたくさん、友達を増やしてあげたからね。ああ、どうしてボクには語りかけてくれないんだろう。ナユナはとっても内気で恥ずかしがり屋さんだから仕方ないね。そこが可愛いんだけどね。でもボクは知ってるよ。だって、はじめてボクと遊んだ時に声が枯れるまで叫んでくれたもんね。涙がでるほど嬉しかったんだよね。ねえ、そうでしょ? そう言っているでしょ?」

 僕に死者と会話する力なんてない。
 ただの取り憑かれ体質の霊感レーダーだ。
 霊との波長がどうとか、今まで話には聞いていても共感することなんてなかった。

「あ……、うぅ……」

 でも、今は分かる。
 痛いほど分かる。まるで、今からこの人に殺されるみたいだ。
 僕自身としての怒りや嫌悪が消え去って、二十年前の事件に無理矢理タイムスリップさせられている感覚。
 こんなに怖かったのか。
 こんなに恐ろしかったのか。
 そして……、こんなに辛かったのに、彼女は現世に押しとどめられてしまったのか……。
 微かに残った僕の脳裏に、所長が撮った写真の中の妹さんが蘇る。
 志田の記憶の中の恐怖にひきつった顔じゃなくて、兄に向けて屈託のない笑顔を浮かべた妹さん。

 ……そうだ。

 幽霊っていうのは、生きている人間のイメージでしかないんだ。
 志田のイメージに引きずられてちゃダメだ。
 ちょっとでも、僕が知っている限りの幸せそうな彼女を思い描こう。

「………」
「あれ? 眠いのかな?」

 目を瞑ると、壊れたテープのように惨殺現場の映像が何度も再生される。
 僕はそれを必死で打ち消そうとするけれど……全くうまくいかない。
 もういよいよダメだと思ったときやっと所長が戻ってきた。

「いや~、遅くなりましてすいませ……」

 所長は床にへばりついて動けない僕とそれを見下ろす志田さん、それに妹さんの隠し撮り写真が散乱しているという室内を見て一瞬で状況を理解したらしく、全身の毛を総立たせるような表情を垣間見せた後にすぐいつもの調子に戻った。

「わっ。どうしたの、朝くん。車にでも酔った?」
「ち、ちが……」

 違うんです、と言いたかったのに言葉が出てこない。
「逃げて下さい」の一言も言えないまま、辛うじて動く眼球だけを駆使して所長の動きを追う。
 所長は僕を庇うように僕と志田さんの間に立った。

「ウチのが、ご迷惑おかけしましたね」
「そうでもないよ。楽しかった。もう少しだけお話させてくれないかな?」
「そうっすね~。ま、先に仕事させて下さいよ。……さっきの電話、親父さんからでしたよ」
「ボクの父親?」
「志田サンの父親と、お嫁さんの両親の連名って感じでしょうか。簡単には日本にこれない距離ですし」

 所長は依頼人の家にも関わらず、スーツから煙草を取り出した。
 今日はよく煙草を吸う日だ。最後の一本だったらしく、空箱をクシャリと握りつぶした音がやけに僕の耳に響く。

「志田さんのお嫁さんと……アイリスさんと連絡がつかないって」




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